すれ違う思惑~真澄、二十歳の初夏~

 昼休みに学食で昼食を食べ終えた真澄は、大抵いつも一緒に行動している面々と、講義棟に囲まれた中庭を横切ろうとした。そして連れ立って歩きながら何気なく掲示板が立ち並ぶ所に目をやると、見慣れた後ろ姿が目に入る。

(あ……、浩一と清人君、よね?)

 そこで真澄が無意識に足を止めると、裕子も足を止めて不思議そうな顔で振り返った。


「真澄、どうかしたの? 急に止まって」

「ちょっと知り合いが居たから、声をかけてくるわ」

 その時には何歩か先を行った面々も足を止め、真澄に視線を向けていた。

「知り合い?」

「ええ。今年入った弟と、その友達。構わないから先に行ってて」

 翠も不思議そうに問いかけたが、真澄は短く終わらせてその場を離れようとした。しかしそこで晃司が興味深そうに声をかける。


「……柏木、ちょっと待て。弟の友達って、ひょっとして新入生代表で挨拶した奴か?」

「そうよ。知ってたの?」

 意外そうに問い返した真澄に、何故か友人達は互いの顔を見合わせつつ、揃って苦笑いを堪えるような表情を見せた。


「まあ、名前だけはな……」

「へぇ、俺達にも紹介してくれよ」

「遭遇するのが案外早かったわね」

「良いけど?」

 揃いも揃って微妙な表情を見せる面々を不思議に思いながらも、真澄は一団を引き連れて清人達の元に歩み寄った。そして掲示板に貼られていた何かについて話し込んでいたらしい二人の肩を、勢い良く掴みながら声をかける。


「浩一! 清人君! 奇遇ね、こんな所で会うなんて」

 すると浩一が弾かれたように振り向き、次いで相手を真澄と認識して深い溜め息を吐いた。

「何だ姉さんか……、脅かさないで欲しいな」

「何だって何よ? それに何をビクビクしてるわけ?」

「いや、ちょっと……」

 弟の反応を訝しく思いながら眉を寄せると、横から清人が穏やかな笑顔で挨拶してきた。


「こんにちは、真澄さん。奇遇ですね」

「そうね。学部が同じでも学年が違うと講義棟も違うし。清人君、ここにはもう慣れた?」

「ええ、何とか。周りが騒々しくてかないませんが」

「周り?」

 苦笑いした清人が口にした内容に、一瞬何の事かと思った真澄だったが、清人が目線で促した木陰や講義棟入り口などから、こちらの様子を窺っている複数のグループの女生徒達の姿を認めて、真澄は納得して溜め息を吐いた。


「……ああ、なるほど。面倒をかけているみたいね」

「いえ、そんな事は……」

(私の時も、最初は酷かったっけ……。皆と仲良くなってからは、悉く粉砕して貰ったけど)

 そんな事をしみじみ思い返していると、真澄の背後から冷やかし半分の声がかけられた。


「そうだよな~。だってあの女どもの半数は、イケメンの首席入学野郎狙いだろうし」

「そうそう。最近女達が、揃って目の色変えててウザいんだよな」

「ただでさえ男の比率が高いんだからさ、独り占めしないでくれるかな?」

 ニヤニヤしながら一歩足を踏み出した男三人に清人が何か言い返す前に、彼らの斜め後方から容赦の無い台詞が飛び出す。


「あんた達、何言ってるのよ、情けない。お前みたいなガキに、女は一人たりとも渡さんとか言えないわけ?」

「別にここが三人のハーレムってわけじゃ無いんだし、言っても赤っ恥かくだけよ。それに彼がガキならこの連中はオジサンよ? 二十歳そこそこで年寄り認定はムゴいと思うわ」

「お前が一番容赦ないぞ、小宮山!」

「フリーなのは自分が一番分かってるからさ、傷を抉るなよ……」

「三宅も大概にしろよ。最近益々言葉がキツいぞ? ……やっぱり柏木の影響か?」

「何ですって!? もう一回言って見なさいよ?」

 突然言い合いを始めた真澄達を見て、浩一と清人は呆気に取られたが、控え目に清人が声をかけてみた。


「……真澄さん?」

 それで真澄は我に返り、慌てて両者を紹介した。

「あ、えっと、ごめんなさい、紹介するわね。この人達は全員私の同級生で、右から鹿角達也君、広瀬晃司君、桜場雅文君、小宮山翠さん、三宅裕子さんよ。皆、こっちが弟の浩一で、こっちが佐竹清人君」

 そう紹介された浩一と清人は、下級生であることから率先して頭を下げた。


「柏木浩一です。いつも姉がお世話になってます」

「佐竹です。……先輩方、宜しくお願いします」

 それに対し、笑顔での挨拶が返ってくる。

「いや、こちらこそ宜しく」

「色々関わりになる事も多そうだしな」

「へぇ、なるほどね……。噂は色々聞いてるよ」

 しかし清人を見る目つきに何か含む物を感じた真澄はそれを怪訝に思ったが、清人も同様に探るような視線を向けていたのに気が付いた。しかしそこで浩一が、冷静に移動を促す。


「清人、そろそろ行かないと午後の講義に遅れる」

「ああ、そうだな。……それでは失礼します」

 そして二人揃って礼儀正しく一礼して立ち去るのを見てから、真澄達も次の教室に向かって歩き出した。


「じゃあ俺達も行くか」

「そうね」

 そこで揃って歩き出したが、数歩も歩かないうちに幾分興奮気味に翠が言い出した。

「でも噂通り格好良かったよね~、首席の彼! 年下だけど狙ってみようかな~」

「え?」

「やだ翠、本気? 私やっぱり年下は……、何となく頼りないんじゃない?」

 真澄が反射的に顔を引き攣らせ、裕子が不満げに口を挟んだが、翠は堂々と言ってのけた。


「あら、年上だって使い物にならないのはならないわよ。無駄に年だけ食ってるより、甲斐性のある年下が良いに決まってるじゃない。違う?」

「まあ……、確かにそうかもね」

「それに彼、結構目つきが鋭くて、切れる感じだったし。なよなよしたお坊ちゃんタイプじゃ無かったでしょう?」

「確かにね。そう言えば……、彼の事をあの片平先輩が狙ってるって噂も有ったっけ」

 上機嫌に同意を求めた翠に対し、裕子が頷きながら耳にしていた内容を口にすると、男達から驚きの声が上がった。


「げ!? マジかよ?」

「あの頭も切れれば気位も高いって有名な、ミス東成大が?」

「彼女四年だろ?」

「あぁら、今時女の方が年上なんて、珍しく無いでしょ?」

「そうよねぇ。やっぱり声をかけてみようっと。その時は協力してね? 真澄」

「え? え、えっと……、何を?」

 殆ど話に付いていけず、呆然としていた所に急に話を振られた為真澄は当惑したが、翠は気を悪くしたりせずに笑って再度協力を要請した。


「嫌だ、聞いて無かったの? 折を見て佐竹君を口説いてみるから、その時は真澄が呼び出す位してねって言ったの。知り合いなんだから良いでしょう?」

「口説くって……」

(え? ちょっと待って……)

 内心プチパニック状態で次の言葉が出なかった真澄だが、翠がそれを訝しく思う間もなく、そこで鋭い声が割り込んだ。


「おい、ちょっと待て小宮山!」

「何よ? 今真澄と話してるんだから、邪魔しないでくれる?」

「いやっ、しかしだな!」

 尚も言い募ろうとして、顔を赤くしたり青くしたりしながら虚しく口を開閉させている達也を見て、翠は気分を害したように睨み付けた。


「何なの? 言いたい事があるならはっきり言いなさいよ」

「…………いや、何でもない」

 達也がそう呟いた瞬間、そのやり取りを黙って眺めていた晃司、雅文、裕子の三人は、揃って目を逸らして疲れたような溜め息を吐いた。そんな反応など気が付かなかったらしい翠は、マイペースで真澄の腕を軽く引きつつ、他の面々にも移動を促す。


「変なの。……ほら、急ぎましょう。次の講義に遅れそうよ?」

 そこで清人に関しての話題は終わったが、上機嫌に横を歩く翠をチラチラと眺めつつ、真澄は自問自答した。

(清人君が人気があるって事は叔母様とか清香ちゃんから聞いて知ってはいたけど……、これまであまり実感して無かったわね)

 そして、誰にも気付かれないように、小さく溜め息を吐き出す。


(清人君は優しいけど……、他の人に対してもそうだと思うし。もし翠と清人君が付き合う事になったりしたら、私、それ以降も翠と変わらず友人付き合いができるのかしら?)

 そんな事態を考えてみた真澄は、自分が意外に心が狭い人間らしいと、密かに自己嫌悪に陥ったのだった。



 ※※※



 何日か前にキャンパス内に広がっていたある噂を耳にしたせいで、その日真澄はモヤモヤした気持ちを抱えつつ叔母の家を訪ねた。

「真澄お姉ちゃん、いらっしゃい!」

「こんにちは、清香ちゃん。ケーキを持って来たから、皆で一緒に食べましょうね?」

「うん、やったぁ!」

 そこで室内に清香しか存在していなかった為、真澄は不思議に思って尋ねてみた。


「あら? 今、清香ちゃんだけ?」

「うん、お留守番中なの。お父さんはお店に行ってて暫く戻らないけど、お兄ちゃんとお母さんはタイムセールが終わったらすぐ帰るから。真澄お姉ちゃんに待ってて貰ってって言ってた」

「分かったわ」

 ハキハキとした受け答えに感心していると、受け取ったケーキの箱を冷蔵庫にしまいながら、清香が尋ねてくる。

「真澄お姉ちゃん、麦茶で良い? 入れてあげる」

「あら、ありがとう。嬉しいわ」

「じゃあ向こうで待っててね!」

「ええ」

 邪魔をしないように和室に移動した真澄は、台所で動き回っている清香を微笑ましく思いながら眺めた。


(清香ちゃんも小学生になったら、随分しっかりしてきたわね)

 そして何気なく室内を見回すと、整理箪笥の上に見覚えのある物を発見し、無意識に歩み寄ってそれに手を伸ばした。


(これって……、清人君のパスケースよね。まだ大事に使ってくれているみたい)

 以前自分で選んだ物であるから見間違え様が無く、使い込んでいる雰囲気はあっても目立った傷や汚れも無いそれに嬉しくなって思わず持ち上げてみると、二つ折りの形状のそれが開き、内側に差し込まれている物が目に入った。

(……え?)

 透明な硬化フィルムの下に有ったのは香澄と清人のツーショット写真であり、真澄の思考回路は完全に停止した。そのまま固まっていたが、背後から清香の声がして、慌てて元のように閉じる。


「真澄お姉ちゃん、お待たせ! 麦茶を持ってきたの」

「え、ええ、ありがとう」

 何とか笑顔を浮かべながら卓袱台に座り、清香と麦茶を飲み始めた真澄だったが、頭の中は先程目にした物の事で一杯だった。

(どうして……、叔母様と清人君、二人の写真……)

 上の空で清香と幾つかの会話を交わしてから、真澄は慎重に清香に尋ねてみた。


「……ねえ、清香ちゃん。ちょっと聞いても良い?」

「なあに?」

「清人君と叔母様って……、仲が良いわよね」

「うん、仲が良いね」

「叔母様の言う事や頼み事を、何でも聞いてるわよね?」

「うぅ~ん、時々怒ったりもしてるけどね」

「……それはそうでしょうね」

 冷静に語った清香に真澄が思わず遠い目をすると、清香が不思議そうに尋ね返してきた。


「真澄お姉ちゃん、それがどうかしたの?」

 それに僅かに口ごもりながら、真澄が話を続ける。

「その……、ちょっと不思議に思ってて。清人君と清香ちゃんはお母さんが違うのに、下手したら本当の親子より仲が良いから、どうしてかな、と……」

 しかしその問い掛けに、清香はあっけらかんと答えた。


「理由は知ってるよ? それはね、お兄ちゃんの初恋の人がお母さんだからなの」

「え?」

 ピクリと頬を引き攣らせた真澄の反応を見て、清香は自分の失言を悟った。

「あ、言っちゃった……。お兄ちゃんに、他の人には秘密って言われてたんだっけ。内緒にしててね? 真澄お姉ちゃん」

 困った様に首を傾げて懇願してくる清香に、内心激しく動揺しつつも真澄は平静を装って質問を続けた。


「それは構わないけど……。清人君が何て言ってたの?」

「あのね? 『清香の初恋の人はお兄ちゃん』って言った時、『教えてあげたからお兄ちゃんの初恋の人も教えて?』って聞いてみたらお母さんだって。だからお母さんの言う事には、反対しにくいんだって」

「……そうなの」

 それ以上真澄は何も言わず、「でも、結構怒ってる気がするけどな~」とか言いながら麦茶を飲む清香を見詰めていたが、ここで玄関の方から明るい声が響いてきた。


「ただいま~、今日は大漁だったわよ?」

「香澄さんは欲張り過ぎですよ……。人を特売コーナーに何度も突撃させないで下さい」

「えぇ~? だって私じゃ十キロ米袋は無理だもの」

「米は構いませんが、『一人1パック限定の卵を二つずつ取っても、清人君の魅力でレジのおばさんを誑し込めば、二人で4パックだって見逃して貰えるわ』なんて無茶言わないで下さい!」

「試してみるだけの価値は有るのに~」

「却下します。油や醤油やトイレットペーパーもきちんと確保出来たんですから、文句を言わないで下さい」

「はぁ~い」

 テーブル上に戦利品を並べつつ、和気あいあいと会話している二人を眺めながら、真澄は胸の痛みを覚えた。

(仲が良いわよね、やっぱり……)

 そしてどこか暗い感情が胸中に広がっていた真澄に、清人が明るい笑顔を向ける。


「いらっしゃい、真澄さん。すみません、留守にしていて」

 そう言われて、真澄は慌てて笑顔を取り繕った。

「大丈夫よ。清香ちゃんにお茶を出して貰っていたし。もう留守番ができる上、ちゃんとおもてなしできるなんて凄いわね」

「ありがとうございます。偉いぞ、清香」

「うんっ! あのね、ケーキ貰ったから冷蔵庫に入れておいたよ?」

「そうか。じゃあ早速頂こうか。皿とフォークを出してくれ」

「分かった!」

 これまたニコニコと笑顔を交わしつつ台所を動く兄妹を見て、真澄は密かに溜め息を吐いた。


(凄く嬉しそう……。相変わらずのシスコンブラコンだわ)

 そんな様々な感情を真澄が持て余しているうちに、卓袱台の上に人数分のケーキとお茶が並び、皆で揃って食べ始めた。そして話し始めて早々に、香澄が真澄に話し掛ける。


「そう言えば真澄ちゃん、大学内で清人君と会う事とかあるの?」

「ごく偶にですね。同学年ってわけじゃありませんから。でも噂は結構耳にしますよ?」

 先程の衝撃で一時的に忘れてしまっていたものの、ここに来るまで思い出す度にムカついていた事柄を思い出し、真澄は思わず多少棘のある口調で答えたが、それに気づかなかったらしい香澄が興味深そうに続きを促した。

「へぇ? どんな噂?」

「主に女性関係です」

「は?」

「真澄さん! 一体何を!?」

 香澄が驚いた様に軽く目を見開き、清人は明らかに狼狽した素振りを見せたが、真澄は構わずに話を続けた。


「あら? だって、入学以来二桁の女子に告白されて、全て断った挙げ句、ミス東成大の片平彩乃さんと付き合ってるって聞いたんだけど、違うの?」

「……清人君、本当なの?」

 途端に香澄に白い目で睨み付けられた清人は、如何にも居心地悪そうに弁解を始めた。


「確かにそうですが……、これには色々と事情があって。それにもう彼女とは、別れたと言うか振られましたし」

「事情って何?」

「振られたってどうして?」

「お兄ちゃんが振られたの?」

 女三人から疑惑と驚愕が混ざった視線で凝視された清人は、深々と溜め息を吐いた。


「その……、誰とも付き合う気は無かったので片っ端から断り倒していたら、彼女達を好きらしい連中から『彼女のどこが不満なんだ、ふざけるな!』と難癖やいちゃもんを付けられて……」

「好きな彼女がアタックして振られた男に難癖つける位なら、さっさと自分で告りなさいよ! 馬鹿じゃないの? その連中」

「激しく同感です、叔母様」

「八つ当たりだよね~」

 容赦無い三人の反応に、清人が疲れた様に話を続ける。


「加えてその片平さんが、自分以外に俺に言い寄る女の子達を目障りだと、陰に日向に嫌がらせして排除しまくってたらしく……」

「ちょっと待って。じゃあ他の女の子に被害が広がらないように、その女と付き合って満足させる事にしたの? そんな性格ブスなんて、清人君の彼女だなんて断じて認めないわよっ!」

「叔母様、落ち着いて下さい」

「清香もそんなお姉ちゃん嫌!」

 反射的に香澄が喚いて清香が声を揃えると、清人が苦笑いしながら宥める。


「だから安心して下さい。もうきっぱりさっぱり別れましたから」

「どうして? さっきは振られたとか言ってだけど、何をしたの?」

 どうしても納得出来なかった真澄が尚も尋ねると、清人は視線を逸らしながらボソボソと言い出した。


「デートの約束をキャンセルしただけです」

「それだけ? また日を改めれば良いだけの話じゃない」

「その理由を聞かれた時、『妹が急に熱を出して寝込んだから、急いで家に帰って消化の良い物を作ってやらないといけない』と正直に話したら、怒り出したんです」

「はぁ? それってひょっとして先週のあれの事?」

 話の内容に真澄は面食らったが、思い当たる節のあったらしい香澄は、清人に確認を入れた。すると清人が頷いてから説明を続ける。

「ええ。そうしたら彼女が『私と妹さんと、どっちが大事なのよ!?』とか聞いて来たので、『妹です』と即答したら『馬鹿にするのもいい加減にして!』と色々罵倒されてそれきりです」

 淡々と事情を語り終えた清人に、真澄は控えめに指摘してみた。


「あの……、清香ちゃんのご飯位、叔母様が作れば良いんじゃ」

 その途端、真澄の顔を見据えながら、清人が盛大に反論してきた。

「真澄さん! 健康な時ならいざ知らず、弱ってる子供に香澄さんの料理を食べさせたら、治るものも治りません! 下手したら命に関わります!」

「否定はしないけど、酷い言われようね……」

「あっ、あのね? お母さんのお料理は、ちょっと特殊でねっ……」

 憮然とした香澄と狼狽した清香が何か言っているのは分かったが、真澄は敢えて無視して質問を重ねた。


「それこそ叔父様に作って貰えば、何も問題は」

「あいにく親父は、その日は日中友人に会いに出掛けてまして、そのまま夕方店に出て店を貸切りする客用の料理の準備に忙しかったので、帰宅して食事を作る余裕が無かったんです」

「……状況は良く分かったわ」

 真顔で言い切った清人に、真澄は思わず額を押さえて呻いた。その横で香澄が憤然としながら、清人に対して文句を口にする。


「全くもう。変な女に引っかかったりしないでよね。それに、そんな事を平然と口にしないでよ」

 それに対し、清人は柔らかく微笑みながら香澄を宥めた。

「大丈夫です。片平さんと別れてからは『あの片平さんでも駄目だったなんて』って尻込みする人が増えたのか、言い寄って来る人数は各段に減りましたし」

「そういう心配じゃなくてね……」

 そう言って清人と真澄を交互に眺めた香澄は、「はぁ……」と溜め息を吐いてからゆっくりと立ち上がった。


「お茶を入れ直して来るわ」

 そう言って香澄が台所に姿を消したのにも気が付かないまま、真澄は無言で考え込んでいた。

(何だ……、好き好んで誰かと付き合うつもりは無かったし、片平さんともあっさり別れてしまったわけね。そうよね、叔母様が好きなら片平さんはタイプが違うもの)

 ホッとしながらも再び苛々する感情を持て余し始めた真澄は、それを打ち消す様にわざと明るく清人に話し掛けた。


「災難だったわね、清人君の清香ちゃん至上主義は今に始まった事じゃないのに。片平先輩は、ちょっと大人気ないと思うわ」

 それを聞いた清人は、僅かに探るような視線を向けた。

「真澄さんは……、今の俺の話を聞いても、何とも思わないんですか?」

「何ともって……、だから面倒な人に好かれて災難だったわねって、言ったけど?」

 真澄は素直に答えたつもりだったのだが、清人は控え目に尚も食い下がった。


「その……、他には……」

「えっと……、中学高校時代から、凄いモテていた話を叔母様や清香ちゃんから聞いていたけど、大学で目の当たりにして本当だなぁって実感したけど……」

 考え込みながら正直に述べた真澄の台詞を聞いて、清人はやや落胆した様子で頷いた。

「分かりました。それに関してはもう良いです」

「そう?」

「それから……、この前お会いした同級生の方ですけど……」

 唐突に話題を変えられ、真澄は一応確認を入れた。


「翠達の事?」

「ええ。仲が良さそうですね?」

「そうね、入学以来の付き合いだし。皆気の良い人ばかりよ?」

「そうですか……」

 笑顔で告げると清人は曖昧に頷きながら話を終わらせ、その場に一瞬微妙な沈黙が漂った。

 勿論それは好奇心旺盛な清香の質問と、お茶を淹れて戻った香澄によってすぐに粉砕されたのだが、それ以降パスケースの中の写真の事が、真澄の頭の中から消える事は無かったのだった。


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