第12話 伝えたい

 月曜日、桜子のクラスに入った。

 私がゆっくりと教室を見回すと、一番後ろの窓際にいる桜子がちゃんと自分の席に座っていた。目が合うと、少し照れ臭そうにはにかんだ。


 このクラスで授業をするのはもう3回目なのに、最初の授業でぐだぐだの授業をしてしまった私のせいなのだが、クラスに落ち着きがないのがわかる。


「きょうは」

 私は教科書や黒板を見ずに、クラス全体を見ながらできる限りの大きな声で授業に入ることにした。だらけていた生徒たちがビクッと私に注目した。スマホを手にした生徒をじっと見つめると、慌ててそのスマホを鞄にしまう。

「教科書を離れて、少し私が好きだった本の話をしたいと思います」

 何を言いだすんだろうという生徒たちの訝しげな顔を見ながら、構わずに私は話を続けた。


 そうだ。私は本が好きで国語の教師を目指したんだ。中学のとき、さくらと本の話をしている時間が私にとっての宝物だった。さくらと図書館で探した素敵な本の話を、私も大勢に伝えたくて先生になろうと思ったんだ。

 昨日、桜子と芥川龍之介で繋がったとき、昔のそんなことを思い出した。受験勉強を教えるために先生になったんじゃない。ここで、この学校で私にしかできないことがきっとまだあるはずだ。


 桜子と別れたあと家に帰った私は、これまでの愚痴のような日記ばかりを書き込んだ自分のブログの記事を全て消し、ハンドルネームを再びコスモスに変えて、まず最初にあのとき桜子が読んでいた芥川龍之介の「杜子春」について長文の感想を書いた。


「杜子春のテーマは、人の本当の幸せとは何か、だと思います。あなたは今、幸せですか」

 長い感想の最後の一文をそう書いて締めくくった。

 お風呂から上がると、「good!」のカウンターが「3」と表示されていた。


 そうだ。週に一度、私がこれまでに読んだ本の話を、生徒たちには大体のあらすじを説明したあと、この作品について私なりの感想をいうことを授業の初めにしようと決めた。もし一人でも私の話でその本が好きになったと生徒たちが言ってくれたなら、その時に初めて私は先生になれそうな気がしたのだ。

 手元の資料は絶対に見ない。板書もしない。生徒の顔だけを見ながら、私の頭の中にある、何度も繰り返し読んだ大好きな本の話をしよう。

 そんな気持ちを桜子が思い出させてくれたんだ。


 生徒たちは最初は戸惑っていたが、次第に私の話をじっと聞いてくれた。ときおりチャチャを入れながら、最後まで聞いてくれた。


「先生、杜子春のように仙人が導いてくれなかったら、僕らは餓死して野垂れ死するしかないでーす」と男の子がいう。


——そうだ。私はそうなるところだった。


「そういう時は、夕暮れの街角ではなく、心から信頼する人がいる場所に行けばいいんですよ」

「えーっ、どこだろ」

 生徒同士であれこれと語り出す。

 本は答えを書いてはいない。その本を読んだそれぞれが考えること、それが大事なんだよと伝えたい。


「もしそれでも迷ったら、私はもう一度誰かと話をします。今の季節なら、葉桜の下とかいいですね」

 私は最後に一言だけメッセージを送って、通常の授業に入った。


——受け取ってくれただろうか。

 

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