七、夏に散る

 六花さんに修復されたガラス玉は曇りもなく、強度な術をかけてくれたおかげで、余命より約二ヶ月も長く生き延びることが出来た。呼吸するだけでも寿命が削られていくと言われ、自分の足で歩くことを梓さんと六花さんに禁止された。今は車椅子での生活をしている。

 夏の日差しは脆弱な身体に堪える。一人で玉姫神社の境内に行くには長い階段を上る必要があり、助けを呼ばなければならない。小春と小梅は式神なので人間以上の力は出るが、四葉さん以外の言う事を聞いてくれるかどうか……。毎回、六花さんを呼ぶのも申し訳なくなってきたし、兄さんは兄さんで頼みにくい。

 日差しの下でじっとしているだけでもじわりと汗が流れる。道端に咲いているひまわりが太陽を崇拝しているように見えた。

 階段を降りてくる人影が見える。

 袴姿の六花さんだ。夏なのに涼し気な顔をしている。

 六花さんは車椅子を日陰に移動すると僕を背負って階段を上り始める。

「遠慮するなと言ったはずだぞ。歩くのを禁止したのは俺と梓さんの決定だ。俺には責任がある」

「ごめん、遠慮した」

「誰かが来たなんてのは神社の結界に入った時点でわかる。無駄な考えは止めて甘えればいい」

 蝉の声が静寂な神社に響き渡る。


 上ってくるまで気づかなかったが、境内の方が涼しく感じる。

 六花さんが社務所の玄関の椅子に僕を座らせる。

「車椅子を取って来る。絶対にここを動くなよ」

「わかっているよ。いつも、ありがとう」

 六花さんは少し困った顔をして玄関を出ていく。

 六花さん、ごめんなさい。

 僕は立ち上がり社へと向かう。


 社を見つめながら思う。ここで大事な人を失った。僕の命は尽きかけているけれど繋ぎ止めようと翻弄している人たちがいる。今の僕は小説を書くことしか皆に恩返しが出来ない。

 今日は新刊の発売日だ。

 これが最期の作品だと思いながら書いた。

 賽銭箱に五円玉を投げると六花さんが車椅子を担ぎながら走って来る。

「あれほど動くなって言ったのにお前は!」

「ごめん。でも、こっちの方がす涼しいし」

「まったく……。そうだ。言い忘れていたが今日、彼女を屋敷に呼んだぞ。梓さんも夜勤明けで休みだから、皆で玉姫神社の鎮魂債をすることになった。それと、話もしよう」

 真夏なのに汗一つかかない六花さんは満面の笑みだ。だけどその笑顔の意味が僕の命が長くない事の裏返しに思えた。

 抱きかかえられ車椅子に乗せられる。

 

 屋敷へと続く小道は石畳で見渡す限り樹々が生い茂っている。爽やかな葉擦れの音が心地よい。

「六花さんは何でこんな真夏なのに汗をかかないの?」

「それは自分には境内にも言霊をかけてあるからだ。自然の摂理を壊さない程度にな」

「ねぇ、六花さん。僕はあとどれくらい生きられるの?」

 車椅子が止まる。

「……俺は選ばなきゃいけなかった。その選択が冬野から大切なものを奪ってしまったとしても、俺は冬野に生き続けて欲しい。冬野が生きられる方法があるならば俺は恨まれてもそれにしがみつく。俺にとって冬野は大切なんだ。冬野だけじゃない。真白はもちろん、鏡花、四葉たち全員が俺の大切な人だ。俺には守る義務がある」

 六花さんの言葉がずっしりと胸に入り込んでくる。

「おーい!」

 四葉さんが屋敷の方から手を振り小走りで向かって来る。

 六花さんは再び車椅子を押し始める。

「遅いじゃない。……何よ、二人とも辛気臭い顔して」

「残りの命の事を話してただけ」

「六花……。話をしたの?」

「あぁ、冬野には生き続けて欲しいと」

「そう……。早く戻って、真白ちゃんがかき氷作ってくれたの。桜ちゃんももう来てるのよ」

「おーい」

 後ろから声がした。

 振り返るとシャツの袖を捲し上げ、背広を腕にかけ、鞄を持った梓さんが歩いている。

「やぁ、今日はお招きありがとう」

 六花さんは軽く会釈する。

「今日はお忙しい中ありがとうございます」


 玄関で出迎えてくれた真白さんは割烹着姿で右手にはお玉を持っていた。

「今日はお祭りなので張り切りますよ。梓さんも、お茶と氷を用意したので休んで下さい。兄さんは、早く祭りの支度を。四葉さんは鏡花さんとお酒を買ってきて下さい。冬野さんは休んだら料理の味見をお願いします」

 六花さんと四葉さんは顔を見合わせ、がっくりと肩を落とした。


 早めの夕餉を終えた午後六時。神社の全ての灯篭が灯り、オレンジ色の明かりが幻想的だった。

 神楽殿の前で着席する様真白さんに言われ、琴桐さんが車椅子を指定の場所まで押し、隣の席に座った。

 六花さんに生きて欲しいと言われた意味を考え続けた。生きながらえる術が見つかったのだろうか。

 真白さんと梓さんも並んで着席する。

 神楽殿で四葉さんが巫女の姿で鈴を鳴らすと、女の面を着けた六花さんと鬼の面を着けた兄さんが舞楽に合わせ舞う。

 六花さんの舞が神に捧げるにふさわしい美しさだとは知っていたけれど、兄さんが六花さんに劣らない舞が舞えるとは思っていなかった。二人の舞は現と幽世を彷徨っているようで息をするのを忘れるくら美しい。

 横目で琴桐さんを見ると、ハンカチで目元を抑えていた。


 舞が終わった後も余韻が残り、その場から動く気力が湧かなかった。梓さんが椅子を片づけ始める。着替えを終えた着流しの二人と浴衣姿の四葉さんが神楽殿から歩いてくる。

 三人に気付いた真白さんが頬を膨らます。

「ずるいです。兄さんたちだけ着ものなんて!桜さん、私たちも着替えに行きますよ。そのついでに忘れた花火も持ってきましょう」

 真白さんは戸惑う琴桐さんの手を引いて行ってしまった。

 そこに椅子を片付け終えた梓さんがやって来る。

「いいよね。若いって。青春だね」

「何が青春よ! 梓だってちゃっかり、浴衣姿じゃない。冬野も着替えに戻ったら?」

「僕はいいよ」

「だめよ! 彼女も浴衣になるんだから冬野もお揃いでないと。梓、着替えを手伝ってやって!」

「なるほど、そういうことなら」

 梓さんは顎に手をやりにやりと笑う。

 こういう時の笑い方は兄妹だと思った。

 梓さんは車椅子を揺れない様に、けれど急いで押し進んだ。


 部屋に入ると衣桁(いこう)に浴衣が掛けられていた。

「いつの間にこんな……」

「冬野君に似合うと思うよ。深緑の様で鼠色の淡い色だけど。冬野君は色白だから」

 梓さんに許しをもらい自分の足で立つ。服を脱ぎ、浴衣を羽織る。

 梓さんが手を貸してくれるのを制して自分で着付けした。

「やっぱり、似合う。鏡花君の見立てた通りだ」

「これって兄さんが選んだの?」

「春の宴の時に鏡花君と買いに行ったんだよ」

「そうなんですか? どうして兄さんが……」

 玄関の戸が開く音がした。

「真白さんたちは終わったみたいだね。僕たちも行こう」

 道中、言霊師一族の御用達である京都の老舗呉服屋『燕屋』で幼馴染の店主と口論しながらこの浴衣を選ぶのに丸一日費やしたと教えてくれた。


 境内ではすでに六花さんと四葉さんが花火を持ち子どものようにはしゃいでいた。

 兄さんはそれを危ないと言わんばかりの目つきで見ている。

 真白さんと琴桐さんはしゃがんで線香花火をじっと見つめていた。

 琴桐さんの線香花火がぽとりと落ちた。僕の視線に気づくと、こちらへ歩いてくる。下駄で歩くのが不慣れなのか足がもつれて倒れかかるのを抱き止めた。

「すみません。お怪我はないですか?」

「僕は大丈夫だけど、琴桐さんこそ足、捻ってない?」

「大丈夫です。本当にすみません」

「真白さんと線香花火をしていたので、神条君も一緒に……」

 真白さんのいる方向を指差すと皆が屋敷へと帰り始めていた。

 六花さんが振り返り、琴桐さんを一瞥する。

 四葉さんが後ろ姿のまま手を振り、

「恋人たちに私たちはお邪魔のようだから、先に戻ってお酒でも飲むわ。二人はごゆっくり」

 真白さんも振り返り軽く礼をして行ってしまった。

「気遣われちゃいましたね。せっかくですから線香花火をやりましょう」

 僕は黙って肯いた。

 線香花火を一本渡され、マッチを擦って点火する。

 琴桐さんも自分の分を点火させた。

 しゃががみこむ琴桐さんの表情は車椅子からだと良く見えない。

 パチパチと散る火花の謙虚さが儚くも可愛らしい。

 火がだんだんと頼りなくなって、先端が落ちる。

「終わっちゃいましたね」

 琴桐さんは立ち上がる。

「僕たちも戻ろう」

 琴桐さんがゆっくりと車椅子を押し、社の前で止めた。

「お参りしてもいいですか?」

 賽銭箱に小銭を投げ入れ二礼二拍手する。その横顔が何故が和泉と重なった。

「神条君、私たち付き合っているんですよね」

「まぁ、そういうことになるかな」

「じゃあ、冬野君って名前で呼んでも良いですか?」

「構わないよ」

 名前を呼ばれただけで顔が火照る。

「じゃあ、私のことも桜って呼んでください」

「桜」

 恥ずかしさで声が小さくなってしまった。照れながらも笑みを浮かべた。その笑顔を素敵だと思った。

「冬野君、お願いがあるんだけど……」

「僕にできることなら」

「これにサインして欲しい」

 心臓が口から飛び出すと言うのはきっとこのことを言うのだ。琴桐さんが差し出してきた一冊の本。それが今日発売日の柊流著『桜』だった。

「知ってたの……?」

 桜はゆっくり肯いた。

 僕はうなだれて頭を抱えた。

「恥ずかしい」

 桜は膝を折り、僕の目線に合わせると両手で抱きしめてくる。

「私はあなたが思うほど清廉な人ではないんです」

 桜は立ち上がり一歩後ろへ下がる。僕は一歩桜に近づこうと車椅子を進めると膝から何か転げ落ちた。

 落ちた物を拾おうとして前かがみになった勢いでバランスを崩しそのまま倒れた。

 咄嗟に肘で体を支えたため鈍痛がした。

 目の前に転がっている物を見た瞬間、凍り付いた。

「これ……。どうして君が……」

 僕は落ちていたものを掴み、車椅子に座り直す。

 桜は背を向ける。

「私には双子の兄がいたんです」

 その続きを言わないで欲しい。

「その砂時計は私のなんです」

 心臓が張り裂けそうだ。

「私が十歳の時、休日にこの神社に遊びに来たんです。この社の裏にある御神木にもたれて寝ていた同い年くらいの少年がいたんです。この世界にいながら隔離されてしまったような儚さを持った少年に一目で魅了されました。それからずっと忘れられなかった。その時のノートを兄と一緒に盗み読んでしまいました。勝手にノートを見てしまったこと、謝ります。ごめんなさい」

 振り向いて頭を下げる桜。

「だから、柊流おちうペンネームでもあなただとすぐにわかりました。私たち兄妹は両親を中学の時に失い、援助してい頂いたのが六花さんでした。鏡花さんの弟さんが冬野君だとその頃知り、兄は冬野君と同じ高校に行くと言い出した時には驚きました。偏差値の問題もありましたしね」

 桜が僕の手を取る。

「これは私からの贈り物です。兄だけじゃ不完全だから」

 桜色と金色の組紐にガラス玉が装飾されたブレスレットが左手首に結ばれ、紺桔梗のブレスレットと重なる。

「紺桔梗と桜色は合いますね」

 僕は砂時計の砂の量を確認する。

「私にはもうあの屋敷へ戻る時間はありません。皆さんには挨拶を済ませてあります。本当に楽しかったです。あなたと過ごす時間は恋人にしては少なかったですけど、隣で一緒にいられる時間がとても幸せでした」

 僕は砂時計を握り締める。

「全然わからないよ。命までかけて守られる価値があるとは思えない」

「あなたのことを好きという理由だけでは駄目ですか?」

 桜が僕の頬を両手でやさしく包み込む。

「私たち兄妹は班目家と琴桐家のお役目がありました。言霊師の墓守として、魂を守る役割と骨壺の鍵の番人というお役目です。しかし、両親の事故で引き継ぎに手間取っていた間に、お墓が荒らされてしまい、お役目に失敗した私たちは魂の半分を玉姫神社に奉納する霊鎮たましずめの儀を六花さんにお願いしたんです。もう半分を言霊師に使える知った時、迷いはありませんでした」

「僕は……何も知らない」

「当たり前ですよ。だって、私も兄も六花さんに口止めをお願いしたんですから。六花さんのこと恨まないで下さいね」

 いきなり頬をつねられ、横に引っ張る。

「痛いよ……」

「泣いちゃだめですよ。私だって我慢してるんですから」

 笑顔を作る桜は目に一杯の涙を浮かべていた。それが頬を伝い僕の膝の上にぽろぽろと零れる。

 僕は桜の目元の涙を指ですくう。頬に触れていた手を引き寄せ、口火利を重ねた。

 甘い時間はすぐに溶けて消えてしまう。

 時間を惜しむようにゆっくりと桜の顔が離れていく。掴んだ手を離してしまったら桜はきっと……。

「私は幸せです。あなたの特別になれたのですから。兄に自慢できます」

 桜の手が冷たくなっていき、足元から光が浮き上がってくる。桜の体が少しずつ光の粒となって舞う。

 今度は桜からそっと口づけをすると指示化に目の前から消えた。

 唇に桜の温度が残っている。

 悲しみと同時に蛍日のように舞い散る光を美しいとさえ思ってしまった。 

 ひらりと蝶がやってきてキスをするように唇に触れ、すぐに離れていく。

 愛おしい人を失うことが全身を引き裂かれるように痛くて苦しい。深い水底へ沈んでいくようだ。

 僕は言霊師神条冬野で小説家の柊流。

 もし、僕の物語に名をつけるなら……。

 雲一つない宵の空に浮かぶ満月の下、膨らむ思いを胸に閉じ込めた。



 

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