第08話 金の申

—— 店長の戸田



 今日は尾崎のシフトは入っていなかった。が、奴は今日も本屋に来た。暇な奴だ。しかも、久々に見る物盗りと一緒に来店した。


「戸田あ、久々じゃん、ほんとに本屋の店長してんね」


 もさもさした茶髪に雑誌の表紙になりそうなスタイルと服装の男。

 大学時代に合コンを開催し、全て一人勝ちの圧勝をされた友人きっくんとは、彼のことだ。きっくんこと水谷紀一みずたに きいち。ご近所密着型の本屋に全く似つかぬ彼は、最新作の本の並びをふらふらと見ている。


「この店のものは盗らないでくれよ」

 戸田が言うと、水谷は体勢をそのままに、瞬時に鋭い目つきで本屋を見回した。他に客がいないか、チェックしたようだ。今、この店には悪友三人しかいない。磯辺は、今日は遅番だからもうすぐ出勤するだろう。

「こんなチンケな店、むしろ投資してあげたいよ」

 水谷は肩をすくめた。


 水谷のカーディガンの袖からちらりと覗く腕時計の文字盤が、きらりと光った。洗練された黒光りする時計。スタッフルームに置いた雑誌で見た、今期新作のウブロだ。数百万するものだった気がする。

 戸田は、ニクソンで奮発した五万の黒光りする時計で時刻を確認する。午後三時前だった。


「おはようございます」

 磯辺が本屋の自動ドアを通って入ってきた。レジ周りに集る客に一瞬驚くが、客の内、一人は尾崎であると認識して警戒を緩めた。


「おはよう、磯辺くん。これ、友達のきっくん」

「どうもー」

 水谷はひらひらと手を振った。

 磯辺はぺこりと頭を下げると、戸田の後ろのスタッフルームへと消えていった。


「なんだよ、女子店員いないの?」

 水谷は不服そうに顔をしかめる。

しゅんで、もう定員オーバーだ」

「そんなことなら、はるを追い出せ。眼鏡清楚女子を期待したから来たのに」

 雑誌でも買って貢献しようかなー、と水谷はふらふらとレジから離れ、奥へと入っていく。


 磯辺がエプロンをつけてレジに入ってきた。

「眼鏡じゃないけど、清楚女子なら、お客さんとして来ますよね。戸田さんの好きな」

「清楚っていうより、素朴女子かな」

 もう、尾崎にも磯辺にも、この言われようだ。隠す必要もない。


 尾崎が肩をびくつかせた。

「そうだね、あの子、よく来るよね。磯辺くん、今日の仕事は何するの?」

「え、今日……はいつも通りですかね」

「そういえば、ここのところ来ないな、松も——」

「戸田! 磯辺くんに、今日のやること伝えてあげたほうがいいんじゃない」

 尾崎がうるさく割って入ってくる。なんなんだ、こいつ。

「うるさいな、やることなんていつもと変わらん」

 

「何なに、気になる女子の話?」

 言葉通り、水谷は手に料理雑誌を持って現れた。一流のレストランから、穴場の老舗まで紹介し、簡単に作れる手料理もいくつかレシピが載っている雑誌だ。こうやって、チャラ男はちゃんと勉強しているのか。そう思うと、努力家であり才能だと思う。モテるための努力をしているのだ。


 レジに通し、紙袋に入れて渡す。

 もうこの際、水谷様にレクチャーを受けた方がいいだろうか。

「なあ、素朴系女子が最近来るんだ。レストランとか誘うのに、どこかいい店ないか?」

 恥を忍んで聞いてみる。


 隣で、尾崎が頭を抱えるような仕草をしている。そんなに、戸田が女性に対して積極的なことが面白いのか。いつもはもっと積極的になれって言うくせに。


「へえ、戸田が珍しい。俺も一人素朴女子と付き合ってるよ」

 一人、という言葉に引っかかる。何人かと同時進行で付き合うのは、水谷の常ではある。一体、どこまでが仕事のためで、どこまでがプライベートなのか。


「お前、今何人と付き合ってんだ」

 戸田の質問に、水谷の手はジャンケンのパーを示している。

「すご」

 ぼそりと磯辺が呟いた。磯辺、憧れないでくれ、頼むから。

「ちゃんと、皆さんに了承を得ているのか?」

 戸田が聞くと、水谷は深いため息をついた。

「こういう真面目なこと言われるから戸田に言いたくないんだよ」


 と、買った雑誌を紙袋から取り出し、パラパラとめくる。ある一つのレストランの紹介ページを指さした。

 この本屋から近くではあるが、駅前の高層ビルの中に位置する超高級レストランだった。イタリアンのコース料理の説明がある。イタリアンレストランとは、サラダとパスタとピザ、最後にデザートを、分け合って食べるものではないのか。戸田の頭の中には、ファミリーレストランを少し高くしたイメージのレストランしか思い浮かばない。窓際で、ワインを傾けながら、高層階から夜の夜景を楽しむレストランなんて、論外だ。

 こいつに聞いたのが間違いだった。


「ここ、この前彼女と行ったんだけど、めっちゃいいとこだったよ」

「きっくん」

 苛立ちを隠さない尾崎が水谷を制する。

 水谷は笑って、雑誌をパタリと閉める。


「ま、もし行くなら今週中の方がいいよ。その後はレストランの社長次第かな」


 この言葉で、戸田は察する。このレストランが、彼の、次のターゲットであると。その下見として、彼女とレストランに行ったのだ。

 罪な男。死んだら、確実に、色情地獄に堕ちて欲しい。


「そういえば、その素朴女子、さっきも連絡したんだけどさ、最近すぐに連絡返ってこないんだよね。この時間いつもなら返ってくるんだけど。繁忙期なのかな。それか潮時かな」

 水谷はポケットから携帯を取り出した。待ち受けには、携帯に元から入っている壁紙と、複数の通知がある。

「浮気バレたんじゃないの」

 尾崎の言葉に、水谷は鼻を鳴らす。

「浮気がバレるほど甘い人生送ってない」

 水谷は携帯をいじる。


 携帯の、通知音が鳴った。戸田は自分の携帯を確認する。あまり聞かないタイプの通知音だ。ちゃんと設定を変えているタイプで、自分でないことはすぐにわかる。


「最近ってこんな音も通知にできるんですね」

 磯辺が、自分の携帯を確認して言う。戸田と同じく、自分ではないかと確認したようだ。

「ガラケー時代は、通知音好きな曲とか使ってたなー」

 尾崎も、自分の携帯を確認している。

 水谷は、しばし固まっていたが、携帯をしまった。

「なんかのアプリの通知じゃないか? 出会い求めてんの、戸田」

「俺じゃない」

 水谷にかみつくと、奴はへらへらと笑った。

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