第3話 ベルティーナはみんなのお母さん

 それは、よく晴れた日のことでした。




「よぉ-し、ガキども! 手は洗ったかぁ!?」


「「「はぁーい!」」」


「エプロンはつけていますか~?」


「「「はぁーい!」」」


「お利口に、店長さんとお兄ちゃんの指示通り行動するって約束するですかー!?」


「「「はぁーい!」」」


「……シスターの隔離は万全?」


「「「はぁーい!」」」


「異論があります!」




 私は、教会の庭が見渡せる談話室に幽閉されています。


 子供たちはみんなお庭で、ジネットやヤシロさんの手ほどきを受けつつお料理教室です。


 なのに、私だけ談話室です。


 ご飯はお庭です。


 私は談話室です。




「異論があります!」


「シスター、お部屋から出てきたら、お夕飯の量を減らしますからね?」


「それはあんまりです、ジネット」




 窓の向こうから、ジネットがにこにこと残酷なことを言います。


 どうしてこのようなことに……育て方を間違えたのでしょうか。




「母として、悲しいですよ?」


「では、『味見』と称して、子供たちから食材を奪わないと約束出来ますか?」


「私は、精霊神様に背くようなことは出来ません」


「つまり約束出来ないんだな。ハムっ子ども、しっかり見張っとけよ」


「「「はぁーい!」」」


「シスターを野に放ったら、あんたたちの夕飯を長女権限で抜きにするですよ!」


「「「はわゎ、涙ちょちょぎれる、連帯責任やー……」」」




 これは大変です。


 私が外に出ると、ハムっ子さんたちのご飯がなくなってしまうようです。


 これでは外に出られませんね。残念です。




「寂しくないように、みんな交代で談話室へ入ってもらいますから、少しだけ我慢していてくださいね」


「分かりました。美味しいご飯が出来るまで、おとなしく子供たちと遊んでいます」




 私がそう言うと、ジネットはにっこりと笑って、小さな袋を渡してくれました。




「今朝作ったドーナツです。どうしてもお腹が空いたら、それを食べていてくださいね」


「ありがとうございます。お代わりをいただけますか?」


「早いです、シスター!?」


「ワンバウンドでなくなったな」


「……懐に入れる間もなく」


「なんなら、店長の手元にあった時からすでに手が伸びていたです」




 だって、とても美味しそうな匂いがしていたのですもの。




「もう、シスター。そんなに食べると、夕飯が入らなくなりますよ?」


「そのようなことはあり得ません」


「絶対の自信があるんだな……」


「……シスターなら、当然」


「その絶対的な信頼、他のところで発揮してほしいです」


「ロレッタさんの言うとおりですよ、シスター」




 怒ったような口調で、空になった袋を回収するジネット。


 怒られてしまいました。




「はい、お代わりです。でも、ほどほどにしてくださいね。あと八袋しかありませんからね?」


「いや、用意し過ぎだ、ジネット……」


「……店長は、シスターに甘い」


「シスターの奔放な性格は、店長さんが育てたようなものです、きっと」




 みんなに指摘されて、「いえ、そのようなことは……」と、こちらへ助けを求めるように視線を向けるジネット。


 確かにそうですね。


 ジネットが成人してから、私は随分と甘やかされているかもしれません。


 けれど、以前はここまで奔放に甘えていたわけではなかったはずなのですが……




 では、いつから私はこうも人の厚意に素直に甘えられるようになったのでしょうか…………




「ヤシロさんに出会ってから、ですね」




 母として、みんなの保護者として、しっかりとしなければと気を張っていた私ですが、ヤシロさんと出会ってからは息の抜き方が上手くなったように思えます。


 ヤシロさんが、私を上手に甘やかしてくださるから。




 重い責任を半分持ってくれたり、不安な気持ちを取り払ってくれたり、悲しみを包み込んでくれたり、喜びを何倍にも大きくしてくれたり。


 そして、時には寄りかからせてくれたり……


 頼ってくれて、頼らせてくれて。


 本当に、ヤシロさんには甘やかされています。




「半分はヤシロさんの責任だと思いますよ?」


「なんで俺だよ?」


「ヤシロさんが一番甘やかしてくれますから」


「それはない!」


「お兄ちゃん、無自覚ですか!?」


「……ヤシロのシスター贔屓は度が過ぎていることもしばしば」


「うふふ。ヤシロさんはシスターに甘いですからねぇ」


「んなことねぇっつうのに」




 ヤシロさん以外は、私の意見に賛成のようです。ヤシロさんは自覚がないのでしょうか、私を甘やかしてくれていることに。




「七割はヤシロさんの責任ですよ?」


「結構増えたな!? ……二割くらいだろ、多めに見積もっても」




 うふふ。


 ヤシロさんはいつも優しいのです。


 私が穏やかでいられれば、教会の子供たちや、よく遊びに来るハムっ子さんたちが穏やかでいられる。そう考えて、私に優しくしてくださっているのです。


 それに、ジネットにとってもその方がいいと判断されているようですし。


 ジネットは心配性なので、私に何かあるとすぐ教会へやって来ますから。




 ヤシロさんは、ジネットの心労を減らそうと、いつも心を砕いてくださっています。


 もしかして、覚えていてくれているのでしょうか。


 私が、「ジネットをよろしくお願いします」と言ったことを。




 出会ってすぐ、この人ならジネットを支えてくれると確信しました。


 言葉と態度を崩して悪そうに振舞っていても、言葉の端々に、瞳の奥に、いつも優しさが見え隠れしていましたから。




「九分九厘、ヤシロさんの責任だと――」


「もういいよ、割合の話! ジネット、ドーナツの袋あと四つくらい渡して黙らせておけ! 俺はもう当分窓には近付かないからな!」




 分かりやすく怒ってみせて、背を向けて子供たちのもとへ歩いていくヤシロさん。


 うふふ。


 真っ赤なお耳が隠せていませんよ。




「やっぱりシスターには甘いです、お兄ちゃん」


「……四袋など、一瞬でなくなるのに」


「ヤシロさんなりのお考えがあってのことでしょう。では、四つお渡ししておきますね」


「確かに頂戴しました」




 秘密を共有するような、楽しげな笑みを浮かべるジネット。


「食べ過ぎてはダメですよ」と言いながら、たくさんのお菓子をくれる、けれど、それは決して矛盾した行動ではないのです。


 おそらく、ヤシロさんも気付いているのでしょうね。




 まったく、いつバレてしまったのでしょうか……




 ジネットたちが庭で待つ子供たちのもとへ向かった後、私は談話室のハムっ子さんたちに断りを入れて席を立ちます。




「少し離席しますね」


「「「はわゎ~! 夕飯の、大ピンチやー!」」」


「すぐに戻りますし、お外には出ませんよ」


「「「なら、安心やー」」」




 ピンチですら楽しめてしまうハムっ子さんたちのたくましさに、思わず笑みが漏れます。


 この笑顔を守ったのも、ヤシロさんなんですよね。




 そんなことを思いつつ、私は厨房へと向かいます。




「みなさん、ジネットからの差し入れですよ」




 厨房には、いつも子供たちの食事のお世話をしてくれている寮母さんたちがいました。


 今教会にいる子供たちが生まれるよりもずっと以前からお世話になっている、とても頼りになるみなさんです。




「あらあら。ジネットちゃんのお菓子ですね」


「まぁ、楽しみだこと」


「私、陽だまり亭のお菓子大好きなのよ」


「あんた、ハイカラだからねぇ」




 口元を押さえて「おほほ」と笑う寮母さんたち。




 たくさんいただいたお菓子は、いつもこうして寮母さんたちにお裾分けしています。


 ジネットにとっては、彼女たちもお世話になった母親代わりのような存在ですから。


 私にとっても、彼女たちはかけがえのない存在です。彼女たちのためになら、美味しいおやつを少し我慢するくらいどうということはありません。




 ……たま~に、美味し過ぎてお裾分けがちょこっと減ってしまうことが、たまに、たま~にありますけれど。




「嬉しいわ。今日はお仕事がなくて暇してましたもの」


「じゃあ、ゆっくりとお茶にしましょうよ。ね、そうしましょ」


「みんな揃うのは久しぶりだものねぇ」


「じゃあ私、お茶を用意しますね」


「あら、あなたは座っていらして、ここは私が」


「いや、私がやるわ。いつもお世話になってばかりだもの」


「あなたはいつもそうして真っ先に動いてくれるでしょう? たまには私が」


「先輩にそんなことさせられないわぁ」


「そうよ、ここは私が」


「いや、私が」


「いやいや、私が」




 譲り合いながら奪い合う寮母さんたちに、思わず笑みが零れます。


 みなさん、本当にお世話好きなんですから。




 普段は交代で二人ずつ来ていただいているのですが、今日はジネットたっての希望でみなさんに来ていただいています。


 子供たちが作った料理を是非食べてほしいと。




「いいですか、みなさん。このあと子供たちが作った夕飯をいただくんですから、お菓子の食べ過ぎには注意してくださいね」


「あら、やだわ、シスター」


「大丈夫ですよ、ねぇ?」


「えぇ。私たちは、シスターじゃないですから」


「ねぇ~」




 口元も隠さずに「あはは」と笑うみなさん。




 ……むぅ。




 最近、寮母のみなさんが私の食いしん坊をからかいます。


「以前よりも随分と可愛らしくなられましたね」なんて言って。


 私の方が年上なのに、すっかり年下扱いです。酷い時は、幼い子供に接するように「よしよし」なんてされるんです。


 あなた方が小さかった頃に、オシメを替えてあげたのは私なんですからね。




「本当に、シスターは変わりましたね」


「そうでしょうか?」


「変わりましたとも。とっても明るく、そして笑顔が柔らかくなりました」


「以前はそんなに怖い顔をしていましたか?」




 思わず頬を押さえて顔を隠してしまいました。


 そんな風に思われていただなんて……




 しかし、寮母さんは笑って手を振りました。




「いえいえ。以前からとってもお優しいお顔をされてましたよ」


「そうじゃなくて、ねぇ?」


「えぇ、そうね」


「ウチの娘にも、そういう時期があったんですよ」




 寮母さんたちはアルヴィスタンではありますが、みなさん家族がいます。


 最年長の方にはお孫さんまでいるんです。


 母として、また乳母としての経験を生かして、教会で子供たちのお世話をしてくれている頼もしいみなさんなんです。




 そんなみなさんが口々に、「娘の若い頃に似ている」と言います。




「ウチの娘がね、夫となってくれた男性に出会った頃、今のシスターと同じように柔らかい表情になっていたんですよ」


「ウチもそうよ」


「必死に隠していたようだけど、バレバレで、それがまた可愛らしくて」


「そうそう。ウチの娘なんてね――」




 そんな会話で盛り上がります。




 ……なんですか、もう。


 それではまるで、私が恋に恋する乙女のようではないですか。


 みなさんの目にはそのように見えているとでも言いたいのですか?


 とんでもないことです。


 私は、精霊神様にお仕えする教会のシスターですよ?


 そのようなこと……




「私、シスターが花占いをやっているところなんて、初めて見ましたもの」


「わぁっ! それはナイショだと言ったではありませんか!?」


「あら、ナイショなのは『花壇のお花を勝手に千切って私に叱られたこと』ではありませんでしたか?」


「それもナイショですけども、……もう! 全部話しちゃったじゃないですか!」




 くすくすと、顔を見合わせて笑う寮母さんたち。


 長い年月を生き、いろいろと経験を重ね、もうすっかり落ち着いたみなさんは、いまだにほんのちょこっとだけ落ち着きの足りない私をこうして笑います。


 私が幼かった彼女たちに注いでいた愛情を、今度は私にたくさん注いでくれます。




 それはなんともくすぐったくて、少し寂しくもあり、けれどやはり幸せを感じるものです。




「もう、お花を千切ったりはしません」




 そう決意表明をすると、また笑われました。


 もう……




「何か別のものを探します。綺麗に並んだ複数あるもので、簡単に分離出来る何かを」




 お花でなくとも、同じような占いは出来るはずなのです。


 叱られない何かを、私は見つけたいと思います。




「うふふ。恋占いはやめられないんですね、シスター」


「みゅっ…………そ、それは、お、乙女の嗜みです」




 ふと、思い立った時にやってみたくなるのですもの。


 ただの気休め、自己満足だと分かっていても。


 …………むぅ、いいじゃないですか、もう。




「だったらシスター、いいものがありますよ」




 一人の寮母さんが、キッチンの戸棚からあるものを取り出しました。


 お皿に乗ったそれは、あまりなじみのない形をしたもので――




「こちら、アジの干物と言うらしいです」


「どうされたんですか?」


「二十七区の領主様がお見えになりましてね」


「ちょうどシスターがお留守の時でしたか……、可愛らしい給仕長さんとご一緒に」


「そうそう。それで干物という、海のお魚を天日で干したものをたくさん寄付してくださったんですよ」




 二十七区の領主様といえば、トレーシーさんですね。給仕長はネネさんです。


 トレーシーさんたちが寄付してくださったのですか。今度お礼状をお出ししなければ。




「けれど、どうして今まで黙っていたのですか? すぐにでもお礼を差し上げなければいけませんのに」


「それがですね、領主様から直々に『可能な限り内密に』とお願いされまして」


「えぇ。『特に、オオバヤシロさんと親しい方には』と」




 ヤシロさんと親しい方には内密に……


 一体、なぜそのようなことを?




「この寄付には、何か意味があるのでしょうか?」


「えぇ、まさしく」


「この寄付と引き換えに、ウチの領主様の『ぷらいべーとえぴそーど』というものを聞かせてほしいとお願いされました」


「些細なことでも喜んでいただけて、楽しいおしゃべりでしたよ」


「それなら私も尋ねられましたよ。領主様の『お気に入りふぁっしょん』について」


「私は『ふぇいばりっとすうぃ~つ』について」




 ……トレーシーさん。エステラさんの情報を集めるために手段を選んでいないようですね。


 なるほど。ヤシロさんの耳に入ればそのままエステラさんへ伝わると危惧して……




「みなさん。個人の情報を、そう易々と売り渡すような真似をしてはいけませんよ」


「もちろんです。領主様が嫌がるようなことはお話しておりませんとも」


「領主様がこちらでお餅を食べた時のお話など、当たり障りのないことだけですよ」




 それならまぁ、問題ない……でしょうか?


 今度、それとなくエステラさんに確認してみましょう。




「それで、このアジの干物がなんなのですか?」


「見てください、シスター。ここの骨のところを。綺麗に身が並んでいるでしょう? これを順番に取っていって、恋占いをすればいいんですよ。きちんと食べればもったいなくもありませんし」




 それは、なんというか……




「素晴らしいアイデアですね!」




 まったくもって素晴らしい発想です。


 そんな恋占い、考えもしませんでした。




「では、早速やってみましょう」


「お相手は、どなたなんですか?」




 アジの干物を手に取ると、寮母さんたちがにやにやとこちらを見てきました。


 ……お相手が誰とか、そういうことではないのです。


 恋占いは、乙女の嗜みなのです。




 ……もう。




 無言でアジの干物を炙り、お箸を持って、いざ向かい合います。




「…………」




 ふと、ある方の顔がまぶたの裏に浮かんで、慌てて首を振りました。


 お相手が誰とか、そういうことではないのです。


 ……もう、勝手に出てきて照れさせないでください。




「……好き」




 言いながら小骨の間の身を一つ摘み取ります。


 なんだか無性に恥ずかしく、口へ入れると濃縮されたお魚の旨みの向こう側に仄かな甘みを感じました。




 とても美味しいです。




「……嫌い」




 二口目の魚は、先ほどに比べて、少し、味気なく感じました。




「……好き」




 三口目は、ほわっと口の中で旨みが広がって、心が躍るようでした。




「……嫌い」




 ……四口目は、なんだかパサパサしているように感じました。




 いけませんね。


 沈んだ心で食べると、折角のお魚の味が台無しになってしまいます。


 ただの占いですのに。




 ……ただの占いと言えど、「嫌い」という時には心臓がずきりと痛みます。




「……好き」




 ……あぁ、美味しい。




「……美味しい」




 あっ、今度も美味しいです。




「……好き」




 美味しさがどんどん膨れ上がっていきます。




「……美味しい」




 口の中が美味しさと幸せで一杯です。




「好き、美味しい、好き、美味しい、好き――」




 そうして、パクパクと美味しいアジの干物を食べ進めていると――




「シスター?」




 背後から、ジネットの声が聞こえました。


 背筋を、汗が伝います。




「……夕飯までにお腹がいっぱいにならないようにしてくださいねと、言いましたよね?」


「いえ、あの、ジネット……これは、決してつまみ食いなどではなく、純然たる恋占いで……」


「『好き、美味しい』っていう恋占いなんて、聞いたことがありませんよ?」




 ……確かに。


 私も初めて聞きました。




 あ。


 ジネットがちょっと本気で怒っている時の顔です。


 これは大変です。




「ですが、これはお菓子ではないので、セーf……」


「シスターは、私の目の届くところにいてください」


「……はい。ごめんなさい」




 ぷんぷんと怒るジネットに連れられ、私はお庭に出ました。


 寮母さんたちも一緒についてくるようです。




 ……私だけが怒られるのは、理不尽な気がしました。












 お庭では、子供たちが交代で料理をしていました。


 一人が野菜を切り、後ろでみんなが応援しています。


 向こうではお野菜を洗っているようです。


 お肉を切っているのは、食いしん坊な男の子たちです。




「刃物の扱いには十分気を付けろ! 言われた通りにやらないと怪我するぞー」


「「「はーい!」」」




 ヤシロさんの指示に、子供たちはいい返事を返します。


 きっと楽しくて仕方ないのでしょう。お料理をするのが。


 みんな、厨房に立つジネットを見て育っていますし、なによりお料理をするジネットは子供たちの憧れの的ですから。




「お姉ちゃんみたいになれる?」




 ヤギ耳をぴるぴる動かして、年中の女の子がヤシロさんに問いかけます。


 エプロンをつけて、三角巾を巻いて、ノーマさんが作ってくださったという子供用の小さな包丁を握る姿は、まさに小さなジネットでした。


 きっと、ジネットのようなお料理上手になれるでしょう。……と、思うのは親の贔屓目でしょうか? うふふ。




「ジネットみたいになるのは大変だろうが、目標に向かって努力するのはいいことだぞ」


「うん!」




 ヤシロさんが子供の夢を広げるような、優しいことを言ってくれました。


 これできっとあの娘は日々の努力を怠らず、素敵な大人になってくれるでしょう。




「まずは牛乳をたくさん飲め。それから夜更かしはしないこと。今のうちから体操を取り入れるといいかもしれないな。あとはササミとキャベツと……あぁ、そうだ! 一番重要なことを言い忘れていた。成長期の間はなるべくエステラに会うな。影響を受ける危険性が……」


「ヤシロさん、なんの話をしているんですか!?」




 止めました。


 違います、ヤシロさん。


 ジネットみたいになりたいというのは、そこの話ではありません。




 ヤシロさんを一時的に隔離して、子供たちのお料理を見て回ります。




「お野菜を押さえるのは、ネコさんの手ですよ~」


「「「にゃー!」」」




 ジネットがお手本を見せ、子供たちが真似をしています。


 ネコさんの手。可愛いです。




「……刃物は危険。けれど怖がる必要はない。正しく使えば危険はない」




 マグダさんが小さな子供たちに教えてあげています。


 気が付けばいつも、マグダさんはたくさんの子供たちに囲まれています。


 いつも遊んでくれるマグダお姉さんが、みんな大好きなんです。




「ぅえーん! 目がいたぁ~い!」


「ぅぁああ、ちょっと待ってです! その手でこすっちゃダメですよ!」




 タマネギを切っていた男の子が、突然泣き出しました。


 どうやら、タマネギが目にしみたようです。ロレッタさんがすぐに駆けつけます。




「こっち来て水で洗うですよ。そうしたら、すぐ治るですからね」


「うぅ……見えない……」


「大丈夫です。あたしがちゃ~んと付いていってあげるです。なにも怖くないですよ」


「……うん。ありがと」




 たくさんのご弟妹をお持ちのロレッタさんは、本当に子供の扱いが上手です。


 子供たちも心からの信頼を寄せ、素直に言うことを聞いています。




 それにしても……


 ジネットはともかくとしても、ヤシロさんやマグダさんやロレッタさん、その他にも、本当にたくさんの方が教会の子供たちによくしてくださっています。


 貧困から、一時は破綻しそうになっていたこの教会ですが、今では笑顔が絶える瞬間がありません。






 それもこれも、みんな……






 小さなきっかけだったのかもしれません。


 けれどその小さなきっかけが少しずつ広がって、人が集まり、どんどん大きくなっていって、今に繋がっているんです。


 なんだか、その奇跡のような毎日が嬉しくて、少しだけ……胸が詰まります。




 いけませんね。


 こんなところで涙を見せるわけにはいきません。


 こっそりと、目尻に浮かんだ涙を拭います。




「やややっ!?」




 その瞬間を、ロレッタさんに目撃されました。




「シスターもやられたですか、タマネギに!?」


「へ? いや、私のは違……」


「あーっ、こすっちゃダメです! 目を閉じてすぐに洗いに行くです! 大丈夫です、あたしを信じてです!」




 むふー! っと鼻から息を噴き出して、ロレッタさんが私の手を引きます。


 あの、ちょっと……




 私のは、そういう涙ではないのですが。




「大丈夫です、大丈夫です。みんななることです」と、私の背中を撫でてくれるロレッタさんの優しさに水を差すのは申し訳なくて、私は痛くもない目元をそっと洗いました。












「というわけで――」


「みなさん、せ~のっ」


「「「かんせーい!」」」




 ヤシロさんに続き、ジネットの合図で子供たちが万歳をして大声を上げます。


 初めて子供たちだけで作ったお料理。


 その達成感に、どの子たちも一様に嬉しそうに笑っています。




 ジネットたちのお手伝いがあってこそですが、子供たちはとても頑張りました。


 ジネットたちも、今回は教えることと見守ることに専念してくれました。


 さぞやきもきしたことでしょうね。うふふ。




 空は赤く染まり、日中の熱を忘れさせるような涼やかな風が流れていきます。


 お夕飯にはちょうどいい時間です。




「では、シスター。それに寮母さんたちも」




 ジネットに手を引かれ、お庭に用意されたテーブルに座らされます。


 大きなテーブルの真ん中。私の両サイドに、寮母さんが二人ずつ座ります。


 子供たちはみんな、テーブルを挟んだ向こう側に並んで立ち、私たちの方をじっと見つめています。


 期待するように。少々、不安そうに。




「よぉ~し、それじゃあ年長・年少コンビが盛り付け、年中が料理を運んでくれ」


「「「はーい!」」」




 お料理を運ぶのは、幼い子供たちには難しいです。


 だから、年少の子たちはよそう係りなのでしょう。分量を見るために年長の子たちが年少の子たちをサポートしています。


 そして、たどたどしくも年中の子たちがお料理を運んできます。


 寮母さんたちがはらはらして見守っています。


 我慢ですよ、みなさん。


 折角ヤシロさんたちが、みんなでお手伝い出来るようにと考えてくださったんですから。




「こちら、『愛情たっぷり、あまあまカレー』です」




 カチコチに緊張しながら、七歳の女の子が料理の説明をしてくれました。


 ロレッタさんがはらはらしているところを見ると、ロレッタさんに教わったのでしょう。憧れの陽だまり亭ウェイトレスに教わるなんて、貴重な経験をしましたね。




「愛情たっぷりの、甘口カレーなんですね?」


「うん! ……あっ!? はい!」




 嬉しさが先行して、思わずいつもどおりの返事をしてしまったらしく、慌てて訂正しています。


 向こうでロレッタさんが「あちゃ~」と頭を抱えていました。


 うふふ。可愛い失敗ですから、大目に見てあげてくださいね。




「こ、こちゅ、こちゅらは!」


「落ち着いてです! 練習どおりやれば問題ないですよー!」




 いつも元気な腕白坊やも、こういう時には緊張するようです。


 きちんと出来るまで口を挟まず、優しく見守ります。




「こちら、は、えっと……『思わずこねこね、おっぱいハンバー……』」


「そっちじゃないです! そっちは没になったお兄ちゃんの案です!」




 ……ヤシロさん。


 もう、あとで懺悔してもらいます。




「あ、そうか! えっと、『思わずにっこり、ジューシーハンバーグ』です。……ちゃんと言えた!」


「はい。よく頑張りましたね」


「えへへ!」




 褒めてあげると、これまでに見せたこともないような嬉しそうな顔で笑ってくれました。


 みんな、陽だまり亭のみなさんのようになりたいって、いつも言っていますものね。




 料理が出揃ったところで、私は寮母さんたちと目配せをし、精霊神様と、このお料理を作ってくれたみんなに感謝を捧げて、お料理をいただきました。




「美味しいです」




 それはもう、本当に、お世辞ではなく美味しい料理でした。


 甘口のカレーも、ふっくらジューシーなハンバーグも、どちらもとても美味しいんです。




「ほんと、美味しいわぁ」


「私たちの料理より美味しいかもしれませんねぇ」


「これは、うかうかしていると追い抜かれちゃいますね」


「あらやだ、あなたまだ負けてないつもりだったの?」




 そんな冗談を言い合って、あははと笑う。


 私も思わず声を上げて笑ってしまいました。


 お食事中なのに。……反省、は、後日にしましょう。




 とても美味しくて、心がぽかぽか温まって、思わず笑みがこぼれてしまいます。


 こんなに楽しい時間が過ごせるなんて。


 こんなに幸せな食事が出来るなんて。


 心より感謝します。みなを導いてくださった精霊神様と、いつもそばにいてくれるみなさんに。




 きっとこのまま、今日という日は笑顔と幸福に満たされて終わっていくのでしょう。


 なんと素晴らしいことでしょう。


 私は幸せ者です。




「では、みなさん。こちらに並んでください」




 突然、ジネットが少々かしこまった口調で言って、子供たちを並ばせていきます。


 ヤシロさんとマグダさんとロレッタさんは一歩引いて、子供たちの後ろに並びました。




 なんでしょう?


 何が起こるのでしょうか?




「シスター、寮母さん。みんなが、どうしても伝えたいことがあるそうです」




 ジネットに促されて、最年長の男女一名ずつが一歩、前に進み出ました。




「シスター。寮母のみなさん」




 いつもいつもやんちゃな男の子のかしこまった言葉に、なんだか目頭が熱くなるのを感じました。




「今から、わたしたちの素直な気持ちを伝えます」




 隣に座る寮母さんの手がきゅっと握られました。


 聞くこちら側も、なんだか緊張しています。


 後ろに並ぶ子供たちを振り返り、最年長の二人が「せ~のっ!」と合図を出しました。




 そして――






「「「シスター、寮母さん、いつもありがとう! 大好きぃー!」」」






 涙が溢れてしまいました。




 だって、こんなの……嬉しいに決まっているじゃないですか。


 堪えることなんて、不可能です。




「シスター、寮母さん」




 やりきった感のある子供たちの頭を撫でながら、ジネットが静かな声で教えてくれます。




「今日は、ヤシロさんの故郷では『母の日』という記念日なんだそうです」


「『母の日』……ですか?」


「はい。いつもいつも、自分たちのお世話をしてくれているお母さんに、日頃の感謝を伝える日なんだそうですよ」


「それは……、とても素敵な記念日ですね」


「はい。わたしもそう思います」




 子を守るのは当然のことであり、そこにどのような苦労があろうとも決して投げ出すことはない。


 つらいことなど一つもない――とは、さすがに言えませんが、それでも見返りを期待してやっているわけではないんです。


 なのに、こうして言葉にしてもらえると……嬉しいです。とても。 


 その一言で、この美味しいお料理の一口で、すべてが報われました。いえ、お釣りがたくさんで返すのに困るほどです。




「みなさん、ありがとうございます」




 声を詰まらせて泣く寮母さんたちの分まで、私が代表して感謝を述べると子供たちは「えへへ」と照れ笑いを浮かべました。




 もう一言。どうしても伝えたい言葉があって、私は大きく息を吸い込みました。










「私も、みなさんのことが大好きですよ」










 笑顔のまま終わると思っていた一日は、近年稀に見るくらいに泣いてしまいましたが、それでもやっぱり、とっても幸せな一日でした。





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