第12話 言根花
二〇三〇年四月一日。
マジカルナンバー7プロジェクト制定。
あの日、人類の歴史が確かに変わったのだ。
「人類の皆さん、どうぞ落ち着いて。これは皆さんのために必要なことなのです」
世界各地で同じことが起こっていただろう。
群がる人々を見下ろし、まるで大統領よろしく立っている二体のアンドロイド。その背後にもずらりと警備型アンドロイド及び、今回から起用されることになったステージ特化型のアンドロイドたちが列を成している。
音量調整が行われた声帯パーツは、吼える人々の声を簡単に凌駕する音量となって街中にあるスピーカーを通して声を届けた。
「我々は人類にとってより良き道を模索し、最善の未来を発見しました。今は理解できないでしょう。しかし、百年後、千年後には我々はあなたがたにとって最たる友なのだとご理解いただけることでしょう」
その生中継を、この国でもほとんどの国民が見ていただろう。
モニターの前に身を寄せ合い、その時はまだこれからやって来る新しい現実を感じることもできず、すごいことになった、なんて程度の心持ちで見ていたかもしれない。
「皆さんは人間を全うしていない。生きるということを全うしていない。破滅へと進
む我らが父を、母を、私たちは止めましょう。あなたがたにある善を引き継いで!」
未来までも救うと誓うロボットたちは、その瞬間にあがったにすぎない批難の声などまるで聞こえていないように、善良な微笑みを浮かべていた。
◆◆◆
――言根花の話
あの日、五歳だった私はモニターの向こうで何が起こっていたのか正しく理解はしていませんでした。
けれども幼心に何かとてつもなく恐ろしいことが始まったと気づいていました。
本来であれば死後に訪れるであろう審判が、生きている間に訪れる。
その事実は多くの人間の心を乱しました。私もそのうちの一人なのです。
私はその日から、生きるということが恐ろしくなり、家から出ることにすら恐怖を覚えるようになったのです。
もし誰かを傷つけたら、失敗したら、どこかで誰かが私を見ていて、私はどんな人間に思われるのだろう。疎まれたら、嫌われたら、ここにいなくていいと思われたら。避けようのない審判から逃げ出したくて、世間から逃げようとしました。
それが結果として自分の首を絞めていたことにもとっくに気がついていました。
けれどももう、足が竦んで私はどうにも動けなくなっていたのです。
◆◆◆
八人それぞれが特技披露を終え、ステージではフリートークが始まっていた。
ステージの中央に対面する形で置かれた椅子にはアダムと言根が座っている。
彼女の前に既に中井谷、柏原、斎藤、須和がフリートークを終えていた。どの四人も無難な会話で終わっていた。中井谷はギターに関する話をしていたし、柏原は会社経営について語った。斎藤はアンドロイドのメンテナンスについての話題を振られて、これまた授業のように淡々と答えていた。須和に関してはほとんど会話が成立していなかった。アダムが勝手に「君は人間でいう容姿が良いってやつに入ると思うけど、実際どう?」なんていうくだらない話をひとしきりしていて、須和はほとんど喋らなかった。
だから自分もそう緊張することはないと、控室からモニターを見ていた言根は思っていたのだ。
いざ人前に立つと(正確にはアンドロイドたちの前であるが)緊張して上手く舌が回らなかったが、言根はなんとか自分のことを話した。
話せば話すほど彼女は自分の人生が情けなくなったが、自分を観察するようにじっと見つめて来る無数の機械の目玉を思うと、上手く嘘をつける気もしなかった。(ちなみに嘘は禁じられているわけではないが、アンドロイドは大概の嘘を対象の体調から感じ取るらしい。評価がプラスとなる嘘がつければよいが、言根にはそういったものは何もなかった)
「なるほど。それで君はひきこもりになったと」
汗だくになってようやく話し終えた言根に、アダムは興味深そうに頷いた。
「……はい」と言根は引き攣った声で返答する。
「世界的に見ても日本はひきこもりが圧倒的に多いよね。マジカルナンバー7が始まって以来随分減ったけれど、二千年代には七十万近くいたらしい」
そう言ってアダムがモニターを示すと、各国のひきこもりの数を現した円グラフや、年代別の棒グラフが表示された。
「はあ、そうなんですね」言根はちらりとモニターを見てから言う。
「他人事みたいな反応だ」
「他人事。そうですね。家にいる間は私だけの世界だから、他に何十万人いるなんて言われたってピンとこないです……」
世界から離れたくて言根は部屋に引きこもったのだ。言根の世界は自分の部屋たったひとつである。他の何十万人なんて、いないも同然ではないだろうか。それに自分が今こうして胸に抱えている堪らない寂しさや不安、不快感がもう何十万もあるのだと思うと、余計苦しく思えた。
「それで、家にいる時は娯楽に耽っていた?」
「……はい。ゲームしたり、漫画読んだり、絵を描いたり」
「絵ね! さっきの特技で披露したアレ。とっても良かったよ!」
アダムの言葉に言根の表情に明るさが戻る。へらりと口角が緩んだのと同時に、アダムは客席に振り返って言葉を続けた。
「まるでピカソの生まれ変わりみたい!!」
ドッと会場が沸いた。ワハハと広がる笑い声に、言根に表情は引き攣ってゆく。
控室から様子を見ている七人。九条や風坂は鼻で笑い、中井谷は複雑そうな面持ちだった。柏原は「ピカソはキュビズムで有名だけど、他の絵も描けたのよ」と隣にいた雪永に教えてやった。雪永は「は? キュビ?」と首を傾げている。
ステージではひと笑いとったアダムが満足そうに手をあげて沈黙を要求し、次の質問へと移っていた。
「さて、今のところ君は投票数が少ないほうだけれど、そこのところはどう?」
「……どうって」
「君はマジカルナンバー7のシステムを理解していながら、人間としての向上を努力せずに生きてきた。その結果が今、顕著に表れているとは思いますか?」
「…………」
真摯な態度で訊ねられ、言根は涙を浮かべて固唾を呑み込む。
「なんだアレ。あんな聞きかたってあるか?」中井谷がモニターを見ながら不快そうに吐き捨てた。「尋問じゃないですか」雪永も顔を顰めており、「フリートークなんて名ばかりね」と柏原が零す。
「もしも君が外されたら、君の周囲の人間はきっと悲しむ。それを考えたことは?」
自分本位な選択を責められているのだろうか。それにしては目の前のアダムは爽やかな笑顔を浮かべている。
言根は息苦しくなるのを感じながら、なんとか答えた。
「……別に……私なんか、友達もいないし……誰も……」
両親だって部屋に籠りきりの自分にどれだけ苦労してきたことか。自分が選ばれても、ああやっぱり、と思うだけで終わるのだろう。
「なるほど」アダムは頷いた。
「君は八人の中で、最もこの世に存在していない存在かもしれない」
最初からいないも同然。言根は反論する余地もなかった。
がっくりと項垂れ「……そうですね」と肯定する。
「そろそろ時間ですが、何か言い残したことは?」
つむじを覗き込みながらアダムは尋ねた。
情状酌量の余地を与えられても、言根にはもう喋る気力が残っていなかった。
「……、……、特にありません」
魚みたいにぱくぱく口を開いて、なんとか捻りだしたのがそれだった。
「貴重なお話、ありがとうございました」
席を立って丁寧に一礼するアダムと目も合わさず、彼女は逃げるように席を立ちすごすごとステージを去り、控室に戻っていくのだった。
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