第3話 説明会

 講演会室には、百人以上の二十代の男女が着席していた。

 聞くまでもない説明が始まって十数分。ところどころに空席も見受けられる。遅刻か、はたまた……。ここに来ないことを選択した者も少なからずいるだろう。誰も座らぬ席を冷たく一瞥する者、不安そうに見つめる者、見向きすらしない者。あの席に座るはずだった者がこれから先、どのような境遇に陥るのか。なんにせよ、これから先も顔を合わせる機会は訪れないだろう。今この場にいる彼らにとってそれは今この場でわざわざ意識を長く置いておくようなことではないのだった。

 配られたテキストに真面目に目を通している者はほとんどおらず、大きなモニターに映された映像に意識も向けず、また教壇に立つ白衣を着た男の話に真剣に耳を傾ける者もそういなかった。

「――2001年、亜型ウイルスにより世界規模のパンデミックが発生。十億以上の人間の命が失われました」

 白衣の男……斎藤も誰かが自分の話を真剣に聞くことに期待などしておらず、勤務以来何度も何度も何度も繰り返してきた定型文をそのまま音読するように声帯を動かすだけだ。

「数年後抗体が発見され人類は滅亡の危機から逃れるも、成人の減少によって働き手がいなくなり、新たな問題となってゆきます」

 歴史の授業で習ったうえに、彼らの親が生きた時代である。説明など不要だ。

 それでも講演会室の一番前の真ん中の席を確保している眼鏡をかけた男、風坂は優等生そのものの姿勢と態度で無気力な声音を聞いている。

 自動ドアの開く小さな起動音がして、一部の視線が真っ白な扉へと向けられる。風坂もその中のひとりだった。

 遅刻者……、ひとまずギターの持ち込みの許可を得た中井谷がこそこそと気配を消すように入室してきたのだ。

「これによりロボット開発が本格化し、マザーシステムを持たない独立進化型アンドロイドが様々な場所で使用されるようになりました。……早く座って」

「あ、はい」

 いつまでも着席の気配のない中井谷に斎藤が声をかける。首を竦め、居心地が悪そうにまたきょろきょろ居場所を探す男に、雪永が声をかけた。

「ここ、空いてますよ」

 にっこりと笑って自分の隣を示す。誰もが遠慮して座らなかった場所だ。

 中井谷は「どうも」とそそくさとその席に着席する。慌てているせいか、自分に親切にしてくれた女性の顔を見る余裕もないようだ。彼女は小さく咳払いをした。

「えっ、あ、キミ……!!」

 ぎょぎょっと丸まった男の目を見て、雪永は満足そうにアイドルスマイルを浮かべ「どうも」となんでもないように言ってみせた。

「ど、どうも。……あのぉ、サインとかもらっても」

「ッううん」

 今度は室内中に響くような大きな咳払いが聞こえる。斎藤だった。中井谷は口を閉ざし、正面に向き直ってきちんと座る。

「二○一○年。世界的にクローン人間の作製が合法化。日本国内でも『ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律』通称『クローン技術規制法』が改正されます」

 気を取り直して説明を再開した途端、また新たな遅刻者がやってきた。鋭い視線が向けられ、皆の視線も自然とそちらを向く。

 視線を浴びても彼女は堂々とした態度で担当官である男の前を横切り、空席に座った。そして九条は赤いマニキュアの少し剥げた部分をいじりだす。

「当初、クローン差別が深刻化を辿りましたが、後にオリジナルと同等の人権を得ました。二○二五年頃には以前とは打って変わり、急激な人口増加が問題視されます。人口過多による資源不足や環境破壊が深刻化。更に政治・経済の根幹にまでアンドロイドが関わり、失業者が急増。人類の貧富の差も悪化を辿る一方でした」

 また扉の開く音。斎藤は視線で遅刻者の入室を止め、百人以上の招集者を見渡して重苦しく言い放った。

「……そして、二〇三〇年。世界人口八十億人。アンドロイドを数えると、実に百億近くが地球にひしめき合っていました」

 誰もが知る常識だったが、その言葉は今までとは違い緊迫した空気を生み出していった。

 肌がヒリつくような空間で、三人目の遅刻者……柏原は堂々と入り口から一番近い空席、前から二列目のセンター(ようは恐い顔をしている担当官のほぼ目の前だ)に着席した。

「これにより『マジカルナンバー7プロジェクト』が政治家モデルのアンドロイド群により合法化。皆さんにこれからご参加頂くのが、この人類存続のためのプロジェクトなのです。遅刻ですよ」

 言い終わるなり向けられた言葉に、周囲の者は息を呑んだ。明らかに機嫌の悪い担当官に対し、柏原は「気にしないで。どうぞ続けて」と優雅に右手を振った。そんな様子に、おいおい、と中井谷が思う。

「マジカルナンバー7プロジェクトとは何か説明して下さい」

 そら見ろ、不遜な態度を取るからだ。誰もが思ったが、柏原は怯む素振りすらなくつつがなく答えた。

「増高した世界人口を人類の進化に影響なく七十億人に削減、維持する計画です」

「プロジェクト名の由来は」

「心理学者ジョージ・ミラーが発表したマジカルナンバー7±2が語源です。現代においてはその限りではなく、AIが割りだした人類の進化に対する必要数は七十億。その七十億の人間がマジカルナンバーと呼称されています。まだ続けます?」

「もう結構」

 斎藤は吐き捨てるように切り上げた。

「すごぉい」

 雪永が甘い声でそう言うのと同時に、九条が大仰な拍手をしてみせた。

 にっこりと笑う美女にも嫌味な視線を向ける美女にも反応せず、柏原は静かに前を向いている。人気アイドルの言葉はたった一言でも影響があるようで、数人も手を叩いたり、「すごい」と同じように言ってみたりもした。

「だが、実際のマジカルナンバーは4±2が正しいと別の学者が発表しているんだよ」

 柏原の斜め前に座っていた男……、つまりは風坂が振り返って言った。

「そうなの?」雪永が首を傾げる。そんな仕草すら愛らしい。

「なら必要数は四十億? 外れる確率は二分の一、ハハ、7で良かったなぁ」

 中井谷が身を乗り出し、雪永や周りの人間に気さくに笑いかける。他の人間もクスクス笑った。

「君、そんなに喋りたいならマジカルナンバー7のシステムを教えてください」

「え? ええーと、……」

 不運にも矛先を向けられた中井谷は(遅刻に私語ときたのだ、ある意味当然である)入室してきた時と同じようにキョロキョロ周囲を見回したが、今の今まで笑っていた誰かたちもすっかり口を噤んで前を向いていた。

 誰にも助けてもらえず中井谷が「あ」だの「う」だの意味を成さない音を繰り返していると、大きなため息と共に最前列で手が上がった。風坂だ。

「マジカルナンバー7は各地域で同世代の人間がランダムに八人一組に分けられ、『今後人類の進化に最も影響を与えない人間』を決定する。審議を行うのは独立した人工知能を持つアンドロイド群だ。起用理由は、感情はなく贔屓の無い判断が可能であるため」

 中井谷が着席するのと、風坂が喋りながら立ち上がるのはほぼ同時だった。

 風坂は眼鏡を指先で押しあげながら振り返り、講義をするようにつらつらと喋る。その堂々たる姿に「おお、すごい」と雪永が感心したように言った。

「尚、各審議を生放送する理由は二つ。一つは、捏造がないことが証明できる。もう一つは、莫大な税金のかかったプロジェクトをショーとして演出することでエンターテイメントへと昇華しスポンサーをつけることで集金が可能になり」

「もう結構。私語は謹んで。君、当ててないから」

 背後から威圧的な声を投げかけられ、風坂は言葉を止める。

 振り返ると担当官がじとりと半ば睨むように見てくるので、彼は「どうもすみません」とクールに謝罪し、あっさりと着席した。

「すごいですね」と隣の女性に声をかけられ「どうも」と素っ気なく返す風坂。そのやりとりを真後ろで聞いていた柏原は、あんなのはどんな本にだって書いてあるのに皆はそれを知らないのだと思い「ただの丸暗記よ」と教えてやった。

 風坂が振り返り柏原に何か言い返すそぶりを見せるので、斎藤はいい加減我慢の限界を迎え「君たちいい加減にしなさい」と叱責する最中に、また扉の開く音がするのだから堪ったものではない。

「君!」

 説明会の終盤に堂々とやってくる遅刻者を見せしめにしてやろうと斎藤は扉を見るより先に声をあげ、そして次の言葉を飲み込んだ。

「君……」

 見るからに異質な雰囲気の男の入室に、戸惑いが感染してゆく。

 最後の会場入りした男、須和だった。色の暗いシンプルな衣服に、前髪の隙間から覗く底なし沼のような瞳。彼がそこに立っているだけで、重力が二倍にでもなったような重苦しさがある。

 あいつ、ヤバい。多くの人数が直感を覚えた。

「キミ……、とにかく入りなさい……」

 担当官は言葉を探すように口をはくはくさせた後、それだけ口にした。

 誰も彼のその扱いの違いに文句は言わない。その余裕もない。

 須和は数秒動かなかったが、ゆらりと歩き出して空席に座った。その途端、近くにいた者は息を呑んで身を固くしたり、中には席を移動したりする者もいた。

 周囲の視線に気を向けるそぶりもなく須和はただそこに座っている。

 斎藤は妙な空気を振り払うように、いつでも口から出てくる慣れた言葉を紡いだ。

「これより、皆さんにはグループ分けの抽選を行って頂きます。番号が決まり次第、各自サポートロイドの元へ向かい、身体検査や身辺調査を受けてください。尚、審議前の参加者同士による番号の開示は禁止です」

 今日限り使用するだけの番号がなぜ開示禁止なのか。え、だとか、なんで、だとか囁き声が広がってゆく。

「審議が始まる前から人数を減らそうなんて考えを持つ輩がいるのでね」

 剣呑な目と言葉に、一瞬にしてシン、と講演会室は静まり返った。

 今までこそこそと話していた人間同士も途端に距離を置き、恐ろしいものを見るように相手の様子を伺っていた。

「外部との連絡も原則禁止です。通信行為があった場合は選ばれようが選ばれまいが、即マジカルナンバーを外れて頂きます。いいですね」

 紙の擦れる音すらしない沈黙。

 やっと自分たちの立場を理解したらしい招集者たちを一瞥し、斎藤は緊張感の解けた声で「何か質問があればどうぞ」と言った。

 その途端、遅刻者その1……つまり中井谷がバッと手をあげる。

「ただし、意味のない、くだらない、中身のない質問は受けつけません」

 睨み圧され、中井谷はバッと手を下げた。

 今の後で手を挙げられる者などそういるわけがない。再びシン、と静まり返ると思いきや、ひとりいた。言根だった。一番端の席にいた彼女はバッと手をあげる勢いのまま立ち上がり、目をギュッと瞑って半ば叫んだ。

「あの!! こ、こ、これってやっぱりおかしくないですか……!? 誰が、わ、私が必要か不必要かなんて私以外の人が決めていいことなんですか!? わ、私の人生なのに!?」

 恐らくこの場で最も愚かな問いだった。

 鋭い視線や呆れた視線を浴び、言根は亀のように首を竦め、返答を待つ。

「……、各自、名前を呼ばれたら隣室へ来るように」

 担当官は何も答えず、講演会室の隣に続く扉へと消えていった。

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