マジカルナンバー7

光杜和紗

第1話 とあるショーの終わり

 ――ドラムロールを凌ぐほどに、心臓の鼓動音が全身に響き渡っている。


 運命を決するその瞬間を盛り上げるための太鼓の打撃音が広いホールにドドドドと鳴り響くのと同じくらい、八人の心臓は激しく暴れまわっていた。

 口の中がカラカラに渇いてゆくのを自覚する余裕もないまま、皆はゼイゼイと息を吐く。全身を汗で濡らし、ある者は目を血走らせ、ある者は奥歯を食いしばった。

 いよいよドラムロールが盛り上がれば、八人それぞれが息を止めたり、耐え切れず小さく悲鳴をあげたりする。


「結果発表!」


 頭上から陽気さを孕んだ男の声があがり、それはホールに一瞬にして広がった。

 八人は祈るように握りしめていた両手をぐっと握りこむ。

「マジカルナンバーを外れたのは……望月洋子さんです!!」

「……!」

 ワッと会場中から歓声があがった。

 だが何よりも大きな歓喜の奇声をあげたのは、ステージに肩を並べた七人だった。ある者は脱力し、ある者は天を仰いだ。

 ただひとり名前を呼ばれた女――望月洋子だけが全身から血の気を引かせ、信じられないものを見るように(否、もはや焦点はここにあるものを捉えていないのかもしれない)瞳孔を開き、カラカラに渇いたままの唇から制止の声を捻りだした。


「まって」


 彼女の望みも聞き届けられず、番組終了前のどこかもの悲しさのある音楽がステージに流れ出す。つい先ほどは彼女をしっかり捉えていた空中カメラは興味を失ったように、他の七人の姿を映すために飛んでいってしまい、最後には二段型になっているステージの上段に立っていたメイン司会の目の前へ向かった。

「まって」

「ラッキーセブンな皆様、おめでとうございます! せっかく選ばれた人生ですから、これからはより一層、実りのある人生を送ってくださいね」

 黒いシャツに銀色の派手なベストを着こみ、赤いネクタイをつけたメイン司会。

 彼は無邪気ともいえる笑顔で七人の人間を称え、拍手をしてみせた。

「まって、ねぇ、待ってちょうだい、何かの間違いだわ」

「結果は覆されませんのであしからず」

 メイン司会の隣に立っていた白いワンピースの司会補佐が冷たい声で告げるたった一言。望月は真っ青な顔で、会場中を埋め尽くす人影を睨み激昂した。

「納得がいかないわ、あんなふざけたッ、納得できない!!」

「いまさらそんなこと言われてもね」

 七人のうち一人が望月のその姿を横目に、うざったそうに言った。

 その言葉に望月はヒクリと顔を引き攣らせた。もう誰も自分に興味がないことを察し、咄嗟に思考を巡らせ、彼女は自分の価値を探す。

「そう、そうだわ、ピアノよ。私ピアノが得意なの! 子どものころに賞を獲ったことだってあるわ!」

「ピアノなんて私だって弾けるわ」七人の誰かが鼻を鳴らした。

「料理もできる! グラタンが得意でねッ、皆が美味しいって言ってくれるの!!」

「おいおい、グラタンって」七人の誰かが嘲笑する。

 嘲りと無関心の気配に追い詰められ、望月はゼイゼイと呼吸を荒げながら、目を回しているのかふらりとよたついた。

「いやだ、まだ終わりじゃないわ、私だって、わたし、わたしにはまだ何か……!」

 終われない、こんなところで終われない、納得なんてできない。ただそれだけが脳内に駆け巡り、この状況を打破するための手は見当たらない。ヒュ、ヒュ、とどんどんと呼吸が浅くなってゆく女に、容赦なく一声が浴びせられた。

「オバサンの人生、薄っぺら~」

 たった二つしか歳の違わない男の言葉にバツンと何かが切れる音がした。

 望月はブルブルと怒りと羞恥と絶望に全身を震わせながら「どうして私なの!!」と咆哮し、視界の端に入った別の男に気づくと「そうだ!」と希望を見出したように瞳を光らせた。しかし、その光の鈍いこと。希望を見出したはずのその笑顔はひどく歪み、醜いとしか言いようがない。

「こいつよ! 偽物のこいつにしなさいよ! 私より、偽物のこいつに!!」

 勝機が見えたかに思えた。少なくとも彼女の中では。

 しかし指をさされた男は哀れな子ヤギのように「偽物だなんてひどいな」と嘆き、また別の誰かが吐き捨てるように「差別主義者」と彼女を軽蔑してみせた。

 今の言葉が決定的に自身を堕としたと気づき、望月は絶句する。だが言葉があろうがなかろうが、その時は迫っていた。ならば無理に言葉を捻りだすしかない。

 もう目の前にずらりと並ぶ心を持たぬ審査員へのアピールは無意味だと悟り、彼女はふらつきながら振り返り上段に立つ進行役たちに縋りついた。

「いやだ、待って、お願いします、家族もいるんです!!」

「他者の存在はここでは関係がありません」

「このステージではみんな、独りなのです」

 舞台を照らすライトが煌々と断罪者を背後から照らす。

 影になり表情すら見えず、感情のこもらない無機質な声。慈悲など持たぬその姿は、しかし絶対的な存在である神にすら匹敵するように彼女には思えた。

 独り。どうしようもなく孤独であった。ここには過去を彩る思い出も、未来を彩る夢もない。ただ、今、全てから否定された今があるだけだ。

「ひとり……、わたしって……わたしって……」

 望月の瞳からだらりと涙が零れ落ちた。

 震える右手が彼女の首筋に伸びる。

 国民番号の刻まれたバーコード、その奥に植えられたネックチップが彼女の頸動脈に薬を流し込んだ。


 ――痛みにも思えない僅かな刺激と共に、彼女の意識は途切れる。


 数秒前まで自身の存在主張のために激昂し咆哮していた女は、糸の切れた操り人形のように倒れこみ、ピクリとも動かなくなった。

 ステージに立つ七人の人間はもはや彼女に見向きもしていない。

「これにて本日の日本二十代部門は全チームの終了。気になる視聴率は5.7%! 人気部門にしてはいささか低視聴率かな。次回の参加者に期待しましょう」

「現在世界人口は七十二億六千三百三十四人。目標、七十億人まで引き続きマジカルナンバー7をご覧ください」

 笑顔を浮かべたメイン司会と進行補佐がステージの背面にある巨大モニターに映し出される。「それではみなさんご一緒に」メイン司会が声をあげた。

 参加者の七人の司会進行、そして観客たちが右手を天へ掲げ声を揃える。


「進化の未来を守るために、マジカルナバー7!!」


 ――パチンと指を鳴らし、右手で7の数字を象るお決まりのポーズを最後に番組は終了した。


 モニターには番組終了後のお決まりのCMが流れ始めている。

『みんなで守ろう、進化の未来。マジカルナンバー7プロジェクト委員会は地球と人類の最良の味方です』

 アンドロイドたちが微笑みを浮かべ、美しい地球を背景に拳を握ったり、礼をしたり。清潔感のある音楽と音声に耳を傾けることを止め、彼女はソファに腰かけたまま思考の海に落ちていった。

『マジカルナンバー7は五百の専門番組にて、二十四時間全世界のマジカルナバー7を随時生放送でお送りしています』

 シンプルな構造の私室にあるのはシーツがピンと張られたクイーンサイズのベッドと、仕事や勉強をするための机と椅子、似たようなデザインの服が陣取るクローゼットに、アンティークらしい鏡面台、座る者など一人しかいないのに無駄に大きな三人掛けの高級ソファと、その向かいの壁に埋め込まれたモニター。部屋の主はそのどれにも大した興味を示すでもなく、じっと考え事をしているようだった。

『人類の進化、その歴史に名を刻むのは貴方のお子様かもしれません! 選ばれる子供を育むセブンクリエイト塾は来年度の生徒を絶賛募集中!』

 コンコンとノックの音が鳴り響き、思考の海から現実に帰ってきた瞳が扉へと向けられる。若い男の声が扉向こうにいるとは思えないほどはっきりと届いた。

「失礼致します。お手紙が届いております」

 手紙。このご時世、電子メールでなく手紙を利用する者が知人にいただろうか。

「どうぞ、入って」

 ひとまず返事をすれば、執事が入室してきた。

 二十代ほどの見目の良い男の左頬には"Y-4R5D"という文字が刻まれており、シャツの後ろから右耳にかけて紫色のライトケーブルが繋がれていた。――アンドロイドである。

 表情のない整った顔が、部屋のソファに座る目的の人物を見つける。

 ピッタリと寸分違わず同じ歩幅で彼女の傍まで歩いてきた執事ドロイドは、手にしていた封筒を丁寧に差し出した。

「こちらになります」

 その真っ赤な封筒を黒い瞳が捉える。

 柏原五子様。封筒に記されたその名前は確かに彼女のものであった。

「……、そう」

 柏原は赤い封筒を静かに受け取った。それだけだ。中身を開こうとしない。

「赤紙にございますね」

「そうね」執事ドロイドの言葉に柏原はそつなく返事をした。

「これは誰しもが通る道。しかし、柏原の正当な血筋を受け継ぐお嬢様であれば、必ずやこの審査を」

「黙って」

「……」

 プログラミングされた慰みの言葉は欲していない。

 柏原の言葉と同時に喋ることを止めた執事ドロイドは、相手の心情を推し量ろうとするかのように彼女の瞳を見つめている。心情、違う、言動を分析しているだけだ。誰かに寄せる心を持っていないのだから。

「思ってもないこと言わなくていいの。下がって」

 食い下がる気配も当然ないまま、執事ドロイドは退室した。

 去るその背中を一瞥すらしないまま赤い封筒をじっと見つめ続けている。そして暫くしてから、静かに彼女は封筒を開封した。

 真っ赤な封筒から出てきた真っ赤な召集令状。


 柏原五子いつこ

 あなたは日本二十代部門マジカルナンバー7への召集を命ぜられました。

 よりて、左記日時到着地に参着し、この令状を以て当該召集センターに提出して下さい。


 十三年前に制定された人類の保守と存続を目的としたマジカルナンバー7プロジェクトの召集令状。歴史をなぞる悪趣味な文章に目を通し、静かに呼吸を深める。


「いよいよ始まるのね、の番が」

 

 あのステージに立つ時が来たのだと、自分の順番が来たのだと、ただそれを実感するように彼女はそう呟くのだった。

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