第19話 平凡なる一日
パッと、ステージのセンターにひとつのスポットライトが差した。
真っ直ぐ、理想的な姿勢でそこに凛と立つのはエヴァである。
彼女はお手本のような微笑を浮かべて、静かに小さな唇を開いた。
「生態研究において『観察』は最も重要な工程のひとつです。例えば……」
彼女がそう言ってすらりとした人差し指を立てると、彼女の背後に組まれたモニターセットが映像を映し出した。
そこには一辺が三メートルほどの正方形の透明ボックスが八つ並べられている。上段下段共四つずつ、全部で横向きの長方形のように設置されている。客席からよく見えるように、ステージ面の壁はくりぬかれていて、背面全体はモニターになっていた。
そして今はその八つのモニターがひとつの大きなモニターとなって、サバンナを生きるゾウやキリンの生態を映している。
「ゾウの鼻やキリンの首が長い理由を知るのに、細胞研究ならば発見までに少しの時間を要するでしょう。しかし、実際にゾウが長い鼻を使って食事をしたり、放水をして身体を清めるのを見れば、キリンが高いところにある葉を食べるのを見れば、彼らの特質は一目瞭然。これは人間でも同じこと。――今からご覧いただくのは、八人の最も平均的な一日です」
ボーン、ボーン、ボーン、という時計柱が鳴るSEが会場に響き渡ってゆくと同時に、エヴァはスタスタとステージから去っていった。
モニター映像がボックス通りの八つに分離してゆく。
いつの間に撮ったのか(この現代監視社会では考えるのも億劫だ)、自分達の私生活が自分のボックスに映し出されるのを、八人はそれぞれのボックス内で見上げた――……。
――午後五時
風坂が目覚ましのアラームが鳴った途端に起き上がっている。
「毎日五時に起床する」
テキパキと支度を始める自分の姿を見ながら彼は言った。その声をマイクが拾い、会場中に届ける。
九条は疲れた顔をしてアパートの扉を開ける自分を見ていた。
「仕事から帰ってくる。息子の寝顔を見て、それからシャワーを」
布団の中で眠る我が子を扉の隙間から確認し、そして浴室に入ってゆく。流石に裸までは放送されないようだ。九条は憮然とした表情で、花が萎れたような明け方の自分を眺めている。
映像内の雪永はバラエティ番組が撮影中のスタジオで、VTRが流れている隙に指先で目元をそっと指先で押して、滞る血流をなんとかしようとしていた。
「収録が押してまだスタジオに。長時間のメイクで肌が引き攣る」
他五人は就寝中のようだ。柏原はベッドの中で人形のように美しく眠っており、言根は寝汚い自分の姿に恥じ入った。
――午前六時。
身支度を済ませた風坂は、机に向かって黙々と勉強を始めている。
斎藤が起床し、仕事へ行くための準備を始めた。妻と娘はまだ眠っており、彼はなるべく音を立てないように気配を消している。
九条は顔面に美容パックを貼り、部屋干しをしていた洗濯物を畳んだり、台所で息子のために朝食を用意していた。
他の四人はまだ就寝中である。須和は猫のように丸まって眠っており、中井谷もイビキをかいている。
――午前七時。
須和がベッドから起き出し、気だるそうに服を着替えだす。柏原も同じく起床し、朝のシャワーを浴びに入った。
斎藤は冷蔵庫の中を覗きこみ、ラップに包まれた皿を電子レンジへ突っ込む。
「前日のこどもの食べ残しを処理するんです」斎藤はぼやいた。
九条は、眠たそうな顔で起きてきた息子に「おはよう」と声をかける。気づかいの言葉をかけられ、甘えてそのまま布団に入った。扉の向こうからは朝の子供番組を見ながら、朝食の食器を洗う音が聞こえてくる。
雪永は相変わらずバラエティの撮影中で、笑顔を浮かべてこそいるものの、いつまで押しているのだと、苛立ちが垣間見えたような気がするのは……彼女の本性を皆が知ったからだろうか。「いつも押すの。最悪」ボックス内の雪永は吐き捨てた。
風坂は黙々、黙々と相も変わらず勉強を続けており、中井谷と言根は眠っていた。
――午後八時。
中井谷がベッドから抜け出した。「バイトに行くために支度するんだ!」彼はようやっと動き始めた自分を見て言った。
同じく風坂も机から離れ、タブレットや私物をバッグに詰めだす。「勉強に区切りをつけて、大学へ」その言葉に続き、須和も自宅の玄関扉を開く自分を映像で見送り名がら「支度を済ませてバイトに」と言う。
「なんのバイト?」
柏原が須和に訊ねた。これは空気の読めない発言なのか、視聴者の疑問の代弁となるか。
「ネットカフェ」須和は答えた。
「俺は定食屋」中井谷も聞かれてもないのに答えた。
「ちなみに私はその頃には朝食を。父が雇った料理長の代わり映えのしないメニュー」
映像内の自分が真っ白な机に向かって着席し、慣れた手つきでフォークとナイフでベーコンを切り分けるのを見る柏原。サラダ、スクランブルエッグ、ヨーグルト、トーストはどれも美しい皿に鎮座している。
豪華絢爛なホテルのような朝食に「ケッ」と他七人は鼻を鳴らした。
「私はやっとタクシーで帰る」収録を終えた自分を見て、雪永はぼやいた。
九条と言根は夢の世界だ。
――午前九時
ようやくマンションに帰宅した雪永は「速攻お風呂。入浴中も美容マッサージする」と浴室に入る自分を見て言う。
風坂は大学の授業を受けており、柏原は父親が雇った家庭教師と私室で勉強をしていた。
斎藤は仕事場に出勤し、アンドロイドや会場のメンテナンス作業に入っている。
定食屋に出勤した中井谷は、アルバイト仲間に明るく挨拶してからその日の日替わり定食をまず確認した。
ネットカフェに出勤した須和は、特に誰とも会話も交わさず受付カウンターに入る。交代の同僚は挨拶もせずにいなくなった。客が来ないので、須和は椅子に座って本を開いた。
「なにを読むんだ?」
須和が読書をする姿に興味を抱いたらしい風坂が訊ねる。
「ドストエフスキー『罪と罰』」須和は言った。
「どんな漫画?」
「馬鹿」
へらへら笑って会話に混じってきた中井谷に、風坂は冷たく吐き捨てる。呆れたような視線を齋藤や柏原からも向けられ、中井谷は訳が分からず首を竦めた。
……映像内の九条と言根は相変わらず眠っている。
――午前十時。
雪永は入浴後のストレッチ諸々を済ませ、次の仕事に備えて二時間の仮眠をとる。
柏原と風坂は勉強中。
中井谷、須和、斎藤は仕事中。
九条と言根は就寝中である。
――午前十一時。
風坂は教室を移動し、柏原は教材の本を変える。勉強中。
中井谷、須和、斎藤は仕事中。
九条と雪永、言根は就寝中。
――正午。
勉強や仕事に勤しんでいた者達が一斉に動き出す。須和は電子レンジで冷凍パスタを温める自分を見て言った。
「昼食休憩はまかないを食べる」
「同じく。こっそりチャーハンにエビ入れちゃう」中井谷は嬉しそうに言う。
「食堂で昼食。日替わりセットにする」風坂が言う。
「職場近くの寂れた食堂で。この日はとんかつセットにした」斎藤も言う。
「父の代理で、大手IT企業のCEOとランチ。フレンチフルコース」
真似するように柏原も映像内で食事をする自分について語った。
「…………」
四人の男はうんざりした顔で、財閥令嬢を睨む。
他、女三人は就寝中である。……そう言根もだ。
「あんたいつまで寝てんの!?」
「すすすみません」
九条に怒鳴られ、言根は声を引き攣らせ、咄嗟に謝った。
――午後一時
ベッドから抜け出した雪永が、出かける支度を始める。
須和、中井谷、斎藤は仕事に戻り、風坂は大学の研究室へ。
そして、ついに言根ももぞもぞ動いて、布団の中から外へ手を伸ばした。かと思うと、枕のすぐ傍にあったコミックを手にして、読みだす。
「アア?」
「ごめんなさい!!」
九条の唸り声を聞いて、言根は悲鳴と共に謝った。
「ランチを済ませ、柏原の会社へ。父の仕事を勉強中なの」
気にせず、柏原は自分の映像を眺めながらのんびり説明した。
――午後二時
日課のアプリゲームをプレイする言根。
九条は布団から起き出し、年々だるさの残る身体を重たそうに引きずる。雪永はエステで身体をメンテナンス中だ。
会議に参加している柏原の『その案件はロスの支社に任せたほうが良いのでは?』という意見する声に続き、映像内の人物の音声が拾われてゆく。
『へいらっしゃい、オススメはサバの味噌煮だよ!』と笑顔で接客する中井谷。
『会員証をお願いします』と愛想のない接客の須和。
『ようこそ、マジカルナンバー7へ。これより今プロジェクトの説明をはじめます』
「…………」
今朝聞いたばかりの声を聞き、他七人は公務員の男を見る。重たい沈黙の中、斎藤もただ黙って、日々養豚場で病気の豚を間引くように仕事をする自分を見上げていた。
――午後三時
「家事の片手間に、同伴してくれるお客を探すの」
携帯端末を手放さない自分を見て、九条はそう説明する。
「スタイルキープのためにスポーツジムへ」
抜群のスタイルをひけらかすようなスポーツウェアで、雪永はジムでトレーニングをしている。
「これくらいの時間になるとお腹が空くから、インスタントラーメンとかを……」
のそのそと自室から出てゆく自分を見て、言根は言う。
「再び授業へ」風坂は時計を見るなり、テキパキと行動を次へ移している。
――午後四時
「バイトをあがって彼女に会いに行くところだ」
中井谷は映像の中の自分を見て言う。
「まだ同伴客が見つかってない」
九条は映像の中で、携帯端末を手放さない自分を見て言う。
「事務所から呼び出しがかかってる。何を言われるのかちょっと憂鬱」
雪永はメールを見てため息をつく自分を見て言う。
「部屋の外から騒音がしてる。でも気にせずネットサーフィンをする」
言根は部屋の外を睨む素振りを見せた自分を見て言う。
「バイトをあがって帰宅」
須和は部屋に戻って床に寝転がる自分を見て言う。
「父と話してる」
柏原は携帯端末を耳にあてる自分を見て言う。
「ストォオオーーーップ!!! ストップ!! ストップ!!!」
悲鳴に近い叫び声が、単調な空間を斬り裂いた。
ステージの中央に飛び出してきたのはアダムである。
アダムは息をするシステムはないのに、ぜいぜいと荒い息を演出するように肩を上下させて、音楽や映像を止めるように手を振り回していた。
ピタリと音が止み、光が戻る。
「エヴァ、全然駄目だ」
「駄目とは」
アダムの苦言に、エヴァは音の変化もなく訊ねる。
「単調でつまらない。盛り上がりに欠ける。もっと掘り下げないと」
「掘り下げる」
エヴァは単調に繰り返した。
「人とは己を偽り、表面的に生きているものさ。――さあ、午後五時、キミ達は何をしていたの?」
再びステージは暗くなり、八人の背後に映像が流れだす。
ただ今まで早回しのように流れていただけの自分の日常が丁寧に切り取られたそれを、八人は深夜二時に見る夢のように、ただ眺めた。
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