第30話 ステージの終幕
「なあ、今なら逃げられるんじゃないか……?」
ポツリ、とそう零したのは風坂だった。
エヴァは沈黙し、観客席の審査ドロイド達も微動だにせず八人を凝視しているのみ。アダムの停止及び、アダムの暴走が露呈した事によりショーは完全に崩壊状態となった。
半ば斎藤に巻き込まれる形で乗った計画が、よもや本当に実現するとは本気で考えていなかったのか。首輪が外れても途方に暮れたように皆、すぐに動けなかった。
「そうだ、今がチャンスかも。よし、皆、行くぞ!!」
ハッとした中井谷が真っ先に頷いた。
そして拳を振り上げ、勢いよく逃げようとステージの舞台袖へ向かってゆく。
けれど他の七人はすぐに動かなかった。風坂と雪永も、のろのろと数歩歩いただけで止まってしまう。
訳が分からず中井谷は苛立ちながら二人の元へ戻ってきた。
「なんだよ、どうした」
「この状況で外に出れば、僕は叔父と同じになるのか?」
「正体知られて、どんな顔で出ていけば……」
レジスタンスだった叔父が辿った人生を思い返し、風坂の足は震える。オリジナルの自分やファンだった人々が待ち構えていると思えば、雪永は胸が凍りつくようだった。
やっと掴んだ全員脱出を目前に、怯えを見せた二人に中井谷は怒鳴りつけた。
「なんだよ、他の誰でもない、お前らはお前らだろ! 自分のことは自分で決めろ! 俺は行く! 二人は一生ここにいたいのか!?」
そんなわけはない。風坂は緩く、雪永は大きく首を横に振った。
「じゃあほら!」
中井谷は雪永へと手を差し出す。
雪永は今にも泣き出しそうな顔でその手を見つめ、意を決したように中井谷の手を掴んだ。二人は手を取り、走り出そうとする。しかし風坂がついてこない事に気がつき、またすぐに足を止めた。
風坂はじっと立ち竦んだまま、自分の動かない足を睨むように見下ろしていた。
呆れの吐息を小さく零し、中井谷はもう片方の手を風坂へと差し出す。
「…………」
風坂はその手をじっと見つめ、ゆっくりと自らの手を持ち上げた。じれったいそれを見て、雪永が先にその風坂の手を取った。
ぐんっと腕を引っ張られ、二人の青年は縺れそうになる足でたたらを踏みながら、笑顔で走り出す雪永と共に、ステージを後にしたのだった。
言根と斎藤も後に続こうとするが、未だ動かない三人に気づき、足を止める。
柏原と須和、九条はただ沈黙していた。
「皆さん、逃げないんですか?」言根が震える声で訊ねる。
「アンタ達だけで逃げれば」九条も震える声で、吐き捨てるように言った。
「我々、八人全員がここから共に出てゆくことに意味があるんです」
ぎゅっと自分の腕を抱いている九条の側まで歩み寄り、斎藤はそう説得する。
九条は眼球の奥が熱くなるのを感じながら顔をあげ、斎藤に詰め寄った。
「ここを出て私が逮捕されたら? 息子はどうなるの? 本当に世界は変わった? もし何も変わっていなくて、明日にはまた誰かが選ばれずにいるのなら……!」
九条たちには分からない。世界が今どうなっているのか。全てがひっくり返ったと思ったのは錯覚かもしれない。今日、このステージで八人の中で大きく何かが変わった。でもそれは、外に出れば大したことではないかもしれない。
九条の怯えと不安を斎藤は否定しなかった。それは当然のことであり、斎藤自身もまたそれを持っていたからだ。
けれど斎藤は、今日自分自身に起こったことを知っている。
「モニターの向こうで何人が我々の姿を見ているか分かりません。けれど、今、この今、僕たちが取る行動によって、きっと誰かが変わります。僕は今日死んでやろうと思っていた。でも今はあなたたちに逢ったことで、全員で生きてここを出ることを考えている。きっとそんな風に、誰かが……」
「観ていますか」
言根がステージの中央へとふらふら歩いてゆき、口を開いた。
がばっと勢いよく顔をあげ、言根はだだっ広い空間に向かって叫んだ。
「誰か、私たちを観ていますか! み、観てきたんでしょう、今までの全部を! おかしいと思いませんでしたか、間違っていると思いませんでしたか! 正しいことなんて私には分からない。でも分かることだってある。コレは間違ってる! 人類の未来を守る方法も知らない、でもコレ以外に方法はあるはずです。他の誰かが人生を決めるなんて間違っている。本当は皆そう思っているはずです。だったらそう叫んでください! 知らないふりなんて、気づかないふりなんて、馬鹿なふりなんてしてんじゃねえ~~~ッ!!」
わんわんと空間に響き渡ってゆくその絶叫に、ステージにいた他の三人は瞠目するしかなかった。
汗をだらだらかき、言根はふうふう息を零しながら、ばくばく鳴る心臓を服の上から撫でる。そして、勢いのまままたガバリと振り返った。
「九条さん!!」
「は、はい」
反射的に九条の背筋が伸びる。
言根は垂れそうになる眉尻をギッと上に引き上げて、胸を張った。
「私は外に出ます。自分の目で確かめに行きます。……待ってます!」
そう言って、またひとりステージから去ってゆく。
ずっと小さく丸まっていたはずのその背中を見送り、それが見えなくなると九条はどうしようもない心地を誤魔化すように「……誰アレ」と呟いた。
「言根さんは腹を決めたんですよ。それで、あなたは?」
「……」
「もう一度、お子さんに逢いたくはないんですか?」
「……逃げたって、逢えるか分からない」
「ここにいるよりは可能性がある」
「そんな小さな希望に賭けたって」
「彼らはその小さな希望に賭けて、行きました。――九条さん、きっとあなたと同じうに思っている人は数え切れないほどいる。小さな希望のために暗闇の中に足を踏み入れるのをためらい続けている人が。そして彼らは、今モニターの向こうから、あなたがどうするのかをじっと見ていると思います」
「……」
――無数の瞳が、ステージを見つめている。ただ黙って、じっと、行方を見守っている。予測のできないショーに、望む結末をどこかに期待して。
それをステージに立つ彼らが知る事はないけれど。
「ねぇ、九条さん。あなた、どうしたいんです」
「……逃げたいわよ。決まってるでしょ、逃げたいわよ! また逢いたいわよ!!」
九条は涙を浮かべ、咆哮した。
「じゃあ、そうしましょう」
斎藤はそっと手を差し出す。
九条は驚いたようにその差し伸べられた手を見つめ……勢いよくはたき落とした。
バシンと物凄い音がして、走る痛みに斎藤が目を丸める。
「ひとりで結構!」
ツンと顎をあげ、九条は気丈にカツカツとヒールを鳴らしてステージを去っていった。
ひりひりと痛む手のひらをぷらぷらと振ってそれを見送り、斎藤は振り返る。
「……お二人はどうするんです」
須和と柏原は自然と互いに目を合わせた。
「俺は人殺しか?」
「……」
須和は柏原に尋ねる。
柏原は未だにその答えを持ち合わせていない。
「もう一度聞く。俺は人殺しか?」
「……分からない」
「俺もだ。だから、答えを探しに行く。アンタには知りたいことはないのか」
「私は……。私は、なぜ私がここにいるのかを知りたい。私は何者なのかが知りたい。父の言葉ではなく、私自身が私を見定めたい」
「ここにいて、それはできるのか」
ただ真っ直ぐに柏原の瞳を見据え続け、須和はそっと柏原へと手を差し出す。
柏原は僅かばかり迷うそぶりを見せたが、その手を取った。
須和が柏原の手を引いて、二人はステージから去ってゆく。
自分以外の全員がステージから自らの足で外の世界に戻っていったのを確認し、斎藤も後に続こうと踏み出す。
しかし、また足を止めた。彼はゆっくり振り返る。
上段ステージにはただじっと斎藤を見つめているエヴァの姿があった。
「僕らを捕らえないんですか」
斎藤はエヴァに言う。
エヴァは美しい姿勢のまま、上段ステージから静かに階段を使って降りながら、つらつらと喋った。
「現在、カインの暴走が発覚し、今プロジェクトの整合性の組み直しが行われている最中です。その間、規律は一時的に放棄されます。人類存続の方法についてもアルゴリズムが組み直される可能性が高いでしょう」
かつて憧れたアニメや漫画とは違う、どこまでも無機質的なその返答とその姿に斎藤の声帯は震えた。
「ハ、そうかよ」
笑いにもならない吐息を零し、斎藤はそう吐き捨ててステージを去っていった。
……八人の人間、全員が退場したステージは沈黙に包まれる。
微動だにしないまま、観客席のドロイド達と同じようにエヴァは人間という種族を保守してゆくための計画の整合性や合理性について、膨大なデータを処理していた。
ジジジ、と足元から音がしてエヴァの瞳がキュルリと下を向く。
倒れていたアダムがむくりと起き上がった。
「C-A1N、再インストール完了致しました」
口角の端を小さく持ち上げ、瞳を僅かに細め、それは名乗った。
エヴァは素早く対象のデータ情報を読み込む。
「……どうもご迷惑をお掛け致しました。どうやらボディパーツに強い衝撃があったようです。AI核は情報の再インストールで復元完了。バグが幾つか見受けられましたが、そちらも再インストールにより消去。問題ありません。しかし、後でボディパーツを交換する必要があります」
引きちぎられたライトケーブルを示し、カインはつらつらと告げる。
「手配しておきます」エヴァもつらつらと返事をする。
「ありがとうございます、E-5E-99。しかし、まずは事態の対応が先です。もう手配は終えましたか?」
「……」
「E-5E-99?」
目の前の機体から返答がない原因をカインが探るより先に、全アンドロイドへの通信が入った。カインは通信を繋ぐ。
「こちらC-A1N。脱走した八名は……。暴動。何処でです。各地で。それはいけない。人間が傷つかぬように迅速に対応しましょう。E-5E-99、ゆきましょう」
カインは踵を返し、ステージから去ってゆく。
自身の返答の遅延の原因に判別がつかず、エヴァは薄く唇を開いた。
「……バグ……かしら……」
照明の派手さも失われ、大量のスピーカーも物言わず、ステージに独り残されたエヴァはぽつねんと佇み、己の中に見つけたものに混乱と困惑の意味を知る。
やがて彼女の姿は無数のモニターから消え、いつも通りのコマーシャルが流れ出す。
暫しそれらが流れた後、最後にはそのチャンネルは真っ暗になって――……永遠の沈黙を得た。
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