第12話 日の巳
—— 監禁された女
「いってらっしゃい」
私がそう言うと、シュンはにこりと微笑んで家を出て行く。
改造したのか、鍵は内からも外からも彼の持つ鍵でしか開かないようになっている。
もう少し考えれば、もっと隙を見てどうにかできたのかもしれない。逃げられたかもしれない。が、何故か、どういうわけか、あまりシュンから離れるという気分にならなくなっていた。
シュンは、絆創膏や包帯などを買いに、出て行った。
昨日、シュンは血を流して返って来た。後頭部に傷があり、頬も殴られ、腹には大きな打撲の痕があった。誰にやられたのか、どうしてやられたのか、シュンは何も言わなかった。こんなになるまで痛めつけるなんて、その人物は人の道を外れている。
初めて、シュンの身体に自分から触れた。細くて、今にも壊れてしまいそうな華奢な身体。傷を洗ってやると、痛みを堪えながら何も言わず、こちらに身を委ねてくれる。
それが、嬉しかった。
私は、朝食の片付けがまだ終わっていないテーブルに手をつく。シュンが出て行って、朝日を浴びるリビングはがらんとした殺風景さが身にしみた。
食器をシンクの桶に張る水につけ、洗い物を始める。
早く、帰って来ないかな。
そう思った時、玄関の鍵がゆっくりと開いた。忘れ物でもしたのだろうか。近くにさげられているタオルで手を拭き、玄関へ駆け寄った。
「開けてよ」
「なんで俺が」
「ちょっと怖いじゃん」
「はあ?」
ドアの向こうから声がする。
ドアが開いた。
玄関とリビングを隔てる扉の前で足を止め、硬直した。
ドアから現れたのは、シュンではなかった。
「松本さん?」
ドアを開けて玄関に立っていたのは、確か戸田という、いつも寄る本屋の店員だった。
「松本さんだね」
後ろから顔を覗かせるひょろりとした男は、同じく書店店員の、確か尾崎。こちらの姿を目に映すと、小さく息をついた。
男たちは靴を脱ぎ、上がり込んでくる。
「大丈夫ですか?」
戸田は駆け寄って肩に触れてくる。触れられると、背筋にぞっと悪寒が走るのを感じた。突き放し、自分の肩を抱いて震えを抑える。
ショックを受けた戸田は、私に触れようとした形のまま固まっている。
「あはは、戸田残念」
尾崎はこちらを振り返ると、にこりと微笑んで手を差し出してきた。
「さあ、もう大丈夫。ここから出よう」
ここから出る?
差し出した手をつかまない様子に首を傾げた尾崎は、するりと私の手をつかんだ。
この男は、私をここから出そうとしている。
シュンの家から。
いいようのない恐怖にかられ、手を振り払った。
尾崎はその行動に眉を顰める。
「出たくないの?」
その問いに、答えられなかった。
私は、監禁されていた。
この家を出なければいけない。
それが、普通なのだ。
「シュンの家から出たら……私は生きられない。出ちゃいけないの。死んじゃいけないから」
隠し事がばれた子供のような、たどたどしい口調になっていた。
「しゅん?」
戸田と呼ばれた男が呟く。
尾崎は顎を軽くつまむ。
「シュンね……」
どたどたと部屋に、新たに人物が入ってくる。
全力疾走でもしたかのように息をきらし、汗を流し、リビングに駆け込んできたのはシュンだった。
「シュン!」
慌てて私はシュンに駆け寄る。
シュンは駆け寄った私の肩を大事そうに抱き、侵入者二人を睨みつける。
「俺の物に手を出さないでくれませんか」
戸田と尾崎は顔を見合わせ、もう一度私たちを見た。
「磯辺と松本さんがどうして」
戸田は信じられないという顔を向けてくる。
「何が俺の物だ。誘拐、監禁しておいてよく言うよ」
尾崎の言葉が、頭の中で浮遊する。
ゆうかい。
かんきん。
「もう、真奈はそんな事思ってない。今日だって、笑顔で見送ってくれた。真奈に、俺は必要な存在なんだ」
「頭おかしくなったか。お前、何でこんなことやってんだよ」
戸田がシュンに喚く。
見上げると、シュンの目が潤んでいるのがわかった。悲しさなのか、悔しさなのか。
「なんであんたが、あんたは一緒だと思ったのに」
シュンの言葉に、尾崎が肩をすくめた。
「俺、松本さんを誘拐する現場目撃しちゃったんだよね。たまたま、母さんの病院行く時に」
だから、ずっと知ってたんだけど、警察に言えない事情がありまして。とお笑い芸人の漫才のボケのように頭に手を置く。
「君、男運ないよ。きっくんはやめた方がいい。もちろん、その隣の男もね」
尾崎はシュンをびしりと指差す。
「ということで、松本さんにお勧めしたいのはこの男! 真面目で実直で、長年彼女ナシなんでなかなか浮気をしないと思います!」
尾崎の隣に立つ戸田を、商品紹介のように胸をバシバシと叩く。
「今なら子猫もオプションで付いてくる! チンコは人並みですがいかがでしょう!」
戸田に頭を叩かれ、尾崎はうずくまった。
「痛い」
尾崎を殴りつけた後に、戸田は戸惑うように真奈を見た。
「水谷の、彼女さんだったんですか」
私は、思い出すように頷く。そう、あたしは紀一の彼女だったのだ。
「はい」
思わず返事をし、私はシュンを見た。いつの間にか、シュンの腕はだらりと下に垂れ、私の肩を抱いてはいない。
「真奈さんがそれでいいと言ってくれるなら、俺たちはこいつを警察に突き出さない。だから、とりあえずこの部屋から出て、外で話そう?」
優しく、子供を諭すような尾崎の声。
隣の子供には、この声が届いているのか。
「君には、やっぱり彼氏さんが必要だった?」
見上げると、濁った瞳がこちらを、見据えている。
「わたし、は——」
「その彼氏さん、浮気してますよ」
尾崎は小さな声で言うと、携帯の画面を見せてくる。そこには、ツーショットで見知らぬ豪華な女性と写る紀一の姿だった。小さな密告に私の頭は瞬時に紀一とのレストランを思い返す。
「はあ!?」
尾崎がにやりと笑った。
「しかも五股」
戸田も、ジャンケンのパーの形を見せてくる。
結婚を視野にいれるとか、そういうレベルの問題ではなかった。そう、あんないい男が、半年で簡単に平凡な女の物になるわけなかったのだ。
「あんな人、もう知らない」
つと言葉を発して、再びシュンを見上げる。彼の問いを思い出した。
——君は、誰かに必要とされてる?
私は、必要とされてなかった。私にとって——。
「紀一は、必要じゃない」
けれど、あなたも、異常で、残酷で、恐ろしい人。
チキチキと、カッターの刃をひり出す音がする。
「そっか、ありがとう。一週間、思ったより楽しかったよ」
シュンは、にこりと微笑んだ。
突き刺されたような悪寒と共に、その笑みに魅入る。なぜ、彼はこんな悲しげな笑顔なんだろう。
シュンは隠し持っていたカッターを振りかざした。その方向は、彼自身の首に向かって。
素早く動いたのは戸田だった。瞬時にシュンに近付き、彼の持つカッターをはたき落とした。シュンの身体が一瞬ふわりと浮かぶ。
どしん、と大きな音と共に、シュンは戸田に床へ投げ伏せられていた。
「いい加減にしろ。もう、お前はクビだ。でも、自殺までするんじゃない」
カッターを拾った戸田がシュンに吐き捨てる。
尾崎が吹き出した。
戸田は尾崎の方を見る。
「笑いどころあったか?」
「クビの人の首は落とさせないって……」
「言ってない」
戸田は呆れたように息をつくと立ち上がった。シュンは、そのまま観念したように床に大の字に伸びている。
何か、口が動いている。しゃがみ込み、シュンの顔に耳を近付けると、シュンは小さなかすれ声で、歌うように言葉を並べていた。
重力ばかりで、抗力をなくした人間は押しつぶされるんだ。
必死に摩擦力を探しても、まだ見つからないで、転げ落ちていく。
転げ落ちる僕を見ても、誰も摩擦力を貸してくれはしない。
滑るボールより、滑らないボールの方がいいと言う。
滑るボールを欲してくれる人が、一人くらいいたっていいじゃないか。
滑り落ちるボールを邪魔する壁は、ぶち壊せばいい。
何かの、詩のような
戸田に肩を抱かれて、私は立ち上がる。そのまま連れられ、重い足取りで、シュンを後にしようと歩き出した。
「どうして、こんなことしたの?」
尾崎は、まるで子供が大人に簡単な疑問をぶつけるように、訊いた。
沈黙。
全員が、シュンの言葉を待った。
「人生上手くいく人なんて、そういないんです。そういう役作り、ですよ」
楽しそうに声を上擦らせ、シュンは答える。
「
帰り際、尾崎が詩を詠むように
「隼は、冬の鳥ですよ。追い出すのは俺だ」
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