密かな約束~真澄、十七歳の冬~
「ま、ますみおねえちゃ~ん、こわいぃぃ~。すべるぅ~」
リンクに足を踏み出したものの、スケートは初体験の清香は勝手が分からず、足をガクガクさせながら両手を繋いでいる真澄を見上げた。その真澄は後ろ向きにゆっくり滑りながら、清香を引っ張りつつ安心させる様に笑いかける。
「清香ちゃん、しっかり掴まっていれば大丈夫だから。清香ちゃんが慣れるまで、手を繋いで引っ張ってあげるからね?」
「う、うん……。はなしちゃやぁぁ~」
(うっ……、やっぱり可愛いわ……)
涙目で上目遣いをされ、従妹の可愛らしさを再認識した真澄は、落ち着かせるように再度笑顔で言い聞かせた。
「大丈夫よ、安心して?」
その時、至近距離から何かが倒れた様な衝撃音と、戸惑いの声が上がる。
「うわっ! ……ってぇ」
「清人君、大丈夫?」
「……ああ、何とか」
真澄が音のした方に顔を向けると、清香同様スケートは初めての清人が、出入り口付近で盛大に尻餅を付いたところだった。真澄は清香を引き受けている為身動きが取れなかったが、心配そうに近くで様子を窺っていた浩一が急いで近付き、清人が立ち上がるのに手を貸しながら声をかける。しかし普段清人にやり込められてばかりの他の面々は、ここぞとばかりにはやし立てた。
「あっれ~? 清人さん、大丈夫~?」
「運動神経抜群だと思ってたけど、地面の上限定だったみたいだね」
「う~ん、勝負になりそうもなくて、つまらないな……」
「誰にでも向き不向きはありますから、あまり気を落とさないで下さい」
「あ、父さんから『清香ちゃんの写真を取って来てくれ』って言われて持って来たカメラで、今の清人さんが転んだ瞬間激写したから、後から見せるね」
「でかした、明良!」
「グッジョブ!」
「いい加減にしなさいっ!! 誰だって最初から上手く滑れるわけ無いでしょう? あんた達だって一番最初は下手だったじゃない!?」
清香の手を引きながら真澄が怒鳴りつけると、貸切のスケートリンクにその声が轟いた。叱責された一同は小さく肩を竦め、それ以上余計な事は言わずに再び思い思いに滑り始める。
すると背後で交わされる会話が耳に入り真澄が振り返ると、起き上がって手すりに掴まる清人と、その前に立っている浩一が目に入った。
「ありがとう、浩一」
「どういたしまして。……姉さん、清人君には俺が付いてるから、清香ちゃんを見ててくれる?」
「ええ、分かったわ……。宜しくね」
清人が心配だったが清香を放り出す真似もできず、真澄は浩一に任せる事にした。
そんな事があってから約三十分後。リンク内では浩一を含む清人と清香以外の面々が、呆気にとられる光景が展開されていた。
「浩一さん。清人さんに一体どんな教え方をしたんですか?」
「コーチの才能ばっちりですね……」
「どんなって……、普通に前進と止まり方を目の前でやって見せただけで……。教えたと言う程の事は……」
困惑の色を隠せない浩一と、感嘆と呆れの色が半々の友之と正彦の眼前を、修と明良相手にショートトラックを始めた清人が快走して行った。
「……速すぎです。コーナリングもばっちりですし。一応聞きますけど、教えましたか?」
「いや、そんな暇は無かった。『理論上は大体分かった。後は滑りながらどうすれば良いか考えて、周りの足の動きを見て覚える』と言って、一人で滑り始めたから……」
「……化け物」
正彦がうんざりした声を漏らすと、勝負に負けたらしい修と明良が、リンクの向こう側で吠えていた。
「清人さん、絶対初めてじゃないだろっ!」
「初めて三十分でこれって有り得ない!」
「いちゃもん付けるなよ。本当に初めてだぞ?」
ピタリと氷上で停止し、涼しい顔で小さく肩を竦めた清人に、修と明良は俄然闘争心を駆り立てられた。
「このまま負けてられるか! 清人さん! 今度はバックであっちの壁まで往復勝負だ!」
「俺もやるぞ! 今度こそ負けるかっ!」
やる気満々で見上げてくる二人に、清人は苦笑するのみだった。
「……まだやるのか。まあ、気が済むまで付き合ってやる。真澄さんが清香の相手をしててくれてるからな」
「よし、じゃあ勝負!」
「玲二、号令かけてくれ」
「オッケー。じゃあここに並んで」
急に話を振られた玲二だったが、面白そうな顔で頷き、片手を伸ばして開始位置を指し示した。そして三人が横一線に並んだのを確認して、号令をかける。
「それじゃあ、位置に付いて……。よーい、ドン!」
そして三人が背後に目をやりつつ静かに後ろ向きに滑り出したのを見て、両側の二人が何か言う前に浩一が口を開いた。
「先に言っておくけど、教えてないから」
「……ですよね」
「どこまで非常識な人なんだ……」
正彦と友之は項垂れて溜め息を吐いたが、清香と手を繋ぎつつ時折清人の様子を盗み見ていた真澄も、思わず呆れ声で呟いた。
「清人君、凄いわね。確かに最初は前に進むのも、覚束無い足取りだったのに……」
そこで独り言のつもりだったそれに、可愛い声で返事が返ってきた。
「うふふ……、やっぱりおにいちゃんはすごいね~。なんでもできるのよ?」
だいぶ前進できる様になったものの、未だに両手を引かれながらも鼻高々で兄自慢をする清香に、真澄は思わず笑いを誘われた。と同時に滑り始めてから一時間近く経過している事に気が付き、清香に提案する。
「ふふっ……、本当に凄いわね。ところで清香ちゃん、疲れてない? そろそろ休憩してあったかいココアでも飲みましょうか?」
「ココア? のむ!」
「じゃあ一旦外に出ましょうね?」
そうして他の者達に断りを入れてから、真澄は清香の手を引いてリンクの外へ出た。そのままベンチに向かって歩き、清香に座っている様に言って自分は後方のスタンドに向かう。
そこで清香用のココアと自分用のレモンティーを出して貰った真澄が両手に持ってベンチに戻ると、いつの間にか清香の隣に清人が座り、何やら仲良く話し込んでいた。
「お待たせ、清香ちゃん。熱いから気をつけて。ふぅふぅしながらね?」
「うん、ありがとう、ますみおねえちゃん!」
清香を挟んで清人とは反対側に座り、慎重に清香に紙コップを手渡すと、清人が真澄に礼を述べた。
「真澄さん、ありがとうございます」
「これ位どうって事無いわ。それより……、気を悪くしたんじゃない?」
「ああ、あいつらの事ですか? 別に気にしてませんよ?」
気遣わしげに問い掛けた真澄に、清人は明るく事も無げに笑った。しかし真澄は益々言いにくそうに言葉を濁す。
「そうじゃなくて……、スケートリンクを半日貸切だなんて、如何にも金にあかせた行為みたいで……」
父親から、自分達の護衛兼監督と言う名目で、費用はこちら持ちで清人と清香を招いている事は予め説明を受けていた真澄だったが、いざ入場しようとすると用具のレンタル代や飲食代込みで半日貸切になっており、責任者から説明を受けた真澄は本気で呆れた。同時に気になった清人の反応を窺い見れば、表情に大きな変化は無かったものの、僅かに眉をしかめた様に見えた為、滑っている間も何となく気になってしまっていたのだった。
そんな真澄の心情を推し量ったかのように、ここで清人が小さく笑った。
「確かに最初ちょっと驚きましたが、別に気を悪くしてはいませんよ? 気にしないで下さい」
「そう? それなら良いんだけど……」
何となく元気無く真澄が呟くと、清人は柔らかく笑いかけながら話を続けた。
「真澄さんが誘拐されかけたあの事件から、まだ二月経っていませんからね。雄一郎さんとしてはできるだけ不特定多数の人間の中に、真澄さんを置いておきたく無いんですよ。……愛されてますね?」
最後は茶化すように清人が笑いながら告げると、真澄は途端に気分を害した表情になった。
「それにしたって、度が過ぎているわよ。これまでは友達と一緒に、放課後ちょっとお店に立ち寄ってから迎えに来て貰う事もあったのに、今は高校の友達の家に遊びに行くのも駄目なんて。車で送り迎えされるのによ?」
「それは……、流石に厳しいとは思いますが……、落ち着いたら徐々に戻してくれると思いますよ? だから暫くは変な事に巻き込まれ無い様に、自重して下さい」
微笑まれている筈なのに、何故か逆らえない様な威圧感を清人から感じてしまった真澄は、大人しく頷いた。
「う……、はい、気をつけます」
「その方が良いですね。ところで真澄さん、その……、ありがとうございました」
抽象的な物言いながらも、清人がチラリと少しずつココアを飲んでいる清香を見下ろしながら告げた為、真澄には先日香澄宛てに送ったクリスマスプレゼントの事だと分かった。おそらくサンタを信じている清香の為に言葉を濁したであろう清人に合わせ、真澄も主語を抜かして会話を続ける。
「良かったわ、喜んで貰えて。なかなか決まらなくて、うちに全員集合してプレゼンをやったの。自己主張が激しい人間ばかりだから……」
「プレゼン……、ですか? それは凄いな」
「……本当に、年寄り連中は頑固で困ったものだわ」
唖然とした表情の清人にうんざりした表情で真澄が応じると、清香がキョトンとした表情でカップを両手で持ったまま真澄を見上げてきた。
「おねえちゃん、ぷれぜんってなぁに? ぷれぜんと?」
外したようで、ど真ん中を突いてきた清香に真澄は密かに慌てたが、何とか笑顔を取り繕った。
「ううん、そうじゃなくてこれが良いですって発表する事ね」
「真澄さんの家族はみな仲が良いから、なんでも色々相談するんだよ」
ここで清人が口添えをした事で、清香はあっさり納得した。
「ふぅん……。でもうちも、おにいちゃんといっぱいそうだんしてるよね?」
「そうだな」
そう言って清香の頭を撫でた清人を見ながら、真澄は密かに考えた。
(何となく……、清人君に相談と言うより、清人君主導で色々決めている気がするわ……)
そうは思ったが敢えて口にする事も無いかと、真澄は無言でホットティーを啜った。すると清人が口調を改めて真澄に話し掛けてくる。
「清香のはそうでも、俺の分は真澄さんが選んでくれたんじゃ無いんですか?」
(やっぱりバレた? 電話をした時、叔母様が笑いを堪えてたし)
一瞬ドキリとしたものの、真澄は誤魔化すのを諦めて小さく頷いた。
「その……、助けて貰ったお礼がしたかったから。でも男の子には何が良いのか分からなくて、叔母様に聞いてみたんだけど……、叔母様から聞いたの?」
すると清人は困った様に小さく首を傾げる。
「香澄さんは何も言ってませんでしたが……、清香にはともかく、柏木さんが俺に寄越すとは思えませんし……」
「その……、ごめんなさい」
実は清香にプレゼントを贈ろうと皆で盛り上がった時、それなら一緒に清人君にもと真澄は訴えたのだが、「あのクソガキになどやらん!」の総一郎の一言で、誰も何も言えなくなってしまったのだった。
一人憤慨する真澄を宥め、玲子がこっそりお金を用立ててくれたが、そんな経緯があった為に清人に申し訳無い気持ちで一杯だった。そんな真澄の心中を察したように、清人が穏やかに笑ってみせる。
「そんなに気にしないで下さい。俺は寧ろ、俺の分は真澄さんだけが選んでくれて嬉しいですよ?」
「え? どうして?」
除け者にされた様な扱いを受けたのに、どうして嬉しいのかと首を傾げた真澄から、清人は微妙に視線を逸らしながら口ごもった。
「いえ、大した意味ではありませんが……。あの、大事に使わせて貰います」
「ありがとう。実用的過ぎてどうかと思ったんだけど……」
何故か清人が話題を逸らした事に気付いた真澄だったが、深くは追及せず話を合わせた。それにホッとした様子で清人が話を続ける。
「そんな事はありません。高校に入ったらバスを使うので、パスケースを買わなければいけませんでしたから、ありがたいです。それに、これなら毎日持ち歩くので、真澄さんといつも一緒に居るみたいで嬉しいですし」
「一緒にって……」
「真澄さんだと思って、大事に使わせて貰いますね?」
にっこり笑ってとどめを刺した清人の笑顔を見て、真澄は顔の表情筋を総動員させて、何とかいつも通りの顔を取り繕った。
「……喜んで貰えて、私も嬉しいわ」
(何なの? 清人君って無意識なの? 何でこういう台詞をサラッと言えるわけ!? 叔父様は間違ってもこんなタイプじゃ無いわよね?)
そんな自問自答を繰り広げていた真澄だったが、ここで清人が話題を変えてきた。
「真澄さん……、最初の話なんですが……」
「ごめんなさい、何だったかしら?」
色々考えて頭の回転が鈍った真澄が咄嗟に思い出せないでいると、清人はちょっと驚いてから苦笑気味に口を開く。
「スケートリンク貸切云々の事です。真澄さんの護衛と言う名目は付けてますが、半分は清香を甘やかしたがっている総一郎さんや雄一郎さんの意向ですよね?」
「……ええ、その通りよ」
素直に認めた真澄に、清人は悪戯っぽく笑って付け加えた。
「確かに俺にしてみれば、清香のオマケで贅沢させて貰うのは心苦しいので、自分で稼げるようになったら出世払いで返そうと思っています」
「オマケだなんて、そんな……。でもどうやって返すの? 一々領収書を出して貰って、記録しておくの?」
疑問に思って尋ね返したが、それを聞いた清人は小さく噴き出した。
「ははっ……、それなら確実ですが。せっかくの好意をそのまま突っ返すような感じで、相手の気を悪くするかもしれませんし……。ここは一つ、俺が自力で稼げるようになったらデートしてくれませんか? 真澄さん」
「はい?」
唐突に言われた内容に全く頭が付いて行けず、真澄は些か間抜けな声を上げたが、清人は楽しそうな笑顔のまま冷静に畳み掛ける。
「その時の費用は、勿論全額俺持ちと言う事で。真澄さんがどんな散財しても平気な位、頑張って稼ぎますから。その時は行きたい所や欲しい物、何でも俺に言って下さい。それで柏木さんの家に少しでもお返しします。……こんなのはどうですか?」
笑って感想を聞かれて、真澄は嬉しさと恥ずかしさで僅かに顔を赤くした。それを清人に悟られたくなくて、つい素直でない反応を示す。
「ああああのねっ! 何か私がもの凄い散財癖があるような言い方をしないでくれる!?」
「それは失礼しました」
真澄に向かって真面目くさって頭を下げた清人だったが、再び頭を上げた時には人の悪い笑みがその顔に戻っていた。それを認めて拗ねた様に顔を背けながらも、真澄がボソボソと呟く。
「もう! 年上をからかわないでよね? ………………まあ、それで清人君の気が済むって言うなら、私は別に構わないけど」
それを聞いた清人は、如何にも嬉しそうに頷いた。
「じゃあ約束ですよ?」
「分かったわ。気合い入れて稼いでね?」
「真澄さん、さっき言った内容と、微妙に違う気がするんですが」
「男が細かい事を気にしちゃ駄目よ」
そこで顔を見合わせた清人と真澄は揃って噴き出し、ココアを飲み終わった清香が「おにいちゃんとますみおねえちゃんってなかよしだね?」と無邪気に告げて、密かに二人を慌てさせたのだった。
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