第11話 キスの後先

 それからはできるだけ人と関わらないようにして生きてきた。友達はもう二度とつくりたくないと思った。職場の飲み会などにも理由を無理やり作って欠席を続ける。

——付き合いの悪い奴

 そんな悪口も聞こえたが、気にしないことにした。


 悩みごとなど告げる相手も誰もいないので、気持ちを吐き出すために日記のようなブログを始めた。ハンドルネームは最初は「コスモス」を名乗った。しかし相手が20代の独身女子だとわかると、しつこいくらいにつきまとう人間が複数現れてくる。蚊や蠅みたいでうるさいとしか思えない。プロフィールを変えてももう手遅れだ。


 二度目の転校を機に、ブログのサイト自体を変え、今度は男の名前を名乗ることにした。


 ハンドルネームは秋田葉太。本当はコスモスの名前とずっと一緒にいたかったが、教師という職業上の秘密を間違っても外部に漏らすことがないようにというきついお達しもあり、まず女子であることを隠し、身バレしないようにプロフィールにも気を使うことで、仕事への愚痴を書くこともできるようにした。


 今度のハンネには、またさくらの名字を一文字借りた。いまだにコスモスは未練からは離れられない。いつか教師を辞めたら、またコスモスに戻ろうと思っている。


——秋野さくら


 私が一生忘れてはいけない名前だった。



「先生、帰ろうか」

 私の涙が落ち着いてきた頃、黙って寄り添ってくれていた桜子が優しくそう言った。

「ごめんね」

 私はそれだけいうのが精一杯だった。

「送っていきます」

 そう言ってくれる桜子に、「大丈夫だから」と言い一人で帰ろうと立ち上がったとき、桜子が私の背中に話しかけた。

「ねえ、先生」

「何?」

 私は立ち上がるのを途中でやめて桜子に振り向いた。

 桜子は少しためらいながら、

「先生は、その、レズビアンなんですか」

と聞いてきた。突然の思わぬ質問に少し戸惑った。

「なんで?」

「気を悪くしたらごめんなさい。実はクラスの子たちがね、先生は綺麗なのになんで独身なんだろう。ひょっとしたらって噂してて」

 

 今まで泣いていた自分はなんだったんだろうって思うくらいに、今度はおかしくて涙が出そうだった。


「どうだろう。少なくとも、女子と付き合ったことはないかな」

「じゃあさ、女子から告られたことはある?」

 言うか言うまいか、少しだけ考えた。

「告られたことはないかな。でもキスはされた。このベンチで」

「やっぱり」

「やっぱり?」

——やっぱりって何さ

「だって先生って、キスしたくなるような顔をしてるんだもん」

「何それ。そんな顔、あんの?」

 私は桜子のそんな表現がおかしくて仕方なかった。


「じゃあ、どんな返事をしたの? キスされたとき」

 ちょっと目を伏せるように桜子がいう。

「私は返事ができなかったな。それがどうかしたの」

 私は問い返したが、桜子はそれに答えずさっと立ち上がり、

「いや、やっぱりいいです。忘れてください」

と言い、カバンを手にして「月曜日はちゃんと授業を受けますから」と言いながら、葉桜の並木の下を短いスカート丈も気にしないで駆けて行ったのだった。

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