第16話 思惑、又はプログラム
『本日未明、ニューヨーク州で反アンドロイドを掲げるデモ行進がありました。アメリカでのデモ活動が行われたのは二十七日ぶりのことでしたが、参加者の数は年々減少を続けており、今回は千人にも満たなかった模様です。当初は平和なデモを予定していたはずでしたが、一部の参加者が暴徒化し警備ドロイドが派遣される事態にまで至り、八名のネックチップが発動されました。警備ドロイドによればネックチップの発動は他の人間を守るためのやむを得ないものであり――……』
人間のニュースキャスターがアンドロイドのように感情を削いだ声で原稿を読み上げていた。画面は切り替わり、泣き叫びながらアンドロイドに掴みかかる男たちが映し出される。家族を失った怒りに吼える彼が凶器を手にすると、途端に全身を震わせ地面に崩れ落ちていった。悲鳴をあげる者も、同じようにアンドロイドに襲い掛かる者もいる。
視聴者を増やし続けているそのチャンネル。モニターを眺める人々は、先ほどまで画面の中にいた八人も、今こうしてニュースに映っているデモ参加者もどこか遠い場所でのように感じているのだろうか。
――そのほとんどの者はモニターに映る人々の話ばかりするか、黙り込んでいる。
◆◆◆
控室。
柏原は部屋の中央に姿勢よく立ち、瞳を使うことなく気配だけで他七人の様子を感じ取っていた。
モニターの電源は切られており、今は八人全員が控室で待機している。これがただの休憩時間なのか、はたまたこの姿も中継されているのか、彼女らに知る術はない。
雪永が部屋に戻ってきてから誰も一言も発さないまま既に数分が経過していた。この状態が俗に言うなんてものなのか気づき、柏原は言った。
「暗いわ」
「……お前、空気を読め」
須和が僅かに呆れだけを含んだ単調な物言いで窘める。
「泥の中にいるみたい。心なしか息苦しく感じる」
柏原のほうは新感覚に興奮すら滲む心地である。「だから空気を」と須和が注意を繰り返そうとする前に、九条が棘の含んだ物言いで口を開いた。
「いいわよね。お嬢様は」
「はい?」
「生まれながらの地位と財産、それだけあれば必要な人間に数えられないわけないも
のねぇ。そりゃ余裕でしょうねぇ。ほんと気楽で羨ましいわ」
「俺たち庶民はこんなに必死なのに」
九条のチクチクとした嫌味に便乗したのは中井谷だった。
しかし九条はそれにすら顔を顰めて、矛先を彼にまで向けてゆく。
「はあ? あんたみたいなちゃらんぽらんと一緒にしないでくれる」
「事あるごとにツンケンした物言いしやがって。お前みたいな性格悪い女、誰も投票
しやしないだろうよ」
「なんですって!」
顔を突き合わせて睨みあう二人に、風坂が心底迷惑そうに「騒ぐならよそでやってくれ」と告げた。当然、今度は二人の敵意が彼へと向く。
「余裕ぶって。あんただっていつ候補に挙がるか分からないわよ」
「僕はあんたらと違ってまっとうな人間だ」
「なんだよ、俺がまっとうじゃないってか!」
荒げられる声が増えてゆくにつれ、部屋の隅にいた言根の呼吸が短くなってゆく。
しまいには耐えられないといったように顔を涙で濡らし「うう、ううう、うう」と泣き出したひきこもりに九条が「うっさいわね! ピイピイ泣いてんじゃないわよ!」とまるで火山でも噴火したかのような勢いで怒鳴りつけた。
「もういやだあああ! 帰りたいよおおお!」
九条の怒鳴り声までかき消し、言根が大泣きする。もはや収拾がつかない部屋で、焦げついたような「あーあーあーあーあー!!」という咆哮があがった。雪永である。
クローンであると発覚し、部屋に戻ってきてから一言も喋らず、電池の切れた人形のように座っていた彼女は何もかも煩わしいとでもいうかのように、全てを振り払うかのように喚いたのである。
しん、と部屋が静まり返った。
あんな状態まで追い詰められ今じゃ何をするか分からない雪永はまるで腫物扱いだ。
しかしここで、怖気づいた自分を振り払うように余計なことを言う女がいる。もちろん九条のことだ。
「あの子が外されるんじゃなあい? 偽物なんだし」
「差別発言ですよ」斎藤が咎めた。
「過去のマジカルナンバー7でクローンが外された例は少なくないが、それはクローンだからでなく、その後に付随してくる理由からだ」
何かと知識をひけらかしたがる風坂が言葉を足した。
基本的にクローンであるというだけで除外対象にはならない規定になっている。ただクローンは普通の人間とは異なる部分も多く見受けられ、そこがマイナスに繋がったというケースが多いのもまた事実であった。
クローンとはいえこの雪永がアイドルという価値を持っていると気づき、中井谷は危機は去ったわけではないと思い知った。
「じゃあ彼女に存在価値があれば、まだ別の奴が外される可能性もあるわけだ」
「ふふふ」
吼えたきりまた沈黙していた雪永が小さく笑い声を漏らしたことで、また部屋は静まり返った。
雪永の視線はこの部屋にいる誰も捉えてはおらず、自嘲的な微笑みを浮かべた彼女はぼそぼそと喋りだす。
「あたし、クローンだけど、あんたより人を笑わせてきたよ。あたし、偽物だけど、本物より上手にボケられるよ……」
「……」
「あーー……、あいつら全員いなくなっちゃえばいいのに。……だったら、あたし、こんなことになってなかったかもしれない」
「……」
まるで声帯を雑巾みたいに絞ったような呟きに、ごくりと誰かが唾をのみ込んだ。
雪永の瞳がくるりと動き、須和を捉える。
「あのさ、殺人鬼さん」
「……なに」
「人殺すの好きなんだよね。もし良かったらどうかな」
――私と同じ顔のあの子たちを全員殺してくれたらいいのに。
けれどそれは現実的ではないととっくに分かっていた彼女は、返事も待たずに「……なんちゃって。へへへ」と自暴自棄にへらへら笑った。
「……別に好きじゃない」
須和がぼそりと答える。
「……そっか」
再び表情をこそげ落として、雪永もそう返した。
◆◆◆
ステージ裏にただ立ち尽くしているだけのように見えるアダムは、その実、様々なデータを確認していた。視聴率や今回のステージでの世間の反応、監視カメラやネックチップから送られるデータで人間の挙動が観察できる。
今ステージに登壇している”雪永妃咲”がクローンであると発覚してから、飛躍的に視聴率が伸びている。ネットの掲示板やSNSでもあっという間に話題になっていた。
「A-D7M9」
ステージ上とは異なる単調な呼び声と呼び名にアダムは振り返る。エヴァを先頭に、今ステージの同行者であるケナン、エノス、ヤレドがいた。
真っすぐまるで木のように立ち尽くすエヴァに彼は注意した。
「アダムって呼んでよ、エヴァ」
「すみません。アダム」
「よし」
素直に訂正するエヴァにアダムは頷く。
エヴァからすれば相手の個体の呼び名などどうでも良いことだった。型番での呼称が最も明確であると彼女のプログラムは判断しているが、アダムはそれよりも愛称で呼ばれることを選んでいる。それだけだ。
「参加者のアドレナリン放出量が増えてきました」
「ふむ、上々だね」
「視聴率も好調です」
ケナンから提供されるデータに他四体もアクセスし、情報を共有する。
「人気アイドルのクローン使用発覚。財閥令嬢に、謎の殺人鬼。実に個性豊かな面子です。最も、既に彼が何者であるか気づいている視聴者も多いようですが」
参加者を批評するような口ぶりのヤレドに、アダムも満足げに頷いた。
「控室はかなり険悪な雰囲気といえます」
「仕方ない。本性を曝け出し合うとぶつかるのが人間だ」
エノスの指摘に首を竦めるアダムに「A-D7M9」とエヴァが声をかける。
「アダムって呼んで、エヴァ」すかさずアダムが訂正を促した。
「アダム。何故わざわざ会話機能を使用するのですか? 非効率的です」
彼の要望に付き合って声帯パーツを使用しているが、これらのやりとりをプログラムの送信のみで行えば相当な時間短縮ができるのだ。得るものはなかろう。
しかしアダムは「それはねぇ」と勿体ぶってエヴァの目の前まで歩み寄ると「君の可愛い声を聞きたいから」と女の子を口説くように甘く囁いた。
「あなたもパーツを変えれば同じ声が出せます」
提案すれば、アダムはすっかり興を削がれたようにウンザリした顔で「ジョークだよ」と彼女から離れていった。
「アンドロイド同士では意味のないことでは」
アダムに誘惑されようが見放されようがエヴァは揺るがず端的に指摘する。
「せっかく人間に似せて作られたんだ。喋って、冗談言って、楽しもうよ」
エヴァがその言葉の先の意図を読むより先に、情報が飛び込んできた。
「A-D7M9」
「アダム!」
「アダム。三分後にステージ再開です」
ひどく傷ついたように叫んでも、エヴァは単調にそう告げるだけ告げて、颯爽と踵を返して歩き去ってゆく。
アダムは残ったケナン、ヤレド、エノスを見て、仰々しく言った。
「冷たいな。まるで無機物だ」
それにアダムを含めた四人は顔を突き合わせ「ジョーク!」と明るく弾けた声でそう揃え、アハハハハハ、とカラカラと笑う動作をするのだった。
◆◆◆
「もし、この状況から脱せられるとしたら、皆さんどうしますか」
再び控室に充満していた重苦しい沈黙を切ったのは、斎藤の一言だった。
与太話としか思えぬそれに柏原だけが「そんなものがあるの?」と興味深そうに尋ねた。
「ごく僅かな可能性ですが」
「とち狂ったこと言わないで」
九条が焦げつくような声で吐き捨てた。希望など持たせないで欲しかったからだ。
「僕は選ばれる。不必要なリスクを侵すつもりは毛頭ない」
風坂も迷惑そうに言った。ほぼ確実に自分が選ばれる状況で、全員が(つまりは自分が)危険に侵されるような事態は良い迷惑でしかなかった。
斎藤は「けれど誰かは外されますよ」とやけに真剣な表情で言う。くたびれた様子と少し違うその声に風坂はどきりとしたが、かといって返事を変えるつもりもない。
「だから? それが人類進化のためなら仕方ないだろう」
誰もが口にする崇高な目標であり、言い訳である。斎藤がまた口を開くより先に、エヴァの声が部屋に割り込んだ。
『言根花さま、至急ステージにお戻りください』
思わぬ呼び出しに、言根が縮み上がった。こんなのは聞いていない。
「え、なんで」
「外されたんじゃない」九条がからかうように言った。
「やだ!!」
「発表はまだ先よ。とりあえず行けば。連行される前に」
柏原のアドバイスは端的でそっけない。しかしステージ進行の妨げをアンドロイドが許さないのは事実。言根は背を丸めて、ううう、と毒でも盛られたような呻き声でのろのろふらふら控室から出て行った。
扉が閉まるのを確認してから斎藤は「それで、どうです」と残された六人を伺う。
「もし本当だとしても、失敗したら全員逮捕じゃない」九条は斎藤を強く睨んだ。
「反乱者の末路を公務員のあんたが知らないわけないだろ。御免被る」中井谷も、恐ろしい未来を想像してか斎藤からわざとらしく距離を取る。
「どーでもいい」雪永は笑顔なんてとっくに忘れたような、反抗期の少女のようにぶすくれた顔で吐き捨てる。
「みんなにその気がないなら無理そうね」
柏原としては斎藤の言う方法に興味はあったが、少なくとも全員の同意がなければ意味がなく、現時点で自分の返答に意味はないとばかりに斎藤に言う。
斎藤は須和をじっと見つめた。返答を求められていると知り、須和は暫しの沈黙の後、「保留」とだけ答える。
「……保留か。悪くない返事だ」
斎藤はこんな状況だというのに、やけに満足そうに頷いていた。
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