五、春の嵐に雪が降る

 曇天の空は春の嵐を予感させる。天気のせいか、今日はひどく頭が重い。生温い風が不快指数を上げる。

 一か月間、講義の合間や夕方に裏庭の東屋を訪れてみたものの琴桐さんに会うことはなかった。学部も違う為、校舎でも会う機会はなかった。

 今日も会えないだろうと思いつつ東屋へと足を運ぶ。

 やはり彼女の姿はなかった。

 鞄の中から携帯電話が鳴り、画面を確認すると編集担当と三峰さんからだった。

 後ろから足音がして振りむくと、琴桐さんの姿があったが、電話を優先した。

 三峰さんの声を聞いた瞬間、頭が割れるような痛みに襲われ、携帯電話が手から滑り落ちる。

 拾おうと地面に手を吐いたが視界がぼやけて距離感がつかめず、痛みは激しさを増す。携帯電越しの三峰さんの呼びかける声がする。琴桐さんが足早に駆け寄って来る気配がした。意識が遠のき、音も視界も全て消えた。

 

 重い瞼を開けると、薬の独特な臭いが鼻をつく。

 頭が重い。思考がままならず、一点をただ見つめることしかできなかった。ただ、分かっていることはここが病院の個室だということだった。

 扉が開く音がした。薄明りに二人分の足音がする。一人はコツコツと音を鳴らしているのでヒールを履いているのだろう。

「今、明かりを点けます」

 蛍光灯の眩しさに目を細めた。

 天井を見上げたままの視界に四葉さんの顔が覗く。

「冬野の意識が戻ったみたい。自分に何が起きたか分かる?」

 僕は首を小さく横に振った。

「ここは桜花大学付属病院よ。六花と鏡花は明日来るわ。今日はとりあえずここに入院よ。担当医は梓だから」

 四葉さんの兄である御子柴梓みこしばあずささんが付属尾病院に勤めているのは初耳だ。

「琴桐さんに感謝しなさい。裏庭から慌ててかけてきたのを私が見つけなかったらどうなっていたことか」

 だんだんと、目の焦点が合ってくる。

「ありがとう。琴桐さん」

「いいえ。それと、電話の相手の方に冬野さんが倒れたと伝言をしました。緊急事態だったので、どうしたらいいか分からなくて……。本当にご無事で何よりです」

 琴桐さんは、ほっと肩を落とす。

 僕が起き上がろうとすると四葉さんが支え起こしてくれた。

 僕の手を取り、四葉さんは脈を確認しブレスレットを指でなぞる。

「脈は大丈夫そうね」

 琴桐さんが少しだけ窓を開けると、風がカーテンを揺らす。外の空気を吸っただけで生きている心地がした。しかし、曇天は変わらずだ。

 鞄に入れておいたはずの砂時計が二つベッド脇の棚の上に置かれていた。

 視線に気づいた琴桐さんが砂時計を見て、

「これ、鞄の中から転げ落ちてしまって。汚れていたので洗って乾かしているんです」

「そうだったんだ。ありがとう」

「でも、珍しいですよね。砂の無い砂時計と傾けても砂が動かない砂時計なんて」

 言える訳がない。親友の命のタイムリミットの砂時計と、その親友の大切な人の砂時計だなんていえるはずがない。

「めずらしいよね。預かりものなんだ。僕も不思議だと思う」

 会話の続かない空気の気まずさを破ったのは四葉さんだった。

「あんたたち、付き合っちゃえば?」

「!」

「!」

 四葉さんの顔がにやけている。

「私、飲み物買ってきます」

 琴桐さんが顔を真っ赤にして病室を飛び出す。

「照れちゃって」

 四葉さんは扉を閉めるとベッドに座り、すらとした長い足を組む。

「大事な話があるの。梓にも報告はするけど……。その前に、知り合いの医師からリンゴを貰ったのよ。剥くわ」

 果物ナイフを持った四葉さんの手つきが危なくて僕が剥くはめになった。

 剥いたリンゴを頬ばる四葉さん。

 いいかけた言葉の続きが気になる。

 二個目のリンゴを剥いている途中、指を切ってしまった。ベッドに血が垂れる。

「今、止血するわ」

 咄嗟にポケットのハンカチを器用に裂き、止血していく四葉さんの手際には無駄がない。

「冬野の力は和泉の力でも止められない。六花は知っていたわ。片割れの命だけでは長く持たないと……。だから、和泉を止めたの。でも、あの六花でさえ説得できなかった。それだけ大切に思われていたのよ」

 胸の奥で騒めく感情が溢れ出そうだ。

「僕はどうなるんですか?」

「このまま何も手を打たなければ、確実に三か月以内に死ぬ」

「……。琴桐さん遅いですね」

 四葉さんは急に立ち上がり扉を開けると、琴桐さんが飲み物を抱えて立っていた。

「お取込み中のようなので私、帰りますね」

 四葉さんに飲み物を強引に渡すと、逃げるように立ち去る琴桐さん。

 四葉さんは受け取った飲み物に戸惑いながらベッドの足元に置き、再び僕の横に座る。

「泣いていたわね、彼女。連絡先はしっているから、上手く説明ておくわ」

「何か方法はないんですか?」

「選択肢その一、柊流としての人生を辞める。その二、余命を作家として生き抜く。その三、六花になんとかしてもらう」

 僕は思わず笑ってしまった。

「何それ。六花さん任せって」

「今の御子柴家に寿命をどうこうする医術はない。六花と鏡花、私も含めて玉姫以来の言霊師と言われているけれど、六花ははっきり言って私たちとは比べ物にならない力を持っている。私が思いに玉姫と同等、もしくはそれ以上か……。鏡花と私が力を使わないよう制御はしているし、言霊師は人の欲を簡単に叶えてしまうからちからのことを知られてはいけないの。けれど私たちは冬野の望みをできるだけ叶えたい。その為なら力を貸す」

「時間がないのは理解したよ。でも、少し考える時間が欲しい」

「わかったわ。私は六花たちに報告しないといけないから屋敷に帰るわ。何かあったら梓を呼びなさい。梓以外には栄養失調ということで話を合わせておいて。また、明日来るわ」

 四葉さんは身を翻し、病室を出て行った。


 夜が深まっても目が冴えてしまって眠れない。

 四葉さんが帰ってからずっと考えていたことがある。その中で試してみたいことが一つあった。小説の中の出来事はあくまでも空想の出来事。読者に何かしらの感情を与えられたのなら作家冥利に尽きる。

 しかし、言霊師として本当の力を意図的に使ったとしたら……。

 風が窓を叩く。雷が鳴ると同時に横流しの雨が降り乱れる。


 鞄を取りにベッドから出て、ノートとペンを出し、すぐ戻る。

 膝を立て太ももにノートを置き、ペンを握ると手が震えた。これから起こることに緊張しているのかもしれない。

『午前二時 今宵、玉姫神社に雪が降る』

 と書いた。

 書き上げた瞬間、体の内側が焼けるような痛みに襲われ、血が沸騰しているようだ。口の中に鉄の味が広がる。咳き込み、口元を抑えると鮮血で手が濡れる。目元から何かが滴り袖で拭うとそれも血だった。

 痛みに耐えられずベッドを這いずり、悶える。席をする度に、吐血した。

 痛みから逃げたい一心で、目に入った果物ナイフを手に取った。今死ぬのも三か月後に死ぬのも変わりはない。

 確実に手首を切ろうと力を振り絞ると、ナイフを握った手を抑えられ、視界も塞がれた。そのまま抵抗も出来ずに押さえつけられた体の力が抜けていく。

「冬野君。ごめんね」

 全身の自由を奪われた。

「そのこ……え……はあず……ささん……」

 この時思った。命を絶つ選択肢は与えられていなかったと。


 この日、玉姫神社の敷地内だけ季節外れの雪が降った。

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