変化~真澄、二十五歳の初夏~
「……電話、全然かかってこない」
夜に自室で、机に置いた自分の携帯を見下ろしながら、真澄は独り言を漏らした。
(これまでは大した用事が無くても二・三日に一回はかけてきてくれたのに……)
そこで真澄の目に、じんわりと涙が浮かんできた。
「お葬式の時に、大泣きしてみっともない姿を晒したから、愛想を尽かされた? やだっ……、本気で泣きそう」
そこでノックの音に続いて、玲子の声が聞こえてきた為、真澄は慌てて涙を拭いつつ立ち上がった。
「真澄? ちょっと話があるのだけど、良いかしら?」
「はっ、はいっ! どうぞ」
返事の後で部屋に入って来た玲子に、真澄は椅子を勧めた。そしてテーブルを挟んで反対側に真澄も座ると、玲子が些か言いにくそうに口を開く。
「あのね、真澄。今日は初七日だから、法要の為に佐竹さんの家に出向いたのだけれど……」
「はい、それがどうかしましたか?」
真澄が怪訝な顔をすると、玲子が持参して膝の上に持っていた白い封筒をテーブルの上に置き、真澄に向かって押しやる。
「帰り際に清人君から、これをあなたにと預かったのよ」
「え? これって……」
戸惑いながら中身を確認すると、少し前に清人から渡されたチケットと同じ物が入っており、真澄の顔から表情が消えた。その娘の顔を見ながら、玲子が静かに問い掛ける。
「再来週、一緒に行く約束をしていたんですって?」
「……ええ」
「でも役所への申請や諸手続き関係や、清香ちゃんの引っ越しや転入手続きとかで忙しくて行けそうにないから、申し訳無いけど他の人を誘って下さいって言っていたわ」
「そう……。ありがとう、お母様」
取り敢えず事務的に清人からの言葉を伝え終わってから、玲子は口調を改めて真澄に話し掛けた。
「真澄……、聴きに行っても行き帰りの時間を含めて、必要な時間はせいぜい四時間位でしょう? 清人君の気分転換の為にも、あなたの方から誘ってみたら? その間清香ちゃんはうちで預かっても良いし」
気を遣ってくれた母親に感謝しつつ、真澄は小さく首を振った。
「それは無理よ。清人君に愛想を尽かされたから」
「どうしてそう思うの?」
「だって……、お葬式の時にあんなに大泣きして、みっともない姿を晒しちゃったし……。関わり合いになるのが嫌になったと思うもの」
俯いて正直に思う所を述べた真澄に、玲子は深い溜め息を吐いた。そして徐に口を開く。
「確かに、清人君が柏木(うち)と距離を置きたいと考えたかもしれないけど……、それはあなたのせいではないから気にしないで」
「お母様?」
常には聞かれない、母親の苦々しい口調に思わず真澄が顔を上げると、玲子は不愉快そうに顔を歪めながら話し出した。
「実は……、お葬式に出向いた時、記帳してすぐに佐竹さんのお隣の、平野さんって言う方に『ちょっとお話があるのですが』と呼び止められたの」
「お葬式の時に? 何かあったんですか?」
「それが……、お通夜の時、お義父様と雄一郎さん達が四人で出向いたでしょう? 駐車場に着いて降りようとしたら、お義父様が『香澄の死に顔など見るのは嫌じゃ!』とかぐずぐず言い出したらしくて」
「気持ちは分かりますが……」
思わず嘆息した真澄だったが、続く玲子の言葉に祖父に対する同情の念は綺麗さっぱり消し飛んだ。
「それで……、色々言った挙げ句『あんなろくでもない男に騙されたせいで、香澄は貧乏暮らしを強いられた上、早死にさせられたわ! あの野良犬野郎を、誰が安らかに眠らせてやるかっ! 棺桶から引きずり出して、切り刻んでやるわっ!!』とか暴言を吐いたそうで……」
「何ですって!? お母様、それは本当なの? お祖父様達はそんな事一言も言ってなかったじゃない!」
思わず立ち上がり玲子を問いただしたが、玲子は疲れた様にその時の状況説明を続けた。
「お通夜の席で清香ちゃんの『お母さんの親戚なんて叩き出してやる』発言にお義父様が衝撃を受けて寝込んだのと、雄一郎さん達も流石に非常識な言葉だと思ったから、わざわざ皆に言う事はしなかったのよ」
「あの…、でも、どうしてお母様が清人君のお隣の部屋の方から、その話を聞いたんですか?」
顔色を変えつつ真澄が確認を入れたが、玲子は最悪な結果を口にした。
「それが……、お義父様が偶々そんな事を口走った時に、その平野さんが仕事から戻って駐車場を通り抜けていて、話を聞いてしまったみたいなの。恐らくお義父様を連れて行こうとドアを半開きにしていところでそんな言い合いになって、しっかり声が外に聞こえてしまったのね」
「何ですって!?」
「その平野さんは香澄さんのお通夜の話に加えてその話に驚いて、お通夜なら集会所だろうと慌てて駆け込んで、裏方として控えていた団地の方々に事情を説明したらしいの。流石に皆憤慨して、男の方達が『叩き出してくる』と大挙して駐車場に出向いて」
「まさか、それで乱闘騒ぎになったんじゃ無いでしょうね!?」
顔を蒼白にして確認を入れてきた真澄に、玲子は軽く首を振った。
「そんな事は無かったわ。推測だけど、その方達が駐車場に着いた頃、雄一郎さん達はお義父様を降ろして集会所に向かっていて、車は邪魔にならないようにその場から離れた所で待機させていたのね。だから大した騒ぎにはならなかったみたい。慰めにもならないけど」
「お通夜でそんな騒ぎを起こすなんて……。分別と言うものは無いんですか?」
思わず脱力して椅子に座り込んだ真澄に、玲子が溜め息を吐いてから話を続けた。
「本当にね。それで平野さんは今の話をした上で『柏木さんは佐竹さんとの付き合いは長いと聞いてますが、ひょっとしたら香澄さんの実家の方の顔形とかご存じではありませんか? 清人君は『ショックで動転して口走っただけです。本当に葬儀をぶち壊す様な真似はしませんから』って冷静に言っていましたが、そもそもそんな非常識な発言をする人間が常識的な行動をするとは思えませんから、乗り込んで来次第皆で袋叩きにするつもりなんです。万が一見かけたら、すぐに私に教えて頂きたいのですが』と真顔で言われてしまって……」
そう言って何とも言えない表情をした玲子に、真澄が半ば呆然としながら確認を入れる。
「じゃあ……、勿論清人君もそれを聞いたのね」
「そうね。団地中で噂になったらしいし。流石に清香ちゃんの耳に入らない様に、周囲の方が気を配ったみたいだけど」
「……そう」
暗い表情で短く答え、俯いた真澄を見やりながら、玲子は再び溜め息を吐いた。
「その時、もう何て答えれば良いのか分からなくて困ったわ。取り敢えず『顔は存じてますが、取り敢えず今この場には見当たりませんね。気がついたらすぐお教えします』と誤魔化したら、平野さんは『宜しくお願いします』とあっさり引き下がってくれて、つつがなく葬儀も終わったけど」
「お祖父様、最低……」
真澄が思わず漏らした呟きに、玲子がしかめっ面で同意した。
「全くだわ。だからもし……、清人が気分を害しているのなら、それは真澄にでは無くてお義父様に対してだから、あなたは気にしなくて良いのよ?」
「分かったわ。ありがとう、お母様」
慰めてくれた母親に真澄が力無く微笑むと、玲子は気遣わしげな視線を向けてきた。
「ところで、真澄はどうするの?」
「どうするって……、何がですか?」
「この事について、お義父様に抗議する?」
それを聞いた真澄は、一瞬迷う素振りを見せながらも、小さく頭を振った。
「……別に、何もしないわ」
「あら、そうなの?」
意外そうに応じた玲子に、真澄が淡々とその理由を告げる。
「ええ。確かにお祖父様の暴言は非常識ですが、叔母様の急死で動転した結果ですし、清香ちゃんにキツい事を言われて、十分過ぎる罰は受けていますから。それに言ってしまった事を取り消すなんて、不可能ですし。加えて、謝れば良いと言うものではありませんが、あのお祖父様が清人君に頭を下げるとも思えません」
それを聞いた玲子は、多少憂鬱そうに話を終わらせた。
「……確かにね。本当に困った人だわ。真澄がそれなら構わないけど、私から一言だけ意見を言わせて貰うから。それじゃあお休みなさい」
「お休みなさい」
そうして玲子には薄く笑って就寝の挨拶を返した真澄だったが、独りきりになってから思わず涙を零した。
「絶対、怒ってるわよね。だから金輪際、うちとは係わり合いになりたく無くなったんだわ」
そして悔しさのあまり顔を歪める。
「お、お祖父様の馬鹿ぁ。人が亡くなったのよ? 余計な感情抜きで、その死を悼む事も出来ないわけ? 人として最低だわ」
玲子には特に抗議はしないとは言ったものの、真澄の中では総一郎に対する激しい怒りが渦巻いていた。
※※※
「あら? この番号って誰?」
香澄が急死してから二ヶ月ほど経過したある日、自室で寛いでいる時に鳴り響いた携帯を取り上げた真澄は、ディスプレイに表示された発信者番号に戸惑いつつ、通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「真澄さんですか? 今晩は、清香です。今大丈夫ですか?」
電話越しに聞こえてくる声に驚きつつ、真澄が問い掛ける。
「大丈夫だけど……、見覚えの無い番号なんだけど、誰の携帯からかけてるの? 清人君が携帯の番号を替えたのかしら?」
「あ、違うんです。色々物騒だし、何かあった時にすぐに連絡が付かないと困るからって、こっちに来てすぐに携帯を持たせてくれて。それからかけてます」
その説明に納得した真澄は、幾分気遣わしげな口調で尋ねた。
「そうだったの。……そう言えば、引っ越しの時にお手伝いに行けなくてごめんなさいね? 新しい学校には慣れた?」
「大丈夫です。引っ越しはそんなに荷物は無かったし、少しずつだけどお友達も出来たから」
「そう? それなら良いんだけど」
そこで清香が僅かに口調を変え、恐る恐る言い出した。
「あの、それでその……、今日真澄さんに電話したのは、ちょっとしたお願いがあって……」
「あら、何? 遠慮なく言ってみて?」
「それが……、その……。買い物に付き合って欲しいんです……」
「買い物? それは構わないけど、清人君はそんなに忙しいの?」
怪訝に思って問い掛けた真澄に対し、清香慌てて否定してきた。
「いっ、いえ、そうじゃなくて……。お兄ちゃんとは恥ずかしくて一緒に行けなくて……。でも、お兄ちゃんは平気で付いて来るかもしれないけど……」
もごもごと告げてくる清香に益々首を傾げながら、真澄は話の続きを促した。
「一体何を買いたいの?」
「それが、その……。お母さんと、中学に入ったらきちんとサイズを測って、もっと可愛い物を買おうって話をしていて……」
その話で漸く合点がいった真澄は、噴き出しそうになるのを堪えつつ話を続けた。
「ああ、なるほど。清香ちゃんは今、スポーツブラみたいな物を使ってるのね」
真澄がそう言うと、清香がホッとした様な口調で続けた。
「はい。買ったのも子供用の肌着売り場で。大人用の所は恥ずかしくて一人じゃ入れないし、こっちに来たばかりでそれほど親しい友達とかそのお母さんとかはまだいないし、お店も良く分からないし……」
途方に暮れた様な声を出した清香に、真澄は笑って請け負った。
「分かったわ、清香ちゃん。一緒にお買い物に行きましょう。今度の土曜日の午後は空いている?」
「はい、大丈夫です」
「それなら最寄り駅の前で待ち合わせしましょう。マンションまで迎えに行ったら『どこに行くんだ』って清人君に追及されそうだから、清香ちゃんが『友達と遊びに行く』とか言って抜けて来た方が、『下着を買いに行く』って言わなくても済むでしょう?」
さり気なく清人と顔を合わせなくても済むように誘導してみると、清香は感心したように同意してきた。
「なるほど。流石真澄さん。そうしますね?」
「じゃあ前日にでもまた改めて、その携帯に連絡を入れるわ」
「はい、お休みなさい、真澄さん」
「お休みなさい」
そうして明るく通話を終わらせてから、真澄はひとりごちる。
「清香ちゃん、中学に入ったばかりだものね。これから色々してあげたかった事があったわよね、叔母様……」
そうして暫く無言で自分の携帯を見下ろした真澄は、何かを振り払う様に軽く頭を振ってから、机に歩み寄って自分のノートパソコンを起動させた。
※※※
その週の土曜の午後、真澄は清香とマンションの最寄り駅前で合流した。
「清香ちゃん。お待たせ」
「まだ待ち合わせ時間前だし、私も今来た所ですよ?」
車から降りて駆け寄った真澄に、清香が小さく笑って返す。それに微笑み返してから、真澄は駅に隣接した複合ビルに向かって歩き出した。
「さてと。それじゃあ本当なら、清香ちゃんを連れてデパートやブランドショップをハシゴしながら見て回りたい所なんだけど」
「ああああのっ! いきなりそういうレベルもクオリティーも高い事は!」
「と言うのは冗談で、清香ちゃんが普段気軽に買い物に行ける所で、じっくり見ましょうか」
「お、お願いします」
(うん、やっぱり可愛いわね)
狼狽する清香に真澄は楽しそうに笑いかけ、冷や汗を流す清香を連れてビルのエスカレーターを上がって行った。そうして色々なテナントが入っているフロアを進み、一際華やかな一角に足を踏み入れる。
「ちょっと検索してみたけど、あのマンションから徒歩圏内だと、ここが結構商品が揃ってて、かつ購買層も学生・OL向けにかなり手広く展開している所だから良いと思うの。さあ、入るわよ」
「は、はい……」
気後れしながら真澄に手首を掴まれて清香が足を踏み入れると、真澄は周囲を見回しながら清香に問い掛けた。
「清香ちゃん、取り敢えずブラとショーツを何セットか買う事にして、キャミソールとかペティコートとかは?」
「え?」
「流石にまだビスチェとか、ガードルとかは要らないでしょうけど」
「な、何ですか? それ」
次々清香が聞き慣れない言葉を述べては、一人で「う~ん」と何やら悩んでいる真澄は、勝手にどんどん話を進めた。
「ブラもねぇ……、やっぱり最初はノンワイヤーのフルカップで、慣れたらハーフサイズやワイヤー入りとかを試してみれば良いわよね? あ、夏場はやっぱりシームレスの方が良いから、それも一つ位は買っておいても良いかも」
「え、えっと……」
「通販でも色々買えるけど、やっぱりちゃんと自分の体に合わせて買った方が良いわよ?」
「通販……、忘れてた……。その手があったんだ……」
ズズンと一人落ち込んだ清香には構わず、真澄はいつの間にか販売員からメジャーを受け取り、にっこりと微笑みつつ清香を試着室に押し込んだ。
「と言うことで、まず正確なサイズを測りましょう。試着室とこれをお借りしますね?」
「ぅひゃあぁっ! ま、真澄さんっ!?」
「はい、どうぞごゆっくり」
強引に靴を脱がされて、転がるように中に入った清香と悠然と入った真澄を販売員は温かく見守り、笑いを堪えた。そして試着室の中で、真澄が時間を無駄にせず仕事にかかる。
「ま、真澄さん、ちょっと待って! 心の準備がっ!!」
「ほら、さっさと脱ぐ! 往生際が悪いわよ、清香ちゃん! 一緒にお風呂に入った仲じゃない」
「だっ、だって! は、恥ずかしいですぅっ!」
「しょうがないわね。じゃあ私も裸になるから……。ほら、問題無いでしょう?」
「大有りですよ! 見事に凹凸がある真澄さんと比べると、私なんて平面に近いんですからぁぁぁっ!」
「あら、そんな事は無いでしょう? ほら、ちゃんと出てるし」
「ひ、ひゃあぁぁっ! ま、真澄さん! 胸を触らないで下さいっ!」
「触らないと測れ無いんだけど?」
「今、測って無かったし!」
「だって胸が無いなんて言うから、有るのを認識させてあげようと思ったのに」
「だからっていきなり掴む事はないじゃないですかぁぁっ!」
「ほらほら暴れないの。鏡を見て? こういう風にアンダーとトップで、メジャーを平行にして測ってね?」
「うぅ……、分かりましたけど!」
「じゃあ、私のサイズを測って練習してみてくれる?」
「ま、真澄さんって意外にいじめっ子ですね!? 私の出てなさっぷりを、再認識しちゃうじゃないですか!」
「あら、そんなつもりじゃ無いのに酷いわぁ」
半ば理性を吹っ飛ばした清香の羞恥の叫び声と、笑いを含んだ真澄のやり取りは、何にも遮られる事無く周囲に響き渡る。それを耳にした、ランジェリーショップの店員やそこに隣接した通路やテナントにいた客達が、思わず笑いを誘われていた事など、清香は夢にも思っていなかったのだった。
何とか下着一式を購入した後も、真澄は楽しげに清香を引きずり回し、二人で色々論争しながら服や小物を買い与え、その合間に喫茶スペースでケーキセットを食べて再びビルの外に出た。
「真澄さん、今日は付き合って貰ってありがとうございました。結局下着やその他諸々も、買って貰いましたし」
清香が手に提げた複数の紙袋を見下ろしながら恐縮気味に頭を下げると、真澄が鷹揚に頷く。
「良いのよ、引っ越し祝いとして受け取って? それで、あの類の店は、今日で何となく入りやすくなったでしょう? まだ買いに行きづらいなら、遠慮なく声をかけて貰って良いけど」
「ううん、大丈夫だと思うから、今度から一人で行きます。何か色々恥ずかしい事をしたり言ったりしちゃったから、何か平気になっちゃったかも」
僅かに頬を染めつつ清香が笑うと、真澄も笑いを誘われた。
「そう? また何か困った事があったら、いつでも電話を頂戴ね? どんな事でも相談に乗るから」
「はい、今日は本当にありがとうございました。ここで失礼します」
「ええ、さようなら」
そうして時折振り返りつつ帰って行く清香に手を振って見送り、その姿が見えなくなってから、真澄は笑みを消してバッグから携帯を取り出した。
「もしもし、柴崎さん? 終わったから迎えに来て貰える? …………ええ、駅前のカフェに居るわ。来たら見えるように、窓際に座っているから」
連絡を済ませた真澄は先程のビル一階に入っている、ガラス張りのコーヒーショップに入り、ブレンドを一つ頼んでから窓際のカウンター席に座ってぼんやりと外の往来を眺めた。
(今日みたいに笑ったのは叔母様達のお葬式以来かも……。清香ちゃんのおかげね。また慰めるつもりが逆になっちゃった……)
自嘲気味にそんな事を考えていると、隣の席に誰か座った気配を感じ、次いで聞き覚えのある声で囁かれる。
「…………ありがとうございました」
「え? ……っ!?」
反射的に横を見た真澄は、そこに清人が座っているのを見て固まった。そして自分と同じ様に目の前にトレーに乗せたカップを置き、カウンターに片肘を付いて真っ直ぐ外を眺めている清人に、恐る恐る問いを発する。
「……どうして、ここに?」
それに清人は外を眺めながら淡々と答えた。
「清香が……、妙にコソコソしているので、気になって後をつけたんです。まさか真澄さんと待ち合わせしてたとは思わなくて、驚きました」
「あの……、気に障ったらごめんなさい」
思わず謝って前に向き直ってカップに視線を落とすと、今度は清人が真澄の方に顔を向けて、不思議そうに問い掛けた。
「どうして真澄さんが謝るんですか?」
「だって、その……、お祖父様がろくでもない事を言ったみたいで、あまりうちとは係わり合いになりたく無いだろうと思って……」
とても清人と視線を合わせる勇気は無く、俯いたままそう告げた真澄に、清人は僅かに眉をしかめてから、いつもの口調で告げた。
「……別に、気にしてはいませんよ。本当の事ですし」
それを聞いた真澄が恐る恐る清人の方に顔を向けると、清人は静かに笑ってはいたが、どことなく寂しそうに見えてしまい胸が痛んだ。
(絶対、傷付いたわよね。親の葬儀をぶち壊す云々言われて……)
そして次に続ける言葉が見当たらずに真澄が黙り込むと、清人は再び外の方に向き直り、カウンターの上で手を組んで、独り言の様に話し出した。
「今日のあれこれは、離れた所から一通り見ていたんですが……、親父達が死んでから、初めてだったんです」
「……何が?」
「清香があんなに楽しそうに笑っていたのが、です」
「そう……」
何となく物悲しくなった真澄は清人と同じ様に外に向かって座り直し、黙ってコーヒーを飲んだ。そして清人も少しカップの中身を飲んでから、静かに口を開く。
「俺なりに色々考えてはいたんですが……、男兄弟だとやはり分からない所があるみたいですね。清香が恥ずかしいから、俺と一緒に下着を買いに行きたくないとか思う様に……」
それを聞いた真澄は、清香の台詞を思い出し、少し茶化す様に言ってみた。
「清人君だったら、下着売場だろうが何だろうが、構わず連れて歩くでしょうけどね。残念ながら、清香ちゃんは普通の感性の持ち主だし」
それを聞いて、清人が含み笑いで返す。
「酷いな……。さり気なく、俺を普通じゃないと言ってませんか?」
「あら、普通だと思っていたの?」
「やっぱり酷いな」
互いに外を見たまま、視線を合わせないで小さく笑ってから、清人が静かに真澄の名前を呼んだ。
「真澄さん……」
「何?」
きっと自分の方を見てはいないだろうと感じた真澄は、自分も真っ直ぐ前を見たまま応じた。すると幾分逡巡する気配を感じさせてから、清人が話を続ける。
「色々忙しいかもしれませんが……、清香が喜びますので、偶には顔を出して貰えますか? それで、清香の相談相手になってくれたら助かります」
それを聞いた真澄は、小さく苦笑いした。
「……言われなくてもそうさせて貰うわ。公表してないけど、清香ちゃんは私の可愛い従妹ですからね。勿論、出しゃばり過ぎて清人君の気に触らない程度にしておくから」
「ありがとうございます」
そこで会話が途切れ、二人並んで黙ってコーヒーを飲んでいるうちに、目の前の通りに見慣れた車が停まったのを見て、真澄が立ち上がった。
「それじゃあ迎えが来たから失礼するわね」
一応清人に声をかけ、トレーを持ち上げようとした真澄だったが、清人が素早くその手首を捕らえた。
「ああ、それは俺が戻しますから、このまま行って下さい」
「え? でも……」
「構わないですから」
トレーを掴んだまま真澄は戸惑った視線を向けたが、清人の顔に譲る気配が無いのを察して、静かにトレーから手を離した。
「じゃあお願いするわね。さようなら」
「ええ、気を付けて」
真澄がトレーから手を離すと同時に、清人も真澄の手首から手を離し、軽く頭を下げた。それを見てから真澄は踵を返し、外へ出て迎えの車へと歩み寄る。
その後部座席に乗り込んでから窓の外を眺めると、窓越しに清人がトレーを抱えて立ち上がるのが見えた。
(誘っては貰えなくなったけど……、締め出される事にはならなかったわね)
寂しさと安堵がない交ぜになった心境で、真澄は改めて自分自身に誓った。
(清香ちゃんが心配で、力になりたいのは本心からだし……、これから多少気まずい思いをしても頑張ろう)
そんな事があってから数日後、部屋で真澄が本を読んでいると、玲二がやって来て声をかけた。
「……姉貴、ちょっと良い?」
「どうかしたの? 玲二」
何気なく尋ね返した真澄に、玲二は僅かに言いよどみながら話し出した。
「その……、今年の夏、バカンス会でどこに行こうかなって。清香ちゃんを慰める為にも、派手に盛り上げようって皆と話してたんだけど……」
「そう、ね……。でも今年は色々忙しくて、無理かも……」
(二人きりじゃ無いとは言え、清人君と続けて何日も顔を合わせるなんて、精神的にきつそうだものね……)
真澄がそんな事を考えていると、玲二がいきなり真澄の両肩を掴んで訴えて来た。
「あのさ。姉貴、やっぱり一緒に行こう!」
「玲二?」
常には見せない真剣そのものの弟の表情に、真澄が驚いて目を見張ると、玲二が力強く言い募った。
「清香ちゃんも心配だけど、叔母さん達が亡くなってから、姉貴目に見えて元気ないし、ずっと暗い顔してるし。皆、心配してるんだぜ? 絶対気分転換するべきだから、今回は姉貴が行きたい所にしようって、清人さんも言ってたし!」
「……清人君が?」
思いも寄らない事を聞いて真澄が驚きながら尋ねると、玲二は頷いてから話を続けた。
「ああ。スポンサーは清人さんだから、今年はどうするか正彦さんが聞いてみたら、そう言ってたって。兄貴とかが姉貴の様子を清人さんに話したんじゃないかな?」
「そう……」
(この前会った時、私、そんなに酷い顔をしてたのかしら?)
そんな真澄の心中など分からないまま、玲二が話を続ける。
「だから、俺に姉貴を口説き落とせって、正彦さんから厳命が来たんだよ。言われなくてもそうするつもりだったけど」
「玲二……」
「なあ、姉貴。今年は絶対、一緒に行こう」
そこで再度強い視線で見下ろしてきた玲二から僅かに視線を逸らしつつ、真澄は一応了承の返事をした。
「……ひょっとしたら全日参加出来なくて、途中から参加したり、一足早く帰ったりする事になるかもしれないけど。それでも良いかしら?」
真澄がそう告げた途端、玲二は破顔一笑した。
「ああ、それでも良いって! 最近姉貴、休みの日も部屋に籠もって全然出て来ないから、出掛ける気になっただけでも十分だよ。それで、どこに行きたい?」
ニコニコと問い掛けてくる玲二に、真澄は思わず釣られて小さく笑いながら告げた。
「そうね……、夏ならやっぱり海かしら?」
「分かった。じゃあそう伝えておくから。後から休めそうな日にちを教えてくれるかな?」
「分かったわ」
そうして満足そうに玲二が部屋を出て行ってから、真澄は机の引き出しを開けて寄せ木細工の箱を取り出した。机に乗せたその箱を、蓋を開けないまま両手で押さえ、その上に自分の額を乗せて静かに自分に言い聞かせる。
(私以外の皆は、お祖父様のお通夜での暴言を知らなくて、これまで通りに清人君に接してるのね。それに清人君も黙って合わせてる……)
そこで真澄は、小さく溜め息を吐いた。
(正直、まだどんな態度で接すれば良いのか分からないけど……、これ以上周りの人を困らせたり心配をかけたくないから、取り敢えず清人君と清香ちゃんの前では何があっても笑顔でいよう。……守備範囲外で困るとは思うけど、少しだけ力を貸して下さい)
その箱の中が定位置となって久しい数多くの御守りと、最近仲間入りしたそれを包んでいる白いハンカチに向かって、真澄は密かに願いをかけたのだった。
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