破テンコウ

伊ノ蔵 ゆう

第01話 火の子

—— 監禁された女



 目が覚めると、自分の体が自由でないのに気付いた。


 手足がロープのようなもので結ばれ、思うように動くことができない。

状況も把握できない。

 私はとりあえず、ない腹筋でなんとか身体を起こして、辺りを見回した。


 私の左には大きめのテレビがある。夜のバラエティ番組が、無音で流れていた。唯一の明かりに、眩しくて一瞬目を細める。


 首を右に振ってみる。私を挟んでテレビの向かい側にはソファがあり、その向こうにはダイニングらしきテーブルと四脚の椅子がある。

 目の前にはドアが一つ。後ろに首を捻ると、締め切られたカーテン。


 時刻は夜なのか、電気のついていないそこはテレビの明かりだけが光源になっている。


 縛られる腕でなんとか衣服のポケットを探ってみても、携帯は入っていない。


 知らない部屋。ここがどこだかわかりそうな手掛かりは何もなさそうだった。

 もう一度室内に目をこらすと、ダイニングテーブルの上に鞄が置いてあるのが見えた。自分の鞄だとわかると、這ってテーブルへ近づく。

 肩がテーブルの脚に当たるくらいまで近づいた時、部屋の明かりがついた。

 突然の光に目を細め、辺りを見回す。ドアの前に、一人の男が立っていた。


 血の気がさっと引くのがわかった。手足が冷たくなるのを感じる。


「あー、駄目だよ、動いちゃ。鞄が欲しかったの?」


 男だった。服装はパーカーにジーンズで、深くまでフードを被り、顔を隠している。フードの向こう側も、長い前髪で表情は見えない。男はゆったりとした足取りで近づいてきた。

 テーブルに近付くと、鞄をつかんで、私の目の前に放り投げる。

 先月のボーナスで買った鞄は、大きな音を立てて、私の足元に落ちる。反射的に、自分の鞄からずりずりと遠ざかった。


 男は首を傾げ、近付いてくるとしゃがみこみ、同じ目の高さになる。

「何か欲しかったんじゃないの? 言ってよ。出してあげる」


 近付く男から私は顔を背ける。ぐっと噤む口が、テープ等で塞がれていない事に、今気付いた。


 男はこちらが反応しないのを見て、鞄を元に戻し、私の前に胡坐をかいた。

痩せ型の男は細長い腕で頬杖をつき、もう片方の腕をこちらに近付けてくる。


 恐怖で身体が動かなかった。

 男はまるで恋人のように、私の頬をやんわりと撫でてきた。人差し指、中指と順番に撫で、頬を包み込むと、親指でゆっくりと頬の上を移動させる。

 その親指は、さらに移動して唇をなぞる。爪が歯に当たり、親指を口内に押し込まれる。舌を撫でられ、口の端を引っ張られる。男の親指が、そのまま喉を突き刺してきそうで、震えを抑えることができなかった。

 口内から離した手を、男は舌で舐めた。髪の向こうから濁るような瞳が見え、口角を上げて浮かべる光悦の表情が、恐ろしかった。


「なるほどねえ。こんな表情になるのか」


 小動物を手に持つかのように、首を両手で包み込むんでくる。このまま男が親指に力をいれたら、私は死ぬ。

 汗がにじみ、息が上がり、生唾を飲む度に男の手の感触を再確認する。

 男はこちらの首をぐいと引き寄せ、鼻と鼻がつくほど顔を近づけた。

 男のフードがはらりと後ろへ落ちる。


「大声あげても、誰も来ないよ」

 優しく囁くように、男は言葉を繋げた。

私は涙が止まらないことに気付いた。目の周りがぐしゃぐしゃで、男の顔がぼやけて見える。

「あ、でも君を殺すとか、そういう事は考えてないから安心して」


「どうして……」

 自分の非がわからなかった。こんなことされる覚えがない。


 こちらの混乱を楽しむかのように、男は唇を私の顔に触れさせてきた。そこにあることを確かめるかのように、唇を移動させる。最後に口を舐め、舌を入れてきた。

 何も出来ず、受け入れることしか出来ない。舌を奥に引っ込ませていても、絡めとられる。口を離すと、舌から舌に掛けて、唾液の橋ができている。


「下手くそ」

 やんわりと微笑む男の目は、全く光を写していなかった。

 どんな経験をすれば、こんな冷めきった表情が出てくるのだろうか。

 背筋に氷を滑らせたような悪寒が走る。


「俺を必要としてくれる人を作りたかったんだ」

 男は、付き合いたての恋人のように恥ずかしそうに私の頬にキスをした。


 この男を、私は知っていた。

 でも、この男が手足を縛り、暴力を振るってくる理由が思い浮かばない。そんなことをするような人だとは思わなかった。


「怖がりだね。可愛い」

 と、笑みを浮かべた男の顔を見て、希望の光が潰えた。

 真っ直ぐで無垢なその笑顔は、罪悪感など微塵も感じなかった。

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