見果てぬ夢~真澄、三十一歳の春~

 寒さもかなり和らいだ三月某日。真澄は有休を取って清香の高校の卒業式に出席した。

 体育館での式典は滞りなく終了し、一度教室に戻った清香を待つ為、真澄は他の保護者達と同様に、昇降口から校門へと続く道に佇む。そこで横に立っていた清人が、静かに声をかけてきた。


「今日は天気が良くて助かりましたね」

「本当ね。先週までは結構冷え込む事が多かったし。今日は何を着ようかと、少し迷っていたのよ」

「真澄さんなら、何を着てもお似合いですよ?」

「……ありがとう」

 笑顔でサラッと言われた台詞に、真澄は(年々、女あしらいが上手くなってるみたいね)と複雑な心境で笑顔で礼を述べた。そこで何気なく周囲を見回していた清人がある一点で目を止め、思わずといった感じで呟く。


「……ああ、やっぱりいらしていましたね」

「え? 誰の事?」

 清人が無言で指差した方向に目を向けた真澄は、そこに見知った、しかし常とは異なる出で立ちの人物の姿を認め、無言でうなだれた。


(お祖父様。変装するにしても、お願いですから茶髪は止めて下さい。若作りなんか全然似合いませんし、それ以前の問題です! 挙動不審で不審者一歩手前ですが、学校関係者に捕まっても身元引受人になってあげませんからね? 勿論清香ちゃんだって、身内だとは知らないんだから無理でしょうし!)

 人波に紛れてコソコソ隠れている総一郎に対して、真澄は呆れと同時に苛立たしさを覚えた。

(もしお祖父様が叔父様と清人君の事をすぐに認めていたら、今頃清人君とはもう少し、違った関係になれていたかしら?)

 そんな事を考えながら清人に目を向けると、清人が不思議そうに見返してくる。


「どうかしましたか?」

 その問い掛けを、真澄は苦笑いつつ誤魔化した。

「いい加減、罵倒されるのを覚悟で告白すれば良いものを、と思っただけよ」

「ご老人にはちょっと酷かもしれませんね。年を取ると、心に柔軟性が無くなるみたいですから。清香に罵倒されて、傷付くのが怖いんでしょう」

 そこで妙にしみじみとした口調で評した清人を、真澄は意外そうな物を見る目つきで眺めた。


「何? その分かったような物の言い方?」

「……別に深い意味はありません。一般論です」

 何故か僅かに視線を逸らした清人を、真澄が怪訝な表情で見やる。

「そう? 意外だわ。お祖父に対して、もう少し厳しい見方をしているかと思っていたから」

「正直な所……、仲良くしてくれと言われても、どうすれば良いか分からないので困りますが、清香と真澄さんのお祖父さんに、そんなに悪感情を持てませんよ」

「……一応、お礼を言っておくべきなのかしら?」

 苦笑しながら延べた清人に真澄が微妙な表情で返すと、清人が笑みを深くした。

「真澄さんが気にする事ではありません」

「そう……」

 そこで一旦会話が途切れてから、控え目に清人が言い出した。


「その……、真澄さん」

「何?」

「浩一から聞きました。四月から課長に昇進されるそうですね。おめでとうございます。三十そこそこで、しかもその年齢で女性が課長就任というのも、柏木産業内では前例が無いとか。さすがですね」

「ありがとう」

 しかしさほど嬉しそうでは無く、俯き加減で礼を述べた真澄に、清人は些か心配そうに言葉を継いだ。


「真澄さん? 俺は何か気に障る事でも言いましたか?」

「別に……、大した事じゃないわ」

「そうですか」

 そして昇降口の方に視線を戻した清人は、真澄を見ないまま話を続けた。

「一部で色々言う輩は居るでしょうが、気にする事は無いですよ。出る杭は打たれるものですし、やっかんでる連中程、ろくでもない人間だと相場が決まっています。実績を出せば自然に大人しくなりますから」

「ありがとう。そうするわ」

 淡々と告げられた内容を聞いた真澄は、それに対して素直に礼を述べてから、清香を口実にした本音を漏らした。


「ただ……、これから職責が重くなる分、時間も融通が利かなくなりそうだから、清香ちゃんと顔を合わせる機会が少なくなりそうで少し残念だわ」

「……そうですね。清香が寂しがりそうです」

 若干寂しそうに清人が応じたが、真澄は(清香ちゃんが、ね……)と溜め息を吐きたいのを堪えつつ薄く笑った。そこで明るい声がかけられる。

「お兄ちゃん、真澄さん、お待たせ!」

 その声に二人が視線を向けると、人垣の中から手に荷物を提げた清香が、走り寄ってくる所だった。


「ああ、清香。終わったのか?」

「うん、皆と記念写真も撮ってきたから」

「それなら帰るぞ。真澄さんに予め聞いたら今日は予定が無いらしいから、一緒に昼食を食べてから帰る事にしてたんだ。近くに車を停めてあるから行こうか」

 そう告げた清人が二人を身振りで促して歩き始めると、清香がそれに従いながら目を輝かせた。


「本当? 嬉しい! 真澄さん、今日は来てくれてありがとうございます。……でも、お仕事は大丈夫でしたか?」

 満面の笑みで礼を述べた次の瞬間、気遣わしげな台詞を口にした清香に、真澄は小さく笑って頷いた。

「清香ちゃんの晴れ姿を見たくて来ているんだから、気にしないで? そうだ、写真屋さんで記念写真は撮るでしょうけど、せっかくだからあの門の所で、二人並んでいる所を撮ってあげましょうか?」

「そうだな。お願いしようか? 清香」

 機嫌良く清人が応じたが、そこで清香が予想外の事を言い出す。

「それも良いけど……、私、真澄さんとも一緒に撮りたいなぁ……」

「私と?」

 まるで「駄目?」と問い掛ける様に小首を傾げて見上げられた真澄は当惑したが、清香は真顔で頷いた。


「だって真澄さんは家族じゃないけど、家族みたいなものだもの」

「嬉しいわ。ありがとう、清香ちゃん」

 思わず胸の内が温かくなった真澄が礼を述べると、清香が真顔のまま続けた。

「さっきもね、皆と話してたの。真澄さんは気が付いてないかもしれないけど、美人だし、背が高くてスタイルも良いし、周りから注目浴びてるのよ? それで『あんな美男美女のお兄さん夫婦に来て貰えるなんて、清香ちゃんが羨ましい。うちのしょぼくれた親達とは大違いだわ』って、皆から羨ましがられちゃった」

 最後は悪戯っぽく笑って小さく舌を出した清香に、さすがに真澄は狼狽した。


「あの……、清香ちゃん、お兄さん夫婦って……」

「清香! まさかきちんと説明して否定しなかったのか? 周囲に誤解させたままでは駄目だろうが!」

 僅かに顔色を変えて清人が窘めたが、清香は不満そうに口を尖らせる。

「ええ~? だって、中学の卒業式の時に真澄さんの事『普段から親しくしている知り合いのお姉さん』だって説明したら、『それ有り得ないから。絶対お兄さん狙いだから、気を付けないと駄目だよ、佐竹さん』って親切ごかして、真澄さんにとってかなり失礼な事を色々言われたし。勿論その子とはその場で絶交して、卒業以降は会ってないけどね!」

「清香……」

 憤然としながら言い切った清香に清人は額を押さえ、真澄は申し訳ない気持ちで一杯になった。


「あの……、ごめんなさい。やっぱり周りから変に思われてたのね? 清香ちゃんが嫌な思いをしていたのなら、申し訳無かったわ」

(そうよね。従姉妹同士だと明らかにしているならともかく、見ず知らずの他人が何かにつけて押し掛けるなんて、端から見たら相当不審に思われて当然よね……)

 そんな事を考えて一人落ち込んだ真澄だったが、清香は大きく首を振って、力一杯否定した。


「ううん、全然嫌な思いなんてしてないから! 血が繋がって無くたって、真澄さんは私にとってお姉ちゃんみたいな物なんだから。それを理解しない方が悪いのよ」

「ありがとう、清香ちゃん」

 断言した清香に真澄が微笑むと、清香は楽しそうに言ってのけた。

「それでね? 今日は皆から口々に二人がお似合いだねって言われて、どうせなら真澄さん位美人で頭が良くて優しい人とお兄ちゃんが結婚してくれたら良いなあって思ったから、ついつい否定しなかったの」

「しなかったのって、お前な」

 ここで呆れ気味に口を挟んだ清人だったが、清香が些か目つきを鋭くしながら突っ込みを入れた。


「何? お兄ちゃんは真澄さんみたいな人と結婚したくないわけ?」

「……そんな事は言っていないだろうが」

 憮然として言い返した清人から、清香は真澄に視線を移した。

「真澄さんは、お兄ちゃんみたいなタイプって、結婚相手にはならない?」

「……そういう事は無いけど」

 咄嗟にどう返せば良いか分からないまま、真澄が微妙な表情で返すと、清香は何事も無かった様に一人で納得して頷いた。


「それなら別に良いでしょ? これから会えなくなる人も多いし、蒸し返す人もいないわよ」

「そんないい加減な……」

「あ、ここで写真撮ろう、お兄ちゃん!」

「清香……」

 ちょうど校門に辿り着いた清香が、嬉々として立てかけられた卒業式である旨を掲示してある看板を指差しながら清人に声をかけ、そんな妹のマイペースぶりに清人は深い溜め息を吐いた。それを見た真澄が、思わず小さく笑う。その気配を察したのか、清人が真澄にチラリと目を向け、目元を緩めながら苦笑した。


「じゃあレディーファーストと言う事で。真澄さん、清香と一緒に立って下さい。俺が撮りますから。清香、カメラを持ってるんだろう? 撮ってやるからちょっと貸せ」

「は~い」

 校門でそんなやりとりをしていると、横から唐突に声がかけられた。

「あれ? 清香、朝に写真を撮って無かったの?」

「あ、裕美、そうなの。ここで撮ったら帰るつもり」

 両親らしき人物達と一緒に出てきた清香のクラスメートは、清香達の様子を見て笑顔で申し出た。


「清香はお兄さん達と一緒に撮るんだよね? せっかくだから三人一緒に撮ってあげるよ? 二人ずつだと味気ないでしょ」

「あ、本当? お願い!」

「任せて。じゃあお兄さん。お姉さんと並んで下さい。清香はその前ね」

「うん、宜しくね!」

「おい、清香……」

 そうして清香は半ば兄からカメラを取り上げるようにしてから級友に渡し、有無を言わせず清人と真澄と一緒に撮って貰った。そして画像を確認して、改めて礼を述べる。


「ありがとう裕美。綺麗に撮れてるわ」

「良かった。それじゃあね」

 そして友人を見送った清香が、手の中のデジカメの画像を清人と真澄に向けて差し出した。

「ほら、綺麗に撮れたでしょ? やっぱり三人一緒の方が良いよね? 真澄さんにも後から写真を渡しますね?」

「ああ、そうだな」

「ありがとう。楽しみにしてるわ」

 上機嫌で歩き出した清香に、清人と真澄は互いに苦笑いしてから車が停めてある場所に向かって歩きだした。そして清人と清香が春休み中の事について話すのを小耳に挟みながら、真澄は密かに先程の画像について考える。


(何か、本当に親子の写真みたいだったわ……。結婚して子供が産まれたら、あんな風に一緒に写るようになるのよね)

 そんな事を感慨深く考えてから、真澄は思わず苦笑いを零した。

(まあ、その時の相手は、お互いに違う人間でしょうけど)

 そして前を歩く二人を見ながら、小さく溜め息を吐き出す。

(仕事で忙しくなる前に、清人君が結婚とかしたら、寄り付くわけにいかないわよね? 清香ちゃんも大きくなったし、そろそろ潮時かしら?)

 しみじみとそんな事を考えていると、清香が声をかけてきた。


「真澄さん? 黙りこんでどうかしたんですか?」

 目を向けると清人も立ち止まって真澄の様子を窺っており、真澄は慌てて手を振りながら弁解した。

「大した事ではないのよ? 実はまだ清香ちゃんの卒業祝い兼入学祝いを決めかねていた事を思い出して。もうちょっと待っててね」

「はい、ありがとうございます。うわぁ、楽しみ!」

「いつもありがとうございます」

 笑顔で頭を下げてきた清人に、真澄が笑って応じる。


「気にしないで。『今回は誕生祝いじゃないんだから、一つに絞らなくっても良いよな?』って、皆が張り切っているのよ。勿論物がダブらないように、誰が何を渡すつもりなのか、私が意見集約しているから安心して?」

「あいつら……、揃いも揃って。中学卒業の時に文句を言ったのに、綺麗さっぱり忘れたふりをしてやがるな?」

「ふふっ、皆、相変わらずなんだね?」

 忌々しげに吐き出した清人だったが、清香のクスクス笑いに毒気を抜かれ、その表情が苦笑いに変わる。そして同様の表情を浮かべている真澄と、目と目を見交わして小さく笑ったのだった。


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