第07話 金の未

—— 泥棒の水谷



 水谷は、待ち合わせの喫茶店に先に着いてしまい、コーヒーを頼んだ。

 尾崎から連絡が来たのは、今日の昼の事だった。久しぶりに会わないか、というものだ。戸田も来るのかと訊くと、尾崎は二人がいいと言い出した。


 おかわりをちょうど頼んだ時だった。

 ドアに取り付けられた小さなベルが鳴る。尾崎だった。


「まだ、空き巣やってんの?」


 尾崎の向かいの椅子に座った尾崎が発した一言目。水谷の答えを聞く前に、店員にメロンクリームソーダを頼んでいる。

「空き巣じゃない」

「泥棒様」

「やめないよ」

 水谷は笑みを浮かべて尾崎を見る。


 尾崎の言葉は、早く空き巣を辞めろ、という意味ではないようだった。聞き方も、好きな歌手は誰? と聞く程度のものだ。


 尾崎は、目をぐるりと動かし、周囲を確認して声を潜める。

「駄目じゃないけど。警察に捕まらないかこっちはヒヤヒヤだよ」

 それを潜めるなら、「まだ空き巣やってんの?」を潜めてくれ。

「警察に捕まることはないかな」


 店員が、メロンクリームソーダをお手拭きと一緒に盆に乗せて持ってきた。

 尾崎は、子供のような笑顔で、店員にありがとうございますと言うと、早速スプーンでアイスをほじろうとする。こつこつとバニラアイスから音がした。


「プライドでどうこうできる問題じゃないよ」

 尾崎はバニラアイスを諦め、ストローで緑色の飲み物を口に含む。


「捕まるか捕まらないか、その違いは下見と根性があるかないかだけだよ」

 この業界に入ってからの、水谷の座右の銘だった。

「オーシャンズシリーズでも、映画の大半は下準備で終わるからね。あとは、土壇場で諦めない根性だよ」

 ジョージ・クルーニーだって、どんなピンチも諦めない。高校生であの映画を見て、ファンになったことで、水谷はこの仕事に足を突っ込んだといっても、過言ではない。生半可なファンでは仕事はできないので真似はしないことをお勧めするが。


「彼女とはどう?」

 突然の質問。

 尾崎は、色恋沙汰が好きだ。そして、すごく勘もいい。


 あまり自分の色恋沙汰を他人に話すのが好きではなかったため、今の彼女のことも誰にも話したことはなかった。職業柄、何が起こるかわからない。恋愛はしたいが厄介事に人様を巻き込むのはよくない。

 結婚なんて、微塵も考えていないのだから。大好きなジョージクルーニーを、唯一真似しないところだ。一つを選べない優柔さのせいで、真似ができない。


 しかし、どこに目をつけたのか、彼女と付き合い始めには、見事に尾崎に見抜かれ、今や水谷の彼女を知る唯一の存在だ。

 尾崎と共通の知り合いである戸田にも、話していない。尾崎にも口止めはしてあった。なんだか、戸田とは一番そんな話をするのは気恥ずかしい。昔、だいぶ恋愛関係で根に持たれる事件もあった。


 そうして、尾崎は会う度に彼女との進捗を根掘り葉掘り聞いてくる。流石に、もう聞かれることには慣れた。

 尾崎であれば、話すことも億劫には感じないし、尾崎も話したところで口外することは無い。


 ただ、初めての質問だった。

 いつもなら、「最近どこ行ったの?」「次のプレゼントは?」「最近有名だから記念日はあそこに行くべき」と、具体的な質問や提案なのだ。


「勘弁しろよ。何で付き合い始めたのわかるんだ」

「そっちじゃない」

 尾崎は、また付き合い始めたのか、といぶかしげな目をよこしてくる。

「え? じゃあ真奈のこと?」

「そう」

「どうって?」

「うまくいってるかってこと」


 こんな難解な質問をされると、言い知れぬ不安が胸を過ぎる。まさか、あずかり知らぬところで破局の危機に陥っているとでもいうのだろうか。


「あんまり会えないけど、順調っちゃ順調かな。最近仕事が忙しいみたいだけど」

 会えない言い訳でもなく、実際、真奈から連絡が来た。大手企業の事務をしている彼女は、仕事は常に忙しそうだった。


「最近会った?」

「月曜会った。駅前の、この前教えてくれたレストラン」


 え、と尾崎は喫茶店にしては大きな声を上げる。周りの客数名が、こちらを向くか意識を向けた気がした。


「あのレストラン、盗みに入るって言ってたとこじゃん」

「うん。だから下見がてら」

 ふう、と尾崎は息をつく。

「女の子と誠実に付き合ってっていったよね?」

「だから付き合ってんじゃん。半年も付き合ってんだよ?」

 尾崎は渡されたお手拭きを投げつけて来た。

「コソ泥関係に巻き込むなってこと。他の誰かに盗られても知らないよ」

「大丈夫だよ。こんな俺と結婚考えちゃうくらいゾッコンだから」


 ふと携帯の電源を入れると、時計は午後二時過ぎを指していた。

「あれ、携帯変えた?」

 尾崎に携帯を奪われる。尾崎はすぐさま画面を見て顔をしかめた。

「誰、この子」


 画面には、女性とツーショットで撮られた写真が映っている。


「付き合いだした彼女と、専用のニュースマホ」

 携帯を投げつけられた。

「地獄に落ちろ」


 携帯の画面に映るのは、とある有名レストランを経営する社長を父に持つ御令嬢だ。

「しょうがないだろ、お仕事のために必要なんだ」

「だからさ——」

「誠実に付き合ってるじゃん。この彼女とも今月で一ヶ月になるんだから」

 もう、尾崎からは何も文句が出てこなかった。


「きっくんが警察にお世話になった時は、面会に行ってあげるから」

「証人になってよ」

「本当のことしか言わないよ」

「じゃあダメだ。俺有罪だわ」

 尾崎はふんと鼻を鳴らした。


「この地域にも俺の同業者意外といるからな。女性もしかりだから、はるも気をつけな」

 尾崎はテーブルに突っ伏し、右にある磨りガラスから外を眺めた。なんだか、目の前のだらけた男は、いつもと調子が違う。

「彼女は、そんなことはしないよ」

 遠い目と、遠い声を尾崎はぽそりと呟く。


 まるで、このまま細胞が分裂をすすめ、粉末状になって空気にかき消されてしまいそうだった。守ってやらねば、と錯覚しそうな、か弱い少女のような表情を尾崎は浮かべる。が、その少女はすぐに、小学三年生の悪ガキのような、いたずら執行前の、生意気小僧のような笑顔に変化する。


「ところでさ」

 いつもとは何か違う尾崎の雰囲気が、ふと元に戻る。

「泥棒のきっくんに教えて欲しいことが」

 表の顔であるフリーデザイナーではなく、泥棒へのお願い事とは、あまりよろしくない。

「何、事によっては協力しないけど」

 水谷はもう、窃盗でしか利益を得れない人間の底辺であることは自覚しているが、友人をそこに敢えて陥れることはしたくない。

「いやね、ピッキングを教えて欲しくて」

 なんとも直接的なお願いで呆れた。


「嫌だ」

 水谷の即答に、尾崎は手を顔の前で振る。

「違うよ、金庫の鍵。戸田の本屋のが開かなくなっちゃってて、来週までに提出する書類が入ってるらしいんだ」

 水谷はいぶかしげに尾崎を見据えた。尾崎の顔は、純粋無垢な少年の顔をしている。捨て犬を抱え、この犬飼いたいと必死に母親を説得する子供のようだ。


「開け方っていうより、構造とか鍵の成り立ち的なもの教えてもらえれば、多分なんとかなると思うんだ」


 知っている。

 知っているよ、はる

 お前は賢い子だ。この泥棒の頭脳の中にインプットされている鍵についての情報を、一教えるだけで、十はそこから自力で辿り着けてしまう。

 お前はそういう頭を持っている。


 あまり快くはないが、尾崎のやることに、口出しするのも野暮である。水谷の生業を知った上で、友人を続けてくれているのだから。


「じゃあ、一度しか説明はしないぞ。よく聞け」

 水谷は持ってきていた鞄からポールペンを取り出し、テーブルの端にあるペーパーを一枚引き抜き、それをノート代わりに講座を開始する。


 尾崎は目を輝かせ、礼を口にした。

「これから、んだ」

 随分な変化球が投げられる。

 尾崎の一人七変化による顔面ショーと突拍子もない会話の応酬で頭がついていかなくなってきていた。こんなんで、よく何年も友人を続けていられるものだ。

「何それ」

「知らないの、おこちゃまだなあ」

 尾崎は子供のように歯を見せて笑った。

 子供に子供と言われると、想像以上に苛立ちを覚えるものなのだ、と水谷は今日の教訓にした。


 もう、尾崎のメロンクリームソーダは乳白色の薄緑の飲み物と化していた。

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