第03話 火の未

—— 店長の戸田



 戸田の撃沈から次の日。

 今日は夕方頃に戸田のシフトが終わり、尾崎を強制的に誘って近くの定食屋に食べに行った。

 食券を買い、受付に券を置いて戸田は尾崎の座る席へ向かった。


「疲れたー。早く帰りたいからさっさと食べてよ」

 ひたすら店中の本棚のホコリと格闘した尾崎は、年季の入ったテーブルに突っ伏す。


 今日、尾崎は本屋に遅刻してきた。理由を聞くと、夜更かしをしていた。となんとも学生のような言い訳をしてきたため、店の掃除と夕飯の付き合いを以ってして遅刻の代償とした。

 昨日は早引けして、今日は遅刻。

 学生じゃないんだから勘弁してほしい。


「人型掃除機がいるとありがたい」

 運ばれてきたお冷を口に含む。

 チラシ封入と同じく、一度仕事を与えると見事に終わらせるまで集中する能力は、出会った頃からの尾崎の長所だ。


「早く帰りたいって、何かあるのか? 彼女帰ってきた?」

 尾崎に、ただただ睨まれた。本当に彼女の話題はNGらしい。


 尾崎がテーブルから起き上った。

「母さんが倒れたんだ。大丈夫だったけど、経過観察でちょっと入院するらしいから、しばらく早めにあがれたらと思って」

 なるほど。それなら否と唱える謂れはない。


 戸田が了承すると、尾崎は礼を言い、にこりと微笑む。

 なんだか、嘘をつかれている気分だった。


「戸田さんは、女の子といい感じになってないんですか?」

 ゴマをするような手付きで尾崎はにやりと戸田を上目遣いで見る。松本さんの話題に乗り換える魂胆だ。


 戸田はため息をつき、テーブルに頬杖をつく。

「それを聞くか?」

 あんなに、名前を知れたことだけで舞い上がった姿を、見ているのに。


 小さな本屋では新たな出会いなんてものは訪れず、新たな女性バイトでも入ってくれればいいが、戸田と磯辺で事足りていたところに、尾崎もいれたのだ。人手は充分足りている。


「来客を狙うのでもいいけどさ、誘われる合コンとかに行かないからでしょ。出会いの場を広げないでどうするの」


 戸田は、説教を始めようとしている尾崎を遠い目で見た。

 口下手な戸田は、全く知らぬ相手と自己紹介をしてから会話をスタートすることに苦痛を感じ、合コンは一度行ったきりで行かなくなった。それは、尾崎ともう一人の友人と、三人で開いた合コンだった。大学時代の話だが。


 何で、こんな何を考えているかわからないちゃらんぽらんな男に彼女がいて、一応真面目に大学行って小さいながら本屋に就職した男に彼女はいないんだ。と、戸田は無償に虚しさを覚える。


 再びため息をついた。

「今度食事に誘ってみるよ……」

 昨日、磯辺が帰ってから、いいレストランをいくつか見繕った。この近辺で、本屋から遠くない、初めてでも警戒されない、ちょうど良さそうなレストランを。

「松本さん?」

「ああそうだよ」

 尾崎は目を丸くした。

「結構、あの人にマジだったんだね」

「久々、俺のタイプなんだよな。素朴女子って感じ」


 尾崎は、視線を蚊が飛びまわるように上下左右に回し、おずおずと小声になる。

「やめた方がいい……かも……よ」

 尾崎は、かも、を一段と小さくした。

 この動揺を見て、戸田は以前本屋で捕まえた、高校生の万引き少年をふと思い出した。


 何を根拠に尾崎がいったのかわからないが、尾崎は勘がいい。尾崎がこう思うなら、松本さんはかなりの悪女か、男がいる可能性はある。


「せっかくのタイプ女子を逃せってのか」


 定食屋のおばちゃんが近付いてくる。戸田の鯖味噌定食が先に運ばれてきた。


「ねちっこい男は嫌われるよ。きっくんを見習ってもう少しサバサバしときなって」

 きっくんとは、大学時代の合コンをした仲間だ。当時は、奴の一人勝ちだった。だから嫌なんだ、合コンっていうのは。


 尾崎は突然、吹き出した口を慌てて手で押さえる。

「なんだよ」

 尾崎はぐふふと漏れる笑いを堪えるのに必死だった。

「ごめん、違う。定食頼んだ人に、って……」

 自分の洒落に笑いを堪えられないおめでたい男は置いておいて、先に鯖味噌定食を頂くことにする。


「戸田、真面目でいい人なんだけどなあ」

「いいこと言うじゃん、しゅん

 昔から、戸田はこの尾崎春彦はるひこしゅんとあだ名で呼んでいた。高校の出会い始めに、戸田は春彦の「彦」の字を「産」に変えて『しゅんさん』と呼び、それに笑ったきっくん、と当人の尾崎。その三人でよく連むようになった。笑いを取るために呼んだ名前が、この年になった今でも呼んでいると思うと、学生時代とは怖いものだ。


「まあ、きっくんのチャラさは、生業なりわいゆえだからなのかな」

「あいつがチャラいのは高校から変わらないだろ。性格からきた生業なりわいだ」

「生まれながらの空き巣がくらいに着く友人なのは嫌だなあ」

「空き巣って言うと怒られるぞ」


 友人きっくんは、窃盗を生業なりわいとしている。人を脅す、傷つける、殺すような強盗まがいのことはしない、空気のような窃盗を心がけているらしい。


「もし、俺が何かして捕まったとき、戸田は警察に通報する?」

 空き巣の話になったからか、尾崎が戸田に訊いてきた。


 尾崎も戸田も、何かの事件に巻き込まれてしまった時、警察のお世話になった時、頭を掠めるのは友人きっくんのことだ。彼自身は、そんなヘマはしない、そんな証拠は残さないと豪語している。彼自身の失敗であれば、潔くお縄に頂戴されてほしい。が、自分たちの不可抗力により、窃盗を生業なりわいとする友人の尻尾をつかまれてしまうのは気分が悪い。


「事によるな」

「気をつける」

 ああ、是非気をつけてくれ。


「とにかく、あの人はやめときな」

 松本さんの話題に戻った尾崎は、今この瞬間だけ、先生のように見えた。進路相談で、この大学じゃ無理だ、やめておけ。と高校の教師に言われた事を思い出す。

「いつか、いい人現れるよ」

 少し遅れて、尾崎の生姜焼き定食も運ばれてきた。

 尾崎は今の大人な雰囲気をどこかにすっ飛ばし、可愛らしいランチセットの旗を目の前にするお子様のように生姜焼き定食にがっつき始めた。

 今のお子様だって、こんな嬉しげにお子様ランチを食す事は少ないだろう。


ないな。待つとするよ」

 ふと思いついた洒落にを口に出すと、尾崎は大きな声で笑い飛ばし、定食屋に頭を下げるはめになった。


 ここまで、松本さんをやめろと言う理由はどこにあるか、戸田にはわからなかった。

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