運命の人~真澄、十六歳の秋~

 秋になってめっきり空気も涼しくなってきたある日、真澄は平日の午後に一人で佐竹家を訪問した。香澄と清香に熱烈な歓迎を受けてから上がり込み、二人と共に卓袱台を囲む。そして香澄がお茶を出しながら、不思議そうに言い出した。


「真澄ちゃん、今日は学校はお休みだったの?」

「はい。文化祭の振替休日です。それでまた清香ちゃんにあげられる服は無いかと探していたら、ちょうど今年か来年着るのに良さそうなコートを見付けたので、持ってきてみたんです。合わせてみてくれますか?」

 そう言って真澄が持参した紙袋を引き寄せ、中から赤いダッフルコートを取り出した。その途端、清香が目を輝かせてにじり寄る。


「かわいい! くまさんもついてる!」

「ええ、そのポケットの所もそうだけど、ボタンの所も可愛いでしょう? ちょっと羽織ってみてくれる?」

「うん!」

 満面の笑みで立ち上がった清香に、真澄が袖に腕を通してやりながら着せかける。すると誂えた様に今の清香に着丈袖丈がぴったりだった為、思わず真澄が笑みを深くした。


「やっぱり今年ちょうど良かったわね。寒くなる前に渡した方が良いと思って、今日持って来て良かったわ」

「ますみおねえちゃん、ありがとう!」

「どういたしまして」

 そこでコートを着たまま上機嫌でクルッと一回転した清香が礼を言ってから、笑顔のまま言い出した。


「あのね? さやか、おにいちゃんに、ますみおねえちゃんとおなじにしてもらったの」

 そう言われて一瞬戸惑った真澄だったが、すぐに目の前の従姉妹の変化に気が付いた。

「え? ああ、髪型をツインテールからポニーテールに変えたのね。清香ちゃんに良く似合ってるし、私とお揃いね?」

「うん、おそろい!」

 そんな笑顔での娘と姪のやり取りを、香澄はこの間黙って眺めていたが、清香からコートを脱がせる為手を伸ばしながら、どこか冷やかすように真澄に声をかけた。


「真澄ちゃん、頂けるのは嬉しいんだけど、わざわざここまで来て貰わなくても、宅配便で送って貰っても良かったのよ?」

 そう言われた真澄は、若干香澄から目を逸らしながら口ごもった。


「いえ、それはその……、今日は偶々休みで予定も無かったですし。それに清香ちゃんの顔も見たかったので……」

「へぇ? 見たかったのは清香の顔だけ?」

「…………何が言いたいんですか、叔母様」

「別に何も?」

 何か含む言い方をした香澄に真澄は幾分険しい視線を向けたが、香澄はそれを平然と受け流した。そして聞かれもしない事を喋り始める。


「残念ながら今日は、清人君は部活がある日だから帰りが遅いのよ」

「……ああ、そうなんですか」

「来るのを前もって言ってくれれば、サボらせたのにね~」

「叔母様! 保護者が部活をサボるのを容認、と言うか誘導してどうするんですか!」

「だって、平日なら余計なのが付いて来ないし。真澄ちゃんだってそれを狙って来たんでしょう?」

 そんな事を言われて、内心を見透かされた様に感じた真澄は一瞬ドキリとしたが、勿論面には出さなかった。


「……何の事を言っているのか、全く分かりませんが」

「まあ、それはともかく、ちょうど良いから女同士の話をしましょう。真澄ちゃんにちょっと見て貰いたい物があるの」

「はあ……」

 相変わらずマイペースな叔母に少々疲労感を覚えながら、真澄は出されたお茶を啜った。すると立ち上がって整理箪笥の引き出しを開けた香澄が、一枚の紙片らしき物を取り出してから再び座り、真澄の方へ差し出す。


「見て? 私のとっておきの一枚なの。これで清人君に挨拶文を書いて貰おうとしてるんだけど、何年経っても頑固なのよね。真澄ちゃんから口添えして貰えないかしら?」

 香澄の期待に満ちた顔からその手元に視線を移した真澄は、我知らず無表情になった。


(何これ? 形状とサイズからするとポストカードよね。でもこんなピンクのバラが咲き乱れてて、チラホラ妖精が見えるこれ、さっき清人君に書いて貰うとか何とか……)

 次第に自分の顔が強張るのを自覚しながら、真澄は慎重に問い掛けた。


「叔母様? 叔母様の趣味は以前から良く存じていますが、これで清人君に何をさせる気なんですか?」

「何をって……、清人君のお母さん、小笠原由紀子さんに『僕は元気で頑張ってます』って、書いて貰うのよ。行き来が無いって言っても、やっぱり親子なんだから時節の挨拶位はしないとね」

 真顔でそんな事を言われた真澄は、血相を変えて真澄に迫った。


「何をふざけた事を言っているんですか、叔母様。清人君にしてみれば、こんなの嫌がらせ以外の何物でもありませんよ?」

「何を言っているのよ真澄ちゃん。この大人の深謀遠慮が分からないなんて、幾ら大人ぶっていてもまだまだ子供ね?」

 フッ……、と香澄にせせら笑われた真澄は、ヒクリと片頬を引き攣らせた。


「……大人だって仰るなら、それに相応しい常識と配慮を身に付けて下さい。これはどう考えても選択を間違えてます。こんなのを送ったら由紀子さんに、叔父様の後妻は頭が弱い女か、イタすぎる勘違い女なのかと思われるに決まっているじゃありませんか!」

「何言ってるのよ! 普通の官製葉書なんて味気なさ過ぎるわ。劇的な親子の再会に繋げる為の、最初の一歩なのよ? 感動的に盛り上げるには、絶対これが必要なの!」

「叔母様はもう手遅れですが、せめて清人君と清香ちゃんの名誉を守る為、それの使用は断固として阻止します!」

 そんな調子で、香澄と真澄の白熱した論争が始まった。

 そして十五分後……。

 黙って目の前のやり取りを眺めながら、真澄のお土産のクッキーをもきゅもきゅと食べていた清香は、カップの中に残っていた牛乳をゴクリと飲み干した。


「……ふ、ふふ、……随分口が達者になったじゃない、真澄ちゃん。……小さい頃は、私の言う事は何でも素直に聞いていたのに」

「うふふ……、それは、まあ……、減らず口の達者な方を、身近で見て、育ったものですから……」

 微妙に息を乱しながら、流石に疲れた女二人が睨み合っていると、話が終わったと判断した清香が、空の皿とコップを香澄の方に押し出しつつ無邪気に尋ねてくる。

「ごちそうさまでした。おかあさん、おねえちゃんとそとであそんできていい?」

 そう声をかけられた二人は思わず顔を見合わせ、どちらからともなく小さく溜め息を吐きながら頷いた。


「そうね……、この話はひとまず打ち切りにしましょう」

「そうですね。じゃあ清香ちゃん、外に行きましょうか」

「うん!」

 互いにうんざりしていた二人の間で話が纏まり、真澄はカーディガンを羽織って立ち上がった。そして香澄に見送られ、清香と手を繋いで外へと出る。そのまま階段を降りながら、真澄は清香に尋ねた。


「清香ちゃん、何をして遊ぶ?」

「あのね、かくれんぼしよ?」

「分かったわ。じゃあ公園に行きましょうか」

「う~ん、こうえんだとすぐみつかるの。うらのもりにいこ?」

「……ああ、あそこの雑木林ね」

 ここに来た初日の顛末を思い出した真澄は、思わず遠い目をしてしまった。そして清香が言う場所の様子を思い出し、確認を入れる。


「清香ちゃん、あそこは道が舗装されてないし、人通りは無さそうだし、子供は遊びに行っちゃいけないとか言われてない?」

「うん。こどもだけだとダメだって。だけどおねえちゃんといっしょならいいよね?」

「……それもそうね」

 なんとなくそれで納得した真澄は、清香の手を引いたまま団地裏手の林の方に向かって行った。そして記憶にある細い小道を歩き、日差しを遮っている林に差し掛かった所で、清香が足を止める。


「じゃあそろそろかくれんぼしよ? あ、おねえちゃん、たちいりきんしのロープよりむこうはダメだって」

「気をつけるわ。……じゃあ最初はどちらが鬼なる? ジャンケンしようか?」

「はじめはさやかがおに! だからおねえちゃん、かくれて」

「分かったわ。じゃあゆっくり二十数えてみて」

「うん、だいじょうぶ」

 そう話が纏まった所で清香は木の幹に両手を重ねた上に額を押し当て、「い~ち、にぃ~」と数を数え始めた。それを背後で聞きながら、真澄が隠れる場所を探す。


(確かにあの公園だとあまり隠れる所が無くて難しいけど、ここで本気で隠れると、清香ちゃんが見付けられなくて泣いちゃうかも。別な意味で難しいわね……)

 そんな事を真剣に考えながら真澄は周囲を見回し、清香の姿が確認できる程度に離れた位置の、茂みの裏側に回り込んでしゃがみ込んだ。


「もぅ~いぃ~かぁ~い!」

「もういいよ~」

 数え終わったらしい清香が声を張り上げ、真澄も笑顔で大声で返した。するとカサカサと落ち葉や雑草を踏みしめながら、歩き回っている清香の気配を微かに茂みの向こうに感じる。

「なかなか見つけて貰えなかったら、どのタイミングで出れば良いかしら……」

 そんな独り言を真澄が漏らした時、予想に反して至近距離から答えが返ってきた。

「出て行く必要は無いな。俺達と一緒に来て貰おうか」

「…………っ!?」

 慌てて声のした方を振り向こうとして体を捻った真澄の喉元に、冷たい金属製の物が押し当てられる。


「動かない方が身の為だぜ? 怪我したくないだろ?」

「大人しくしてたら、それなりに扱ってやるからな」

 ナイフを突き付けている男とは自分を挟んで反対側にもう一人の男が現れ、右手を押さえられた事に、真澄は内心で舌打ちした。


(何、こいつら? 迂闊だったわね、柴崎さんを呼び戻さないと)

 野球帽にサングラスとマスクの出で立ちの男二人は、取り敢えず真澄が大人しくしたのに気を良くし、真澄を立たせながらマスク越しに嫌らしい笑いを含んだ声で話しかけてきた。


「あんた、最近この団地に時々デカい車で乗り付けてるだろ? あんなゴツい運転手付きの車で送り迎えされてるなんて、家は余程の金持ちだよな」

「いつもはガキが何人も居てやがるが、今日は一人とは助かったぜ」

「偶々今日金をせびりに来てラッキーだったな。あんた、俺らの懐をあったかくするのに、協力してくれるよな?」

(……と言うことは、危害を加える事が目的じゃ無い上、計画的でもない発作的な身の代金目的の誘拐ってわけね? しかもここの住人の関係者らしいし……)

 男達に従ってゆっくりと歩き始めた真澄は、冷静に状況判断をしながら、気付かれないようにスカートの上からポケットの中にに入れておいた、緊急呼び出し用の機械のスイッチを入れた。

 護衛兼専属運転手の柴崎は、その日も真澄を乗せてこの団地へとやって来たが、いかんせん少し前に長時間駐車スペースにリムジンを停めておくと周辺住民の迷惑になる事が分かってからは、送った後は呼び出しがかかるまでは付近で待機するようにさせていたのだった。


(柴崎さんは十分以内に駆けつけてくれる筈だけど……、あまり遠くに行くと探知出来なくなる可能性があるから、なるべく時間稼ぎをしないと……)

 そこで真澄にも誘拐犯達にも、予想外の事態が発生した。


「……あ! おねえちゃん、み~っけ!」

「……っ!」

「おいっ!」

「清香ちゃん!」

 ガサガサと茂みを掻き分け、突然ぴょこんと現れた清香に、男達と真澄双方が顔色を変えた。


「こんどはおねえちゃんがおにね?」

 反射的に首から脇腹にナイフが移動された為、全く状況に気付いていないらしい清香がニコニコと見上げながら真澄を促す。そして自分の左右を固めている男達が「どうする?」「このガキも連れてくか?」などと囁き合っているのを耳にして、真澄は激しく狼狽した。

(冗談じゃ無いわよ! 清香ちゃんまで巻き込んでたまるものですか!)

 そして素早く考えを巡らせ、清香に声をかけた。


「あのっ……、清香ちゃん! ごめんなさい、迎えが来ちゃったからもう帰るわね?」

「むかえ?」

 キョトンとした清香だったが、脇の男達も何を言い出すのかと真澄に小声で迫った。


「おい、何言ってやがる」

「うるさいわね。小さい子なんて泣くし喚くし扱いが大変よ? この子を見逃してあげたら、大人しくどこでも付いて行ってあげるわよ」

「いや、でも俺達を見られてるし」

「こんな小さな子に状況判断なんかできないでしょ? 顔だって隠してるんだし」

 互いに清香に聞こえない程度の小声のやり取りであり、それを黙って見ていた清香は怪訝な顔をした。


「ますみおねえちゃん、じゃあそのマスクのおじさんたち、うんてんしゅさん?」

「え? あ、そ、そうなの」

「びょうきなの?」

「ええ、ちょっと風邪が流行ってるみたいでね」

「そうなんだ。たいへんだねぇ……。おしごとごくろうさまです」

 そこで清香がぴょこんと頭を下げた為、男達も狼狽しつつ話を合わせた。


「お、おう、これも仕事だからな」

「酷くはないから平気だぜ」

「それで清香ちゃん。迎えが来ちゃったから帰らないといけないの。叔母様に挨拶しないでこのまま帰りますって伝えてくれる?」

「うん。……えっと『むかえがきて、あいさつしないで、このままかえります』でいいんだよね?」

 自分の言った内容をきちんと復唱した清香に、真澄は若干引き攣った笑顔を向けた。


「そう。じゃあ今からお家に帰って、ちゃんと叔母様にその事を伝えてね? 一人で帰れる?」

「だいじょうぶ! だってあそこにみえてるもん! じゃあおねえちゃん、おじさんたち、さようなら!」

「気をつけてね?」

「……おう」

「……ああ」

 最後まで笑顔を振り撒いて、清香は自分が住んでいる棟に向かって、振り返らずにテクテク歩き出した。それを見送って三人が思わず溜め息を吐き出す。

(寿命が縮んだわ……、こんな事に清香ちゃんまで巻き込んだら、後が厄介だし……)

 その感想は男達も同様だった。


「驚かせやがって……。聞き分けが良いガキで、助かったぜ」

「全くだ。ほら、あのガキは帰してやったんだから、大人しく歩けよ?」

「分かってるわよ」

 横柄な態度にムカついたものの、脇腹をナイフの先端でつつかれて真澄は大人しく歩き出した。


(どこまで歩いて行く気? この奥は造成途中の山じゃ無いのかしら。人を閉じ込めておく建物なんて無さそうなんだけど……)

 団地の裏手を通って表通りへと抜ける道とは反対方向の、辛うじて人が歩く幅位に草が踏みしめられている道を歩いて行くと、突然目の前にワゴン車が現れた。更にその奥に車一台がやっと通れる位の、林道らしき物が見える。そこで真澄は、自分の考えが浅かった事を悟った。


(もしかして開発工事用の作業道路!? 迂闊だったわ、近くに車が見えないから、そんなに移動しないと思ってたのに)

 歯軋りしたい気持ちを抑えている真澄の目の前に、ワゴン車からもう一人の男が降り立ってやってきた。


「よう、随分早かったな」

「助かったぜ、出て来るまで待つつもりでいたら、ガキと二人で遊びに出て来たんでな」

「運転手を殴り倒す手間が省けたぜ」

「ところで、お嬢さんの名前はなんてんだ? 家に連絡しなきゃならねぇから、電話番号も教えてくれよな」

 そんな事を上機嫌に言い合っているのを聞きながら、真澄は(こんな穴だらけ以前に、計画とも言えない計画しか立ててない連中に捕まるなんて!)と自分自身に腹を立てていた。その為無言を貫いていると、尋ねた男は気を悪くした風も無く、真澄の腕を取って引っ張る。


「まあ、言いたくなければ構わないんだけどな? 落ち着ける所に行ったら、ゆっくりお嬢さんの身体に聞いても良いし?」

「なっ!?」

「おい! 一番危ない橋を渡ったのは俺だぜ?」

「お前はただ待ってただけだろう? ちょっとは遠慮しろよ!」

「ちょっと! やだっ! 離しなさいよ!」

 有無を言わさず車の方へ引きずられながら、真澄は自分に対する優先順位とやらで揉め始めた男達に対する恐怖心と生理的嫌悪感を覚えながら、内心で呻いた。

(冗談じゃないわ! これで連れて行かれたら、柴崎さんだってすぐに見つけてはくれないじゃない!)

 そこまで考えた時、真澄が意図するよりも先に体が動いた。


「うぉっ!」

「ぐえっ!」

「おい! 待ちやがれ!」

 言い争っている男達の隙を狙って、まず右手を掴んでいた男の向こう臑を力一杯蹴り付け、自由になった右手で左手を掴んでいた男の顎目掛けて拳を繰り出す。どちらも予想以上のヒットだったらしく、うずくまった二人の間を躊躇う事無くすり抜けて、真澄は元居た場所に向かって走り出した。

(とにかく、団地の人達に声が届く所まで戻らないと。こんな人気が無い所じゃ……)

「誰か! 助け」

「ふざけんなよ!? このガキが!!」

「きゃあっ!」

 幾らも走らないうちにいきなり背後から髪を掴まれ、後方に引き倒されて、真澄は受け身を取る間も無く地面に引き倒された。そして頭と背中の痛みを実感すると同時に、自分の体に馬乗りになってきた男に、力一杯平手打ちされる。


「……っ!」

「大人しくしてりゃあ、ダチに随分な事してくれたじゃねぇか! 覚悟は出来てんだろうな!?」

 そう男が恫喝したところで、先程真澄にやられた残りの二人も、苛立たしげな声を発しながらやって来た。

「全く、手間かけさせてくれるぜ」

「ほら、ロープ持って来たからさっさと縛り上げるぞ」

 そんな算段をしている男達を見上げながら真澄が絶望的な心境に陥っていると、いきなり事態が動いた。


「真澄さん!!」

「え?」

「なん……ぐわぁっ!」

 かなり切迫した感じで名前を呼ばれた真澄は当惑したが、真澄に馬乗りになっている男も反射的に声がした方に顔を向けると、凄い勢いで真っ直ぐ飛んできた何かが彼のこめかみ周辺を直撃した。その男はたまらず激突した場所を抑えながら、真澄から滑り落ちる様に地面に転がりそのまま呻く。

 真澄が上半身を起こしながら飛んできて地面に落ちたそれを見ると、野球のボール位の大きさがある石だった。(これがぶつかったの?)と、その衝撃を想像してゾッとしていると、残りの二人が声のした方に足を踏み出す。反対に至近距離までこちらに走ってきた人物を認めて、真澄は思わず驚きの声を上げた。


「このガキ、何しやがる?」

「邪魔するとタダじゃおかねぇぞ!?」

「清人君!?」

 それに対し、全力疾走してきたらしく乱れた息を軽く整えてえてから、清人はまず真澄に落ち着かせるように小さく笑いかけた。


「真澄さん。ちょっと危ないので、下がっていてください」

「え、ええ……」

 大人しく頷いた真澄の怪我の具合をチラリと確認すると、清人はサングラスとマスク姿の男達を冷ややかに見据えながら恫喝した。


「ガキに邪魔されるなんて、抜けてる大人って証拠だろ。偉そうに言う事かよ。第一、この人にちょっかい出して、タダで済ませる訳にいかねぇな。きっちり落とし前つけて貰おうじゃねぇか!!」

「ぬかしやがったな、この野郎!」

「落とし前つけて貰うのはこっちの方だぜ!」

「清人君、危ない!」

 普段の自分に対する口調とは雲泥の差である台詞を吐き捨てた清人に、男二人がナイフを取り出して迫った。思わず警告を発した真澄だったが、清人は微塵も冷静さを失わず、却って酷薄そうに口元を歪める。まず一人が切りかかって来たが、清人はそれを冷静に体を捻ってかわしつつ、相手の首筋に手刀を叩き込んだ。


「うぉっ……」

 地面に膝を付いてうずくまった男を放置し、背後から斬りつけてきた男の腕を捕らえ、その両足の間に自分の足を滑り込ませて相手の太ももを払い上げ、自身の体重もかけて盛大に地面に押し倒す。

「ぐはっ!」

 どうやら背中を強打したらしい男の顔面を、馬乗りになった清人が容赦なく殴りつけると、男は呆気なく意識を失った。

 そして先程地面にうずくまった男の元に再び歩み寄ると、男が顔を上げて反応するより先に、その鳩尾を強烈に蹴り込んだ。

「ふぐっ……」

 その一蹴りで意識を失ったらしい相手を冷たく見下ろし、清人は真澄が座り込んで居る方に足を進めた。その頃には先程石で頭を強打された男が何とか立ち直り、立ち上がりながら呻き声をあげる。


「てめぇ……、いい気になるなよ?」

「どうせお前らみたいな屑野郎は、まともに稼いで税金を払うなんて事、して無いんだろ? 俺も払ってないが家の事はしてるから、お前らより遥かに上だ」

「ふざけんな!」

 恫喝を嘲笑で返されて激高した男が清人に飛びかかったが、清人は冷静にその腕を捕らえ、もう一方の手で男の胸元を押さえて軽く体を沈めた。次の瞬間勢い良く足が跳ね上がり、背負い投げされた男が盛大に地面に叩き付けられて転がる。更に清人はその顔を足で蹴り転がし、完全に沈黙させた。

 そんな清人の一連の行動を呆けた様に見ていた真澄は、およそこの場に相応しく無い事を考えていた。


(…………王子様、だわ)

 何故か小さい頃読んでいたお気に入りの絵本で、お姫様の危機を救った王子のイメージが清人に重なった為である。

 その真澄が言うところの“王子様”は、辺りを見回してロープが落ちているのを認めると、転がっていたナイフと併せて回収し、それを使って無表情のまま手際良く男達の手足を縛る作業を遂行した。そしてやるべき事を全て終えてから、清人は真澄の所までやって来て、地面に片膝を付いて真澄の顔を覗き込む。


「大丈夫ですか? 真澄さん」

 殴られた方の頬に手を添えられながら、真剣な顔で問いかけられた真澄だが、一気に緊張が緩んだ為か些か間抜けな問いを発した。


「どうしてここに居るの? 叔母様は部活だから遅いって……」

「部活中、負傷者が出てしまって、中止になったんです」

「ああ、そうだったの」

「そうして帰って来たら林の方から清香が一人で来たので驚いて尋ねたら、真澄さんと遊んでたけど、迎えが来て別れたなんて言うから焦りましたよ。礼儀正しい真澄さんが挨拶しないで帰るなんて有り得ないし、サングラスにマスク姿の運転手なんて居るわけありませんから。これは何か有ったと思って、清香はそのまま家に帰して探しに来たんです。見つかって良かったです」

 そう言って軽く息を吐いた清人の様子を、真澄は改めて眺めた。額にうっすらと汗が光り、乱闘中に切れたり縫い目がほつれたりした箇所が、清人が着ている学生服に何カ所か認めた瞬間、真澄の涙腺が一気に緩んだ。


「……き、清人君……」

「真澄さん? どこか痛いですか?」

 涙目になった真澄に心配そうに清人が問い掛けた瞬間、色々振り切れたらしい真澄が、いきなり清人の背中に両腕を回して力一杯抱き付いた。


「ふえっ……、こ、怖かったぁぁっ!! やだもう、最低っ!!」

「うわっ、あの、ちょっと、真澄さんっ!?」

 膝立ち状態の清人にしがみつき、胸に顔をうずめて盛大に泣き始めた真澄に、清人は激しく狼狽した。しかし躊躇したのは少しの間だけで、清人はゆっくりと真澄の背中に両手を回し、落ち着かせるように優しく撫で始める。


「もう大丈夫ですよ、真澄さん。誰であろうと俺の目の前で、真澄さんに指一本触れさせません」

 手の動き同様優しい囁き声に、真澄は漸く平常心を取り戻してきた。

「……本当に?」

「ええ、だから安心して下さい。落ち着くまで暫くこうしていますから」

 そう言われて、何となく真澄は緩めかけていた腕にもう一度力を込めた。すると苦笑する気配と共に、清人の手が動いて軽く頭を撫でられる。


(……見つけた。清人君が私の王子様だわ)

 普段の真澄の言動からすると、他人にはとても想像する事が出来ない想いを抱えながら、真澄は清人に抱き止められて頭と背を撫でられる、その心地良い感覚に身を委ねていた。



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