異世界詐欺師のなんちゃって経営術【お家にいようSS】

宮地拓海

第1話 ノーマさんは理想の女性

「ルアンナ。ちょぃとこのナイフを磨きに出しておいておくれなね」


「はい!」




 大きくはだけた胸元にうっすらと汗を浮かべて、ノーマさんが私にナイフを手渡してきました。


 ノーマさんの打ったナイフ……ふふ。


 鈍色の刃は、磨かれる前だというのにほのかに輝き、うっとりするような美しさでした。




 やっぱりノーマさんは最高ですっ。




「なにニヤニヤしてんさね。さっさと仕事を済ませちまいな」


「は、はい! ただいま!」




 私はルアンナ。


 金物ギルドで見習いをしています。




 今は修業中の身で、鉄を打ったり加工したり磨いたりみたいな重要な仕事をさせてもらえることはありません。


 工房の掃除や荷物運び、先輩方のおつかいが主なお仕事です。


 とても大変ですけど、それでも毎日頑張っています!




 憧れの先輩、ノーマさんのような鍛冶師になるために!




「あぁ……ノーマさん、かっこいい……」




 鍛冶の腕はもちろん、その整った容姿、神秘的なまでの肉体美、あふれ出す色香! そして外見だけじゃない精神面の余裕と寛容さと大人っぽさと時折垣間見せる可愛らしさ!


 これほど完璧な女性が他にいるでしょうか、いやない!


 おまけに、これだけバリバリ仕事に生きながら、家事まで完璧だというんですから非の打ちどころがありません。


 鍛冶も家事も完璧だなんて、まさにクイーンオブ金物ギルド。




 ちょっとお年を召したギルド長の存在感が薄れるくらいに、金物ギルドの顔として私たちを牽引してくださっているのがノーマさんなんです。




「ノーマちゃん、へるぷぅ~! ギルド長がまた自分の工房に閉じこもって趣味の刀打ち始めちゃったのよ~!」


「まぁ~た、あのジジイはそんな勝手をやってんのかぃね!? 憲兵たちの胸当ての納期が迫ってんの分かってんのかい!?」


「『そんなもん、お前らがやっとれ』って~!」


「あんのジジィ……っ! ちょいと行って首根っこ掴んで引き摺り出してくるさね!」


「お願いね~、ノーマちゃ~ん!」




 ギルドの男性たちに見送られ、腕まくりをしてギルド長の工房へ向かうノーマさん。


 その背中は、周りにいる筋骨隆々のどの男性よりも頼もしくて……




「惚れちゃいますよ、男女問わず……」




 思わずため息が漏れました。




「あ~ら、ルアンナちゃん。ま~た、ノーマちゃんに見惚れちゃって。もぅ、おま~せさんっ」




 ノーマさんの右腕、ゴンスケさんにからかわれて顔が真っ赤に染まります。


 もう、私の好意は周りにはバレバレのようです。




 だって、仕方ないじゃないですか。


 ノーマさん、かっこいいんですもん。




 獣人族ではない私は力が弱く、このまま修業を続けても鉄を打たせてもらえるかどうかは分かりません。


 そのことでひどく落ち込んでいた時、「分からないってのは、可能性があるってことさね。ヘコんでる暇があるなら不足してるところを伸ばす手立てを考え、実行するんさよ」と、ノーマさんが言ってくださったんです!


 おまけに、「あんたなら、ちゃんと一人前になれるって、アタシは信じてるさよ」って言ってくれたんです! 惚れるでしょ、こんなの!?




 実際、ノーマさんのファンは多いんです。


 最近は、ノーマさんに憧れて見学に来る未成年の女の子たちが増えました。……まぁ、大抵ギルドの男性陣を見て逃げ帰っちゃうんですけども。




 それに、ギルドにはいませんが、ノーマさんを狙う男性も多数いるはずです。


 浮いた噂はとんと耳にしませんが、世の殿方がこんな完璧な女性を放っておくわけがないですから。


 きっと、ノーマさんが完璧過ぎて近寄りがたく思っているのでしょう。


 もしくは、ノーマさんがそのことごとくを袖にしているか。




 私が金物ギルドの見習いになったのは今年の初めころで、おまけにギルドに入ってしばらくはギルド長付きの雑務ばかりでノーマさんと一緒にいる時間もほとんどなかったですし、それ以前のノーマさんの様子は話でしか聞いたことがありません。


 去年までのノーマさんはとても尖っていて、男性でも容易に近付くことは出来なかったそうです。


 それこそ、ギルドの男性(乙女さん)たちくらいしか。




『女には鍛冶師は務まらないなんて言う男どもに負けてられるかぃね!』




 って、鍛冶だけに打ち込んで、乙女さんたち以外の、昔気質の鍛冶師さんたちとはバチバチやり合っていたらしく、恋愛なんかには目もくれず、寄ってくる男性たちには見向きもしなかったのだとか。


 先輩方の中には、ノーマさんを『怖い』という方も、いまだに少数ですがいたりします。




 私は、その頃のノーマさんを知らないので、いまいち『怖い』というイメージがピンときません。


 ノーマさんは『怖い』どころか、美人で優しくて可愛い、そんなイメージです。




 そんな話をゴンスケさんにすると。




「ん~、そうねぇ。ノーマちゃんが変わったのは、去年の水害の頃からなのよねぇ」




 昨年、四十二区は大雨の影響で酷い水害に見舞われました。


 あちらこちらで冠水し、私の家も酷い被害に遭いました。飲み水も危険だということで、街中の人が戦々恐々としていたのを思い出します。


 当時、領主代行だった現領主様の計らいで、事態は早急に収束しましたが。




「当時、不景気でお客さんが減っていたところに酷い水害でね、ノーマちゃん、復興作業に来てたハムっ子ちゃんったちに八つ当たりしちゃったのよ。それを今でも後悔しててねぇ」




 当時、ハムスター人族はスラムに住む者として忌避されていたはずです。


 私も、両親から関わってはいけないと教えられていました。


 今ではすっかり仲良しですけれど。たまに手伝いに来てくれるハムっ子ちゃんたちの可愛いことといったら……二~三人連れて帰りたいくらいです。




「それに、毛嫌いしている『男』に言い負かされて、ぐぅの音も出なくてね」




 くすくすと、成人男性の頭くらいある大きな肩を揺らしてゴンスケさんが笑う。




「それが悔しくて、そっけない顔してあれこれ探りを入れているうちに、すっかり染まっちゃったのよねぇ、『彼』に……うふふ」




『彼』……




 そう、かつて男性に敵対心を持っていたがために男を寄せつけないオーラを発していたノーマさんでしたが、最近は別の理由で男を寄せつけなくなりました。


 ……本人にその自覚はないようですけど。




「『彼』を超える男でないと、ノーマちゃんのハートは射抜けないんじゃないかしらねぇ」


「……『アレ』を超える男性なんて、路傍の石ころよりたくさんいますよ」




 私は、その『アレ』を思い出して不愉快な気分になります。


 区民運動会において、私が参加するレースの顔ぶれを見て、大観衆の中「全員Bカップだ!」と大声でバラしたあの男の顔を。




 ……許すまじ、オオバヤシロ。




「だいたい、なんでノーマさんがあんな男に……釣り合いませんよ! ノーマさんがもったいないです!」


「あら? ルアンナちゃんは去年の大通りの大立ち回りを知らないの?」


「……話だけなら、聞いたことがあります」




 オオバヤシロが四十二区に改革をもたらしたと言われる、行商ギルドとの大立ち回り。


 この街の人のほとんどが目撃していた有名な事件です。




 けれど、あの時私はまだ十二歳。


 大勢の大人が集まる場所にはなるべく近付くなと言われていました。トラブルに巻き込まれる危険が高いからと。それが、普通の親の発想です。




 見習いになれば職場の方が守ってくれますし、いろいろな人と顔をつないでいけばこの街でも安心して暮らしていけますが、両親とご近所さんしか知り合いがいない状況ではいろいろと危険なんです。女の子は特に。




「ヤシロちゃんが来てから、四十二区の治安はぐっと良くなったのよ~? 地上げ屋や取り立て屋を見かけなくなったのもその時期からだし」


「そうなんですか?」


「そうよ。夜道も明るくなって、か弱い乙女としてはホンット大助かりよね☆」




 顔の筋肉総動員のウィンクが飛んできました。


 おそらくですが、たいていの暴漢ならそのウィンクで撃退出来ますよ。




「だとしても、……ノーマさんとは釣り合いませんよ、あんな男」


「ルアンナちゃんは、ヤシロちゃんにあんまりいいイメージを持っていないのねぇ?」


「持てませんよ、あんな男に……」


「ちなみに、ルアンナちゃんにとってのヤシロちゃんってどんなイメージ?」


「女性の胸を見て『おっぱいおっぱい』って大騒ぎしているイメージです」


「うん、それは間違ってないわね。大正~解」




 何度かここの工房で見かけたあの男は、いっつもノーマさんの胸元しか見ていないのです。


 不届き者です!


 不埒者です!


 不純です! 不潔です! 不衛生です!




「……ノーマさんに近付くバイキンめ」


「あらあら……こんなにヤシロちゃんを敵視する娘が、まだ四十二区にいたなんて」




 敵視しますよ!




「ノーマさんは私のです!」


「あらあら、でもやっぱり四十二区っぽい残念な女の子に育ってるのね」




 ゴンスケさんが、どことなくほっとした表情でうんうんと頷いています。


 誰が残念ですか、失礼な。




「あ~もう! 話になんないさね、あのクソジジイ!」




 ノーマさんが肩を怒らせて戻ってきました。


 胸元がさらに大きくはだけていることから、ギルド長の工房で激しいやり取りがあったことが窺えます。取っ組み合いのケンカでもしたような。


 ……際どいです、ノーマさん。間もなく、こぼれちゃいそうですっ! 直して!




「大至急、明日までに胸当てを六個作らなきゃならなくなったさね。ゴンスケ、手伝いな」


「えぇ~!? アタシ、明日は四十一区に行って爪の手入れしてもらうつもりだったのにぃ」


「朝までに終わらせりゃ行けるさよ」


「徹夜でお出掛けなんてイヤ~!」


「うっさいさね! いいからトヨシゲとゴリレアスを呼んできな!」


「ノーマちゃんの鬼ぃ~! んもう!」




 ぷりぷりと怒りながらゴンスケさんが駆けていきました。


 え……明日までに胸当て六個って、徹夜しても無理じゃないですか?




「それからルアンナ」


「は、はい!」


「あんたには、磨きをやってもらうさね」


「そ、そんな!? 私が手を出して、もし失敗したら……」




 一からやり直しに……




「大丈夫さよ」




 ノーマさんの指が、私の髪を撫でました。




「あんたの失敗は、あんたに任せたアタシの責任さね。しっかり尻拭いしてやるから、どーんとぶつかりな。他所じゃ出来ない経験積ませてやるさね」




 そんな頼もしいこと言われたら……




「は、はぃ……」




 もう、全部言う通りにしちゃいます!




「んも~ぅ! ノーマちゃん無茶ぶりし過ぎー!」


「徹夜はお肌の大敵なのにぃ~!」


「今晩は新しいパジャマで寝る予定だったのにぃ~!」


「やかましいよ! その代わり、明日から三連休をもぎ取ってきたから、今日を乗り切って存分に美容に精を出しな! ヤシロに頼んで四十一区のインストラクター紹介してやるからさ!」


「ウソっ!?」


「ホント!?」


「ラッピー!」




 乙女な先輩方が喜色満面で声を挙げます。


 そして、職人の眼になり、全身から闘気を放ち始めました。




「さぁ、準備にかかるよ!」


「「「まっかせて!」」」


「はい!」










 そうして、私たちは一晩中胸当てを作り続けました。


 みなさん、驚くほどに手際が良くて、信じられないくらいに完成度が高くて、連携も完璧で……完全に私は足手まといだったけれど、優しくフォローしてくださって。


 とても充実した時間でした。




 けれど、私は途中で力尽きたみたいで……


 気が付いた時には朝になっていました。


 見知らぬ布団に寝かされていて、なんだかいい匂いがして……




「はっ!? 胸当ては!?」


「ちゃんと完成したさよ」




 声がする方へ顔を向けると、土間にある炊事場でノーマさんが料理をされていました。


 ということは、ここはノーマさんの家?




 恐れ多い!?




「すみません! 手伝います!」


「あぁ、いいから、もう少し寝てなね。周りにむさくるしいのが転がってるから眠りにくいだろうけどさ」




 言われて周りを見渡すと……




「んごっ!」


「ずごごっ!」


「……っふが!」




 ……筋肉ムキムキの乙女が髭面で転がっていました。


 思わず「ひぃっ!?」って声が漏れてしまいました。




「くふふ、逆に目が覚めちまったかい?」




 朝日に照らされたノーマさんの笑顔は、炎に照らされて鉄を打つ時の真剣な表情とは百八十度違っていて、とても柔らかく、とても優しい。


 こんな人がお母さんならと、思わずにはいられません。




「すみません、私……ろくに役立たない上に、真っ先に眠ってしまって……」


「そんなことないさね。あれだけ出来りゃ十分。期待以上だったさよ」


「あはは……あんまり、期待されてなかった、的な?」


「まぁ、まだ見習いだしね。けど、この次はもっと厳しくするから、覚悟しとくんさよ」




 お玉をビシッとこちらに突きつけて、少し意地悪く言ってすぐににっこりと笑うノーマさん。


 あぁ、心がほぐれていく……緊張も疲労も、なにもかもが癒されていきます。




 鍜治場のノーマさんは是非嫁にしてほしいと思わずにはいられない格好良さだけど、炊事場のノーマさんは嫁にしたいと思わずにはいられません!




「ノーマさん、結婚してください!」


「くははっ、冗談はおよしよ。ほれ、目が覚めたなら、こっち来て朝ご飯をお食べな」




 軽く流されてしまいました。


 まったく相手にされていません。……まぁ、当然なんですけど。


 なぜ私は男に生まれなかったのか……精霊神様、お恨み申し上げます。




「私が男なら、どんな試練を乗り越えてでもノーマさんに求婚しますのに」


「そう言ってくれるのはルアンナだけさね」




 いやいやいや!


 あなたの周りにあなたを狙っている人いっぱいいますからね!? 直接会ったことはないですけど、絶対沢山いますから!


 全部今みたいに「冗談およしよ」って流してるんですよね、きっと!?




「簡単な物しか作れなかったけど、好きなだけお食べ」




 と、食卓に並べられたのは、私がこれまで見てきた中で最高級に豪華な朝食でした。


 つやつやのご飯にいい焼き色の魚、青物のおひたしに出汁の香る卵焼き、あっさりと飽きのこない浅漬けに心がほっこりするお味噌汁。






 嫁にくれー!






「……ノーマさんと結婚する男を、一度殴らせてください」


「そんな奇特な男がいたらね」




 あなたがその気になれば、すぐにでも現れますけどね!




「ルアンナは、どうなんさね? 好きな男の一人や二人いるんかい?」


「いません」




 私が知るどの男性よりも格好のいい人が女性なもので。




「まぁ、急ぐ必要はないけどさ、あんたもいつかいい恋を見つけるんさよ」




 ……むぅ。


 ノーマさんに言われると……こう……もやもやします。




「……でないと、気付いた時には手遅れになるさよ…………アタシはまだ大丈夫だけど。まだ、全然、焦る時じゃないけどさ……」


「ノーマさん?」


「とにかく、仕事も私生活も、後悔しないように気を付けなね」


「はい」




 あぁ、素敵。


 朝からノーマさんと向かい合ってご飯が食べられるなんて。


 おまけにすごく美味しい。




「はぁ……ノーマさんをお嫁さんに出来る男性が羨ましいです」


「そう思ってくれる男がいてくれりゃあいいんだけどねぇ」




 いますよ、いっぱい!


 ノーマさん、本気で気付いてないのかなぁ?




 ゴンスケさん曰く、とある一人にしか意識が向いていないせいで、それ以外の男性が寄りつかなくなっているんだって……


 その『とある一人』っていうのが、あの……




「おーい、ノーマ! いるか~?」


「ヤシロ?」




 そう!


 オオバヤシロ!




「悪いな、飯の途中だったか?」


「それは別にかまわないけどさ。どうしたんさね、こんな朝早くから」




 さも当たり前のような顔をして、玄関をくぐってきましたね?


 ここをどこだと思っているんですか?


 なぜ躊躇しないのですか?


 分かっているのですか?


 ここは、我が金物ギルドが誇る絶対美女、ノーマさんの私宅なのですよ!?




「平伏しなさい、下郎!」


「ぅおう!? ……誰だ?」




 土間へ飛び出し、不届き者を糾弾すると、オオバヤシロはビクッと肩を震わせて驚いた表情を見せました。




「ウチのギルドの見習いさね。運動会で一度会っただろう?」


「ん~……?」




 私を覚えていないのか、アゴを摘まみながら私の顔をまじまじと見つめるオオバヤシロ。


 じろじろと無遠慮な視線を向け、その視線を徐々に下げていき――




「そのBカップ……あぁ、ルアンナか」


「どこで思い出してるんですか!? 生粋のド変態ですか!?」


「いいや、違う!」


「ヤシロ。この街には『精霊の審判』ってもんがあるんさよ。迂闊な発言は慎みなね」




 ノーマさんが呆れたように笑って言いました。




 あぁ……なんでですか?


 なぜこんな最低なおっぱい男に、そんなきらきらした瞳を向けるんですか?


 この男が入ってきてから、一時たりとも視線を逸らさないのはなぜなんですか?


 どうして、こんな男に……




「ノーマさん。この男、おっぱいのことしか考えてませんよ」


「そんなもん知ってるさね」




 知ってるのになぜー!?




「ヤシロ、朝食は済んだんかぃ? きょ、今日は、浅漬けが上手に漬かったんさよ。よかったら味を見ておくれでないかい?」


「お、いいのか? じゃあお言葉に甘えるか。ノーマの漬物は美味いからなぁ」


「くふっ! ……待ってるさね。白いご飯と味噌汁も持ってくるさよ」




 さも当然のような顔をして居間へ上がりこむオオバヤシロ。


 なんと図々しい!




「ヤシロさん、ちょっといいですか?」


「ん? なんだ?」


「こちらの部屋を覗いてみてください」


「こっちの部屋?」




 と、私が寝かされていた客間のふすまをそっと開けて中を見せます。




「ごふっ!」




 転がる青髭の筋肉たちを見て、オオバヤシロがむせ返りました。




「……お前、ルアンナ…………飯の前になんてもん見せやがる……胃袋がひっくり返るかと思ったわ」




 天誅です。




「な~に遊んでんさよ。さ、ヤシロ、味を見ておくれな」


「……って、多いな?」




 いつの間にか、食卓には所狭しと漬物が並んでいました。いや、積み上がっています。




「ちょ、ちょっといろいろ漬けてみたんさよ。参考までに、ね? あっ、ル、ルアンナも遠慮せず食べとくれ、さぁさぁ!」




 ノーマさんに勧められて、私は色とりどりのお漬物を食べます。


 くぅ~……どれも美味しい。


 初めて食べるのに懐かしい味がします。




「美味しいです、ノーマさん! 最高です! 野菜の甘味がしっかり出ていて、奥深い味というか、どれだけ食べても食べ飽きない、なのに主張がしっかりしていて、繊細かつインパクトの強い高尚な味です!」


「くふふ、そうかい? ありがとね」




 柔らかい笑顔を浮かべて嬉しそうな顔を見せるノーマさん。


 ノーマさんが喜んでくれるなら、いくらでも美味しいと言います!


 一口食べれば千の誉め言葉が浮かんできますもの、永遠に称賛出来ますよ!




「で、ヤシロはどうだい?」




 カリコリと、無言でお漬物を咀嚼するオオバヤシロ。


 ふふん。あなたに私を超える称賛の言葉が贈れますか?


 私以上に、ノーマさんを笑顔に出来ますか?


 さぁ、感想を言ってみてください、オオバヤシロ!




「ノーマ」


「なんさね?」


「満点」


「へ……?」




 箸を置き、お茶を飲んで、たっぷり一呼吸おいて、オオバヤシロはノーマさんに言いました。




「美味い」




 瞬間、ノーマさんの顔がぱぁあっと輝いて、これまで見たこともないくらいに嬉しそうに微笑みました。


 その横顔はとても美しくて、私は、私は…………すごく悔しかった。


 この微笑みを横顔でしか見られなかったことに。


 この微笑みが向けられているのが、オオバヤシロであることに。




「ちょっともらって帰っていいか? 全種類試してみたい」


「も、もちろんさね! いくらでも持って行っておくれな」


「あぁ、今日来てよかったぁ。飯、おかわりもらっていいか?」


「どんどん食べておくれな!」




 ノーマさんが上機嫌です。


 どうということはない、普通の感想しか言っていないのに。


 なのに、はっきりと負けていると分かります。




『もらって帰っていいか』は、出てきませんでした。


 本当に気に入っている物でないと、そんな言葉は出てこない。


 そんな本心からの言葉に対し、私の賛辞はなんと薄っぺらいことか…………




 オオバヤシロ、手強いです。




「……おっぱいのくせに」


「なんか険しい目で睨まれているが、一切貶されている気がしないな」




 私の視線を軽く受け流すオオバヤシロ。


 なんですか? 余裕ですか?


 むきー!




「あぁ、それでな。ノーマに頼みたいことがあるんだけどさ」


「なんさね?」


「前に『コロ』でベアリングを作っただろ? 今度は『球』でベアリングを作りたいんだが――」


「詳しく聞かせておくれな!」




 ノーマさんが物凄い勢いで身を乗り出しました。


 オオバヤシロが素早く食卓の上の漬物たちを両サイドに積み上げて場所を確保していなければ、卓上のおかずはすべてぶち撒けられていたことでしょう。




 オオバヤシロ、素早い!?




「全っ然急ぎじゃないから、落ち着いて聞いてくれ、な?」


「落ち着いてるさね! さぁ、早く聞かせておくれな!」


「いや、あのな、ちょっと潤滑油にちょうどいい油が見つかったから試してみたいなって……」


「それで、設計図は? ヤシロのことだから用意してあるんだろぅ!?」


「あぁ。でも、かなり高い技術が……」


「アタシもレベルアップしてるさね! ちょうどトヨシゲもゴンスケも今日から休みだから、やるなら今しかないさね!」


「いや、休みなら休ませてやれよ……」


「有意義に使ってこその休暇さね!」


「……ヤバい時に来たかもしれん」




 オオバヤシロがこちらをちらりと見ました。




「なぁ、もしかしてだが……徹夜明けか?」


「そ、そう、ですけど……」


「あちゃー……」




 項垂れるオオバヤシロ。


 その頬を両手で包み込んで、まるで口付けをするように顔を持ち上げるノーマさん。


 ……ただし、その表情はロマンチックとは程遠く、血に飢えた獣のようなギラついた眼差しをしていました。




「それで、球を作るってのは、削りかい? 磨きかい? 鋳造かい!?」


「ノーマ、実は四十一区に俺が伝授したとっても気持ちのいいリラクゼーションマッサージをしてくれる店がオープン予定なんだが、ちょっと体験してきてくれないか? そうすりゃきっと気持ちのいい睡眠が……」


「ベアリングを作ったら行ってくるさね。大丈夫、あと六徹は余裕さね!」




 六徹!?


 寝てください、ノーマさん!




「ヤバい! ルアンナ今すぐ逃げろ! あと、ギルドの連中に緊急避難勧告を!」


「え? へ?」


「とどけ~る1号の悲劇が繰り返されるぞ!」




 なんの話か分からなかったけれど、とてつもないことが起こりそうな予感に、私は反射的に立ち上がりました。


 すぐさま駆け出そうとしたのだけれど、私の腕が『ガシッ!』と掴まれてそれは敵いませんでした。




「……ルアンナ」




 ノーマさんの細い指が、私の腕を掴みます。


 万力で締め上げられているかのように、がっちりと。




「さっき言ったさよねぇ……『この次はもっと厳しくするから、覚悟しとくんさよ』って?」


「は……はぃ……」




 背筋が凍り、直感しました。


 あぁ、逃げられないんだって……




「ゴンスケ、トヨシゲ、ゴリレアス、起きな! 仕事さよ!」


「ん~……えぇ~、今日お休みでしょ~」


「アタシ、まだ眠ぅ~い」


「睡眠不足はお肌の天敵……」


「その髭面のまま表に叩き出されたいのかい!?」


「「「や~だ~、すっぴんは見せられないわよ~!」」」




 隣の部屋で休む男性三人を小脇に抱えて、ノーマさんは部屋を飛び出していきます。


 ……って!? よく抱えられますね、その三人を!?




 その間際――




「ルアンナ、遅刻したら、休憩時間減らすさよ?」




 ――私を冷たい視線が射抜きました。


 正直……視線で殺されるかと思いました。




「ルアンナ、すまん……。ノーマのヤツ、徹夜明けだとすげぇハイになっちまうんだ……難しいとは思うが、なんとか一度寝かしつけられないか試みてくれ。一回寝れば元に戻るはずだから」




 視線を思いっきり逸らしながら、オオバヤシロが私に設計図を手渡してきました。


「後片付け、やっとくから」と、引き攣る口で愛想笑いを浮かべて、私を見送るオオバヤシロ。




 まったく、厄介ごとを持ち込んで……


 とはいえ、その忠告はしっかり聞いておくとしましょう。




 ノーマさんを、なんとかして一度寝かせる。


 私は使命に燃えて工房へ向かいました。






 結果として、私は使命を果たせませんでした。










 三徹でした。










 ノーマさんが納得するベアリングの試作品が完成するまで、私たちはひたすら働かされました。


 眠っている暇もないほどに。


 気付けば、ギルドの構成員全員が駆り出され、取っ組み合いのケンカをしてでも自分の趣味に没頭していたギルド長までもがノーマさんの指示通りに鉄を溶かしていました。


 ……もう、ここのギルド長、ノーマさんでいいんじゃないでしょうか?




 そんなノーマさんは、完成品を持って大急ぎで工房を飛び出していきました。


 ゴンスケさん曰く、陽だまり亭へ向かったのだろうということでした。




 その時、ついでに教えてもらいました。


 トルベック工務店と張り合った挙句に巻き起こった、ギルド全体を巻き込んだ『とどけ~る1号事件』の概要を。


 私、見習いなので、知りませんでした。




「あの、ひょっとして……ノーマさんって、特定の人への好意がダダ漏れで男性が寄ってこないんじゃ、ないんですか?」


「ルアンナちゃん、それは誤解だわ。ノーマちゃんはね、その特定の男性が絡むと大暴走しちゃうって有名なの。だから……みんな巻き込まれたくないから距離を取っているだけよ」




 ノーマさんとお付き合いをするということは、暴走の度に確実に巻き込まれるということで……




「確かに、普通の男性じゃ、身が持ちませんね」


「そう。あのノーマちゃんの相手が出来るのは、この街でただ一人」


「……諸悪の根源、オオバヤシロ……」


「ヤシロちゃんとくっついてくれると、安心なんだけどねぇ……ノーマちゃんの将来も、アタシたちの身の安全も」




 オオバヤシロが絡むと暴走する鍛冶の天才。


 その天才に振り回される凡人たち。凡人がいくら束になろうとも天才を止めることは出来ない。




 なるほど。


 天才を鎮めるには、相応の手綱が必要というわけですか……


 それを認めるのは癪ですが……非常に癪なんですが…………




「もう、二度とこんな地獄の三徹は御免です……」


「あら、残念ね。あの暴走、他の区が絡んできたりすると割と頻繁に発生するのよ?」


「…………」




 言葉が出ませんでした。


 私の周りに転がっている無数の筋肉ムキムキ無精髭乙女たち。


 こんな彼らでも止められない暴走。


 それを引き起こしておいて、この場にいないあの男に、言いようのない猛烈な怒りがこみ上げてきました。




「私、一言クレーム入れてきます!」




 足がふらつくけれど、気力で立ち上がり、私は陽だまり亭を目指して走り出しました。




 突然やって来て、とんでもない爆弾を落としていったあの男。


 ノーマさんの暴走はあの男に認められたいからに違いなく、あの男に認められさえすれば、ノーマさんがあの男にとって特別だと証明されれば、二度と暴走なんかしなくなるはず!


 だから、だからこそ……




「責任取れー! オオバヤシロー!」


「ぅおい!? なんだよ!?」




 陽だまり亭に飛び込んで、オオバヤシロに飛びかかりました。遠慮なしの全力です!


 両襟を掴んで、はっきりと言ってやります!


 全責任をこの男に背負わせてやります!




「あんたのせいで金物ギルドは死屍累々なのよ!」


「いや、それはノーマの暴走が……」


「あんたのせいでノーマさんが暴走したの!」


「それは、まぁ……タイミングが悪かったというか……」


「あんたのせいでノーマさんは結婚出来ないの!」


「いや、それは俺関係ないだろ!?」


「誰のせいで売れ残ってると思ってるの!?」


「俺のせいじゃねーよ!?」




 なんと往生際の悪い!


 あんたがいるから、ノーマさんには男が近付かなくなったんですよ!?


 そうでなけりゃ、あんなに美人で、料理もうまくて、気立てもいい、ナイスバディなノーマさんが恋人もいないなんてあり得ないもの!




「もらってあげて!」


「そんなもん、おいそれと返事出来るか!」




 何が気に入らないんですか!?




「あんた、おっぱいさえ大きければなんでもいいんでしょ!?」


「う~む、そこは否定しにくい!」


「否定してください、ヤシロさんっ!?」




 途中、陽だまり亭の店長さんが口を挟んできましたが、こっちはそれどころではありません。


 今、この場で、オオバヤシロに「うん」と言わせなければ、金物ギルドは崩壊してしまうかもしれません!




 こっちは三徹明けでテンション爆上がり中なのです。


 勢いに任せて押し切ってやります!


 三徹明けのテンションに不可能なんてないのですから!






「売れる見込みがないんだから、あんたが引き取りなさいよ! あんた、ゴミ回収ギルドでしょ!?」






 言った瞬間、私の首の後ろの方が燃えるように熱くなりました。




「熱っ!? な、なに!?」




 慌てて振り返ると……ノーマさんがいました。


 ……鬼のような形相で。


 ……煙管をくるくると弄びながら。






 ……熱かった首が、背筋からの押し寄せるすさまじい寒気によって一瞬で冷やされました。






「……誰が、ゴミ回収ギルド案件の売れ残りだって?」


「あ…………いえ、……違…………」


「ルアンナ?」


「は…………はぃ……」




 くるっ、くるっと煙管が回り――




「ちょぃと、お話をしようか? アタシの家で、じっくりとねぇ?」




 ――ピタッと、首筋に宛がわれました。






 あ、私、死んだかも。






 それから数日間の記憶は、私にはありません。


 懇切丁寧に、付きっ切りでノーマさんに鍛冶の基礎を延々と叩き込まれていたらしいと、後日人伝に聞きました。


 ノーマさんの発する禍々しいオーラに、ギルド長ですら救援に向かえなかったと謝られました。




 ただ、記憶のなかった数日間の内に、私の技術は驚くほど向上していました。


 記憶はなくても、体には刻み込まれていたみたいです。






 私は考えを改めました。


 もう、浮ついた気持ちでノーマさんをカッコいいだとかお嫁に欲しいだなんて言いません。


 ノーマさんは、そんな次元の人ではないんです。






 ノーマ様は神です。


 私、一生ノーマ様を崇めて生きていくと、誓いました。








 教訓。触らぬ神に祟りなし。





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