第6話 文学少女

 実は黙って通り過ぎようかと思った。こんな問題のある子と関わっても苦労を背負い込むだけだ。自分なりの経験が警鐘を鳴らす。

 授業をさぼって抜け出した金髪の桜子が熱心に本を読んでいる。意外な感じだった。しかも、こんなチャラそうな女の子たちがよく読んでいるファッション雑誌のような本ではなく、小さな文庫本を読んでいる。


 国語教師の本能が通り過ぎるのを躊躇っている。


「何を読んでるの」


 つい、声を掛けてしまった。

 桜子は慌てて本を閉じながら、私を見上げた。一瞬、誰だかわからないというような顔が驚きを含んだ顔に変わる。

 私が誰だか認識した桜子は、無言で立ち上がって本を鞄に入れて去ろうとした。


「逃げるの?」


 私はつい大きな声で呼びかけた。すると桜子は立ち止まり、

「逃げる?」

と私を睨みながら言った。


「授業から逃げて、ここからも逃げてるでしょ」


 私は教師らしい正論で桜子の反論に答えたつもりだった。すると桜子は思わぬことを口にしたのだ。


「逃げたのは先生でしょ」


 じっと私を見つめたまま視線を逸らさない。

 葉桜がザワザワと揺らめいている。


「私が何から逃げたっていうの。言って見なさいよ」

 彼女の思わぬ反論に、私もつい強い口調になった。

 桜子は一瞬ためらい、一度大きく息を吸った。目が怒っている。だが、私は彼女の怒りを買うようなことをした覚えはない。


「先生も、他の先生と同じだよ。私たちから逃げた」


 桜子は意を決したように、一気に言葉を私にぶつけてきた。彼女の言葉の意味がわからず、私は少したじろいでしまう。 


「だから私が、私が何から逃げたのよ」

 桜子の気迫に押されるように、やっとそれだけを呟くように私がいう。

「じゃあ、なんで授業中に遊んでる子がいるのに注意もしないの」


 桜子の直球とも言える言葉が胸のど真ん中に突き刺さった。さくらを避けてしまったあの時から無気力になってしまった自分を、あの短い時間の中で高校生にさえも見透かされていたのだ。


 言葉が出なかった。反論しようとする自分と、何も言葉にできない自分が交互に頭を支配して、ただ呼吸だけが荒くなる。そこを桜子にたたみ掛けられた。


「どうせ、商業科のあたしたちなんか、真面目に授業なんか受けるはずがないとでも勝手に思ってるんでしょ。だから、授業中もあたしたちを無視してる。だからあたしの髪の色が変わっても、誰も気にしないんだ」

 

 金色の髪を風に揺らしながら、桜子はそう言った。


——私は春の強い風に心を一気に持っていかれそうで。


——立っているのがやっとで。

 

 そして、ベンチに座り込んで涙が止まらなくなってしまったのだ。高校生の、あのときの私のように……。

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