第9話 ルシアとパウラとイメルダと鷲掴み胃袋

 ここに来るまで大変だった。


 誰にも見つからぬ小さな空間に身を潜める。


 見つかってしまってはすべてが台無しだからな。




「……ギルベルタ、ぬかるでないぞ」


「心得ている、私は」




 すぐそばで、共に身を潜めているギルベルタの囁きが聞こえる。


 私の愛すべき可愛い給仕長。


 小さな触覚がたまらなく可愛い、忠実なる側近。


 歴戦の騎士のような鋭い眼光の奥に見え隠れする優しい眼差し。


 幼い声で紡がれる大人ぶった口調……あぁ、尊い!




「ギルベルタ、かわゆすっ! ぎゅーしよう、ぎゅー!」


「静かにしてほしい思う、私は、ルシア様に。一大事、見つかると、今は」




 ギルベルタの小さな掌が私の口を塞ぐ。


 あの、ちょっと、ギルベルタ……力、入り過ぎ……痛い、ちょっと痛いぞ?




「しっ…………聞こえてきた、足音が」




 ギルベルタの言葉に、私は耳を澄ませ薄い木板の向こうから聞こえてくる音に意識を集中させた。




「……ですわね」


「……だよねぇ」




 木板の向こうからは、馴染みのある声が聞こえてくる。


 今度こそ意識を集中してその声に耳をそばだてる。




「まぁ、とりあえずお座りになってくださいまし」


「うん。ありがとね、イメルダ。急に押しかけちゃって、ごめんね?」


「かまいませんわ、パウラさん。あなたの計画には、ワタクシも興味がありますもの」


「じゃあ、協力してくれる?」


「もちろんですわ」




 そうして和やかな空気が流れる――今だ!




「その計画、私も協力してやろう!」


「「きゃぁぁあああ!? なぜルシアさんがここに!?」」




 ババーンと、イメルダ邸のクローゼットから飛び出した私とギルベルタを見て、イメルダ先生とカンタルチカのプリティイヌっ娘パウラたんが目を丸くしている。




「偶然通りかかったのだ」


「どうしようイメルダ!? 他区の領主様が平然と嘘吐いてる!?」


「領主一族に『精霊の審判』を使おうとすること自体が重罪で、最悪戦争に発展すると分かっていての暴挙ですわ! ワタクシたちは四十二区の領民を人質に取られているようなものですわね!」




 その通りだ。


 このような些細な嘘で私に敵意を向ければ、エステラを引き摺り出して区と区の騒動に発展することになる。だから、『精霊の審判』は使えない。




 もっとも、そんな遊びが許されるのは、この四十二区の中でだけだがな。


 ふふふ……なんとも居心地のいい街だ。


 我が三十五区も、いつの日かこのような空気になってくれればいいのだが。




「では、給仕たちよ。このクローゼットをイメルダ先生の寝室へ戻しておくのだ」


「「「かしこまりました、ルシア様」」」


「ちょっとルシアさん!? ウチの給仕たちをいいように使わないでくださいませんこと!?」


「このドッキリのためにイメルダの寝室からクローゼット運ばせたんですか、ルシアさん……?」


「その通りだ!」


「いつものことですわ」


「いつものことなんだ……」




 運動会の頃によい関係を築いて以降、私は頻繁にこの館を訪れている。


 ここ、木こりギルド四十二区支部は、敷地も広く調度品も一流で非常に居心地がいい。


 それのみならず、給仕に指導が行き届いており過不足ないもてなしをしてくれる。おまけに、上位の貴族の給仕たちとは違い、遊び心を理解してくれる。ここがなによりも大切なポイントだ。




 躾の行き届いた給仕など掃いて捨てるほどいるし、育てるのも容易だ。


 だが、遊び心は教育では身に付けられない。


 適度な放任、良質な刺激、そして自己にかかる責任の重大さを理解する心、それらがすべて揃い、上手く作用しあって初めて身に付くものなのだ。




 正直、ウチの館の給仕として召し抱えたいと思える者が大勢いる。




「そなたら、ウチの館に来ぬか?」


「引き抜きはやめてくださいまし、ルシアさん!」




 イメルダ先生に止められるが、実は主であるイメルダ先生が動くまでもないのだ。




「ありがたいお言葉ですが」


「私どもは、ハビエル家に仕えておりますことを誇りとしております」


「何卒ご容赦を」




 この有り様だ。


 領主に求められてもきっぱりと断れる胆力は見事という外ない。




 実に残念だ。




「残念思う。一緒に働いてみたい思っていた、私は……」


「「「くぅ……っ、ギルベルタちゃんにそう言われると心が揺らぎますっ」」」




 ウチのギルベルタは素直な可愛い娘なので、ここの給仕たちに甚く気に入られている。


 ここの給仕長に「ください!」と懇願されたこともあったが、もちろん断った。


 ギルベルタは、私が嫁に行くことになり領主の館を出たとしても連れていくつもりなのだ。誰にも譲らん。




「それで、あの、ルシアさんは、どうしてここにいるんですか?」


「パウラたん!」


「は、はい?」


「口調が他人行儀過ぎやせぬか~? さ~み~し~い~ぞ~!」


「きゃぁぁあああ!?」


「自重してほしい思う、ルシア様。失礼に当たる、いきなりほぺったすりすりするのは」


「あぁっ、尊い! 尻尾! もふもふ尻尾!」


「うにゃぁぁああ!?」


「打撃する、延髄を、てい!」


「どふっ!?」




 女子同士の幼気な戯れだというのに、首筋に重い一撃を食らわされてしまった。


 ……ギルベルタよ、そなた、最近とみに遠慮がなくなってきていないか?




「とみになくなっている、節操が、ルシア様は」


「これでも節度は守っておるつもりだ」


「だとしたら、認識を改めてくださいまし、ルシアさん」




 なんだと、イメルダ先生!?


 女子同士は何をしてもセーフであろうに!?


 四十二区では違うのか!?




「パウラさん。面倒くさいから敬語をやめてくださいまし」


「ため口でいいの、かなぁ?」


「ワタクシと同等の扱いでかまいませんわ。その方が本人も喜ぶでしょうし」


「う~……じゃ、じゃあ……今日は何しに来たの、ルシアさん。……これでいい?」




 ヤバっ!?


 可愛っ!




 一体どうなっているのだ、このイヌっ娘の可愛さは!?




「連れて帰るか……隣に引っ越すか……果たしてどちらが……!?」


「あの、やめてね……どっちも」




 尻尾がくるりんっとパウラたんの体に巻き付く。


 耳がぺたーんと寝ている。




「……誘拐したい」


「領主がぽろっと犯罪予告をなさらないでくださいまし」




 そんなことを話している間にも、テーブルの上には三人分のお茶と焼き菓子が並んでいた。


 私の分も追加されている。さすがだ、イメルダ先生の給仕たち。




 ギルベルタには個別でお菓子が入った小袋が渡されている。


 私の後ろに立ち席に着かないギルベルタへの配慮だろう。


 本来であれば給仕には必要ないもてなしではあるが……分かるぞ、お菓子をあげたくなるその気持ち。


 私も、しょっちゅうギルベルタに「お菓子をあげるから私の部屋へおいで」と誘っているのだが、なかなか成功しない。


 これからも、何度でもチャレンジするつもりではあるが。




「それで、今日は何をする予定なのだ?」


「それ、今あたしがルシアさんに聞いた質問なんだけど?」


「私の予定は、そなたらに便乗することだ」


「何をするかも分からずに便乗することだけは決めていましたのね……」


「え、そんな感じで四十二区まで来られるの、他区の領主様って?」




 問題はない。


 やるべき仕事はすべて終わらせてきたからな。




 最近、時間を作るために働き方を改革してみたのだが、そのおかげでこれまでいかに非効率的な仕事の仕方をしていたのか思い知らされた。


 見栄と虚栄、牽制と化かし合い。


 貴族の生き方には無駄が多過ぎる。




「だから最近は無駄を省くために開き直っているのだ。このように! あぁ、もふもふ! いともふもふ!」


「うにゃぁぁああああ!?」


「本当によろしいのかしら? 領主様がこんな痴態を晒すことに慣れてしまって……」




 なぁに、問題はないぞ、イメルダ先生。


 むしろ健全になったとすら言えるではないか。


 愛情表現というものは、時に大胆さが求められるものなのだ。




「そなたらにもあるであろう? 想いを寄せる殿方のそばにいて、ふと指を触れてみたくなることが?」


「ぅえっ!? あ、あた、あたしは、別に……」


「ワ、ワタクシも……特に」


「本当にないか? 不安になった時に、その胸に寄りかかってみたくなることが」


「そ、それは……その……ね、ねぇ、イメルダ?」


「そうですわね。それでもみだりに触れないのが淑女ですわ」


「離れがたく、去ろうとする背中に思わず手が伸びたこともないか?」


「う……それは、その……」


「そういうことでしたら、まぁ……理解出来なくも……」


「共に楽しいひと時を過ごし、ふと思い立って、ほんの少しだけ大胆にアピールをしてみたくなったことが、これまで一度もないと申すのか? 何気ない風を装って、そっと腕に触れてみたことが」


「そ……れは………………ある、けど」


「…………ですわね」


「そして、その勢いのまま衝動的に首筋や胸元に顔をうずめてすりすりくんかくんかしたことが!」


「「それはない」ですわ」




 ないのかー。


 そうかー。




「そなたらは、奥手だな」


「常識的なのですわ」


「ルシアさんだけですよ、そこまで本能に忠実なのは」


「そんなことはない。ギルベルタも割と積極的な方だ。なぁ、ギルベルタ?」


「確かにと思う。抱っこしてくれる、見つめていると、友達のヤシロは。とても嬉しい思う、私は」


「そういえば、ギルベルタって何気に甘え上手よね……」


「プチマグダさんですわ」




 ギルベルタに羨望の眼差しを向けるパウラたんとイメルダ先生。


 本当にいい女というのは、甘え上手なものだ。




「我々を見習うがよい」


「「いや、ルシアさんはない」ですわ」




 失敬だな、二人とも!?




「私ほどの甘えん坊はそうそういないぞ!?」


「うん、そうだね」


「それは重々承知しておりますわ……嫌というほどに」




 甘えん坊は甘え上手であろうに。


 二人の表情はなんとも酸っぱい感じになっている。解せぬ。




「もうルシアさんは完全に混ざるつもりみたいだからさ、さっさと始めちゃおうよ、イメルダ」


「そうですわね。では、厨房へ移動いたしましょう」




 厨房……ということは料理をするのか。


 ふむ、なるほどな。理解した。




「服はどこで脱げばよいのだ?」


「なぜ裸エプロンをしようとなさっていますの!?」


「っていうか、どこで覚えてきたのよ、そんなの!?」


「ノーマたんの家でだが?」


「「思いもよらないところで!?」」




 ノーマたんの家で酒を飲んでいた時に、ほろ酔いのノーマたんが得意げに言っていたのだ。


「アタシは、いざという時のためにちゃ~んと練習してるんさよ」と。




「……何をなさっているんですの、ノーマさんは」


「いざって…………練習って…………」


「練習している、私も、いざという時のために」


「ギルベルタはしなくていいから!?」


「というか、止めてくださいまし、主として!」




 なぜだ!?


 私はいつまでも待っているつもりなのだぞ、その『いざ』という時を!




「安心しろ、ギルベルタ。そなたに悪い虫がつかぬよう、私がいつでも見守ってやる。だから、私に裸エプロンを見せるのだ! 今こそ練習の成果を!」


「はい、そこの悪い虫~、ギルベルタから離れて~」


「ちょっ!? パウラたん! 首根っこを掴んで引き摺るとはいったいどういう了見で……」


「はいはい、自重しないあんたが悪いのよ~」


「困ったものですわね……、ルシアさんはどなたといても、気が付くとあーゆー扱いになっているんですもの」


「きっと喜んでる思う、ルシア様は。あのような触れ合いを」




 割と乱雑に引き摺られながら、私は厨房へと連れていかれた。










「家庭料理を作るわよ!」




 腕まくりをしたパウラたんがエプロンを翻して宣言する。




「尻尾がもふもふだな」


「集中して、ルシアさん!? 『カタクチイワシ(メス)』って呼ぶよ!?」


「んなぁっ!? な、なぜ私が、カタクチイワシごときと同じ姓を名乗らねばならぬのだ!? だ、誰があのような男と、け、けけ、結婚など……っ!?」


「落ち着いてくださいまし、ルシアさん。『カタクチイワシ』は姓ではありませんわ」




 まったく、パウラたんがおかしなことを言うから、頭がぽーっとしてしまったではないか!?


 だ、誰があのような男と…………




 どーしてもと、泣いて土下座するなら、まぁ…………考えてやらなくも………………いや、別に、考えるだけだ……よい結果が望めるなどと思い上がるなよ、カタクチイワシ!




「不愉快だ! 給仕よ、カタクチイワシを持て! この手で八つ裂きにしてくれる!」


「八つ当たりですわね」


「食べ物で遊んじゃダメだよ、ルシアさん」




 くぅ……だが、あとで食べれば文句なかろう。




「給仕、カタクチイワシを用意せよ!」


「譲らないなぁ、ルシアさんは、ホント……」


「こうと決めたら梃子でも動きませんわね。……まぁ、好きになさいまし」




 改めて指示を出すと、給仕が三名厨房を出て行く。


 それを見送って、パウラたんが再び口を開く。




「いい? アタシたちに足りないものは家庭料理なのよ」


「足りない、とは?」


「ルシアさん。ヤシロが最も食事をとっている場所がどこだか分かる?」


「陽だまり亭であろう?」


「正解。じゃあ、二番目は?」




 二番目?


 そうだな。陽だまり亭を除くのであれば……




「エステラの館か? 貴族の料理は平民たちのそれよりも幾分豪勢だからな。卑しいカタクチイワシならしょっちゅう集りに行っていると予想出来る」




 と、思ったのだが、パウラたんは静かに首を振った。




「ヤシロがエステラのところで食事をしたのなんて数えるほどしかないわ。一回か二回くらいかも」


「そうなのか?」


「そうみたい。エステラのとこ、料理長いなくなっちゃったし」




 なんでも、領主お抱えの料理人たちは、前領主の療養のために皆領主についてこの街を離れたのだそうだ。


 現在、エステラの館に料理を専門にしている者はおらぬらしい。




「エステラさんが陽だまり亭を好き過ぎるのも原因の一つですわ。隙あらば陽だまり亭へ向かうのですもの、料理人も育ちませんわ」




 確かに。


 料理をしても食べてくれる者がいなければ料理人は育たないだろう。




「エステラさんのところに比べれば、我が家の料理の方がはるかに高級で美味しいですわ」


「では、二番目はイメルダ先生のところか?」


「……いえ。ウチにもほとんどいらっしゃいませんわ。それこそ、ご招待差し上げた数回のみでしたもの」




 カタクチイワシは貴族の料理があまり好きではないのかもしれんな。




「では、どこが二番目なのだ?」


「ノーマさんのお宅ですわ」


「ノーマの料理、美味しいからねぇ」




 たしかに、ノーマたんの作った『煮っころがし』は、なんとも言えぬ美味さと懐かしさが溢れていた。


 よくしみ込んだ出汁の香りと、素材の持つ素朴ながらもしっかりとした甘み。


 一見地味に思えるが、洗礼された技術の蓄積を感じさせる安定感と驚きを同時に味わわせてくれて、なんというか、地味なのに味がしみ込んでいて奥深く熟練されて……




「ノーマたんの料理は、どことなくちょっとエロいからな」


「なんでそんな感想になるのよ!?」


「いえ、ですが……言わんとするところは、なんとなく分かりますわね」




 あれが、男を虜にする料理というものなのだろう。


 あの妖艶さは、ジネぷぅの料理にもないものだ。




「で、ちょっと調べたところ……、ウチの店で出してる魔獣のフランクとか、イメルダの家のコース料理よりも、ノーマの作るような家庭料理の方が男の人は好きなんだって」


「その証拠に、こちらを御覧なさいまし」




 言って、イメルダ先生は『会話記録カンバセーション・レコード』を呼び出し私に見せる。


 説明をしながら『会話記録カンバセーション・レコード』の画面をスクロールさせていく。




「最初がカンタルチカの魔獣のフランクを食べた時のヤシロさんの反応ですわ」




『お、美味いなこれ。焼く前に一回ボイルしたんだな。歯応えがいいよ』




「次が、我が家でランチを食べた時のヤシロさんの反応」




『へぇ、たいしたもんだ。淡白な白身魚をよくここまで昇華させたな。美味いよ』




「そして、最後がノーマさんの家で煮っころがしを食べた時のヤシロさんの反応ですわ」




『あぁ~……美味ぁ』




「このように! 本当に美味しい時は口数が減るんですわ」


「それにね、まぶたを閉じて、ちょっと上向いて、なんていうのかなぁ、こう、堪能するみたいにさ、噛みしめるんだよね、味を!」


「信憑性がある思う、この調査は、私も。確かに一言だった、友達のヤシロは、友達のジネットの料理を食べた時も」




 なるほど。


 本当に美味い時には言葉が出なくなるものなのか。




「だからね、ノーマみたいな……ううん、ノーマを超えるような家庭料理が作れるようになれば、もっとウチにも来てくれるようになると思うんだよね」


「そうですわね。用もないのにふらりと『飯食いに来た~』なんてこと、我が家では皆無ですもの。胃袋を掴むというのは大切ですわ」


「つまりそなたらは、カタクチイワシを家に招きたいがために料理を学ぼうというわけか?」


「…………」


「…………」


「……ん? 違うのか?」


「……ヤシロを、っていうか……」


「一般論、ですわ。男性全体に言えることですし」


「そ、そうそう! 年頃の女子としては身に付けておきたい嗜み、みたいな? ね、イメルダ」


「自分の価値を高めることは淑女の務めですわ」


「そうそう、そういうこと! イメルダの言う通りよ! ただ、今回は、まぁ、近しい男子に実験台になってもらおうかなぁ、みたいな?」


「そうですわね。とりあえず、ヤシロさんで様子を見るというのは有効な手段だと思いますわ」




 そういうものか。


 しかし、カタクチイワシのために料理を作る、か……




「やる気が微塵も湧いてこぬな」




 カタクチイワシを喜ばせてやりたいという気持ちが、心の中のどこを探しても見つからぬ。


 むしろ、カタクチイワシが私を喜ばせるべきではないのか?


 全身全霊をもって私を幸せにするくらいの殊勝なことでも言ってみてはどうだ、えぇ、カタクチイワシよ? ふふん。






『ルシア。俺のすべてをかけて、お前を幸せにしてやるよ』






「…………」




 カッ、カタクチイワシのくせにっ!




「…………ふ、ふん。料理くらい、作ってやらんでもない。手慰みにな!」


「どうされたのでしょう、ルシアさん。顔が真っ赤ですわ」


「なんか、変な妄想しちゃった感じ?」


「よくあること、ルシア様には」




 まったく、人の妄想の中に勝手に現れおって。


 なんという礼儀知らずだ。そうまでして私にかまってほしいのか、貴様は。




「じゃあ、それぞれ料理を始めよっか? 出来たら味見し合って、感想を言い合うってことで」


「分かりましたわ。厨房と材料は好きに使ってくださって結構ですので、ご自由にお作りなさいまし」




 さて、私は何を作ろうかと、そんなことを考えていると。




「出来た、私は」




 ギルベルタがきりっとした可愛い顔で私の前にやって来た。


 手にした皿には、おにぎりが置かれている。




「家庭料理、私なりの。食べてほしい思う、みんなに。聞かせてほしい思う、忌憚なき感想を」




 私たちに向かって皿を差し出し、真剣な眼差しを向けてくるギルベルタ。




「っていっても、おにぎりじゃあ、ねぇ?」


「まぁ、予想は出来ますわね」


「私はいただくぞ。ギルベルタが作った物なら、それだけで特別だからな」




 私がおにぎりを手に取ると、パウラたんとイメルダ先生もそれに続く。


 そして、三人同時におにぎりにかぶりつく。








 ――カキーン!








「「「硬っ!?」」」


「作った、私は。カテー料理」


「意味が違いますわ、ギルベルタさん!?」


「硬い料理じゃなくて、家庭的な料理だよ!?」


「それはそうと、よくもここまで硬く握れたものだなギルベルタよ!?」


「込めた、愛情を」




 握りこぶしを作って瞳をきらめかせるギルベルタ。


 うむ! 可愛いからよし!




「百点だ!」


「甘いですわね、自分のとこの給仕長に!?」


「っていうか、ルシアさんの場合はギルベルタに甘過ぎるだけだよ」




 ジネぷぅ曰く、料理は愛情らしいからな。


 愛情を込めたというギルベルタのおにぎりは百点満点で間違いない。


 食べられるかどうかなど、料理には瑣末な問題でしかないのだ。




 それから、パウラたんとイメルダ先生は料理人をサポートにつけて各自料理を開始した。


 私はギルベルタと共に作業をするつもりだ。




 どうしたものかと考えていると、給仕が二人ザルを抱えて厨房へ入ってきた。




「ルシア様、ご注文の品をお持ちしました」




 給仕のもとへ向かうと、ザルの中には細い魚が数匹入っていた。


 ……これは?




「カタクチイワシでございます」


「これが? 少々見た目が違うような気がするが?」


「目刺し、ルシア様が普段見ているのは。生の状態、このカタクチイワシは」




 そうか。


 私が普段見ているカタクチイワシは加工された後の物だったのか。




「つまり、これがカタクチイワシの本来の姿。生まれたままの状態というわけか」


「肯定する、私は」




 そういえば、カタクチイワシを八つ裂きにしたあとで料理すると言っていたっけな。


 では、まずは八つ裂きにしてくれよう。




「給仕。その生まれたままのカタクチイワシをこちらへ運ぶのだ」


「かしこまりました……あっ、滑りました!?」




 一歩踏み出した給仕が、濡れた床に足を取られ、あろうことか、生のカタクチイワシが大量に入ったザルをこちらめがけて放り投げた。


 一斉に襲い掛かってくる生のカタクチイワシ。


 ぷらんぷらんした生の感触が顔にぺったりくっついて、思わず声が出た。




「きゃぁぁああ!?」




 ぬるってした!?


 ぬめってした!?


 生のカタクチイワシが、生まれたままのカタクチイワシが、私の顔に!?




「おい! なんだ今の悲鳴は!?」




 私のもとへ一番に駆けつけたのは、料理中で持ち場を離れられなかったパウラたんでもイメルダ先生でもなく、なぜかこの場に突然姿を現したカタクチイワシだった。




「ルシア、大丈夫か? 一体何があったんだ?」


「生まれたままの姿のカタクチイワシが私に襲い掛かってきたのだ!」


「おいこら、酷い風評被害まき散らすな!?」


「無数に!」


「俺、そんな何人もいねぇわ!」


「ぷらんぷらんしたものが私の顔に、生で!」


「お前は俺を犯罪者に仕立て上げたいのか!?」




 カタクチイワシの手が私の口を塞ぐ。


 おのれ、気安く貴族女性の唇に触れおって!


 責任問題だぞ、これは!?




「おい、生カタクチイワシ!」


「『生』言うな!」


「私が嫁に行けなくなったらどうしてくれる!?」


「もしそうなったとしたら、その原因は俺じゃなくてお前のさっきの言動だよ!」




 責任転嫁をするな!




「というか、なぜ貴様がここにいるのだ、カタクチイワシ」


「いや、イメルダんとこの給仕長が急に呼びに来てよ……」




 給仕長を見ると、澄ました顔でこのようなことを言う。




「ルシア様がカタクチイワシを切望されておりましたので」


「んなっ!? そ、それではまるで、私がカタクチイワシに会いたかったみたいではないか!? 違うぞ、カタクチイワシ! 私はカタクチイワシを所望しただけでカタクチイワシを所望したわけではない! ……えぇい、ややこしい名前をしおって!」


「お前だ、俺にこんな妙なあだ名をつけたのは」




 渋そうな顔をして、カタクチイワシの入ったザルを見つめる。


 先ほどぶちまけられたものは、いつの間にかザルに戻されていた。


 それを、横からカタクチイワシがのぞき込む。




「いいイワシだな。これで料理を作るのか?」


「その予定だ。何かいい料理はないか?」


「そうだなぁ……つみれ汁とかどうだ?」


「美味いのか?」


「もちろんだ」


「では、それを作るとするか」


「よし、手伝ってやろう」




 腕まくりをしたカタクチイワシと共に、私はつみれ汁なるものの調理を始めた。






 そして数分後。




「多少の小骨はご愛敬だな」


「飽きるな! ちゃんと骨取っとかねぇと口当たりが悪くなるんだよ」


「なら貴様がやれ! ただし、最上の味に仕上げねば許さんぞ」


「仕事押しつけた上にさらに条件上乗せしてくるとか、お前何様だよ……」


「三十五区の領主様だ。敬うがいい」


「へいへい」




 酸っぱそうな顔をしながら、私から毛抜きを奪い、イワシの小骨を丁寧に取り去るカタクチイワシ。


 魚の身を指でなぞり、丁寧に骨を取り除いている。


 実に面倒くさい工程だ。




「もう少し簡略化は出来ぬのか?」


「出来ないこともないんだが、手間をかければその分美味くなるんだ」




 気にする必要もないだろうと思えるような小さな骨を抜き取り、顔を上げたカタクチイワシが得意げな顔で言う。




「どうせ食わせるなら、最高の味にしてやりたいじゃねぇか」




 これが、ジネぷぅが言っていた、「料理は愛情」というものか。


 ――と、私はそう思った。




「まぁ、待ってろ。俺が最高に美味い物を食わせてやるよ」


「……っ!?」




 そう言ってにやりと笑う顔は、目つきの悪さゆえに邪悪にも見えるが、なんというか……先程の妄想の中で私に微笑んでいた顔に、ちょっとだけ似ていた。




「……幸せにせねば、承知せぬぞ」


「ははっ、任せとけ」




 軽く言ってくれる……


 ふん。真意も知らずに。




 まったく、貴様という男は。








 いちいちこちらの心をかき乱すな。阿呆め。










 それから数十分。


 全員の料理が完成した。




「んじゃ、試食会と行くか」




 途端に仕切り出すカタクチイワシ。


 この男は、根っからのまとめ役なのだな。体に染みついているのだろう、他人を導く術が。




「食べてほしい思う、おにぎりを、私が作った」


「どれどれ。………………硬ぇ」


「やった思う、私は。短い感想、友達のヤシロの」


「違いますわよ、ギルベルタさん!?」


「感想が短けりゃ勝ちってルールじゃないからね?」




 こてんと首を傾げるギルベルタ。可愛い。


 ギルベルタの料理にケチを付けるようであれば、私はカタクチイワシの小骨という小骨を抜き取ってくれよう。




「どう思う、友達のヤシロ? 愛情を込めて作った、私は」


「折角込めてくれた愛情が飲み込めねぇよ。次はもうちょっとふっくら作ってくれ」


「了解した、私は。以後気を付ける」




 ふん。まぁよかろう。


 ギルベルタが嬉しそうにしているし。




「次はあたしね!」




 と、パウラたんが大きな鍋をかき回す。




「男の子は肉じゃがが好きって聞いたから、それをあたし流にアレンジしてみたの!」




 そうしてよそわれたスープの中には、ソーセージとジャガイモが入っていた。




「お肉をソーセージにしてみたんだよ!」


「ポトフだな、これ。スープもコンソメだし」


「え? 肉じゃがだよ?」


「いや、ポトフだ」


「パウラたんが肉じゃがだと言えば肉じゃがなのだ! 小骨という小骨を抜き取るぞ、カタクチイワシ!?」


「ねぇよ、俺に小骨!」




 こんなにも美味しく出来ているのに、何が不満だというのだ。


 あぁ、美味しい。




「うん。美味いな。やっぱカンタルチカのソーセージは肉質がいいから、いい出汁が出てるよ」


「肉じゃがじゃないの、これ?」


「肉じゃがではないが、これはこれで十分美味い家庭料理だぞ。店で出すならちょいちょい食いに行くよ」


「ホント!? じゃあ検討してみる!」




 パウラたんの尻尾がぶゎっさぶゎっさと揺れ動く。


 あぁ、もふもふしたい!




「「尻尾もふもふしたい!」」


「声を揃えないでくださいまし!?」


「ヤシロとルシアさん、同レベルだよ? いいの?」


「「冗談じゃない!」」




 はぁ!?


 それはこちらのセリフだ!


 寝とぼけるなカタクチイワシ!




 私とカタクチイワシが睨み合っていると、イメルダ先生が自分の料理の説明を始める。




「ワタクシは、常に常識を覆す存在なのですわ」




 手には、美味しそうな煮物料理が。


 あれは、以前ジネぷぅが作っていた肉じゃがではないか。




「男性に人気の家庭料理を調べたところ、肉じゃがと煮っころがしが群を抜いて人気でしたの。というわけで、この肉じゃがを、これから煮っころがしますわ!」


「え、バカなのお前!? 煮物を煮っころがすの!?」


「ナンバーワンとナンバーツーが手を取り合えば、最強ではありませんか!」


「いいんだ、ナンバーワンとナンバーツーはそのままで! 余計なことしなくていいから!」




 言うが早いか、イメルダ先生の手から肉じゃがをひったくって、カタクチイワシが一口食べる。




「お、ノーマんとこの味付けだな」


「お分かりになりますの?」


「あぁ。出汁の取り方が一緒だ。ただ、ジャガイモの面取りだったり、調味料を入れるタイミングだったり、ちょっと変えるだけでさらに美味くなるからもうちょっと研究してみるといいぞ」


「そうなんですの……奥が深いですわね」


「まーな。これはってのが完成したら、また食いに来るよ」


「まぁ……、本当ですわね?」




 また来ると言われ、イメルダ先生が嬉しそうに微笑む。


 普段あまり見せることのない、少女のような純粋な笑みだ。




「では、楽しみにしていてくださいまし。目標は、ノーマさん越えですから」




 鼻歌を歌いながら、くるりと舞うように回転するイメルダ先生。


 ここまで分かりやすく上機嫌になることもめずらしい。


 ……カタクチイワシのくせに、生意気な。




「随分と知った風な口を利くではないか、カタクチイワシ。そこまで言うからには、貴様の作ったつみれ汁は二人の料理より美味なのであろうな?」




 中途半端な美味さでは承知せぬぞ。


 そんな脅しを込めて睨みつけると、カタクチイワシは得意げな笑みを浮かべて私を見つめ返してきた。




「食ってから叩くんだな、そんな大口は」




 差し出された椀を受け取る。


 透き通ったスープの中にすりつぶして丸めたカタクチイワシの団子――つみれが入っている。


 つみれの上に飾られた白髪ねぎが美しい彩りを添えている。




「どれ……」




 一口スープを口に含むと、奥行きの広い旨味が口の中いっぱいに溢れ、爽やかな香りが鼻に抜けていく。


 たまらずつみれにかぶりつく。


 濃縮された魚のうま味と、しょうがの風味、そしてしみ込んだ出汁の利いたスープが怒涛のように押し寄せてくる。


 舌が、味覚が、一つ一つに対応出来ないくらいに蹂躙されていく。




 乱暴なまでの味の波状攻撃。


 それでいて、決してくどくなくあっさりと優しい味わい。


 何種類の「美味い」が混在しているのか、おそらく人間の脳では計り知れないであろう複雑で入り組んだ味わい。


 それを言い表す言葉はシンプルに一言。




「美味い」




 それで充分だ。


 むしろ、それ以外の言葉は邪魔になる。




 私の向かいで、偉そうにふんぞり返っているカタクチイワシを見れば癪な気分にもなるが、まぁよかろう、認めてくれるわ。




「幸せな味だ」


「だから言ったろ」




 してやったりというような達成感に満ちた顔をして、カタクチイワシが私の肩に手を載せる。


 また、貴様は気安く貴族女性に触れおって――






「俺がお前を幸せにしてやるって」






 …………貴様。




 責任をとれよ。


 こんな……こんなにも…………








 こんなにも私の心をかき乱した責任をな。








「カタクチイワシ、貴様に選ばせてやろう。我が館を訪れて私に料理を振る舞うのと、私を招待し貴様の家で私をもてなすのと、どちらがいい? どちらも月に二~三度、いや、もっと頻繁でも構わぬぞ?」


「いいからお前は三十五区に帰って、自分のところで飯を食えよ」


「却下だ」


「いやいやいや、おかしいだろ!?」


「甘え上手、ルシア様は」


「甘え過ぎだからな!? たまには諫めろよ、給仕長!」


「甘えたい思う、私も、友達のヤシロに」


「おぉう、諫めるとか無理だったかぁ!」


「観念するのだな、カタクチイワシ」




 なんとも嫌そうな顔でこちらを睥睨するカタクチイワシに、現実をはっきりと突きつけておいてやろう。




「私の胃袋を掴んだ貴様が悪い!」


「責任転嫁も甚だしいな、お前!?」




 ふん。冗談を。


 責任など、端からそなたにしか存在せぬわ。






 私をこんな風に変えてしまったのは、外ならぬそなたなのだからな。






「ルシアさんって、ホント、甘え上手なんだね……」


「料理を作ることがすべて、ではないのですわね……侮りがたいですわ」




 パウラたんとイメルダ先生が少々悔しそうな顔をしていたが、案ずるな。


 二人の手料理も、ちゃんと食べに来るからな。




 さて、いよいよ本腰を入れて四十二区に別荘を構える計画を立てた方がよさそうだ。





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