立場と面影~真澄、十七歳の冬~

 三が日を過ぎたものの、未だ正月気分が抜けない時期。都内有名ホテルの大宴会場で、某経済団体主催の新年会が華やかに開催されていた。

 各業界のお歴々が、互いの親睦を深める目的で精力的に会場を行き交っており、この場に雄一郎と玲子に連れられて初めて参加した真澄は、開始されてから一時間もしないうちに、この場に来た事を激しく後悔していた。


「しかし、本当に綺麗なお嬢さんですな。柏木さんもお人が悪い、こんな掌中の玉を隠しておられたとは」

「いえ、そんな事はありません。まだまだ世間知らずの子供ですから、外に出せないだけですよ」

「もう何年かしたら、きっと引く手数多ですわ。うちの娘は見栄えがしませんから羨ましいこと」

「あら、ご令嬢はご婚約が整ったとかお聞きしましたわ。うちはまだまだ手がかかって困ったものですもの」

 両親がこの場にやって来てから何組目かの社長夫妻と愛想笑いで応じるのを、顔に笑顔を貼り付けている真澄が横目で見ながら、心の中で密かに愚痴を零す。

(もう帰りたい……。この話が出た時、『そのパーティーに小笠原夫妻も出席しますか?』なんて口走るんじゃなかったわ)


 振り袖に身を包み、髪を結い上げて薄化粧で挑んだ真澄は、元々整った容姿の上、百七十前後の長身である為、会場に足を踏み入れた瞬間から周囲の人目を引いていた。その結果、入れ替わり立ち替わり近寄ってくる年頃の息子を持つ親や、二十代三十代の出席者から、話し掛けられる度に値踏みするような視線を受けていれば、神経がささくれ立つのは仕方のない事だった。

 黙って雄一郎の傍らに控え、笑顔を取り繕っていた真澄が次第に苛々し始めた時、漸く雄一郎が目の前の相手との話を切り上げ、玲子と真澄を連れてその場を離れた。


「待たせたな。主だった面々には挨拶したし、そろそろ小笠原さんにご挨拶するぞ」

「真澄、お疲れ様。さあ、機嫌を直して。笑顔が引き攣っているわよ?」

「……はい」

 両親に含み笑いで言い聞かされた真澄は、普段の快活さが鳴りをひそめた状態のまま、漸くここに来た目的が達せられるかと密かに溜め息を吐いた。そして会場の中央付近に移動した真澄達は、固まって話している一団の近くで立ち止まった。


「真澄、あちらのご夫婦が小笠原物産の小笠原勝社長と由紀子夫人だ。歓談中だから少し様子を見るぞ?」

「分かりました」

 足を止めて振り返った雄一郎に真澄は素直に頷き、何メートルが離れた所で談笑している上品な女性を、無言で観察した。


(やっぱり清人君に似てる。……じゃなくて、順序から言うと、清人君があの女性に似てるのよね)

 優しそうな雰囲気を醸し出す目元や、柔らかそうな若干癖の入った髪質、何よりも全体的な顔の作りが、二人の間に血縁関係がある事を如実に感じさせた。


(良かった。つんけんしている人だったらどうしようかと思ったけど、優しそうな女性で。あの人とだったら仲良くできそう……)

 そこで安堵した真澄は緊張が解れた為、素早く頭の中で考えを巡らせ始めた。


(叔母様が、二人の間を取り持つのを手伝って欲しいと言っていたし……。まず挨拶をしてから、清人君と知り合いって事を話して、次にさり気なく清人君の事をどう思っているのかを聞いてみようかしら?)

 真澄がそんな事を考えていた時、自分の耳を疑う会話が前方から伝わってきた。


「……本当に、綺麗なお嬢さんがいらして羨ましいわ。私は体があまり丈夫じゃなくて、息子を一人しか授からなかったものですから」

(え? 一人って……。確か由紀子さんって、小笠原社長と再婚してから、息子を一人出産してるって聞いたけど。だから二人じゃ……)

 由紀子の台詞を聞いて真澄が怪訝に思っていると、雄一郎達と同じ様に娘連れで参加していた歓談相手の婦人は、とりなすように話を続けた。


「でも息子さんがお嫁さんを貰ったら、その人を着飾らせてあげる楽しみができますよ?」

「そうですね。義理の娘とそんな風に仲良くできたら、何よりですわ。でも残念な事に、息子はまだ小学生ですから……。まだまだ先の話ですもの」

「あら、楽しみは先に取っておくべきですよ?」

「そうね。嫌な姑にならないように、今のうちから時間をかけて心構えをしておかないと」

 そう言って楽しそうに相手と笑い合っている由紀子の姿を目の当たりにした真澄は、瞬時に頭に血を上らせた。


(やっぱりこの人、清人君の存在すら無視して……。偽善者面して何をヘラヘラ笑ってるのよっ!!)

 思わず足を一歩踏み出した真澄だったが、すかさずその腕を捕らえた手があった。


「お父様、何をするんですか!?」

「……お前こそ、何をする気だ」

「あの人に一言文句を言ってやるだけです! 何なの!? あの無神経女!」

「ふざけるな。こっちに来い!」

「ちょっ……、何をするんですか。邪魔しないで下さい!」

 他人の目が有るのは真澄にも分かっていた為、ここまでの会話は雄一郎のそれと同様に押し殺した声で行っていたが、雄一郎は会場の人目を引く事を厭わず、有無を言わさない勢いで真澄を会場の外へと引きずり出した。そして通路に出て周囲に人気が無い事を確認してから、鋭く真澄を叱責する。


「お前はこんな場所で騒ぎを起こす気か! 少しは場所と立場を考えろ!」

「だって、あの人ったら! 清人君の事を存在すらしていないような言い方をしていたのよ!?」

 憤然として訴えた真澄に、雄一郎は苦虫を噛み潰した様な顔付きで呻いた。

「……存在していないんだから、この場合仕方あるまい」

「はぁ!?」

 怒りの表情のまま子細を尋ねようとした真澄の腕を、今度は玲子が押さえながら、如何にも言いにくそうに口を開いた。


「実は……、真澄には敢えて話していなかったけど、清吾さんと由紀子さんの結婚の事実は公になっていないの。当然清人君の存在もよ」

「どうしてですか?」

 一瞬母親が冗談を言っているのかと思った真澄だったが、その表情を見て怒りを抑えた。しかし納得できないまま問いを重ねると、玲子がそれに神妙に答える。


「由紀子さんのお父様の小笠原会長が、由紀子さんが家を出た後、徹底的な情報封鎖をしてね。由紀子さん達は親族や友人知人を招いての披露宴とかもしなかったし……」

「でも、幾ら何でも、そういうゴシップって、どこからか漏れるものでしょう?」

「小笠原会長が、周囲に随分睨みを利かせていたみたいね……。結局彼女は二・三年で実家に戻った筈だし、その後再婚した勝氏の顔を潰さない為にも、小笠原周辺ではその話はタブーになったのよ」

「そんな……」

 そこまで聞いた真澄が思わず呆然としながら呟くと、横から雄一郎が苛立たしげに叱りつけた。


「それなのに、お前はこんな人目のある場所で、何を口走る気だ! 小笠原社長夫妻の顔を潰すだけでは無く、『柏木は小笠原と事を構えるつもりか』と、周囲から要らぬ憶測を呼びかねん。暫くここで頭を冷やしていろ!」

「ですが! それじゃあんまり清人君が!」

 我に返った真澄が反論しようとしたが、玲子が再び真澄の腕を掴み、幾分きつい口調で言い聞かせる。


「真澄、今日は由紀子さんの顔を見るだけで満足するのかと思って連れて来たのよ? 大人しくお父様の言う事を聞きなさい」

「でも……」

 まだ腹立たしい気持ちを抑え切れない真澄を一瞥した雄一郎は、そこで素っ気なく言い捨てて再び会場に向かって歩き出した。


「構わん。暫く放っておけ。行くぞ、玲子」

「あ、……は、はい! じゃあ真澄、少しここで待っていてね?」

「……はい」

 俯きながら了承の返事をした真澄を、気遣わしげに見やりながら玲子は雄一郎の後を追い、その場に真澄一人が取り残された。

 それから少しの間通路に立ち尽くしていた真澄だったが、周囲を見渡して中庭に面したガラス張りの壁面に歩み寄る。既に夜の時間帯であり、照明の反射で映り込んだホテル内と自分の姿を凝視しながら、真澄は未だ怒りに震えていた。


(酷い……、あんまりじゃない? 幾ら体裁が悪くたって、結婚した事も子供を産んだ事も、無かった事にしてるなんて……)

 そして無意識に力を込め、両手を握り締めていた事に気付いた真澄が、ゆっくりと手を開いてみると、掌に爪が食い込んだ所が微かに跡になっているのを認めた。それを無表情で見下ろしながら、真澄が断定する。


(確かに美人だけど、上品に見えるけど。それに清人君に良く似てるけど…………、中身は似ても似つかないわ。最低よ、大っ嫌い! こんな所、来るんじゃ無かったわ!)

 一旦感じてしまったそんな負の感情は、雄一郎達と自宅に引き上げてからも、 容易に払拭する事ができなかった。その為、両親から再度会場内での事で軽く説教されてから自室に引き上げた真澄は、発作的に香澄に電話をかけてしまった。


「……はい、佐竹ですが」

 しかし落ち着き払った香澄の声を聞いた瞬間、真澄の頭は一気に冷えた。

 流石にまだ真夜中と言う時間帯では無いにしても、既に清香は寝ている筈の時間であり、緊急の用事でも無い限りは普通電話をかけたりはしない時間帯であった事に、漸く思い至ったのだ。


「すみません、叔母様……、こんな夜分に電話をかけたりして……。あの、やっぱり失礼します。改めて電話しますので」

 申し訳ない気持ちで謝罪し、日中掛け直そうとした真澄だったが、電話の向こうで香澄が楽しげに笑って言い返してきた。


「真澄ちゃんが、私より遥かに常識を弁えている事は、私が一番良く知っているわ。それでも敢えて電話してきたって事は、それなりの事情が有るんでしょう? だからそんな事気にしなくて良いの。それで? 一体どうしたの?」

 笑いながらも鋭く追及する気配を察した真澄は、気を変えてこのまま話す気になったものの、ある懸念を口にした。


「あの……、叔父様と清人君は側に居ますよね?」

「ええ、そうだけど。何か都合が悪い?」

「じゃあ……、何も言わないで、ただ私の話を聞いていて欲しいんですが……」

「分かったわ」

 言外に「男二人には分からないように応対する」と言う事を含ませて香澄が返してくると、真澄は慎重に話し出した。


「今日、両親と一緒に参加したパーティーで、小笠原由紀子さんを見掛けました」

「時期的に言うと……、あの新年会かしら? それなら見かけるかもね、それで?」

「叔母様…………、私、あの女性は嫌いです。二度と顔も見たくありません」

 香澄が過去を思い返しながら応じると、真澄は断定口調で吐き捨てた。すると香澄が電話越しに苦笑を伝えてくる。


「……なるほど。それで何かしたり言ったりしようとして、雄一郎兄様に怒られたわけね」

「だって! あの人ったら、清人君や叔父様との事なんて、何も無かった、かの、ようにっ…………。最低……」

 粗方を察したらしい香澄が納得したように言葉を返すと、真澄は我慢出来なくなって強い口調で訴えた。しかしすぐに涙ぐんで声を詰まらせてしまう。すると香澄は幾分困った様に、真澄にとっては予想外の事を言い出した。


「あまり興奮しないで、真澄ちゃん。私、そんなに嫌いじゃ無いのよ」

 おそらく近くに要るであろう清吾と清人に分からないように主語を抜かした台詞だったが、真澄は瞬時に顔と声音を険しくして絶叫した。

「はぁ!? 何馬鹿な事言ってるんですか叔母様! あんな最低女のどこが好きになれるって言うんですか! 大体、叔母様達は面識は有りませんよね!?」

「確かに以前何かで、チラリと見た位ね。……それはともかく真澄ちゃん、明日の日曜日は暇?」

「え? あ……、はい、取り敢えず空いてますけど……」

 怒鳴りつけても落ち着き払ったまま口調を変えず、しかしさらりと話題を変えてきた香澄に真澄は面食らったが、取り敢えず素直に返答した。すると香澄が楽しげに誘いの言葉を口にする。


「じゃあ明日、家にいらっしゃい。女同士の話をしましょう」

「は? いえ、あの、でも……」

 流石に清吾と清人の耳には入れたく無い話題の為真澄が躊躇してみせると、心得た香澄が笑って請け負った。

「心配しないで。「女同士の話」なんだから、男二人には買い出しと子守を押し付けて叩き出しておくから」

 その物言いに真澄は思わず小さく笑い、素直に香澄の提案に乗る事にした。


「分かりました。それではお邪魔させて貰います」

「じゃあ詳しい話はその時にね。おやすみなさい。真澄ちゃんもあまり考え込んでないで、早く寝るのよ?」

「はい、おやすみなさい」

 そうして電話を終わらせた真澄は、取り敢えず少し前の苛立たしい気持ちは収まり、落ち着いて休む事ができたのだった。


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