突然の別れ~真澄、二十五歳の春~

 ある日、清人からの電話を受けた真澄は、挨拶もそこそこに週末の予定を尋ねられた。

「真澄さん、今度の土曜日は空いていますか?」

「土曜日はちょっと……、日曜なら空いているんだけど」

「そうですか……」

「それがどうかしたの?」

 明らかに気落ちした様に応じた清人に、些か申し訳なく思いながら尋ね返すと、清人が意外な事を言い出す。


「土曜日が空いているなら、一緒に遠出しようかと思ったんですが……。もし良ければ日曜に、一緒に実家に行きませんか?」

「叔母様の所に?」

「ええ。日曜に、清香に入学祝いを持って行く事にしていたんです。正月から顔を出していませんでしたから、『少しは顔を見せに来い』と親父に電話で怒られましたし」

 予想外の話に多少驚きつつ、真澄は一人首を捻った。

「お正月以降、三ヶ月も顔を出して無かったの? 私、清人君とは結構顔を合わせていたように思うんだけど。えっと……、一月は二回で、二月と三月は……三回ずつ?」

 真澄は指折り数えつつ素朴な疑問を投げかけたが、電話の向こうで清人が一瞬言葉に詰まった後、ボソボソと言い訳がましく言ってきた。


「……同じ都内とは言え、どうしても向こうの方が距離はありますし」

「そんなものなの?」

「そんなものですよ。それで真澄さん、どうですか?」

 再度促されて、真澄は快く了解した。

「そうね……。私もお正月以来だし、一緒に顔を見に行こうかしら?」

「じゃあ車で行きますから、いつもの様に俺のマンションまで来て貰えますか?」

「ええ、分かったわ」

 あからさまにホッとしたような声を出した清人に思わず笑いを誘われながら、真澄は上機嫌で通話を終わらせたのだった。


 そして次の日曜日。一度清人のマンションまで送って貰った真澄は、清人の車に乗せられて彼の実家へと向かった。そして前年まで清人が暮らしていた団地に到着した二人は、途中で立ち寄った、巷で人気のケーキ店で購入したお土産を手に、玄関に並んでドアチャイムを押す。すると待ちかねた様に即座に中からドアが開かれた。

「お兄ちゃん! 真澄さん! いらっしゃい!」

「ただいま。元気にしてたか? 清香」

「うんっ! あ、真澄さん。入学祝いをありがとうございました」

 勢い良く清人に抱きついてから、清香は真澄に向き直って笑顔で頭を下げた。それに真澄も笑顔で返す。


「どういたしまして。途中でケーキを買って来たから、皆で食べましょうね?」

「じゃあ準備するね! お兄ちゃんと真澄さんは中に入って」

「分かったわ」

 清人の手からケーキの箱を受け取った清香は早速お茶の支度にかかり、清人と真澄は靴を脱いで上がり込み、そのまま奥の居間へと向かった。するとそこに卓袱台を囲んで座っていた清吾と香澄が、苦笑交じりに声をかけてくる。


「おう、やっと顔を見せに来たか。この親不孝息子」

「不肖の息子ですみませんね」

「全くだ、この馬鹿が。香澄、やっぱり正月に清香の入学祝の家族写真を撮っておいて、正解だっただろう?」

「本当ね。予め撮影を済ませておいたから、春先に来なくても良いか、なんて考えていて来なかったのなら怒るわよ?」

「いや、その……、偶々二月三月は色々立て込んでいたもので……」

 二人掛りで責め立てられ、清人が弁解がましく口にした事を半ば無視して、香澄は今度は真澄に話を振った。


「真澄ちゃんもいらっしゃい。清人君の車と家の車が、偶然同時にここに着いたの?」

「いえ、清人君に乗せてきて貰いましたから」

「はぁ?」

「どうかしましたか? 叔母様」

 不思議そうに尋ねてきた香澄に真澄が正直に答えると、何故か香澄が変な声を上げた。それを不思議に思った真澄が尋ね返したが、ここで幾分焦ったように清人が声を上げる。


「あのっ……、真澄さんっ!」

 しかしその声を遮り、今度は清吾が怪訝な顔で確認を入れてきた。

「清人が、真澄さんを家まで迎えに行ったんですか?」

「いえ、いつも通り、清人君のマンションまで家から車で送って貰って、そこで合流しましたから」

 何気なく真澄が説明した内容に、香澄と清吾が何故か笑いを堪える様な、意味深な視線を清人に向ける。

「へぇ? いつも通り、ねぇ」

「なるほど……、こっちには足が遠のく筈だな」

「…………」

 ニヤニヤと笑っている二人の前で、何故か清人が居心地悪そうに黙り込んでいるのを見て、その理由が分からなかった真澄は、怪訝な顔で尋ねてみた。


「あの……、叔父様、叔母様、どうかしましたか?」

「あら、何でも無いのよ? 抜けている様で、意外にしっかりしてるみたいで安心したな~、とか」

「香澄さん!」

 ここで清人が咎めるような口調と視線を香澄に向けたが、真澄は益々意味が分からなくなりながら感想を述べた。


「清人君は身の回りの事は叔母様以上にこなせると思いますから、一人暮らしでも全く心配要らないと思いますよ?」

「まあ、それはそうですね。だから誰かに自分の身の回りの事をさせようなんて気は、サラサラありませんから。安心して下さい」

「はぁ……」

 清吾に何やら保証された真澄は、わけが分からないまま取り敢えず頷き、その横で清人が呻いた。


「親父……、余計な事は言うな」

「うん? どこら辺が余計だと?」

「どこもかしこもだ。香澄さんもです!」

「はぁ~い」

(何なのかしら? 清人君が久しぶりに顔を見せて、嬉しいのは分かるけど、それだけじゃ無いような気が……)

 一連のやり取りに納得がいかないでいた真澄だったが、その時「皆、お茶の準備が出来たよ?」とお盆を抱えて清香がやって来た為、その話はそこでお終いになった。

 そして楽しく会話しつつ、ケーキと紅茶を食べ終えると、香澄が立ち上がった。


「ちょっとお皿を片付けて来るわね」

「ああ、香澄さん。俺がやりますから」

「あら、良いのよ? せっかく帰って来たのに、ゆっくりしていなさい。真澄ちゃんを放っておくわけにいかないでしょう?」

 そんな事を言って含み笑いをしてみせる香澄に、清人の顔が僅かに引き攣る。


「偶に帰って来た時位、手伝いますよ。大人しくしてて下さい。あと買い出しにも行って来ますから」

「あらあら、照れなくても良いのに」

「……照れてません」

「そんな可愛くない事を言ってると、この際色々頼んじゃうわよ? 悪いわね~、せっかく真澄ちゃんと一緒に来てくれたのに」

「本当に容赦ないですね」

 ぶちぶち言いながらも皿洗いを手伝い、香澄が言う通りに建具の修理などをしている清人を眺めて、真澄は思わず憮然とした表情を浮かべた。

(相変わらず清人君と叔母様って仲が良いわよね。じゃれ合ってるみたい……)

 そこで唐突に清吾から声がかけられた。


「真澄さん」

「え? あ、はい! 何でしょうか叔父様?」

 会話をしていたのに、いつの間にか呆けてしまっていた事に気づいた真澄は、慌てて清吾の方に向き直ったが、清吾は些か歯切れ悪く質問してきた。


「いや、大した事では無いんですが……。その……、お家の方は、清人のマンションに真澄さんが出入りしている事をご存知なんでしょうか?」

「それは……、運転手には友人の家だと言っているだけなので、知らないと思います」

「マンションの出入り口で、見送ったりはしないんですか?」

「はい」

 ありのままを正直に答えると、何故か清吾は小さく溜め息を吐き、真澄から視線を逸らしながら独り言を漏らした。

「そうですか。……強く言い過ぎたかな?」

「何がですか?」

 不思議に思って問いかけると、清吾は苦笑いしてなんでもないと言うように軽く右手を振った。


「いや、こちらの話ですから、気にしないで下さい」

「はぁ……」

 怪訝な顔で首を傾げた真澄を見て、清吾は穏やかに微笑んでみせた。

「真澄さん、これからも清人と仲良くしてやって下さい」

「はい、勿論です。叔父様」

 清吾の言葉に笑顔で頷いた時、真澄の心の中には先ほど感じた不満などは、綺麗に霧散していた。


「清人君、お疲れ様。結局叔母様に色々こき使われてたわね」

 夕食をご馳走になり、夜道を都心に向けて車を走らせている清人に、真澄が助手席から笑いを堪えながら話しかけると、清人は前を向いたまま幾分拗ねたように応じた。


「全くです……、また暫く行くのは止めようかな」

「そんな事を言って。結構マメに顔を出すんじゃない? 終始楽しそうだったわよ?」

「そうですね……。これまでが賑やかな暮らしだったので、一人暮らしが少しわびしく感じましたし」

「そうでしょうね」

 真澄が真顔で相槌を打つと、清人が何やら考え込みながら言い出す。


「ですが……、実家に行かなくても、その気になったら幾らでも賑やかに暮らせると思いますが……」

「そう? ルームメイトでも探すの?」

「……ああ、その手もありますね」

 何気なく言ってみた真澄の台詞に、何故か清人は疲れたような声で答え、更に信号で停止した途端ハンドルにもたれ掛かって俯いた。その反応に、流石に真澄が驚く。


「ちょっと、どうかしたの? 疲れたとか?」

「いえ、大丈夫ですから」

「本当に?」

「ええ」

(本当に大丈夫かしら?)

 少し心配になったものの、清人はそれから危なげなく運転を続け、無事にマンションまで辿り着いた。そして一度部屋に入り、真澄が家に迎えの車を頼む電話を終えてから、彼女に話しかける。


「じゃあ迎えに来て貰うまで、お茶を一杯飲んでいて下さい。今淹れますから」

「ありがとう」

 そうして清人がキッチンに消えると、真澄はいつも小物を揃えて置いてある場所に移動し、手帳を開いてみた。するとカバーの折り返し部分に、以前彼のパスケースに入れてあった物と同じ写真が挟み込んであるのを発見し、重い溜め息を吐く。

「まだ持っているし……」

 面白く無さそうにそう呟いてから、真澄は心の中で腹立ち紛れに文句を言った。


(今日だって、幾ら久しぶりに帰って来たからって、清人君に色々言いつけてベタベタしてて……。まあ、叔父様の前だったし、変な意味は無いんでしょうけど、清人君も逆らえない感じで言いなりだったし)

 ムカムカしながらそんな事を考えた真澄は、無言でキッチンを睨み付けた。


(第一、清人君も清人君よ。せっかく一緒に行ったのに、私の事を殆ど放っておいて。気軽に清人君が顔を見に行けない様に、叔母様なんかもっと遠くに行っちゃえば良いのに……)

 そこまで考えて、真澄は慌てて自分自身を窘める。


「やだ、何言ってるのよ、私ったら。叔父様はお店があるんだし、遠くに引っ越したりするわけ無いじゃない。八つ当たりもいい加減にしなさいよね」

 そのままブツブツ呟いていると、清人がカップを手にして戻ってきたため、笑顔でそれを受け取った。

「真澄さん、お待たせしました」

「ありがとう。頂くわ」

「ああ……、そう言えば、あれがあったな」

 そう言って座りかけた清人が立ち上がり、リビングボードの引き出しから横長の封筒を取り出し、真澄に差し出す。


「これを持って行って下さい。来月頭のベルリンフィルのチケットを取りましたから。その日は大丈夫だと言ってましたし、一緒に聞きに行って、その後食事でもどうですか?」

「ええ、分かったわ。ありがとう。楽しみだわ」

 それを聞いた真澄は上機嫌になって封筒を受け取り、車が迎えに来て清人とエントランス内で別れた時も、笑顔で別れの挨拶を交わしたのだった。



 ※※※



「ただいま帰りました」

「お帰り、姉貴……」

「姉さん、遅かったね……」

 その日帰宅すると、夕食後は自室に引き上げていることが多い弟達が応接間に揃っていたことに、真澄は少し驚いた。そして家の中の違和感について尋ねる。


「ええ、ちょっと残業で手間取ってね。……ところで、何か有ったの? 何となく家の中が静かだけど」

「それは……」

「姉貴、まだ聞いて無いんだ」

「何を?」

 言葉を濁す二人に、真澄が益々怪訝に思っていると、ドアが開いて玲子が顔を出した。

「ああ、お帰りなさい、真澄。明日は忌引きにして頂戴。それから休む前に、喪服の準備もしておいてね?」

 矢継ぎ早にそんな事を言われ、真澄は面食らってつい軽口を叩いた。


「忌引き? 誰が亡くなったんです? うちの親戚に、ぽっくり逝くような人がいましたか? 年齢から言えば一番可能性のあるのはお祖父様でしょうが、あの人は殺したって死なないタイプで」

「香澄叔母さんと清吾叔父さんだよ」

「え?」

 自分の台詞を遮り、玲二がぼそりと告げた内容に、真澄は一瞬きょとんとしてから、クスクスと笑い出した。


「嫌だ玲二、まだ四月だけど、エイプリルフールはとっくに過ぎてるのよ? タチの悪い冗談は止めて。お母様までグルになって人を担ごうだなんて」

「姉さん! 本当に二人とも亡くなったんだ。交通事故で」

「浩一?」

「今、お通夜にお祖父さんと父さんと叔父さん達が出向いてる。バタバタしてるところに大人数で押しかけても迷惑だから、俺達は明日の葬儀に顔を出せって。仕事に支障が出るといけないから、帰宅したら教える様に言われたらしい。俺もついさっき聞いた」

 真顔で浩一が告げた内容に、流石に真澄が顔色を変えて玲子に向き直る。


「嘘でしょう? お母様……」

 全身で否定して欲しいと訴えている娘に対し、玲子は残念そうに首を振って説明した。

「本当よ。午前中に二人で車で買い出しに出掛けたら、夜間走行していた大型トラックが居眠り運転で突っ込んで来たそうでね。二人とも殆ど即死だったそうよ」

「そんな……」

「姉さん!」

「姉貴、大丈夫か? 顔が真っ青だぞ?」

 思わず鞄を取り落とし、その場にへたり込んだ真澄を見て、ソファーに座っていた浩一と玲二が血相を変えて駆け寄り、真澄の体を支える。それを見下ろしながら、玲子は事務的に説明を続けた。


「清香ちゃんは学校で家に誰も居ないから、連絡がつくのが遅れてね。近所の方が清人君の連絡先を知っていたから、昼過ぎに警察から連絡を貰って駆けつけたらしいの。本当だったら明日にお通夜で明後日が本葬の流れだけど、明後日は友引の上に連休に入ってしまうから、慌しいけど今日お通夜で明日葬儀という事になったらしいわ」

「それじゃあ、行かなきゃ……」

「行くって、どこに」

「お通夜。ちゃんと顔を見て、叔母様達とお別れしないと……」

 ゆらりと立ち上がりかけた真澄を、玲子は僅かに顔を歪めて制止した。


「悪いけど、それは諦めて頂戴。真澄」

「どうして?」

 予想外の言葉に、真澄は勿論浩一や玲二も納得のいかない表情になったが、ここで玲子が涙ぐみながら理由を告げた。


「清人君から連絡を貰った時、『事故で漏れたガソリンに引火して車が炎上したもので、遺体の損傷が酷いんです。ですから顔はお見せできません。清香にも見せていませんから』と言われたの。お義父様や雄一郎さんから、私は残っているように言われてっ……」

「……っ!」

「だから葬儀だけ出ろって言われたのか……」

「祖父さん達、大丈夫か?」

 流石に三人は顔色を無くし、その場に重苦しい沈黙が漂った。そして暫くしてから気を取り直した玲子が、子供たちに言い聞かせる。


「そういう訳だから真澄、食欲は無いかもしれないけど、取り敢えず夕食を食べて、明日に備えて早く寝なさい。あなた達もよ? 明日は八時にはここを出ますからね?」

「分かった。姉貴、鞄は俺が部屋に持って行くから、何か食べておいた方が良いよ?」

「ほら、姉さん、食堂に行こうか」

 そうして浩一と玲二に促された真澄は全く味のしない夕食を済ませ、殆ど無意識に翌日の準備を済ませて、ベッドに潜り込んだのだった。



 翌朝は家中の者が精気の無い顔をしながら朝食を済ませ、昨夜何故だか死人のような顔つきで戻ってからは、寝込んでいる総一郎を一人残し、香澄と清吾の葬儀に向かった。

 皆殆ど無言でいるうちに、会場となっている団地にほど近い寺に到着すると、本堂に設置された祭壇上に二つ並んで掲げられている遺影を見て、真澄は漸く二人の死亡が認識出来た。


(本当に、二人とも亡くなったんだわ……。日曜日には元気で笑ってたのに……、あれから一週間、経って無いのに……)

 喪主である清人にお悔やみの言葉を述べている両親の横で、遺影を見上げつつ涙を堪えていると、落ち着き払った声で清人が声をかけてきた。


「真澄さん。今日はわざわざ来て頂いて、ありがとうございます」

「清人君……」

 咄嗟に次の言葉が浮かばなかった真澄を見て、清人は心配そうに囁いた。

「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ?」

「清人君、こそっ……」

(うっ……、駄目、涙が……。ちゃんとお悔やみの言葉位、言えないと……、でもっ……)

 声をかけられたのがきっかけだったのか、我慢しようとしても次々溢れてくる涙に、真澄が自分を情けなく思っていると、清人はポケットから白いハンカチを取り出した。


「真澄さん。良かったら、これを使って下さい」

「え? だって、清人君も使う……」

 既にバッグから取り出した自分のハンカチが相当濡れてしまっていたが、流石に喪主からハンカチを取り上げる真似は出来ないと思った真澄だったが、清人は事も無げに説明した。


「今日はハンカチを三枚用意してきましたから。一枚は自分用に、もう一枚は清香用に。そしてこれは真澄さんが泣きそうな時に出す為に持参した物ですから、まだ使っていないので綺麗です。良かったらどうぞ」

「でもっ……、これ……」

 差し出されたそれに、まだ真澄が手を伸ばすのを躊躇っていると、清人が付け足す。

「安物ですから、気に入らないかもしれませんが」

 心配そうにそう言われて、真澄は反射的に受け取った。


「……使わせて、貰うわ」

「そうですか。良かったです」

「……ふっ、……うっ……」

 そこで幾分安心した様な表情を浮かべた清人に、一気に真澄の涙腺が緩んだ。清人はそんな真澄から視線を逸らし、彼女の弟達に声をかける。


「浩一と玲二まで来てくれたのか。ありがとう」

「当たり前だろう、怒るぞ」

「清香ちゃん、大丈夫かい?」

「…………うん」

 高校の制服姿の玲二が気遣わしげに清香に声をかけると、同じように大きめの制服に身を包んだ清香が、俯きながらも小声で応じた。それを見て、真澄は心底自分自身を情けなく思う。


(恥ずかしい……、中学に入ったばかりの清香ちゃんだって、親の葬儀で泣かないで我慢してるのに、社会人の私が泣いて良いわけ無いでしょうが!?)

 そうは思うものの、なかなか涙は止まらなかった。


「……うぅっ、……ふぁっ……、……っ」

 並んで座りながら読経が始まるのを待っている段階でも真澄の状態は変わらず、横に座る玲子が心配そうに顔を覗き込む。

「大丈夫? 真澄。やっぱり車で待っている?」

「…だ、だいじょう、ぶ、……だか、らっ、……ぅ」

「そう?」

 まだ不安が残る顔付きだったが、住職による読経が始まったことで、玲子は真澄から視線を外して前に向き直った。


(私が……、叔母様なんか遠くに言っちゃえば良いなんて、チラッとでも思ったから……)

 そんな埒も無い事を考えてから、真澄は小さく首を振った。


(それは、単なる偶然だったにしても……、叔父様からあのレシピ集を貰って六年近く経っているのに、私、清人君にまだご馳走してない……)

 その事実に思い至り、何とか鎮静化していた真澄の目に、忽ち大粒の涙が溢れた。


(『何年かかっても良いですよ。楽しみに待ってますから』と言って、叔父様は催促もしないでずっと待っててくれたのに……。清人君にご馳走出来たら、絶対『良く頑張ったね』って誉めてくれて、『ありがとう』って言ってくれた筈なのに、もう無理なんだわっ……)

 そこまで考えた真澄はとうとう我慢出来なくなり、その場でうずくまって大声で泣き喚き始めた。


「……っ、ふぅっ……、うあぁぁぁぁぁっ!!」

「真澄!?」

「姉さん!?」

 家族はもとより、周囲の叔父夫婦や従弟達まで慌てる気配を察したが、真澄の涙は止まらなかった。

(やだっ、止まらない! みっともなさ過ぎるわっ! でもっ!)

 いきなり号泣し始めた真澄を雄一郎は当初何とか宥めようとしたが、他の参列者が驚いているのを見て取って、諦めて妻に囁いた。


「玲子、葬儀の邪魔だ。取り敢えず外に連れて行け」

「はい。ほら、真澄、落ち着くまで外にいましょう」

「はい、っ……。ふぅぅっ……、うあぁぁぁっ!」

 促されて立ち上がり、付き添おうとした浩一達を目線で制した玲子に付き添われて、真澄は駐車場に停めてある車まで戻った。すると車内で真っ赤な目をして待機していた運転手の柴崎が、慌ててドアを開けて降り、玲子と真澄を出迎える。


「奥様、どうかしましたか? 真澄様、大丈夫ですか!?」

 目元を押さえながら泣き喚いている真澄を柴崎が仰天しながら出迎えると、柴崎が開けた後部座席のドアの向こうに座る様に真澄を促しながら、柴崎に声をかけた。


「葬儀の邪魔になりそうだから、取り敢えず車の中に居させるわ。柴崎さん、私は中に戻るから、少し様子を見ていて貰えるかしら」

「それは構いませんが……」

 気遣わしげな顔を真澄に向けた柴崎に、ここで玲子が穏やかに告げた。


「真澄が落ち着いたら、あなたもお焼香にいらっしゃい。香澄さんにお別れがしたいでしょう?」

「ですが……、仕事中ですので。それに喪服でもありませんから、他の方のお気に障るかと……」

「仕事中だろうが喪服で無かろうが、雄一郎さんも清人君も文句は言わないでしょうし、私が言わせません」

 柏木邸に長く仕え、香澄を産まれた時から見知っている柴崎にとっては、今回の訃報で家族同様に悲しんだに違いなく、泣きはらしたその顔を見据えながら玲子がきっぱりと宣言すると、柴崎は深々と頭を下げた。


「……ありがとうございます。後程、顔を出させて頂きます」

 それに軽く頷いた玲子は、真澄に小さく声をかけた。

「真澄、落ち着いたら戻って来なさい」

「ふっ、ぐっ……、は、はいっ」

 そうして後部座席のドアを閉めて玲子が立ち去ると、運転席とも隔絶されたリムジンの中に、真澄の泣き声だけが満ちた。


(清人君から借りたのハンカチ……、ぐしゃぐしゃになっちゃった……。新しいのを買って返さないと……)

 自分のハンカチに加え、清人から貰ったハンカチまで涙でぐしゃぐしゃになってしまったのを認めて、真澄が一人落ち込んでいると、突然コツコツと窓ガラスが叩かれた。反射的にそちらに目を向けて、窓の外に困惑顔の柴崎を後ろに従えて、佇んでいる清香を認め、驚きで瞬時に涙が止まる。


「清香ちゃん!?」

 慌てて真澄はドアを開け、車から降りて問い掛けた。

「どうしたの? 中に居なくて良いの?」

 その問いに、清香は真顔で頷いた。


「うん、お兄ちゃんが『俺は離れられないから、トイレにでも行くふりをして、真澄さんの様子を見て来てくれ』って。大丈夫?」

「清香ちゃんの、方こそ……」

 気遣うような視線を向けられ、思わず真澄は声を詰まらせた。それに清香が微笑しながら、落ち着いた様子で告げる。


「あのね、真澄さんがいきなり大泣きしたからびっくりしちゃって、すっかり涙が引っ込んじゃった。だから大丈夫だよ?」

「ふぅっ……、ぐっ……、さ、さやかちゃ……」

 再び涙を溢れさせた真澄を黙って見上げてから、清香は両手を回してその腰に抱き付いた。


「ありがとう真澄さん。お父さんとお母さんの為にこんなに泣いてくれて。二人とも真澄さんがお別れに来てくれて、嬉しいと思ってるよ?」

「……ふぇっ、くっ、……ぅあっ、……えぅっ。……うあぁぁっ……」

「大丈夫、だからね?」

 反射的に自分の肩辺りまでしか身長の無い清香の身体を、真澄は泣きじゃくりながら抱き締めた。それを宥めるように、涙声の清香が真澄を抱き締める腕に僅かに力が込められる。


(どこまで最低なのよ、私って……。清人君に余計な心配かけた上、本来慰めるべき清香ちゃんに慰めて貰うなんて。本当に最低だわ……)

 その時、側で貰い泣きをしている柴崎の視線を意識しながら、真澄は涙を堪える事の出来ない自分に心底嫌気が差し、加えて清人と清香に対して何もしてあげられないという無力感に苛まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る