第06話 木の辰

—— 監禁された女



 シュンは、昨日は機嫌よく帰ってきた。いつもはリビングの椅子で遠くから観察され、一人で見ているテレビを、一緒にソファーに座って私の隣で見ていたのが機嫌のいい証拠だった。

 シュンの気分が良い事ほど、ホッとすることはない。気分が悪く、何かの拍子で殺されてしまう可能性だってあるのだから。

 殺さないよ。の彼の一言を、まだ私は信じられなかった。


 今は朝のようだ。リビングのカーテンを開けると、差し込む光が、私はまだ人であるという喜びを思い出させてくれる。まだ、シュンのあやつり人形になったわけではない。


 いつもは、シュンの方が早く起きているけれど、今日は遅かった。感覚だけど、いつもはこの時間帯はそろそろ家を出ていく準備をしているはずだった。

 リビングから寝室に戻ると、すやすやとシュンはまだ寝ている。

 私たちは同じベッドで寝ていた。冷たい床に転がされるわけでもなく、手足を縛られるわけでもなく、このふかふかのベッドに、人の温もりを感じながら寝る。

 久々の人の温もりに、守るべき常識の壁が崩れそうな気分だった。


 このままシュンが寝続け、何かに遅刻をして気分を害されて殺されるよりは、今起こす方が懸命だろうか。

 私は恐る恐る、肩を揺らしてみる。もぞもぞと、シュンは寝返りをうった。

「あの、出かける時間じゃないの? 大丈夫?」

 もう一度揺らしてみると、うっすらとシュンは目を開けた。揺らされた原因を確認し、天井を見て、目を見開くと掛け布団を掴んでガバリと上半身を起こす。

 私の方ににゆっくりと首を向けると、両手を首に回されてベッドに倒される。ふうと軽い息をつくと、シュンはまた目をうっすらと瞑った。


「ねえ、大丈夫なの?」

 シュンはこくりと頷く。

「急がなきゃだけど、もう少しいいや」

 私はそのまま、二度寝をしそうなシュンを、そわそわと見守る。


 監禁する男の事情なんてどうでも良いという感性と、ちゃんと起こさなければ後で後悔するかもという理性が激しく対立する。

 目の前の顔は、疲れている様子で寝息を立てている。


 こんな生活、一体いつまで続けるのだろう。一応会社に勤めているのだから、無断欠勤で誰かに連絡が行き、捜索してくれているのだろうか。

「いつまで——」

 思わず口に出ていた。


 シュンの目が開眼した。

 目の前の至近距離にある目がロボットのように開いたせいで、びくりと肩をあげてしまう。

「いつまでって、俺が寝てるの? それともこの生活?」

 すっかりシュンは目を覚ましたようだ。


「お、起きなきゃ、遅刻するんじゃない?」

 私の慌てる言葉をよそに、シュンは楽しそうに、私の顔にかかった髪を綺麗に直して頭を撫でてくる。

 朝の日の光を浴びて、綺麗に笑うシュン。これが、ただの彼氏であるのなら、どんなに爽やかで、甘く、理想の朝だろうか。

 シュンも起きたことだ。起きようと顔をあげようとすると、まだシュンの腕が重くのしかかり、起き上がらせてくれない。


「いつまで、監禁し続けると思う?」


 間違ってはいけない問答が始まった。

 シュンのしてくる質問は、間違えたらまた頬を、今度は別のところを殴られるのではと不安になり、じわりと冷や汗が浮かんでくる。

 初めて、食事で抵抗して殴られた頬は、痣がやっと治りだしてきた。


「私が、シュンを必要とするようになったら」


 精一杯考え、今までの会話を思い出してアンサーする。

 シュンは眉をひそめた。しまった。

「今、必要じゃないの?」


 私は急いで否定のかぶりを振る。

「必要! シュンが、私は必要です!」

 私の必死の喚きに、あははとシュンは声をあげる。首に回す腕を引き寄せ、しっかりとベッドの上で抱きしめられる。同じ洗剤の匂いが、鼻を通る。

「そんな必死にならないでよ」

 また、頭をゆっくりと撫でてきた。


「大丈夫だよ。もう、君は俺が必要なんだ。俺が嫌だと思えば、君は餓死をする。酷く抵抗すれば、絞死する。もう、慣れてきたかな? お風呂で嫌がれば水死だってある」

 もう、大丈夫だよ。

 恐怖と、頭を撫でられる安堵感。二つの対する感情が交錯し、自分はどう思っているのか、どう思いたいのかパニックになってくる。


「このまま、おじいちゃんおばあちゃんになるのもいいかもね」

 歌うようにシュンは声のトーンが上がる。


 昨日と同じように、服の隙間から手を滑り込ませ、へそ辺りを指先で撫でてくる。

 くすぐったさに、小さく反応するのが悔しかった。

「ああ、子供ができるまでにしようか? 俺が絶対に必要になるでしょう。でも、子供できたら君にもずっと一緒にいてほしいな」

 シュンは、おもちゃを選ぶ子供のような表情を見せる。

 まだ、シュンと性行為はしてない。でも、今この状況で抵抗できる気がしなかった。行為に及んだとして、抵抗をして、乱暴をされたら。想像したくはない。


 私はいつの間にか頭がぼんやりとしてきた。お酒を飲んでいるわけではないのに、思考かどんどん、目の前のシュンだけしか見えなくなってくる。


 今現在、この生活に不自由はない。食事も出てくる。寝るところもある。仕事だって行かなくていい。


 このまま、本当に出られなくても、殺されないのなら。望んだ人生ではなくても、別の幸せを見つけられるのなら。恥ずかしさを我慢すれば、いずれ恥ずかしくもなくなるかもしれない。受け入れられるのかもしれない。

 不自由はないのだから。


「ねえ、今どんな顔してると思う?」

 初めて、シュンの額に汗が滲んでいるのに気付いた。

「いい顔してるよ、そういうの大好き」

 シュンは唇を重ねてきた。今までと同じ、一方的なキス。彼の舌で口内を探られても、舌を絡めてこられても、恐怖と罪悪感で、応えることが出来なかった。口を吸われ、舌が入ってくる。

 ぼんやりと、奥に引っ込めていた舌を、解放してみる。


 シュンはびくりと身体を震わせた。

 やってしまった。私は慌てて舌を引っ込め、シュンの顔に目の焦点を合わせる。


 にやりと笑うその顔は朝日に照らされ、瞳が輝いて見えた。

「なんだよ、好きになってきた?」

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