弟達の改心と和解~真澄、十六歳の夏~

 清人に見事に返り討ちされた従弟達に容赦無く鉄拳制裁を加えた真澄は、香澄達への別れの挨拶もそこそこに、皆を引きずるようにして車へと戻った。

 車内で待機していた専属運転手の柴崎は、酷い有り様の友之と正彦を見て顔色を変えたが、真澄は全員を追い立てて車に乗せ、直ちに発車の指示を出す。それに素直に従った柴崎によってリムジンが静かに動き出すと同時に、車内で真澄の怒声が轟いた。


「もう、信じられない! 『仲良くして来い』って言われて、喧嘩ふっかける馬鹿がどこの世界に居るのよっ!」

「………………」

 怒りまくっている真澄に反論する気は起きず、俯いて黙り込む少年四人。


「おまけに三人掛かりで叩きのめす筈が、返り討ちされて手も足も出なかったなんて、あんた達それでも男なの? 恥を知りなさいっ!」

「じゃあ……、きちんとボコボコにすれば良かったの?」

 思わず、と言った感じで修がボソッと口を挟んだ途端、特大の真澄の雷が落ちた。


「そんなわけ無いでしょう! 情けなさ過ぎるって言っているだけ! 一々、人の台詞の揚げ足を取るんじゃないわよっ!!」

「………………」

 自分達の行動が誉められた物では無いと自覚していた面々は、下手な弁解はせず神妙に真澄の怒りが静まるのを待ったが、真澄は憤懣やるかたない表情で叱責を続けた。


「喧嘩をふっかけた三人が一番悪いけど、一番情けないのは浩一、あんたよっ!」

「…………」

 向かい側の座席から自分の横に座っている弟に視線を向けた真澄は、益々強い口調で非難した。


「目の前で難癖付けて喧嘩ふっかけようとしてるのを見たら、言い聞かせて止めさせるのが筋でしょう? それが出来ないなら出来ないなりに、傍観してないで従弟達を身体張って庇いなさいよ! 三人とも、あんたより年下なのよ? 自分一人無傷で、恥ずかしく無いわけ?」

「…………」

「あの、真澄さん、それ位で……」

「悪いのは俺達だし……」

 未だ俯き加減で黙っている浩一を気遣い、ここで友之と正彦が控え目に口を挟んだが、それが却って真澄の怒りを増幅させる。


「逆に庇われてどうするの! 浩一! あんた将来、柏木を背負って立つ気概は無いの!? そんな事だから『柏木の将来が心配だ』とか『姉と性格が入れ替われば丁度良いのに』とか、ろくでもない親戚連中に言いたい放題言われるのよっ!!」

「………………」

 基本的に弟思いの真澄が普段間違っても口にしない事を勢いに任せて絶叫すると、車内は不気味な程静まり返った。一瞬遅れて真澄も失言を悟ったが、今更訂正する事もできず口を閉ざす。それから少しの間気まずい沈黙が漂ったが、大方の予想に反してそれを破ったのは浩一だった。


「うん……、良く分かってるよ。僕が一番不甲斐ないって事は」

「……分かっているなら良いのよ」

 静かに言い出した弟に、真澄は幾分後ろめたい気分で応じたが、浩一の話は続いた。


「清人君は僕と同い年なのに、考え方も行動力も生活力も、僕とは比べ物にならないし。実際接した時間は短いけど、彼とのやり取りで実感させられた。凄く反省してる」

「そう……、それなら私も、これ以上何も言わないわ」

「だから、僕は清人君と友達になりたいんだ。姉さん、どうすれば良いと思う?」

「はあ?」

 いきなり言われた内容に真澄は間抜けな声を上げたが、浩一は大真面目だった。


「僕、清人君みたいに強い人間になりたいんだ。だから彼を見習う為にも、仲良くして人となりを良く知りたいんだけど、そんなに変かな?」

「変かなって……、だって散々怒らせた後よ? その直後に『仲良くしたい』だなんて、どういう神経をしてるんだって思われるわ。まともに相手にして貰えないわよ?」

「僕もそう思う。だからまず、ちゃんと謝罪しないと」

「謝罪しないとって……、浩一……」

 これまで自ら率先して行動する事が殆ど無かった浩一が、変に気負う事なく冷静に考え込んでいるのを見て、いきなり何を言い出すのかと真澄は呆気に取られた。そして向かい側の座席に座っている従弟達も、程度の差こそあれそんな従兄の変化を、驚きの表情で眺めやったのだった。



 ※※※



 佐竹家への訪問から半月程経過したある日、いつも通り朝食を済ませた真澄、浩一、玲二が、食堂を出て鞄を手に取り、玄関へと向かって歩き出した。

 三人はそれぞれ私立の名門校に自家用車での通学をしており、帰りはバラバラの時間帯になる為個別に送迎されるものの、朝は三人同乗して各自の学校を巡る事になっていたのだった。


「それではお母様、行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」

 玄関で真澄が母に挨拶をする横で、浩一が思い出した様に側に控えていた住み込みの家政婦に声をかける。

「あ、永島さん。渡すのを忘れたので、後から僕の机の葉書を出しておいて貰えますか?」

「はい、いつもの物ですね? 午前中に出しておきます」

「宜しく」

 笑顔でそんなやり取りをしてから浩一は真澄の後に付いて歩き出し、車寄せで待機していた車に乗り込んだ。そして走り出した車内で、真澄が何となく先程耳にした内容を口にする。


「浩一、さっきの葉書って何の事? 永島さんが『いつもの物』とか言ってたけど、そんなに頻繁に出している所があるの?」

 その何気ない問い掛けに、浩一はあっさり答えた。

「うん、毎日清人君に、謝罪の言葉を書いて送ってる」

「え? 何それ! それに毎日ってどうして!?」

 本気で驚いた真澄に対し、浩一は淡々とこの間の経過を説明した。


「清人君の家に電話をしたら『出る気は無い』って拒否されて。香澄叔母さんに清人君の携帯番号を教えて貰おうと思ったけど、持ってないそうなんだ。そうしたら香澄叔母さんが『人を口説き落とす気なら、一度や二度で諦めちゃ駄目よ? 遠距離交際の基本は文通だから、毎日謝罪の葉書を書いて送ってよこしなさい。首に縄を付けてでも清人君に読ませてあげるわ』って協力を約束してくれたから」

「文通って……、あのね……」

(叔母様! 浩一に何変な事を吹き込んでるんですか!? 遠距離交際って何! 第一、首に縄付けてって……、下手すると嫌がらせじゃ無いですかっ!!)

 この場に居ない香澄と、真顔で告げてきた浩一に呆れ果てながら、毎日読みたくもない葉書を突き付けられているであろう清人の心境を思って、真澄は深い溜め息を吐いた。

 折しもその日、清人から浩一に初めて返信が来た。真澄が帰宅すると浩一が寄って来て、その事を嬉しそうに報告する。


「姉さん、今日清人君から初めて返事が来たんだ。見て?」

「……良かったわね。どんな事が書いてあるの?」

 少し驚きつつ、そして(これで文通なんて世迷い言は言わなくなるわね)と安堵した真澄が差し出された葉書を覗き込むと、そこには男の子にしては整った読みやすい字で、一文が書かれていた。


《この前の訪問時の行為に対する謝罪は受け入れましたので、今後一切これに類する葉書を送って頂く必要はありません》

 どう見ても非友好的感情が滲み出ている文章を無言で眺めてから、真澄は傍らの弟に視線を向けた。


「……あのね、浩一。どうしてそんなニコニコしてるの?」

「だって謝罪は受け入れて貰ったわけだし。これで叔母さんが言っていた、次のステップに移れるから」

「ちょっと待って。叔母様が何ですって?」

 とても聞き捨てならない言葉を耳にした真澄が僅かに顔を引き攣らせながら確認を入れると、浩一は満足そうに告げた。


「清人君と仲良くなりたいって相談した時に『それならまず謝罪を受け入れて貰って、次に仲良くしたいから文通して下さいって申し込むのが筋よ?』って言われたんだ。だからこれからは、仲良くして欲しいって事を全面に押し出して書くよ」

(本人にその意図は無くても、嫌がらせ決定。叔母様もどうしてそう余計な事を! 清人君に益々嫌な思いをさせちゃうじゃない……)

 思わず別れ際の苦笑混じりの清人の顔を思い出した真澄は、一人密かに落ち込んだが、すぐに気を取り直して更なる状況悪化を防ぐべく口を開いた。


「浩一。じゃあこれから清人君に『文通して下さい』って頼むわけ?」

「うん。そのつもりだけど」

「それはなかなか感心な心掛けだと思うけど……、少しは相手の迷惑を考えなさい」

「迷惑?」

 きょとんとした顔を向けた弟に、真澄は舌打ちしたい気持ちで言い聞かせた。

「どうせ叔母様の事だから『つれなくされてもしつこく食い下がって誠意を見せるとほだされるものよ!』とか言ったかもしれないけど」

「うん、そう言ってた。やっぱり姉さんは凄いね」

(……叔母様)

 弟の満面の笑みを見て真澄は眩暈を覚えたが、気力を振り絞って話を続けた。


「浩一、あなたは毎日葉書を送っても痛くも痒くも無いでしょうけど、送られる方の清人君にしてみればどうなの? 凄いプレッシャーじゃない」

「どうして?」

「毎日送る葉書代はタダじゃ無いのよ? 携帯を持たされていない清人君が、ひと月にどれ位お小遣いを貰っているのか分からないけど、あんな狭い団地暮らしなのに、そう頻繁に返事が出せるわけないでしょう? 『向こうがこんなに書いて寄越すのに』って、きっと心苦しい思いをさせるわ」

(……すみません、佐竹さん、清人君。もの凄く失礼な事を言ったかもしれませんが、これ以上浩一に変な事をさせたくないんです)

 心の中で真澄が二人に盛大に詫びつつ、浩一に噛んで含める様に言い聞かせると、浩一は真顔で考え込んだ。


「そうか……、それは考えなかったな。うっかりしてた」

「そうでしょう? だから葉書を書くなとも、清人君と仲良くなるなとも言わないけど、葉書を送る頻度を月に一回位にすれば、良いと思うんだけど」

「分かったよ、姉さん。教えてくれてありがとう」

「分かってくれれば良いのよ」

 自分の意見に素直に頷いた浩一を見て、真澄は引き攣り気味の笑顔を見せつつ、ホッと胸を撫で下ろした。しかしその何日か後、真澄は自分の考えが甘かった事を悟った。


「じゃあ永島さん、お願いします」

「はい、お預かりしますね」

 朝、食堂に向かう途中で浩一の姿を認めた真澄は、家政婦に何やら白い物を渡している所に遭遇した。それを見た途端真澄は足早に弟に近付き、詰問口調で声をかける。


「ちょっと浩一! まさかそれ、清人君への葉書じゃないでしょうね? 私があれほど言ったのに、まだ頻繁に送ってるわけ!?」

「あ、おはよう姉さん。確かに清人君宛ての葉書だけど、心配要らないよ?」

「どこがどう心配要らないって言うのよっ!」

「あれからちゃんと毎日、往復葉書で送ってるから」

「え?」

 怒鳴りつけようとした真澄だったが、さらっと浩一に言われた内容に固まった。その姉に、浩一がにこやかに説明する。


「香澄叔母さんに『清人君が負担に感じる事をしたく無いんだけど、どうしたら良いですか?』って相談したら、『あら浩一君は優しいのね。安心して、世の中には往復葉書っていう、便利なアイテムが有るのよ?』って教えて貰ったんだ。僕、こんな物が有るなんて初めて知ったよ。助かった」

(叔母様!! だから浩一に余計な事は吹き込まないで下さいっ!)

 思わずその場に蹲りたくなった真澄だったが、更なる不穏な台詞が浩一から発せられた為、弾かれた様に顔を上げた。


「教えて貰ってすぐに友之と正彦にも教えてあげたから、二人も往復葉書に切り替えてる筈だし、何も問題は」

「ちょっと待って! どうしてそこに友之と正彦の名前が出てくるの!」

 刻一刻と増す嫌な予感と戦いながら真澄が問い質すと、浩一が平然と答えた。


「え? 二人から『俺達も清人君と仲良くしたい』って言ってきたから、叔母さんに言われた事をそのまま教えたんだ。そしたら『じゃあ俺達もそうする』って言ってたから」

「……じゃあもしかして、あんただけじゃなくて、この間三人で連日葉書を書き送っていたわけ?」

「多分」

(多分、じゃあ無いでしょうがっ!!)

 把握しきれていなかった事情を目の当たりにして、その非常識ぶりに真澄は本気で呻いた。


(もう嫌がらせ以外の何物でも無いわ……。謝罪どころか、確実に態度を硬化させてる筈…)

 そう考えて佐竹家を再訪するなど考える事も出来なかった真澄だったが、あっと言う間に夏が過ぎ、季節が秋に移ろうかと言う時期に、予想もしなかった展開が待ち受けていた。


「香澄叔母様の誕生日のお祝いに、私達が招待された?」

 父親の書斎に出向いて開口一番告げられた内容に真澄が唖然としながら呟くと、雄一郎は嬉しそうに言葉を継いだ。

「ああ。子ども達も楽しみにしてるので、是非来てくれと香澄が玲子に言ってきたらしい。二人とも以前言ったように、清人君と清香ちゃんと仲良くしてくれているみたいだな」

「うん、清人君とは手紙のやり取りをしてる」

「そうか、それは結構な事だ」

(やり取りじゃなくて、一方的に送りつけてるだけよっ!)

 笑顔で受け答えしている男二人をそう怒鳴りつけたかったのは山々だったが、真澄は懸命に堪えたのだった。



 ※※※



 そして当日、弟達と共に佐竹家に出向いた真澄は、無邪気な笑顔の清香と愛想笑い全開の香澄と無表情の清人の出迎えを受けた。

「おねえちゃんおにいちゃん、こんにちは! あ、おにいちゃんがふえてる~!」

「あら、今日は玲二君も来てくれたのね。叔母さんの事覚えてる?」

「うん、覚えてるよ、香澄叔母さん。兄貴から話を聞いて、連れてきて貰ったんだ!!」

「今日は明良君も来てるのよ?」

「………………」

 殆ど怖いもの見たさで強引に同行した玲二を、清人は苦々しげに見やってからふと真澄の方に視線を向けた。すると一瞬困った様に戸惑う素振りを見せてから、無言のまま軽く頭を下げる。反射的に真澄も頭を下げると、香澄と清香によって以前通された和室に案内された。


「じゃあ飲み物の準備をするから、子ども達だけで話をして待っててね?」

 そんな事を言いながら香澄が台所に引っ込んだ為、既に車座になっている友之と正彦達三兄弟に混ざって、真澄達も腰を下ろした。すると部屋の隅から小さめの段ボール箱を持って来た清人が、皆の中心のスペースにその中身をぶちまけ、地を這う様な声音で恫喝してくる。


「お前達……、嫌がらせにも程があるぞ? 暇潰しには、もってこいだろうがな……」

 目の前に舞い落ちて小山を形作った往復葉書に、真澄は無言で項垂れた。そして自身も正座して膝に清香を座らせた清人が、嫌そうに顔をしかめながら続ける。


「しかもこの内容は何だ? 金持ちの坊ちゃんってのは、揃いも揃って頭のネジが何本か抜けてんのか?」

「何か変な事を書いたかな?」

「酷いな、清人さん」

「俺達の想いを正直に書いただけなのに」

 真顔で訴える浩一、友之、正彦を睨み付けた清人は、三人を一喝した。


「黙れ!! 『冷酷非情な笑顔に感動した』とか『えげつない足技に惚れました』とか『あのパンチの感触が忘れられない』とか、揃いも揃ってお前達は変態か!?」

(……まさかあれ、全部そんな内容なわけ?)

 重なり合った葉書を横目で見ながら、真澄が弟と従弟達の非常識さに頭を抱えていると、清人の膝の上から可愛い声が上がった。


「おにいちゃん、『へんたい』ってなぁに?」

 ニコニコと自分を見上げてくる妹に清人は思わず言葉を詰まらせ、次いで真澄に目を向けた。そして怖い位真剣な顔で凝視してきた為、真澄は密かに動揺する。

(え? な、何? 私、何か、清人君の気に障る様な事をしたかしら?)

 するとそこで、清人が真澄に静かに声をかけた。


「真澄さん……。申し訳ありませんが、一分程家から出て貰えるか、耳を塞いでいて貰えませんか?」

「え?」

「駄目ですか?」

 真剣な顔つきで重ねて問い掛けてくる清人に、真澄は戸惑いながらも了解した。


「……え、えっと、一分間耳を塞いでいれば良いのね?」

「はい、人の話が聞こえないように、しっかりお願いします。真澄さんみたいな人が耳にしたら、感性が汚れそうなので」

「……はあ?」

 当惑して些か間抜けな声を上げた真澄だったが、清人が清香の耳に手を当て、聞こえないように塞いだのを見て慌てて自身もそれに倣った。それを確認した清人が、目の前の少年達に向かって、何やら口を開く。


「…………って、……でへ……ぇっと……、…………くる……、……すっ……てゃ……、ばっ…………、……てんだ…………、……こん…………ったの……、…………ろぅ……げ……、…………ってんだ!」

 清人が延々と喋っていたらしい内容は断片的にしか聞こえなかったが、清人が清香の耳から手を離したのを見て、真澄も大丈夫かと自分の耳から手を離した。するとほぼ同時に、その場で感嘆の声が上がる。


「清人君って……、語彙が凄いね……」

「あれを一気に噛まずに言えるとは、流石だな」

「言おうと思っても、なかなか言えないよな」

「言葉としては知ってるけど、実際聞いたのは初めてだよ。そうか~、こんな風に使うのか~」

「何か良く意味が分からない言葉があったから教えてよ、清人さん」

「え? あれ、全部日本語だったの?」

 それらを聞いた清人は、こめかみに青筋を浮かべながら呻いた。

「……お前ら、揃いも揃って脳みそが腐ってやがるな」

 そこでコップを乗せたトレーを持って、真澄が笑いながら清人に声をかけた。


「はい、清人君、そこまでにしておいて。お昼過ぎだし、まず食べて貰いましょう? 皆、隣の部屋に準備してあるから、向こうに移って貰えるかしら?」

「はい」

「分かりました」

 促されて彼女の甥達は素直に腰を上げて移動したが、真澄も立ち上がろうとした瞬間清人に引きとめられた。


「真澄さんはここに居て下さい」

「え?」

「清香、あそこのアイロン台を持って来てくれるか?」

「は~い!」

 真澄が困惑しているうちに清香がアイロン台を運んで来ると、清人はそれの足を引き出して立たせ、更にそこに大判のバンダナをテーブルクロスのように敷いた。


「すみません、卓袱台は今向こうで使ってますし、他に適当なテーブルが無いもので。真澄さんはここで食べて貰います」

「それは……、構わないけど……」

 全く意味が分からずに呆然と座っているうちに、清人が台所から三人分の料理を運んで来て、そこに所狭しと並べる。

「どうぞ、良かったら食べて下さい」

「……いただきます」

 狐につままれたような顔付きのまま箸を付けた真澄だったが、一口食べて思わず声を漏らした。


「……美味しい」

「そうですか、良かったです」

 そこで嬉しそうに微笑んだ清人の顔から何となく視線を逸らした真澄は、清香に声をかけた。

「い、意外だったわ、叔母様がお料理が上手で。清香ちゃんはいつもお母さんに美味しいお弁当を作って貰ってるのね。羨ましいわ」

 照れくささを誤魔化す為に清香に話題を振ったのだが、それを聞いた清香はピシッと固まり、何故か口ごもりながら話し出した。


「ますみおねえちゃん……、あ、あのね? おかあさんのごはん、あいがいっぱい、なの……」

「あら、素敵ね」

「だからね? それでね? ……さやか、すぐにおなかいっぱい、に」

「真澄さん」

「何? 清人君」

 いきなり清香の話の途中で割り込んできた清人に真澄が驚きながら顔を向けると、怖い位真剣な顔付きの清人が断言した。


「清香の弁当を作る権利は、未来永劫俺の物です。例え香澄さんと言えども、その権利は断じて譲れません」

 言われた内容を一瞬頭の中で考えた真澄は、その結果を口にした。


「あの……、要するに、清香ちゃんのお弁当は清人君が作っているのね?」

「はい。因みにこの料理もそうです」

「……大変美味しく頂いています」

 そこで真澄は漸く香澄と弟達が移動した、襖の向こうの隣室の異常に気が付いた。


「あの……、清人君。何だか隣が静か過ぎると思わない?」

 その問い掛けに清人は不自然に真澄から視線を逸らし、ボソッと呟く。

「それは……、まあ、無理はないかと。香澄さんが腕によりをかけて用意するって言ってましたから……」

「え?」

「もしあれを完食できたら…………、俺はあいつらの誠意と根性を、認めてやっても良いです」

「…………」

 真顔でそう呟いた清人を見て、真澄は顔を引き攣らせて襖を眺め、一瞬腰を浮かせかけた。しかし清人に無言で首を振られ、諦めて座り直す。

 そして何となく微妙な空気が漂う中、それでも清香と清人と共に美味しい料理を真澄が堪能していると、約三十分後スラリと隣室と隔てている襖が開き、上機嫌な香澄が姿を現した。


「うふふ、清人君、皆に全部食べて貰ったわよ?」

「あれを全部、ですか?」

 清人がその流麗な顔を驚きの表情で一杯にしながら呟くと、積み重なった空の皿を運びながら香澄が満足そうに頷いた。


「ええ。浩一君と友之君と正彦君は流石に中学生ね。弟達の分まで奪って食べちゃって。やっぱり食べ盛り育ち盛りよね~」

 そんな事を言いながら空になった皿を抱えて、鼻歌混じりに台所へ向かった香澄が通った所から隣室の中が見えたが、その情景に真澄は絶句した。

 弟と従弟総勢六人のうち、半数は魚河岸の鮪の様にピクリとも動かず畳に転がっており、もう半数も卓袱台に突っ伏して無言だった。

 その様子を認めた清人は溜め息を吐いて立ち上がり、整理箪笥の引き出しを開けて何かを取り出してから隣室へと向かった。そして突っ伏して何やら呻いていた明良の肩を叩き、声をかけて手に持っていた物を手渡す。


「おい、これを飲んでおけ。あと兄貴達にも飲ませてやれ、消化剤だ」

 その言葉が引き金になったのか、その場で次々と泣き声混じりの呻き声が上がった。

「か、香澄叔母さん、怖かったよ……」

「兄貴……、俺の分まで食わせてごめん……」

「いや、今回玲二と明良は、完璧に巻き沿えを喰ったわけだし……」

「……気にするな。小学生にはキツいだろ、これは」

「叔母さん……、容赦なさすぎだ……」

「兄さんごめん! 俺大きくなったら、絶対兄さんの役に立つからねっ!」

 そんな事を言い合っている弟達を見て真澄は呆気に取られ、清人は諦めたように深い溜め息を吐き出した。


 佐竹兄妹と真澄達の間で、本当の意味で交流が始まった日。

 それは真澄の弟達及び従兄弟達の結束が、それまで以上に強固になった日でもあった。


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