三、言霊師≒守り人

 夢から覚めた時にはその夢の記憶は消えていて、幸せな夢だったはずなのにぽっかりと大切な何かが抜け落ちた虚無感に心が蝕まれていることを誰も知らないということに孤独を感じる。

 

 窓から差し込む光が眩しくて目を覚ますと、いつもの天井がそこにはあった。体を起こそうとするとするが節々が痛くて首を持ち上げるだけで精いっぱいだった。

 視線を横に向けると、壁に掛かっているカレンダーが三月になっていた。

 誕生日パーティーの後の記憶がちぐはぐで、思い出そうとすると頭に激痛が走り、顔が苦痛に歪む。

 一瞬、何かが弾ける映像が浮かび、誕生日の出来事が走馬灯のように駆け巡り、記憶が巻き戻る。今日は三月の何日だ? 和泉は本当に目の前から消えてしまったのか? 考えるだけで息が出来なくなり胸の鼓動が加速する。何故、誰も何も教えてくれないのだ。今までの全てが夢だったのか? 確かめなければ……。

 節々の痛みに耐え、立ち上がろうとして手をつくと、左手首のブレスレットのガラス玉が白くくすんでいた。そんなことよりも六花さんに会わなければ。

 襖を開こうとすると、先に外側から襖が開いた。

 六花さんと兄さんの真剣な面持ちに一歩後ずさる。

 神社の仕事の為二人は袴姿だ。それが緊張感をより高める。

 ぐらついて倒れそうになった体を六花さんに支えてもらい、布団の上に座る。二人はその脇に座った。

 六花さんが僕の額に手を当て、熱を測る。四葉さん以上に凍るような手の冷たさは死人のようだ。

「まだ、熱はあるが、修了式には間に合うだろう。もうしばらくは安静だな。四葉に治させてもいいが、冬野の体で実験しようと企むから、言霊の力は使用せず、自然治癒が良いだろう。鏡花もそれでいいな」

「六花がいうならその方が良いだろう。それと、先日、編集担当の三峰さんから連絡があり、初版は完売。重版をかけるそうだ。『お大事に』と伝言を頼まれた。今後のスケジュールは回復してから決めると言っていた。今は体調を治すことが優先、だそうだ」

「……何か僕に話があるんじゃないの。例えば……和泉のこと……とか」

 六花さんの冷たい手が火照った熱を覚ましてくれたようで、宙に浮いた感覚が薄れていく。

「冬野、班目和泉はこの世界のどこにお存在しない」

 思わず、視線を逸らす。

 兄さんがカレンダーの方を向き、

「今日は三月六日だ。誕生日から一週間が経過している」

 あれから一週間も経っていたなんて……」

 これが夢ならばいいのに。

 六花さんが兄さんに続く。

「和泉はお前の守り人となって消滅した」

 心臓が止まりそうだ。

 唇を噛んで溢れ出そうな感情を押し殺した。

 聞きたいことがあるのに喉がつかえて言葉が出ない。掛け布団を掴んだ手が震える。

「冬野、すまない。和泉を消滅させた原因は俺にある。もっとちゃんとお前を見ていればこんなことにはならなかった」

 頭を下げる六花さんを見たくはなかった。

 暗く沈んだ声で十分だ。六花さんの声には説得力がある。もう、和泉は何処にもいないと認識させられる。覚めない夢なのだと思わせて欲しかった。


 考えても何を言葉にしていいか分からず、悲しいはずなのに涙が出ない。現実は変わらず、この時でさえ確実に未来を迎えている。

 窓の外で一羽の烏が鳴いた。

 六花さんは姿勢を正すと艶やかな声で語り始める。

「言霊師は一人の女から始まった。宝玉のような美しい容姿と小鳥のさえずるような声で京の都から離れた山里で皆に慕われ、何不自由なく暮らしていた。

 言葉を使い自然を動かし、大地を動かし、大地を育み、病を治し、傷を癒し、神の力と崇められていき、玉姫と呼ばれるようになった。噂は噂を呼び、都から病や傷を治しに訪ねてくる都人が多くなり、玉姫は金銭を取ることなく皆の期待に応えた。

 しかし、神からの賜り物は人としての身体に負荷がかかり、やがて五感を徐々に失い、命を落とした。

 玉姫には紫苑という想い人がおり、彼との間に子を宿していた。玉姫が命を落とす前、子に幸せであり続けられるように言霊をかけた。

 しかし、その言葉は子に届くことはなく玉姫以上の力を持ち、命のやりとりも自由に操れるようになった。玉姫の二の舞にさせんと、父である紫苑は言霊師の力を半分、己に宿し短命である我が子に命を半分を分け与えた。その役割こそ言霊師の守り人と言う」

 六花さんが静かに語り終えると僕は疑問をぶつけた。

「僕には力は無いはずなのに、なんで、和泉が僕の守り人になる必要があったんですか? 理由を教えて下さい」

「俺から説明する」

 咳ばらいを一つすると、兄さんが一歩前に出る。

「言霊師は言霊の通り、言霊を具現化させる力だ。姫依家を筆頭に、神条家と御子柴家が存在する。だが、その力を誰もが受け継ぐとは限らない。ずっと、お前にはその力がなく、悩んでいたことも知っていた。だが、それでも、自分の力で学業に励み作家としても早々と成功した……。もし、お前が言霊を文章として紡ぐ度に命を削っていたとしたら……」

「えっ……」

「お前が考えている通りだ。お前は言霊師としての力を持っていたが、それを音ではなく、文字にすることによって力を発揮していた。紡がれた物語はそこに命があるかのように読者の五感を満たし、美しさを兼ね備えた見事なものだと、世間は評価している。自分の命を削り、物語に命を与えてしまっていた。最初にそのことに気が付いたのは和泉だった」

 六花さんを見ると、こくりと肯き、六花さんが話始める。

「和泉はお前の命が残り少ないことを知り、俺に守り人になれないかと相談してきた。しかし、和泉には言霊師の守り人になるには不完全でな」

「じゃあ、何で和泉は僕の守り人に……?」

「それは……」

 六花さんが言葉を詰まらせる。

「言霊師が命を削らなきゃいけないなら、六花さんや兄さん、本家の人間全てに守り人が必要ってこと?」

 六花さんは首を横に振る。

「そうではない……が、俺にもしもはある。その為に監視役の神条家、姫依家の主治医でもある御子柴家がいる。三家がバランスを散り、身体の負荷にならぬようにお互いに気を配っている。冬野の場合は無自覚だった為、力を制御していたなかった。少しでも生きられるならと和泉は聞こうとしなくてな」

 現実味のない二人の言葉を受け止めきれない。

「そのブレスレットは命が零れるのを遅くするためのものだ。完全にせき止めてしまえば逆流し、危険だからな。流れる命の速さを緩めた。冬野の欠けてしまった寿命を和泉の魂で埋めたんだ」

 いつも笑っていた和泉はどんな思いで、親友として最期まで隣に立っていたのだろう。

 生きるための糧として作家になると覚悟を決めた筈なのに、友を失い、周りの人たちに心配をかけながら、書き続けることは正解なのか?

 兄さんが立ち上がり、部屋を出ようと背を向ける。

「和泉はお前の小説に救われたと言っていた。書き続けることで和泉の想いは報われる。なぜなら、自分のように多くの人を冬野の小説で癒せることを願っていたからな」

 兄さんは部屋を出ていく。

 六花さんも立ち上がり、

「和泉の想いを汲んだ結果、冬野を悲しませてしまった。冬野を救いたい想いは一緒だった。和泉に甘えたんだ。それしか方法がなかった。冬野を失うか和泉を犠牲にするか……」

 六花さんは背を向け天井を仰ぐ。

「冬野はどっちを選んだ? 俺に答えは分からない。だから、その答えを神条冬野という人生の物語の中で見つけて欲しい」

 六花さんは部屋を出ていく。襖が完全に閉められた途端に心が乱れる。

 皆を心配させたのも、和泉を犠牲にしたのも 六花さんに悲しい顔をさせたのも誰のせいでもない僕自身だ。

 僕の心の弱さが招いた罪なのだ。優秀な人たちに囲まれ、追いつきたいと願いながらも、無理だと分かり、自然と距離を置いていた。

 孤独だと思っていたのは僕だけだった。

 罰を与えなくては。

 どんなに苦しくても辛くても、物語を綴っていく。

 それが神条冬野=柊流の枷なのだから。


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