第5話 マグダのおままごと
その知らせは、突然訪れた。
「……分かった、店長とヤシロに伝えておく」
「ほな、よろしゅうな。ウチは早よ帰って薬作ってくるさかいに」
急ぎ足でレジーナが駆けていく。
エステラのところにはすでに報告済みのようなので、あとはエステラのところの給仕が対応してくれるだろう。
マグダが行うのは、陽だまり亭のメンバーに周知するのみ。
ふむ、責任重大。
陽だまり亭の命運がマグダの双肩にかかっていると言っても過言ではない。
両肩に、ズシリと重さを感じる。
「……肩が凝りそう。エステラには無縁の肩凝りではあるけれど」
エステラが羨ましい。
マグダはあと一年もすれば慢性的な肩凝りに悩まされる予定。
「……エステラは、お気楽でいいな」
淑女の悩みに憂うことなど日常茶飯事なマグダは、軽く肩をすくめるだけでおのれの宿命を受け入れる。
今はまず、この緊急事態を正確に伝えなければ。
空を見れば、まだ空は薄暗さを残している時間。
教会への寄付が終わったばかりで、開店準備の真っただ中。
ただし、今日は店を開けるわけにはいかない。
領主であるエステラからの要請。
エステラのヨウセイ……
…………ナイ乳の妖精?
うわ、呪いとかかけてきそう。くわばらくわばら。
庭先に軽く塩を撒き、マグダは店内へ戻る。
「……店長、ヤシロ。報告がある」
「なんですか、マグダさん? どなたかいらっしゃっていたようですけれど」
「来てたのはレジーナだろ、マグダ?」
ヤシロには、来客が誰だったのかお見通しのよう。
さすが、ヤシロ。
「……ヤシロの匂いフェチは伊達ではない」
「声が聞こえたんだよ!」
誰が匂いで人を判断しとるか!? ――と、謙遜をするヤシロ。
「……いやいや。ヤシロなら余裕」
「それは持ち上げてんの? こき降ろしてんの? どっち?」
それはもちろん……ふむ、多くは語るまい。
「それで、レジーナさんがどんな御用だったんですか?」
「……ふむ。店長もヤシロも心して聞いてほしい」
今、四十二区には脅威が迫ってきているのだ。
「……レジーナ曰く、『レジーナが感染する危険が高いから特効薬が出来るまで外出しないように』とのこと」
「レジーナさんが感染するんですか!?」
「そりゃ一大事だな。俺が聞いた話の内容と大きく異なってはいるが」
ヤシロは店内にいたのに、マグダとレジーナの会話が聞こえていたらしい。
さすがヤシロ。
「……ヤシロイヤーはスケベ耳」
「せめて地獄耳と言ってくれ」
盗み聞きし放題。
お隣の部屋のあんな音やこんな音も聞き漏らさずつぶさに拾い上げているに違いない。
……マグダの私生活、丸裸?
「……マグダは丸裸?」
「どう紆余曲折してそこにたどり着いたのかは知らないが、一回落ち着け、な?」
うむ。
マグダはそうやすやすと丸裸にはならない。
マグダが丸裸になると、すっぽんぽんオジサンが大はしゃぎしてしまうから。
「……すっぽんぽんオジサン」
「もう忘れてくれ、その忌まわしい記憶は!」
むぅ。
ヤシロが恥も外聞もかなぐり捨てて、必死になってマグダを探してくれた二人のメモリーなのに。
「そもそも、レジーナを治す特効薬なんか、この世には存在しない」
「……たしかに」
「お二人とも、ひどいですよ」
「めっ」とヤシロを叱る店長。
こちらにも視線が向いていたが、きっと叱られたのはヤシロのみ。
「お二人とも」という言葉は、この場合特に重要な意味を持たないため無視しても可。世の中とはそういうものである。
「それで、結局どういうことなのでしょう?」
「なんでも、ちょっと厄介な流行り病が流行の兆しを見せているらしい。それで、エステラがレジーナに助力を要請したようだな。レジーナはバオクリエアにいた時にその特効薬を作ったことがあるとかで、今日中には完成させられるらしい」
そうそう。
大体そんな感じだった。
「それなら安心ですね」
「だが、こいつは感染力が凄まじくて、人から人へ感染していくからなるべく外に出ない方がいいんだと。薬を作るといっても、材料が無限にあるわけじゃないし、時間もかかる。感染者をなるべく抑え込んで、発症した患者に適正に投薬を行い、厄介なウィルスを死滅させようってわけだ」
「つまり、外出したり人と会ったりするのは控えた方がいいということですね」
「あぁ。陽だまり亭も今日は休業した方がいいだろうな。ここで感染者を増やしたくはないだろ?」
「そうですね。そういう状況では仕方ありませんね。教会への寄付が終わった後でよかったです。あ、ロレッタさんはどうしましょうか?」
「おそらく、そっちにも情報は行くだろうから、俺たちは下手に出歩かない方がいい」
「分かりました。万が一、わたしが感染していた場合、わたしのせいでロレッタさんたちを危険にさらすことになりますからね」
「そういうことだ。ま、見た感じ、俺らは感染してないようだけどな」
感染すると筋肉が軋むように痛くなり、皮膚に斑点が出てくるらしい。
ただし、発症するまでには時間がかかり、その潜伏期間でも病原菌は感染してしまう。
だから、大丈夫だと思っても今日一日は家に閉じこもっていた方がいい。
――と、そのような話だった。
「……要約すると、レジーナが感染する」
「それは要約じゃない。豪快に端折った捏造だ」
そんな些末なことはともかく、そういうことなら今日は一日陽だまり亭が休みになる。
つまり、これから丸一日暇になるわけだ。
「……折角の休日なので、三人でピクニックにでも行く?」
「家から出んなっつぅ話をしてたんだよ、今」
そうか。
折角三人一緒に休める日だったのに。
「では、お家で出来ることをして過ごしましょうか?」
「……うむ。普段出来ないようなことをしてみたい」
「なるほど、普段出来ないようなことか……たとえば裸エプロンとかどうだろうか?」
「さぁ、マグダさん。何かやりたいことはありませんか?」
「うぉお!? 鮮やかに無視された!」
「……店長はスルースキルを身に付けた」
ヤシロは分かりやすいから、余計なことを言うタイミングが丸分かり。
最近では店長にまで見切られている。だからスルーされる。
少しはマグダを見習うべき。
「……マグダは、折角なので裸エプロンを――」
「お掃除でもしましょうか? 明日来店される方がびっくりしちゃうくらいに」
スルーされた。
……なぜ?
「もう、ダメですよ、お二人とも」
と、またヤシロだけが怒られる。
この場合の「二人とも」も、特に重要な意味は含んでいない。
なぜなら、マグダはとても可愛い、いい娘だから。
「……お掃除は、する。こういう機会だからこそ、お料理を練習してもいい」
「そうですね。時間を有効活用しましょう」
「……けれど、マグダは一つ、どうしてもやってみたいことがある」
シェリルやテレサ、教会の子供たちとはたまにやる遊び。
けれど、ヤシロや店長とはやったことがない遊び。
この二人と出来れば、きっと楽しい。
いつもはマグダが子供たちのわがままを聞いてあげる立場だったけれど、この二人ならマグダのわがままを笑って聞いてくれる。
だから、やってみたい。
「……マグダは、おままごとがしたい」
「おままごと、ですか?」
「……そう」
「えっと、それは教会の子供たちがよくやっている、家族ごっこのこと、ですよね?」
「……そう。ヤシロが教え、広まったバーチャルファミリーTRPG」
「そんな大それたもんじゃねぇだろ」
それぞれの役割を演じ、目に見えないものをさもあるかように感じ、演出し、この世界から隔離された異空間において、その中で生存する。
それが、おままごと。
実在しない世界ではあるが、だからこそ、どのような生き方も思いのまま。
「……おままごとの中では、どのような悪辣非道な行為も思いのまま」
「もっと楽しくやれよ、おままごとくらい」
「……マグダは過去に、三人の人妻を血祭りにあげた」
「どんな禍々しいおままごとしてたんだ!?」
一人の男を奪い合う集合住宅の泥沼劇。
どの女も自分の夫に隠れて、夫が留守になる昼下がりにふらっとやって来る行商ギルドの女たらしの虜になり……
「……最終的には誰もいなくなる」
「ミステリーじゃねぇか。いや、ホラーだわ」
あの日、マグダ他、平均年齢5.8歳の女子たちは、満足げな顔をしていた。
あの日の夕飯は、格別に美味しかった。
「……それを、今ここで」
「あの、もう少し穏やかな遊びにしませんか?」
「……穏やかな不倫?」
「いえ、あの、不倫ではなく。幸せな家族を演じるのであれば、わたしも喜んで参加させていただくのですが」
ふむ、幸せな家族、か。
「……マグダ、幸せになってもいいの?」
「もちろんですよ」
「……もうすでに、おままごとの世界では二桁の人間を闇に葬ったというのに?」
「俺の説明が悪かったのかなぁ……、おままごとにそんな要素はないはずなんだけどなぁ……」
ヤシロに教わったのはベースの部分。根幹。土台。
その上に積み上げられていくのは、我々プレーヤーが日々情報収集に勤しんで得てきたデータをもとに作り上げられた虚像。
「……主に、ティータイムにやって来る主婦層の話を反映している」
「あのオバハンども……昼ドラ展開にハマりやがって。昼ドラも見たことないくせに」
ティータイムにやって来るマダムたちは、危険な火遊びに思いを馳せ、ここでよく盛り上がっている。
最終的には「まぁ、あんなんでもウチの亭主があたしには一番お似合いだけどね」と言って解散していく。
あくまで願望であって、希望ではない。
――と、マダムたちの名誉のために補足しておこう。
「……では、店長が推奨するおままごとを開催する」
「それは、俺も参加させられる形か?」
「折角ですから、ヤシロさんもご一緒に」
「何が『折角』なんだよ……」
ため息を吐きながらも、ヤシロはマグダの望みを叶えてくれる。
ふむ、ヤシロと店長とおままごと、か。
では、配役は……
「……マグダが新妻。そして店長はマグダの娘」
「いきなり斬新な配役だな」
「……そしてヤシロは間男」
「待って。俺、めっちゃ部外者じゃね?」
「……『俺はいつかビッグになる』が口癖の、ヒモ」
「最悪だな、俺の役!?」
「……マグダだけが、彼の才能を理解してあげられる」
「おぉ、マグダもかなり最低な設定みたいだな。謹んでお断りしよう」
「あの、マグダさん。ヤシロさんが旦那さんでいいのではないでしょうか?」
まさか店長がそんなことを言うなんて、思いもしなかった。
「……いいの?」
「もちろん。お二人がわたしの両親だなんて、こんな贅沢なことはありません」
「……けど、店長が娘だとすれば……ヤシロはお風呂に入れたがるけれど?」
「さぁ、ジネット! お父さんがお風呂に入れてあげよう!」
「もう一人で入れる年齢です!」
「……残念。設定上、店長はまだ二歳」
「に、二歳ですか!?」
「……趣味はおねしょの隠蔽」
「そんな趣味の二歳児はいませんよ!?」
「さぁ、ジネット! お父さんがお風呂に――」
「もう、懺悔してくだちゃい!」
おぉう、店長がちょっとだけ『二歳』という設定を汲み取った。
店長はやる気だ。
「じゃあジネット、一緒にねんねしようか!」
「もう、お父さんは徹夜でお仕事してください!」
「娘に酷いこと言われた!?」
マグダの提案に、楽しそうに乗ってくれるヤシロと店長。
どんなわがままも、この二人は叶えてくれる。
いささかマグダに甘過ぎる気がする。けれど、本当にダメなことはきちんと叱ってくれるし、マグダが間違えそうな時は事前に止めてくれる。
それはすなわち、いつもマグダのことを、ちゃんと、しっかりと見てくれているということ。
……だからきっと、マグダが二人にわがままを言うのは、二人にとっても嬉しいことに違いない。
そうでなければ「わがままを言うな」ってマグダを叱ってくれるはずだから。
だからマグダは、二人のためにもわがままを言う。
いつもなら出来ないことでも、今日なら出来るかもしれない。
「……店長」
「なんですか、お母さん」
無邪気な笑みに、きゅんとした。
なに、この可愛い生き物。
思わず連れ帰りたくなる。
「……おままごとの間……その…………ジネット、って、呼んでも、いい?」
怒られることはない。
分かっているのに、心臓はどきどきと暴れ狂い、耳は自然と寝てしまう。
ほんの少しでも不愉快な顔をされたら、きっとマグダは傷付いてしまう。
そんな、ほんの些細な変化が、すごく、怖い……
「もちろんですよ、お母さん」
あぁ、ウチの娘、世界で一番可愛い!
「……ウチの娘、マジ天使」
「ウーマロさんが
しまった、つい。
二歳の娘がいる幸せな家庭に、他所の男の影が……
「……ヤシロ」
「……なんだ?」
「……DNA鑑定だけは、やめてあげて、この娘が傷付くから」
「どこで覚えてくるんだ、そういうの!? 害悪なマダム共、出禁にすんぞ!? ……っていうか何をどう翻訳したら【DNA鑑定】なんてワードが出てくるんだ『強制翻訳魔法』ー!?」
ヤシロが天に向かって吠える。
ヤシロはたま~に精霊神にケンカを吹っかける。
そんな人、ヤシロ以外に見たことがない。
おそらく、ヤシロが特別である要因の一つが、これ。
神と対等な男、オオバヤシロ。……ふむ、かっこいい。
「……もう少し穏便な設定にしたいと思うけど、異論は?」
「最初から微塵もねぇよ、異論」
「わたしも、楽しい家庭がいいです」
楽しい家庭。
それはきっと、笑顔が絶えなくて、思わず歌ったり踊ったりしてしまうような陽気な家族。
つまり、ことあるごとに歌い踊る習慣がある種族が望ましい。
「……マグダたちは、バオクリエアの向こうの密林に住んでいるという戦闘好きな裸族」
「穏便な設定ではないですよ、それは!?」
「いやだが待ってほしい。果たしてそうだろうか?」
「何か企んでいるようなお顔が隠せていませんよ、ヤシロさん!?」
む……
今気が付いたけれど、マグダがヤシロに対するサービスシーンを提案する度にヤシロの目線が店長に向かってしまう。
……やはり、あのビッグウェポンには歯が立たないか、……まだ。あと一年くらいは。
「……ジネット」
「なんですか、お母さん?」
「……ちょっとは遠慮して」
「ご、ごめんなさい。ちょっと、無理、なんです」
膨らむばかりでしぼまない。
店長のおっぱいは無敵。
けれど、その無敵おっぱいの遺伝子は母であるマグダから受け継がれたもののはず。
「……ちょっと返して、その無敵遺伝子」
「む、無敵では、ない、です」
ぷくっと膨れてそっぽを向いてしまう。
またそういう可愛いことをする。連れ去ってほしいと見える。
マグダが本気を出せば、いつでも店長を誘拐出来るということを肝に銘じておくべき。
「……ヤシロ、大変。ウチの娘が誘拐されそう」
「お前に、だろ?」
さすがヤシロ、すべてお見通しらしい。
「とりあえず、おままごとなんだから、家族っぽいことでもしてみるか? みんなで風呂に入るとか――」
「ご飯にしませんか? 家族っぽく。健全に」
店長が『健全に』を全力で押した。
ヤシロ、少し自重しないと、あとで割と長めの説教を食らう羽目になる。ヤシロはそこのさじ加減がちょっと下手。店長の顔色を窺うのは得意なくせに、「ここでやめておこう」ってブレーキが壊れ切っている。ブレーキを踏んでいる風ではあるのだけれど、ついつい口を突いて店長をからかう言葉が漏れている感じがする。
ちなみに、ブレーキというのは、狩猟ギルドで使用している荷車についているもので、重い魔獣の肉を積み込んでいる荷車が下り坂で加速して止まれない時にペダルを踏んで作動させるもの。金物ギルド渾身の一品。
……なんとなく、今この説明が必要な気がした。
ただし、すべての荷車に搭載されているわけではないことも追記しておく。
「……それでは、ご飯にしようと思う」
「そうしましょう、お母さん」
「……さぁ、ジネット。おっぱいの時間ですよ」
「へっ? ……あ、そうでしたね。わたし、二歳なんでした」
そんなわけで、おっぱいタイムである。
ヤシロが物凄く羨ましそうにこちらを見ているが、あえてスルーする。
そして、両手を広げてマグダを待ち構えている店長のもとへ歩いていき、そのたわわな胸に顔をうずめる。
圧倒的乳圧っ!
「って、お前が飲むんかい!?」
「マグダさん、あの、逆ですよ、ね?」
「……これは母親の特権」
「そんな特権はありませんよ?」
「父親の特権っていうのは……」
「ヤシロさん、懺悔してください」
「ちぇ~……」
そうして、ヤシロは度を越してしまう。いつものこと。
ブレーキががばがばなのである。
娘が怖がっているのについつい羽目を外してしまうというのは、世の父親の性なのだろうか。
マグダも昔…………そう、パパ親に――
『見ろ、マグダ! 肩からヒジにかけてざっくり切れてるだろう? これはな、凶悪なハサミを持ったカニみたいな魔獣とやり合った時の傷でな、オレじゃなきゃ腕が丸ごと持ってかれていたところなんだぞ。いいか、ヤツの対処法はな――』
――そんな風に、どこを誇っているのか分からない自己満足な自慢をされて、その傷口が怖くて、痛そうで、嫌で、泣きそうになって、怒っていたことがあった。
そうしたら、ママ親がマグダを守るように抱きしめてくれて、こう言ったのだ。
「……あなた」
「ん?」
「……この娘が怖がるから、奥へ行って道具の手入れでもしてきてちょうだい」
「おぉう、なんだこの家!? 母娘揃って父親を隔離しようとしやがる!?」
マグダがママ親のマネをして言うと、ヤシロがパパ親と同じような反応を見せる。
そうそう。
いつもそんな感じで、ママ親に怒られたパパ親は不貞腐れて奥の部屋へ行き、マサカリの手入れをしていた。
チラチラチラチラ、こっちの様子を窺いながら。
……ふふ。構ってほしそうに。
そして、ちょっとだけ可哀想だなぁって思って、マグダが様子を見に行ってあげると、今度は自分の使う武器がいかに考え抜かれて整備されているかを語り出して。それがまたしつこくて、ママ親にまた怒られて……ふふふ。
「……あなた。あんまりしつこいと、この娘に嫌われますよ?」
「おぉう……なんか身につまされるから、そういうマジトーンなお説教辞めてくれる?」
「……けど、この娘は優しい娘だから、きっとあなたのことを許しちゃうのね。でも、大丈夫」
ほぅ……っとため息を吐いた後は、自信満々の笑みで。
「……私がしっかりと、あなたのよくないところを教え込んでおいてあげるから、存分に嫌われるといいわ」
「おい、やめろよ!?」
「……さ~ぁ、ママと仲良し仲良ししましょうね~、私の可愛いマグダ~」
そう言って、マグダを抱きしめて頬ずりをして、頭をよしよししてくれる。
よしよしの間で耳の付け根をモフモフして、機嫌がいい時はそのまま鼻をかぷっと噛んでくれるのだ。
マグダは、ママ親が見せるその愛情表現がとても好きで、そうしてもらえるマグダは特別な存在なのだと、優越感に浸れていたのだ。
だから、上機嫌でいつも言うのだ。
『マグダは、パパ親のことも好きでいてあげるからね』――と。
ふふ。パパ親、すごく喜んでいたなぁ。
そんなことを思い出しながら、頬ずりをして頭をなでなでしてあげる。
大サービスで鼻かぷをしてあげようと顔を覗き込んだら、腕の中にいたのは店長で、はっと我に返った。
「マグダ、さん?」
……ちょっと、妄想の世界にとらわれ過ぎていたようだ。
ん……ヤバい、変な汗が浮かんできた。
なんとかして、誤魔化さなければ……
けど、どう誤魔化せばいいのか、分からない。
「今のは、マグダさんのお母さんのマネですか?」
「……いや、それは……」
「わたしのこと、『私の可愛いマグダ~』って呼んでいましたし」
おぉう、ミステイク。
言い訳不可。
「……マグダが、実際に見た母親というものを完全にトレースした結果。マグダは、演技派だから」
「うふふ。愛されていたんですね、マグダさんは」
店長が、マグダの娘役から、完全にいつもの店長に戻っている。
むぅ、まだおままごとは終わっていないというのに。職務怠慢である。遺憾である。
「ってことは、さっき俺が受けた仕打ちは、実際にマグダの父親が受けていた仕打ちなのか?」
「……そう。大体あんな感じ」
「気の毒過ぎて泣けてくる……っ!」
ヤシロがパパ親に同情して目頭を押さえる。
シンパシーを感じているのかもしれない。そう遠くない将来、同族になる可能性が高いから。それが、父親というものだから。
「……パパ親は育児が下手だった。お馬さんごっこも満足に出来ないし、子供が喜ぶ話題も分からない。話すことと言えば、自分がどんな武器をどう手入れしているかとか、どんな魔獣をどんな風に倒したのかとか、傷自慢とか。……傷自慢は傷が深ければ深いほど長く、熱く語られ、見るだけで痛そうな傷口をこれでもかと見せつけられるので、マグダはよく泣いていた」
「それは……まぁ、あぁいう扱いになっても仕方ないか……」
ヤシロがママ親に一定の共感を覚えた。
父親はうるさくなったら隔離する。どうやら世の中的にはそういうものらしい。
「けど、当時は怖かったその話も、今は役に立ってるんだろ?」
「……そう。実際狩りに出てみると、パパ親の話はとても有用だったと理解出来る。どのような傷を付けられたかを知っているから、どのような攻撃をしてくるのかおよその予想がつくし、武器の手入れ方法をはそのまま活用出来る。特殊な手入れをしていたものは、特定の魔獣用の装備だったと、今なら分かる」
しつこいくらいに聞かされた知識は、数年経った現在、思いもよらないところで突然役立つことがあってびっくりさせられる。
「……ただ、五歳や六歳のころには、戦い方ではなく純然たる愛情と優しさを注いで欲しかったと今でも思っている」
「って割には、楽しそうな顔してるぞ、父親の話をする時」
「…………」
指摘されて、自分の顔を触ってみるが……よく、分からない。
「……そう?」
「あぁ。な?」
「はい。わたしにも、すごく楽しそうに見えますよ」
「……そう」
そうなのだとしたら、理由は一つ。
「……マグダは優しいいい娘だから、パパ親のこともちゃんと好きでいてあげられるから」
ママ親ばかりを贔屓するつもりはない。
たとえ、添い寝する時にマグダより先に寝て高いびきをかいて、それがうるさくて眠れないことが多々あったとしても。
たとえ、ママ親がいない時の夕飯のメニューが毎回魔獣の串焼きだったとしても。その串焼きが真っ黒こげになっていて、そのくせ中が生焼けだったとしても。
たとえ、マグダのお願いの七割くらいを理解してくれなくて明後日な結果になってばかりだったとしても。
「……マグダは、パパ親が、ママ親と同じくらいに大好き」
それは、自信を持って言えること。
「……だから、二言目にはおっぱいおっぱい言っている残念なヤシロのことも許容してあげられる器を持ち合わせている」
「……そりゃどーも」
マグダは、ヤシロが残念な暴走をしても怒らない。
それくらいのことなら許容出来る。マグダは器の大きな女なのだ。
「よし! じゃあ、マグダの実家を再現してみるか」
「そうですね。わたし、マグダさんのご両親のことがもっと知りたいです」
「……マグダの?」
「はい。今はわたしが娘ですから、わたしがマグダさんです」
「……店長が、マグダ? ……乳の発育具合くらいしか共通点が見出せないけれど?」
「おぉ、そこに共通点を見出せたか、すげぇなマグダは。マクロを見過ぎてミクロを完全に見落とすおおらかさを持ってるんだな」
ヤシロが乾いた笑いを漏らすが、伸びしろを考慮すれば同じくらいだと言える。
伸びしろはいわば予定。予定は、立てた時点でもう八割方完成したと言っても過言ではない。
よく言うではないか、戦いは試合開始の合図が始まる前からすでに始まっていると。
言い換えるならば、マグダの成長は膨らみ始める前からもうすでに始まっているのだ。先物取引ならぬ、先物膨らみなのだ。
「……店長がマグダということは、マグダは店長を全力で可愛がればいいということ?」
「はい。マグダさんのお母さんがマグダさんにしたように、わたしのことを可愛がってくださいね」
「……それは…………相当な覚悟が必要。ママ親のマグダへの愛情は凄まじかった」
「望むところです。でも、ちゃんと名前で呼んでくださいね、おかぁ~さん」
「……ヤシロ、大変。ウチの娘が天使過ぎるっ」
「たぶんだけど、お前はずっげぇ母親似なんだろうな、マグダ」
そう言われて、不覚にも、嬉しかった。
マグダも、大きくなったらママ親のようになれる……かな?
なれるといいと思う。なりたいと思う。
そのためにも、今この機会にしっかりとママ親の行動を思い出しトレースしたいと思う。
……ママ親のことを思い出すのは楽しい。
今日は、とても楽しく過ごせそうな気がする。
「……マグダの実家は、ここからここくらいの広さで、ここで一家三人で暮らしていた。奥には武器の手入れをする場所があって、台所はあのあたりで……」
マグダの生まれ育った家は。陽だまり亭のフロアにすっぽり入ってしまうくらいに狭かった。ここの半分もなかったかもしれない。
すごく狭くて、その分、家族との距離が近い家だった。
「……裕福ではなかったので、寒い日はみんなでくっついて眠っていた」
「いいですね、そういうの。わたし、くっついて寝たいです」
「……おいで、わたしの可愛いジネット」
「わぁ~い、お母さぁ~ん」
手を広げて呼べば、店長がにこにこと駆けてくる。
なるほど。ママ親がマグダを可愛がっていた理由がちょっとだけ理解出来た気がする。これは、可愛い。駆けてくるのがマグダなのだから、それはそれは可愛かったことだろう。
「……ヤシロ」
「ん? どうした? 代わってくれるのか?」
店長を抱きしめてなでなでしたいのであろうヤシロ。けど、残念ながらこれはママ親の特権。ヤシロには譲れない。
「……ヤシロのなでなではどこに手が伸びるか分からないから、不許可」
「信用ゼロか、俺!?」
日頃の行いを顧みるいい機会だと思えばいい。
「それで、なんだ? どうかしたのか」
「……思い返してみると、マグダはとても愛されて育てられていた」
「…………ん。だな」
「……そして、それを踏まえて、今の状況を顧みてみると――」
腕の中の店長も、隣に立つヤシロも、真っ直ぐにマグダのことを見ている。
いつでも、いつまでも、この距離でマグダのことを見てくれていると実感出来る。
それが普通だと思える、この日常こそがその証明となる。
「……今現在も、マグダはとても愛されている。……だから………………ありがと」
マグダのわがままを、嫌な顔一つせずに聞いてくれる。
いささか甘やかし過ぎであるとは思うけれど。
その特別扱いが、くすぐったくて、マグダは大好き。
もし、この二人と家族になれるなら、それはどんなにか――
「お兄ちゃん、店長さん、マグダっちょ! 大変です!」
その時、ロレッタが陽だまり亭に転がり込んできた。
かなり慌てているのか、息も絶え絶えに言葉をまくし立てる。
「あ、あぁ、あのあのあのっ、お、おち、落ち着いて聞いてです! じ、実はれじゅーみゃしゃんみゃがきゃるしゃるべりられるばにゃー!」
「落ち着いて話せっ!」
「ロレッタさん、お水です」
「ありがとうです、店長さん! んくっんくっんくっ! ぷはぁー! 生き返ったです」
ほほぅ。今まで死んでいたらしい。器用な。
「……それで、そんなに慌ててどうしたの? みんなを呼ぶ時はいつもマグダを後回しにするロレッタ?」
「むわぁっ!? 実は微妙に気になってたですか、それ!? 一応、年齢順のつもりだったんですけど……って! 今はそれどころじゃないです! 大変なんです! 実は、外を出歩くとレジーナさんが
「それもう聞いたわ! んで、それ解釈間違ってるから!」
そうして、ロレッタはヤシロから正しい情報を聞く。
まったく、おっちょこちょいなロレッタ。情報は正確に把握しないと意味がない。
極端に端折って切り貼りした情報は、もはや捏造と変わらない。気を付けるべき。マグダはすでに実践している。ロレッタよりも一歩先を行っていると言える。
「それで、今は何をやってるです?」
「……マグダの家族を再現するという最新鋭のおままごと」
「むはぁ、なんだか楽しそうです! あたしも混ぜてです!」
「……ロレッタがそこまで言うなら、仕方ない……では、ロレッタはパパ親愛用のマサカリ役を」
「無機物!? せめて哺乳類にしてほしいです!」
「……マグダは三人家族だったから」
「そこをなんとか、お願いです!」
「……あと空いているとすれば…………あ、パパ親の二号さん役としてクローゼットに隠れていて」
「血を見そうな配役ですね!? マグダっちょのお母さん、狩猟ギルドの凄腕狩人でしたよね!?」
「……マグダより、強い」
「その人の旦那さんには死んでも手を出さないですよ!?」
……困った。
ロレッタに振る役がない。
と、そこに並ぶみんなの顔を見る。
みんな、マグダが行う配役を待っている。
きっと、マグダが言えばどんな役でもやってくれる。
なぜだろう。
確認したわけでもないのに、そう確信している。
ん? なぜだろう? いや、なぜって、そんなの……聞かなくても分かる。
言わなくても、言われなくても、分かり合えるものがある。
そういうものが、この場所にはたくさんある。
そう思ったら、パパ親とママ親の思い出に浸ってはしゃいでいた気持ちがぽ~んとどこかへ飛んでいった。
とても心地よかったけれど。
思い出すだけで、すごく温かかったけれど。
「……店長。マグダの娘役じゃなくなっても、平気?」
「はい。もう十分甘えさせてもらいましたから」
そう。
店長が残念がらないなら、配役を変えてもいい。
「……では、店長は陽だまり亭の店長役で、ロレッタはそこの元気なウェイトレス役。マグダはこの街一番の可愛い看板娘役で、ヤシロはおっぱい大魔神役」
「えっ? あの、それって……わたしたち、そのまんまですか?」
「おいこら、ジネット。俺の配役について思うところはないのか?」
「え? あ、いえ。それはその……うふふ」
店長は誤魔化し方が下手。
けれど、それが店長っぽくて、マグダは、そういうところもちょっと好き。
「……このままでいい」
マグダが何かを話すと、きちんとマグダを見てくれる。
そんなみんなをぐるりと見渡して、マグダははっきりと告げておく。
「……今のマグダにとって、ここにいるみんなが家族だから」
おままごとは小さな女の子が理想の家族を演じる遊び。理想を具現化する遊び。
なら、マグダにとっての理想は、今ここにいるみんなと一緒に楽しく過ごすこと。
「……みんなして、存分にマグダを甘やかすといいと思う」
「はい! 任せてください」
「そういうことなら覚悟してです、マグダっちょ! あたしの甘やかしはそんじょそこらの甘やかしとはわけが違うですよ!」
「はぁ……結局まともにおままごとも出来ないんだなぁ、このメンバーじゃ」
ヤシロ以外がマグダに飛びついてきて抱きしめてくれる。
ヤシロも抱きついてくればいいのに。
けれど、ヤシロをじっと見上げていると、頭に手を乗せ、耳をもふもふしてくれた。
むふー!
パパ親、ママ親。
マグダは今、とても温かい場所にいる。
パパ親とママ親がいなくなった日は大雪で、とても寒かったけれど、今はもう平気。
この場所で、いつまでも待っていられる。
だから、どんなに時間がかかってもいいから、元気な姿で帰ってきてね。
「……ではロレッタ、いつものようにマグダを崇める歌とダンスの奉納を」
「いつもそんなことしてないですよ!?」
「あぁ、ホントすっかりいつも通りの陽だまり亭だな」
「くすくす。そうですね。楽しくて、わたしは好きですよ」
賑やかにその日一日を堪能していると、夜半過ぎに特効薬の完成を知らせる一報が舞い込んできた。
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