第10話 ヤシロとメンズのレイニーナイト

 その豪雨は突然やってきた。




「なんじゃ、この豪雨。1メートル先が見えねぇじゃねぇか」


「数年に一度、こういう豪雨があるんッスよ。出歩くのは危険ッスからやめた方が賢明ッス」




 今朝、ナタリアが「午後から明日の明け方まで雨が降る」と警告しに来ていたが、まさかこんな雨量になるとは……




「ヤシロさん。こんな天気ッスし、オイラの家でよければ泊まっていくッスか?」


「そうだなぁ……ジネットたちには行き先伝えてあるし、そうするかな」




 俺は今、トルベック工務店に来ている。


 ティータイムのピークが終わり、ディナータイムまでに用事を終えてしまおうと出かけたのが間違いだった。


 ナタリアの忠告を聞いて陽だまり亭に閉じこもってりゃよかったよ、くそ。




「そういやウーマロは、すげぇ豪雨の中陽だまり亭に来てたことあったよな?」


「ある程度の豪雨なら平気ッスけど、さすがに今回のは危険ッスよ。風も強いッスし」




 ウーマロの言う通り、豪雨に加えて横殴りの突風が吹き荒れている。


 日本の台風が可愛く見えるくらいの大嵐だ。これ、外に出たら確実に吹き飛ばされるな。




 雨脚はさらに強くなり、もはや20センチ先すら見えないほどだ。




 よし、諦めよう。




「陽だまり亭まで、たいした距離じゃないんだけどな」


「その油断が怖いんッスよ。昔、建築途中の家が気になるって様子を見に行った大工がそのまま行方不明になったとか、そんな話は枚挙に暇がないッス」




 日本でいうところの、「ちょっと畑見てくる」みたいなもんか。


 危険だと分かっている時に外に出るのは控えた方がいいな。




「……マグダが迎えに来たりしないだろうな?」


「店長さんがいるから大丈夫だと思うッスよ。それに、マグダたんたちなら平気ッス。ヤシロさんがいなくてもきちんとお店を守れるくらいに大きく成長しているッスから。きっと店長さんのことも守ってくれるッスよ」




 ……別に、ジネットのこと心配しているとか一言も言ってないだろうが。


 なんだよ、その「心配症ッスねぇ」みたいな顔は?


 鼻にぬかみそを詰め込むぞ?




「なぁ。ウーマロの鼻に詰め込めそうなクッサイ物、なんかない?」


「あったとしても絶対渡さないッスよ!?」


「え、なんで?」


「保身ッス!」




 ちっ。


 こいつは自分のことしか考えてないのか。けしからん!




 突風が吹き、窓ガラスをがたがたと震わせる。


 ともすれば、屋根ごと吹き飛んでいきそうなくらいに家全体が軋みを上げて、若干揺れているようにすら感じる。




「……家、壊れないだろうな?」


「大丈夫っスよ。嵐にも豪雪にも耐え得るように設計してあるッスから。勿論、陽だまり亭も、ロレッタさんの新居も、教会も、オイラたちが手掛けた家はどこも安心ッス」




 だから、俺が一言でもそいつらを心配するような言動をしたか?


 なんで「まったくもう、ヤシロさんってば」みたいな顔して微笑んでんだ?


 鼻に繁殖力がえぐいハーブの種植えるぞ?




「なぁ、ウーマロの鼻を家庭菜園にしてもいい?」


「いいわけないッスよ!?」


「え、なんで?」


「いちいち聞かないで、たまには自分で考えてッス!」




 自分で考えろって…………やっぱ保身か?


 自己中キツネめ!




「とりあえず、ヤシロさんは工房で待っててッス。居住スペースを片付けてくるッスから」


「別に散らかってても気にしないぞ?」


「やはは……それがその、男の一人暮らしッスから、かなり酷い有り様なんッスよ」




 まぁ、分からんではないな。


 俺も一人暮らししていた時代は部屋の掃除なんかほとんどしなかった。


 ただ、物をため込む性分ではないので比較的片付いて見えてはいたけどな。散らかる物がなかったから。




「手伝うか?」


「とんでもないッス!? ヤシロさんにそんなことさせられないッス」




 俺は何様なんだよ?


 この世界ではお前の方が年上だろうに、へりくだり過ぎだ。


 ……まぁ、先輩風吹かせて尊大な態度取り始めたらソッコーで叩き潰すけども。




「気にすんなよ。ただ、掃除後にお前のパンツが二~三枚ほどなくなってるだけだから」


「何に使う気ッスか!? ヤシロさん、いらないッスよね、オイラのパンツなんか!?」


「俺はいらんが、金物ギルd……特定の顧客層には高値で売れると思うんだ」


「ここにいてッス! すぐ片付けてくるッスから! 絶対ここにいてッス!」




 強く強く念を押して、ウーマロが工房を出て行く。


 ちぇ~。絶対売れたのになぁ。


 四十二区一番の出世株で将来安泰、紳士的な態度と大工仕事で鍛えられた引き締まったボディから、ウーマロは実は密かに人気が高い。


 主に、金物ギルドの乙女たちから。……ぷぷぷー!


 まぁ、ちらほらと、女子連中からも人気があるようだが……マグダ病の重症患者であるウーマロのどこが紳士的だというのか、俺には理解出来ない。




「まっ、お人好しであることは間違いないけどな」




 俺に散々利用されているというのに、こうやって警戒心もなく俺を泊めてくれるあたり……あいつ、日本にいたら詐欺に引っかかりまくってたんじゃないだろうか。


 よかったな、四十二区の住民になれて。




「ウーマロ、お茶もうらうぞー」


「はーい……って、あるッスかね?」




 工房と居住スペースは室内でつながっており、その間に厨房が設けられていた。


 工房に来た客にお茶を出せるようにってのと、仕事場と居住スペースを区切る目的と、双方の理由から工房と居住スペースの間に厨房があるのだろう。


 レジーナの家もミリィの家も、店舗と居住スペースの間に厨房がある。


 こちらの店舗型住居の基本スタイルなのだろう。




 で、厨房を物色してみたのだが……




「なんもねぇな」


「水は、あるんッスけどね」




 ウーマロの厨房には、お茶どころか食材が何もなかった。


 調味料すらほとんどない。塩と砂糖が申し訳程度に置いてあるだけだ。




「お前これ、独身寮のキッチン並みだぞ。一戸建ての厨房とは思えねぇ。1K住まいまでだぞ、こんな惨状が許されるのは」


「いや、よく分かんないッスけど……、オイラ食事は基本陽だまり亭ッスし、そもそも料理とか出来ないッスから」




 初めて一人暮らしを始めた男子大学生だってもう少し調味料を持ってるぞ。


 いや、男子大学生の方が独り暮らしに張り切っちゃって、使ったこともない調味料とか買い揃えたりしがちなんだよな。「お前、ナンプラーなんかいつ使うんだよ?」ってヤツを何人か知っている。そういうヤツほど簡単にコロッと騙されt…………いや、なんでもない。




「とりあえずウーマロ、ナンプラーを買おうか」


「なんッスか、それ!? 聞いたこともないッスけど!?」




 だってほら、ウーマロにはいつまでもバk……純粋でいてほしいじゃん?


 騙されやす……素直で真っ直ぐで決断力のあるところがウーマロの長所だもんな☆


 その象徴としての『使いもしないナンプラー』だ。




 ま、俺がこっちでガパオライスでも流行らせれば飛ぶように売れるんだろうけどな、ナンプラー。




「つかお前、これどうするよ? 今日の夕飯」


「夕飯は陽だまり亭に行くつもりだったんッスけど……」




 窓の外を見る。


 もはや、窓の外は数センチ先も見えない。ガソリンスタンドの洗車を車中から見ているような気分だ。雨というレベルを超えた水が窓を流れ落ちている。




「……今日は無理ッスよね」


「それが出来るなら俺は帰ってるけどな」




 ナタリアの言葉を信じるなら、明け方まで雨は続くらしい。


 ……あいつの天気予報当たるんだよなぁ。くそ。




「申し訳ないッスけど、夕飯は我慢して、明日の朝一番で陽だまり亭へ食べに行くッスかね」




 まぁ、一食くらい抜いたってどうということはないけどさ……




「ヤシロ、ガマンとか、チライ!」


「なんでこのタイミングで甘えん坊キャラになるんッスか!?」




 抗いたいもんだろう、人生って!? それが人生だろう!?




「お前の部屋に何かないか? 保存食とか、食べかけのお菓子とか」


「おいら、家ではほとんど物を食べないッスから、たぶんないと思うッス」


「謎のキノコが繁殖してるとか」


「仮にあっても、それは食べたくないッスよね!?」


「とりあえず調べるだけ調べてみようぜ」


「あっ、ヤシロさん!?」




 ウーマロの隣をする~っと通り抜けて居住スペースへと足を踏み入れると――




ったねっ!?」


「だから言ったじゃないッスか!?」




 そこは、足の踏み場もないような酷い有り様だった。




 まず、洗濯物の山がどん!




「洗えよ……」


「これは、二週間くらい溜めて、まとめてムムお婆さんのところへお願いしに行くんッスよ」




 おぉ、洗濯屋をマジで洗濯のために使ってるヤツがここにいた。


 ムム婆さんからそういう客もいるって聞いたことはあったけど、お前だったのかウーマロ。


 それって、Tシャツとかパンツまでクリーニングに頼むような感じでもったいなくねぇか?




 ……コインランドリーとか作ったら儲かるかな?


 ロレッタのとこで思いついた手動洗濯機の開発に乗り出すか……




 で、洗濯物とは離れた場所に紙類がばさばさっと。




「なんだよ、この紙類は?」


「建築のアイデアが浮かんだ時にさっと書いてる覚書ッス。ちゃんとした書類は工房の方に整理してしまってあるんッスけど、メモ類はどんどん増えちゃうんで、ちょっと乱雑に……やはは」




 え、なに?


 お前って、そんなに湯水のようにアイデア湧いてくるの?


 この街の建設って、結構高水準になってきてると思うんだけど……日本と比べさえしなければ、だけど。




「ヤシロさんからもらったヒントとか、ここらへんに書いてあるんッスよ」




 ヒントなんかやった記憶がない。


 俺との会話からインスピレーションを得てちょいちょい書いているらしい。


 ヤダ、なにこの天才肌、ちょっと怖い!?


 意図していない俺の発言から新発明とか生み出してんじゃねぇよ。無意識で現代知識による改革とか、この街の秩序ぶっ壊しそうで怖いからやめてくれる?




「じゃあ、あとで査定するな」


「アイデア料取られるッスか!?」




 当たり前だ!


 俺の知識はタダじゃないんだよ!


 ……という体で、ちょっと自重させなきゃな。




 いや、こっちの世界の住人が勝手に思いついたものに関しては俺に責任なんかないのでは?


 うん、そうだな。もし何かしら問題が起こっても、それはすべてウーマロのせいだ。




「破壊神め」


「創造するためのアイデアッスよ!?」




 で、あとは何がどう散らかっているってわけではないのだが、なんとなく雑然と汚い。


 整理出来ていないデスクの上みたいな、要らない物があるわけじゃないのに整理されていない感じだ。




「とりあえず片付けるッス」




 と、床に散らばっていた物をかき集めて、整頓して、空いたスペースに置く。




「って、それ! それだよ、片付かない原因!」




 空いたスペースに物を置いてたら、『空いたスペース』の場所が変わるだけだ。




「物はきちんと、『片付ける場所』を作ってそこに置くように習慣付けるんだよ」




 使ったものを適当なところに置いたり、「あとで片付けるから」って放置したりするからどんどん散らかっていくのだ。


 面倒でも置き場所を定めて、あるべき場所に収めておくのが整理整頓の基礎だ。




「洗濯物も、でっかいカゴでも作ってそこに入れるようにすれば、山が崩れてあっちこっち散乱しなくなるし、ムム婆さんのとこ持ってく時もそのカゴごと持って行けるだろう?」


「なるほど、それは便利ッスね! オイラ、物作るの得意ッスからさっそくやってみるッス」


「ついでに、アイデアメモを貼っておける掲示板でも作っとけ。床や机にバラまいておくより紛失しにくいし、目につくことで新たなアイデアを生み出すきっかけにもなる」


「なるほどなるほどッス! 床に散らばってるから部屋が散らかって見えるッスね!? 壁に貼ってあれば場所も取らないッス!」


「あと、要るかどうか分からないけど捨てるのはちょっと躊躇うってヤツが片付けの一番の敵だから、一時保管箱を作っておくといいぞ。箱の底の方で一年くらいまったく手を付けなかったら、そいつはもう要らないと判断して捨てちまえ」


「むぁああっ、そーゆーの多いんッスよねぇ! たぶん要らないッスけど、でも捨てた後『あの書類どこ行った?』とか言われると困りそうな、扱いに困る系の物! 一時保管箱、採用させてもらうッス! さすがヤシロさんッス、面白い発想が次々出てくるッスね!」




 はっ!?


 またしてもウーマロにアイデアの種を与えてしまった!?


 しかも無料で!?




「700Rbになります」


「有料ッスか!? いや、それくらいなら普通に払うッスけど……」




 こんなしょーもないやり取りで7000円払うとか、お前、金持ちか!?


 俺なら、相手の弱みを握ってでも拒否するけどな!




「と、いうかだ。人間が生活する上で『あるべき場所』ってのはたいてい決まってくるもんなんだよ」




 日本だろうが異世界だろうが、人間である以上お決まりの置き場所なんてのは似たり寄ったりになるもんだ。


 たとえばそう、アレなんかはどこ出身の男子中学生でも大抵同じような場所にしまわれているものだ。




 というわけで、ウーマロのベッドの下を覗き込む。




「…………ないな」


「何を探してるッスか?」


「有害図書(十八禁)」


「持ってないッスよ!?」


「はっは~ん。引き出しの裏派か?」


「そんな派閥聞いたこともないッスけど!?」


「な……っ!? 引き出しの裏にもないだと!? ……ま、まさか、お前……天井裏派か!?」


「だから、どこの派閥にも属してないッス!」




 なんてことだ……


 ウーマロの家には一冊の有害図書もないのか……


 ということは、こいつは……こいつこそが……






 国道沿いの雑木林や公園裏の森に大量投棄していく派の人間だったのかっ!?






 ……すげぇ、初めて見た。


 ガキの頃は「誰がこんなところにこんなお宝を捨ててくれているんだろう」と不思議だったものだが……




「ウーマロ……」


「な、なんッスか?」


「その節は、お世話になりました!」


「どの節ッスか!? たぶんッスけど、オイラ一切関係ない話ッスよね!?」




 お前は、幼気な男の子たちの英雄だぜ。




「……英雄様」


「それヤシロさんッスよね!?」




 バッカ、俺じゃねぇよ。


 英雄になんかなった覚えないから。




「とりあえず、片付けるためにカゴと棚と掲示板を作るッス」


「まぁ、食材もないし、寝るには早過ぎるし、片付けも進みそうもないし……それしかないか」




 何か作業に没頭していれば時間も過ぎるだろう。


 腹は減るだろうが、寝て起きれば飯にありつける。


 食材はないくせに、DIYのための部材はいくらでもある。偏った家だよ、まったく。




「じゃあまず設計図作るか」


「はいッス! うはぁ! ヤシロさんと夜通しモノ作り出来るとか、オイラ感激ッス!」


「やめろ、気持ち悪い」




 微妙に敬うんじゃねぇよ。




「ウーマロ、今夜は寝かさないぜ☆」


「やめてッス、気持ち悪いッス……」




 だろ?


 分かったら余計なことは口にするな。


 でないと……、夜中にレジーナが来るぞ。




 恐ろしい妖怪を想像して、背筋がぞっとする。


 さすがにこの暴力的な風雨の中やって来ることはないと思うが……




「ん? 何の音だ?」




 外から物音がした。


 雨の音でも風の音でもない。明らかに、生き物が発する音…………走ってくる足音、か?




「まさか、レジーナ!?」


「いや、まさかそんなこと……あり得ないと言い切れないところが怖いッス!」




 俺たちが身構えたまさにその時、工房の扉が叩かれた。




「緊急避難の、お助けやー!」


「ハム摩呂?」


「はむまろ?」




 いや、聞き返されちまったよ。




 工房へ移動し、カギを開けてやるとハム摩呂が全身ずぶぬれで転がり込んできた。




「大丈夫ッスか、ハム摩呂?」


「死ぬかと思ったー、って思いながら死んだー!」


「死んでないッスよ!? 生きてるッス!」




 ウーマロがハム摩呂と遊んでいる間にタオルでも……と、探してみたんだがどこにしまってあるのかが分からない。


 しょうがない。どうせ洗濯屋に出すんだ、これでいいだろう。


 ウーマロの洗濯物の中から、比較的綺麗そうな服を引っ張り出してハム摩呂の全身を拭いてやる。




「ちょっと、ヤシロさん!? それ、オイラの服じゃないッスか!?」


「しゃーねーだろ、タオルがないんだから」


「も~ぅ……まぁどうせ洗濯するんで、いいッスけど」


「あせくさー!」


「うっさいッスよ!? あとで風呂に入れてやるッスから文句言うなッス!」




 そうだな。


 何しに来たのか知らんが、この土砂降りの中、ハム摩呂をもう一回外に出すわけにはいかないもんな。


 ハム摩呂も泊まり確定か。




「何してたんだよ、こんな雨の中?」


「道案内ー!」




 道案内?


 ってことは、誰かをここまで案内してきたってことだよな?




「その連れはどこにいるんだよ?」


「置いてきたー!」


「ダメじゃねぇか!?」




 しっかり案内しろよ、道案内!?




「ごめんください……」




 全身の毛が濡れてつんつんハムスターに変貌したハム摩呂が案内していたらしい人物が死にそうな顔で工房へ顔を出す。




「アッスント、どうしたんッスか?」


「あぁ、ウーマロさん。申し訳ないのですが、雨が止むまで、こちらで雨宿りをさせていただけませんか?」


「それはいいッスけど……ずぶ濡れッスね」


「えぇ、もう……途中で諦めがつきましたよ。傘とか外套なんて、無意味です」




 さらに激しさを増す暴風と豪雨。


 アッスントは、もはや濡れてない箇所などないと言わんばかりの濡れ具合だ。




「ちっ……濡れて入ってくるのは巨乳美女がよかったな」


「ヤシロさん、お気持ちは分かりますが……死ぬかと思うほどの目に遭った私のことも少しは労わってください」


「分かったよ。とりあえず、これで顔でも拭け」


「ありがとうございま…………パンツ、ですね? しかも、一回穿いて洗濯されていないように見受けられるのですが?」


「気にすんな」


「気にしますよ!?」


「ウーマロは全然気にしないって。なぁ?」


「気にするッスよ!? 今タオル持ってくるッスから、ちょっと待ってるッス」


「申し訳ありませんねぇ」




 自分のパンツをひったくって、ウーマロが居住スペースへ戻っていく。




「でもあいつ、そんなにタオル持ってないと思うんだよなぁ」


「一人暮らしの男性ですからね。必要最低限しか持ち合わせはないでしょうね」


「棟梁、いっぱい持ってるー!」


「そうなのか?」


「まとめて洗濯するためー!」




 あぁ、そうか。


 こまめに洗濯しないから必要な衣類は増えるのか。


 二週間に一回しか洗濯しないなら、最低でも十四枚、いや十五枚は必要になる。




「あいつは金の使い方を間違えている」


「ですね。ですが、今回はおかげで助かりますから」


「とりあえずこれ使ってッス。今から湯を沸かすッスから」


「ありがとうございます」




 びしょ濡れの外套と上着を脱いで、アッスントが体を拭き始める。




「ほら、ハム摩呂も服脱ぐッスよ」


「今脱ごうと思ってたとこー!」


「早くしないと風邪引くッスよ」


「今引こうと思ってたとこー!」


「いいからさっさとするッス!」


「今やろうと思ってたとこー!」


「それ全部やらないヤツのセリフッスよ!?」


「じゃあ全部やらないー!」


「服を脱ぐッスー!」


「ウーマロ、発言だけ聞いてるとルシアやハビエルみたいでアウトだぞ」


「そのお二方がアウトの基準とされているところが恐ろしい限りですね」




 その後、遊び回るハム摩呂を風呂に入れようとウーマロが奮闘し、風呂から上がった直後素っ裸で工房中を走り回るハム摩呂をウーマロがタオルを持ったまま「裸で走り回るなッス!」って追いかけるというやんちゃ坊主のいる家庭あるあるを繰り広げ、気が付けば全身汗だくになっていたウーマロがアッスントと一緒に風呂に入ったりしていた。




 ウーマロの家には浴槽があるんだよなぁ。


 こいつはいいよなぁ、欲しいと思ったもんは全部自分で作れるんだから。


 本人曰く、「準備と片付けが面倒なんで、ほとんど使ってないッスけどね」ということらしいが……まさか、「いつかマグダと」とか考えて作ったんじゃないだろうな?


 結構広い浴槽で、三~四人くらいは入れそうだ。


 エステラんとこの風呂といい勝負だな。




 ……浴槽がデカいから準備が大変なんだよ。


 一人暮らしのくせに。




「『ハム摩呂の服をひん剥き、裸で逃げるハム摩呂を追いかけ回した後、アッスントと裸の付き合いを堪能したウーマロなのでした』……っと」


「なんッスか、その間違いではないけど決して正解ではない不穏なメモは!?」


「なに。この後出来るであろう掲示板に貼っておこうと思ってな☆」


「焼却処分するッス!」




 俺のメモ書きを奪い取るウーマロ。


 ……マグダと同じ石鹸使ってんじゃねぇよ。どこで仕入れた情報だ、それ?


 ふわっと同じ香りが漂ってきたわ。




「あぁ、そうだアッスント。荷車の品、売ってもらえるか?」


「それは、もちろん構いませんが」


「ウーマロ、飯を作ってやるから食材と調味料を買ってくれ」


「ほんとッスか!? 買うッス! 必要な物をヤシロさんが見繕ってッス」


「おう、格安で譲ってやるよ!」


「なぜヤシロさんが決めるんですか? まぁ、お安くはさせていただきますよ。雨宿りのお礼と夕飯のお礼も兼ねて」




 というわけで、アッスントが値引きした食材をウーマロが買って、俺が飯を作ることになった。ハム摩呂は俺の手伝いだ。




「実はですね、豪雨の予報を小耳に挟みまして、それでヒューイット家へ食材を運んでいたんですよ」


「ロレッタの家にか?」


「えぇ。あそこは行商ギルドの大口顧客ですから」




 人数多いからな、あの家。


 おまけに、弟妹がそれぞれ稼ぐようになったし、大量購入してくれるのだろう。


 わざわざアッスント自らが足を運ぶくらいのお得意様ってわけだ。




「おねーちゃん、たぶん帰れないから、ご飯買ったー」




 ロレッタはたぶん陽だまり亭に泊まることになるだろう。


 それで、年長者がいなくても簡単に食べられるような物を買ったのだそうだ。




 で、その残りが今、アッスントの荷車に積まれていると。




「もう少し天気が持つかと思ったんですが、間に合いませんで……。ギルドへ帰ることも出来なくなって、かといって子沢山のヒューイット家に泊めていただくのは難しく……」




 子供がたくさんいるから、ではなく、お前の精神衛生的に難しかったんだろ?


 ガキに群がられるの、嫌いそうだもんなぁ。


 お前にとってのお子様ってのは、親の財布の紐を緩めるための飛び道具みたいなもんだもんな。




「そこで、ウーマロさんを頼らせていただいたのです。最悪、工房の軒下だけでもお借り出来ればと」


「ちゃんと布団を用意するッスよ。困った時はお互い様ッス」


「ウーマロ。こいつは借りを有耶無耶にする天才だぞ? 気を付けろよ」


「失礼ですよ、ヤシロさん? 私ほど礼節を重んじる者もそうそういないのではないですか?」




 ほらみろ。『精霊の審判』に引っかからない言い回しで誤魔化しやがった。


「いないのではないですか?」は質問で、嘘にはならないからな。


 胡散臭さが薄まらないヤツだ。




「それでも、ここまで来るのも大変で……なにせ足元すらまともに見えないような豪雨でしたので……それでハム摩呂さんに道案内を」


「で、置いてけぼりを食らったと」


「いえ、まぁ……結果、すんなり受け入れていただけてありがたかったんですが……」




 アッスントは多くを語らない。


 ただ、一つ分かることは、こいつはもうこういう命の危機にある時にハム摩呂を頼ることはないだろう。




「ヤシロさん、何を作ってくれるッスか?」


「そうだな。アッスントの顔を見てたらとんかつが食いたくなってきた」


「やめてください、人の顔を見てそういうことを考えるのは……」


「あっすんと、まるかじりー!」


「私はブタ人族であり、ブタではありませんよ、ハム摩呂さん」


「はむまろ?」


「なぁ、アッスント。ブタのロース――お前の体で言うとこの辺の肉ってある?」


「なぜ私の体で言う必要があったんですか?」


「あ、そうだ。ヤシロさん、ヒレってどの辺の部位なんッスか?」


「アッスントで言うとこの辺だ」


「だから、なぜ私の体で?」


「あっすんと、まるかじりー!」


「二度目ですよ、ハム摩呂さん? あと、呼び捨てはやめてくださいね」


「それが人に物を頼む態度かー!?」


「頼んでいるのではないですよ? 分かりますね?」


「ん~……?」


「分かりませんか?」


「あっ!」


「分かりましたか?」


「はむまろ?」


「……言い忘れてたんですか? 言わないと気持ち悪いんですか、それは?」


「おまえ、なにいってんだ、あっすんとー!」


「ヤシロさん、あなたの口調ですよね、これ!? お子たちに悪影響を与えるのはやめていただけませんか!?」


「話が通じないからって、こっちに矛先向けんじゃねぇよ」




 そんな「ちゃんとしつけろ」みたいな目で見んな。


 そんなもんはロレッタの仕事だ。




「んじゃ、ここら辺もらってくぞ」




 とんかつに必要な食材を抱えて、厨房へと向かう。


 まずは米を炊いて……




「ハム摩呂、黒パンをパン粉にしてくれ」


「あぶらかたぶら~!」


「不思議な力の発現に頼らないで、今出来る方法で頼む」


「ちぎちぎ~!」




 固いパンを切って断面をこすり合わせたり、指で小さく千切ったりしてちょっと粗めのパン粉を作ってもらう。




 その間に肩ロースを分厚く切って、筋を切って包丁の背で叩く。


 包丁も買わせた。ここには風呂があるからな、ちょいちょいお邪魔させてもらうつもりだ。夕飯をここで食うことも増えるだろう。




「その間、オイラは部屋の片付けをしておくッス」


「ウーマロさん。整理の基本はルール作りなんですよ。いいですか、たとえばこの部屋の場合……」




 見るからに几帳面そうなアッスントが、私生活は意外と大雑把なウーマロに整頓術を叩き込んでいる。


 変わった組み合わせだが、こいつらのコンビもなかなか面白いものがあるな。


 飯が出来るまでに部屋がきれいになっていることを祈ろう。




「次は、キャベツの千切りか」


「おにーちゃん、やらせてー!」


「出来るのか?」


「それなりにできるといいなと思ってるー!」


「じゃあ、ちょっとやってみろ」


「うんー! ちぎちぎー!」


「はい、没収」




 指で千切り出したのでキャベツを取り上げる。


 とんかつには、キャベツの千切りが欠かせないからな。ここは譲れん。




 ハム摩呂には、ソースに使うための果物をすりおろしてもらうことにして、千切りをさささっと終わらせる。


 小麦粉をまぶして、溶き卵にくぐらせて、パン粉を付けて、もう一度卵にくぐらせてパン粉を二度付けする。これでサクサク感がアップする。




 高温の油で揚げて、こんがり揚がったら一口大にカットして、千切りキャベツをこんもりと盛り付ける。


 果物をブレンドした特性とんかつソースにカラシもつける。


 ついでに、特大のエビフライも作ってやった。


 八分の一にカットしたレモンと、ハム摩呂に混ぜさせたタルタルソースを添えて。


 そして炊き立てのご飯と、野沢菜の漬物と、味噌汁。




 見よ!


 どこぞのとんかつ屋さんの定食みたいだろう!?


 できたら茶わん蒸しとカニクリームコロッケを付けたかった。




「ほい、お待たせ」


「うはぁあ!? 美味しそうッスねぇ!?」


「これはまた……まるで陽だまり亭で出てきそうな完成度ではありませんか?」


「おいしー!」


「もう食ってんのかよ、ハム摩呂!?」


「はむかつ?」


「ハムカツは入ってねぇよ! まぁいいや。じゃ食おうぜ」




 男四人で囲む食卓。


 なんとも色気がない。


 けどまぁ、こういうガッツリ重い物を食うにはちょうどいいかもしれない。




「うまぁ!? これ、すっごく美味しいッスよ、ヤシロさん!?」


「サクサクの衣と柔らかくジューシーな肉の食感も面白いですね。いやはや、これは……箸が止まりません」


「白いご飯、さいこうやー!」


「アッスント、いい海老仕入れたな。このぷりっぷり感、たまらんな」


「えぇ。三十五区の領主様に『とある情報』を提供することで融通していただきまして」


「……お前、ルシアに何の情報流した?」


「そんなことよりも」


「うっわ、こいつ、なんてベタな話の逸らし方を!?」


「このタルタルソースは、どうやって作るのですか? 私はレシピを知りませんもので」


「ハム摩呂が卵を、腕がもげ落ちるんじゃないかってほどかき混ぜて作るんだ」


「もげおちる寸前やったー!」


「……他のお店でもそんな苦行を?」


「獣人族さえいれば、ハンドミキサーなんぞなくても作れるぞ」




 実際、タルタルソースもマヨネーズも、四十二区ではありふれた調味料になっている。


 製造工場はないが、そのうち作ってもいいんじゃないかと思っている。利益は十分上がるだろう。


 なんなら、ネフェリーのとこの副業にしてもいいしな。




「それにしても……ふふ」




 ぺろりととんかつを平らげ、食後のほうじ茶を飲みながらアッスントが肩を揺らす。




「まさか、こうして並んで食事を共にする日が来るとは……あの頃は思いもしませんでしたね」




 窓の外へ視線を向けてアッスントが笑う。


 出会ったばっかの頃は敵対してたもんな。そういえば、あの頃も雨が降ってたっけなぁ。その影響で畑が大打撃を受けてなぁ……




「それなら、オイラもッスよ」




 アッスントに続くように、ウーマロが苦そうな笑みを浮かべる。




「最初はヤシロさんの無茶ぶりに振り回されて、『とんでもないヤツだ』って憤慨したこともあったッスから」




 確かに。


 おんぼろだった店を最新技術を詰め込んだような新店舗にリフォームさせて、『支払いは飯で払う』ってのは相当な無茶だよな。よく納得させられたもんだ。


 もし今、同じような状況になったら…………もっとこちらに都合のいいエグイ条件を無理やり飲ませてやれるのに……けっけっけっ。




「さいしょから、おにーちゃんだいすきー!」


「いやいや、お前ら最初は警戒して俺を落とし穴にはめただろうが」


「自分で落ちた、よね?」




 くっそ!


 なんでそんなこといちいち覚えてるんだ!?


 そんなところで記憶力発揮しなくてよろしい!




「雨降って地固まるという言葉があります」




 あ。


 なんかアッスントがいいこと言いそうな雰囲気を醸し出してる。




「きっと、この豪雨が晴れたら、一層素晴らしい未来が待っているのでしょうね」


「そだねー。そういえば千切せんぎりって『ちぎり』とも読めるよねー。切ってるのに千切ちぎってるみたいだねー」


「あぁ、ヤシロさんが他人のいい話風なまとめをここぞとばかりに邪魔しにいってるッス!?」


「……どこに向かっている対抗心なんですか、それは?」




 ふん。


 そういういい感じのまとめはな、俺みたいな男が言ってこそ締まるのだ。


 カッコいいところは全部俺がいただくぜ!




「そう呆れた顔をするなよ、アッスント」


「あ、なんかいい感じの話してまとめようとしてるッスね」


「お前はさ、このとんかつみたいなもんなんだよ」


「と、言いますと?」


「それはな――」




 俺は最後に一切れ残ったとんかつを持ち上げて、それを見えやすいように掲げる。








「ブタがさ、衣を着ている…………だろ?」








 ばしーっと決めて、さくっと音を立ててとんかつを噛み千切る。




「……いや、どういう意味ですか!?」


「オイラも結構考えてみたッスけど、意味分かんなかったッス!?」


「座右の銘の、有力候補やー!」


「どこに感銘受けたッスか、ハム摩呂!?」


「はむまろー!」


「『?』じゃないバージョンもあるんですね、それ!?」




 くだらないことで大騒ぎする大人とガキを見つめ、最後の一切れを嚥下した。


 うん。今日のとんかつは美味かった。




 ただまぁ、雨が止んだら――




「飯食いに帰ろっと」




 四十二区をずぶ濡れにしたその日の豪雨は、ナタリアの予報通り翌日の早朝まで降り続いた。










 翌早朝。




「ごめんくださ~い」


「ウーマロ、客だぞ」


「むにゃ……、まだ日も出てないッスよ? 放っておいてよくないッスか?」


「いいのか? たぶんマグダたちだぞ」


「今すぐ開けるッス!」




 飛び起きたウーマロに続き、工房へ向かう。




「おはようございます、ヤシロさん、ウーマロさん。雨は大丈夫でしたか?」




 俺の予想通り、そこに立っていたのは陽だまり亭の三人娘、ジネットにマグダとロレッタだった。




「はぁぁああん! 日の出前なのにこんなに眩く輝いて……マグダたんはもはや女神ッス! 女神なマグダたん、マジ天使ッス!」




 いや、どっちだよ?




「見ての通り、こっちは無事だ。問題があったとすれば、オッサン密度が高かったことくらいだな」


「うふふ。楽しかったようでよかったです」




 楽しかったなんて一言も言ってないんだが。




「そっちは、全員大丈夫だったか?」


「はい。昨日は三人で一緒に寝たんですよ。風が強くて怖かったですから」


「一つのベッドでか?」


「はい。きゅってくっついて」


「はみ出さなかったか?」


「もう、視線が変なところを見てますよ。懺悔してください」




 いやいや、一番零れ落ちそうなものを凝視してしまうのは仕方がないことだと思うぞ。


 もしかして、俺の意図が伝わっていないのかもしれないな。




「おっぱいがはみ出――」


「懺悔してください」




 伝わっていたのか。そうか。




「これから教会か?」


「はい」


「じゃ、俺も行くわ。ウーマロ、世話になったな」


「いえいえ。とんかつも美味しかったッスし、いつでも遊びに来てくださいッス」




 家主に一応の礼を述べ、俺は帰り支度を手早く済ませる。




「それでは、帰りましょう、ヤシロさん」




 一晩ぶりに見たジネットの笑顔は、相変わらず太陽のようで、日の出前だってのに随分と眩しく思えた。




 ……って、何言ってんだかな。ウーマロじゃあるまいし。





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異世界詐欺師のなんちゃって経営術【お家にいようSS】 宮地拓海 @takumi-m

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