第6話 待ち時間
Aステージはテレビで見た通りの広く、それでもどこか圧迫感のある場所だった。今は座席でスリープモードに入っている数百体のアンドロイドも時間が来れば、人間の未来のためにとその無数の目玉もどきで此処に立つ者を凝視するだろう。
言根は綺麗に掃除されている足元を見た。
血の痕どころか汗の染みすらないそこだが、今までどれだけの人がここで……。
ごくんと飲み込む唾は、気のせいだろうが鉄の味がする。
「舞台ツアー後は本番までステージは立ち入り禁止ですよ」
「ぎゃっ、すすすすすみません!!」
いきなり頭上から声が降ってきた。
言根はびょんと蛙みたいに跳びあがる。見上げると、キャットウォークの上に男がいる。朝の説明会にいた担当官だった。
「あ、さっきの……」
「どうも。身体検査は終わったんですか」
言いながら斎藤は工具箱とタブレットを手にステージの端へと歩いてゆく。言根もその下を歩きながら「あ、はい。最初だったんです」と答えた。
「アンケートや自己アピールも?」
「……あんまり書けることなくて」
「へえ」
あからさまに落ち込んだ女に気遣うでもなく、尋ねておきながら興味も無さそうに相槌を打ち、斎藤は梯子から降りてくる。
「……何してたんですか?」
「点検」
「そういうのはアンドロイドの仕事だと思ってました」
「大体は。でもたまには人間の目で確認しないと」
「アンドロイドが見つけられないことを人間が見つけられますか?」
「できないでしょうね。でも人間には変化する価値観がありますから。ほら、早く出て」
意外にも続く会話に言根は驚いた。
促されステージ裏の扉から出ると、斎藤も続いて退出し、社員証についたキーコードでロックをかける。
「やることがなくても、食堂なりホールなりで適当に時間を過ごしてください。なんならプレイルームもありますから、そこに行って」
「…………マジカルナンバー7は正しいですか?」
「……」
もう一度同じ問いを投げかけた途端、あからさまに斎藤は口を閉ざした。
「人の存在意義を機械が見定めるなんてッ」
「そんなに言うなら今日来なければ良かったんじゃないですか?」
言葉を遮り睨むように見下ろされ、言根は怯んだ。「そ、れは、無理です」とどもりながら首元に手を当てる。「だって来なかったら……」指先は首に刻まれたバーコードをなぞった。
「質問の重要性はさておき、君はただ正義論を振りかざして保身を試みているだけだ。ただ自身の安全な道を我武者羅に探しているだけ」
「う……」図星だった。
縮こまる言根に顔を寄せ、斎藤は氷のような声音で続ける。
「どうせならもっと早い段階から人生に対して我武者羅になっていたなら良かったんじゃないですか? それならば今日をそんなに怯えずに迎えられたかも」
「…………ッ」
意図通り傷ついたのだろう。言根は逃げるように走り去っていった。
小さくなってゆく背中を見送り、斎藤は小さく鼻から息をつく。
「ま、人の事言えた口じゃないんだけど……」
ぼそりと呟かれたその言葉を拾う者はいない。
◆◆◆
「うげぇっ、げ……っ」
隣の個室から苦しそうな呻き声と水音が聞こえてくる。
「ねぇ、大丈夫?」
柏原は声をかけたが、返事はなかった。
恐らく便器とお友達になっているであろう誰かを気の毒に思い、柏原はトイレから出ると近くにいたアンドロイドに体調不良の人間がいることを伝えた。
しかしアンドロイドは「珍しいことではありません。本人の希望があれば医務室に運びますが、ステージ参加が可能と見なされれば、時間になれば登壇していただきます」とのことだった。
トイレにアンドロイドが入ってゆくのを見送り、柏原は近くのベンチに腰をかける。トイレから悲鳴が聞こえてきた。恐慌状態に陥っている女は、泣きじゃくりながら「大丈夫です、大丈夫です」とアンドロイドから逃げてゆく。
『16時回のステージに登壇予定の招集者の皆さまは、指定の控室へお集りいただきますようお願い致します』
「ああ、神様……」
近くに座っていた男が呻き、ふらふらと立ち上がって去っていった。
――説明会で余裕そうだった顔ぶれも、時間が経つにつれ顔色を悪くしていた。
初回組は12時から。およそ2時間の審議が目安となっているので、少なくとも既に各ステージで二人、現時点でマジカルナンバーを外された者がいる。
時間の経過と共にその現実を肌で感じているのだろう。となれば、回が早い者のほうが得だったろうか。
柏原は奇しくも最終回の18時組だった。
身体検査や身辺調査など義務づけられた行動が終わった後は、自分の登壇回までは自由時間を与えられている(ただし建物から出ることは禁止だ)。
初めは柏原は図書室に足を運んだ。読書は嫌いではない。しかし図書室にはかじりつくように専門知識の詰め込まれた本や聖書を読む人々がいた。付け焼刃の知識でステージを乗り越えようとするその必死さや、神に縋ろうとしているその哀れさがどうにも居心地が悪く、結局彼女はすぐにそこを離れた。
次に柏原は食堂に足を運んだ。閑散とした雰囲気の中、料理のメニューを見たが、どれも口に合わなさそうだったので結局すぐにそこを離れた。
最終的に彼女が辿り着いたのは、天井の高いホールにあるベンチだ。何をするでもなく時が過ぎるのを待っていた。
「こんにちは、よく逢うわね」
「…………」
柏原の挨拶に返事はなかった。
数分前にふらりとホールにやってきて、柏原の隣のベンチに腰掛けていた男はちらりと彼女を一瞥するだけだ。
彼がここに来たことでいつの間にか他の人間はどこか別の場所に移動してしまった。つまり今ここで話しかけている対象は、明らかに彼しかいないというのに!
「挨拶もできないの? アンドロイドだって律儀に挨拶を口にするのに」
「挨拶をすれば良い人間か?」
「さあ。別に私、あなたの善良さを図るために挨拶したんじゃないもの」
「……」
そう言って視線を前へと戻す柏原を男……須和は奇妙なものを見るような目で見つめ、またすぐに視線を前へ戻した。
「あなたアイドル?」
「は?」
須和は思わず声をあげてしまった。
会話をする気など全くなかったのだが、あまりにも予想外な問いに反射的に彼女を凝視してしまう。
女は冗談の気配などなく、いつの間にかまた須和をじっと見つめている。
「あなたを見たことがあるって人がいたから」
「……だからってなんでアイドル」
「いたから。他にも」
「俺がアイドルに見えるか?」
「全然」
真剣な顔で首を横に振り、柏原はまた前を向いた。
「あなたもう少し愛想を良くしたらきっと皆も逃げないわよ」
「よく喋る口だな」
「おしゃべりは嫌いじゃないの。あなたならまともに話せるような気がしただけ」
「……」
「それともやっぱり私も少しは緊張しているのかしら……」
柏原はまるで深淵を覗き込んでいるかのようにその瞳をどこか遠くに向ける。
この女は実は自分と会話する気など全くないのではないか。
まるでテディベアにでもされた気分になり、須和は「妙な女だな」と言葉を向ける。
彼女はそれに怒るでもなく傷つくでもなく「あなたはまともそう」と再び須和を見つめて言った。
「……、やっぱり妙な女」
『18時回のステージに登壇予定の招集者の皆さまは、指定の控室へお集りいただきますようお願い致します。繰り返します。18時回の――』
本日最後の招集アナウンス。柏原は音もなくスッと立ち上がる。
須和も立ち上がる気配を背に、彼女は乱れのない歩調で指定場所へと向かうのだった。
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