二、班目和泉の消失
誕生日パーティーの後、和泉に境内へと呼ばれた午後十一時五十分。
澄んだ空気に折れそうな三日月がくっきりとその存在を示している。
和泉は本殿に手を合わせている。
僕もそれに倣った。
僕が参拝を終えても和泉はしばらくそのまま沈黙していた。
和泉の横顔をちらりと見る。
冷たい風が頬をかすめ、切れそうな痛みが走った。
ようやく参拝が終わり、和泉はコートのポケットから砂時計を二つ取り出し見つめると悲しい目をして笑った。
「これを、お前に持っていて欲しい」
握らされた砂時計は温かかった。
「これは?」
「それは僕と大切なひとの物なんだ」
「そんな大切な物をどうして?」
「その砂時計、見てみろよ」
砂時計を見てみると、片方の砂時計の砂は微量で、落ちているのに下に溜まることなく消えていく。もう少しで砂が無くなりそうだ。
もう片方は桜色と金色の砂が混じっている。縦に振っても横に振っても砂が落ちることはなかった。
「無くなりそうな方の砂の色は水色と金色の砂なんだ。もうすぐ無くなるけどな……」
「この砂時計って普通の砂時計じゃないよな」
空を見上げる和泉。
その声は弱々しく震えていた。
「何が……終わるんだ?」
和泉は大きく深呼吸し、白い息を吐き出す。
「もうすぐ終わる……。俺の命……が……」
信じ難い言葉に耳を疑う。
「……もう一度言ってくれ」
「俺は零時でこの世から消える。その砂時計は俺の命の残りだ」
「冗談、だよな……」
和泉が腕時計を見たので僕も腕時計を確認した。
午前零時まで残り一分。
「ごめんな。なかなか言えなくて。冬野の泣く姿は見たくなかった。笑っていて欲しかったから」
和泉の足元が透けて消え変えている。
動揺する僕を和泉は強く抱きしめる。
「もっと一緒にいられたらよかったのにな……」
泣きそうな声で囁くと和泉はゆっくりと離れていく。
「時間……だな。冬野、俺の願いはお前が幸せになることだ。絶対叶えて……くれ……よ……」
和泉の手を取りかけた瞬間、和泉は完全に消滅した。和泉が立っていた場所から緑色の粒子が空へと昇っていく。
呆然とその場に立ち竦んだ。
和泉が抱きしめてくれた温もりは冷たい空気に奪われていく。時間の残酷さを思い知らされる。
心と体の理解がようやく追いつき、全身の力が抜け、その場に泣き崩れた。
体が冷え切ってもそこから立ち上がることもできない。名前を呼んでも和泉は戻ってこない。
咽び無く声だけが静寂に響き続けた。
はらはらと雪が舞い散り始め、屋敷に戻ろうと力なく立ち上がると、六花さんが傘を差し歩いてくる。
六花さんの浮世離れした美しさにこれは夢ではないかと、淡い期待を抱く。
六花さんが何かを呟くと、意識が朦朧とし、傾いていく体を支えられたのだと分かった。
六花さんが纏う金木犀の甘い香りに誘われ意識は完全に暗闇へと堕ちていった。
暑さと息苦しさで目を覚ますと、真っ暗で何も見えない。顔を覆っていたのは小春だった。起き上がると汗でぐっしょりしていた。膝に小春が乗る。
視界がぼやけ、頭がふらふらする。
襖が開き、真白さんが置けとタオルを持って布団の脇に正座する。
「目が覚めたのですね。今、冷たいタオルをあてますから横になって下さい」
焦点の合わない視界が気持ち悪くて横になる。
冷たいタオルが気持ち良い。
小春が顔に乗ろうとして真白さんに抱っこされた。
「小春ちゃんも一緒に行きましょうね」
落ち着いた僕を見て、真白さんは部屋を後にする。
何故自分がこうなったのか曖昧な記憶を辿った。蘇る記憶に飛び起き、ふらつく足で部屋を出る。
素足のまま廊下に出ると床の冷たさに切るような痛みが走る。体は熱いのに悪寒で身震いしてしまう。
それでも確かめずにはいられなかった。
薄暗い廊下を壁伝いに、よろめきながら進むと、六花さんの部屋から兄さんの声がした。
「和泉のことをどう説明するつもりだ」
声が小さくてよくは聞こえないが和泉のことを話している。
「冬野に語ることはない。冬野は俺たちとは別の道へ行く。言霊師としての使命を背負わせはしない。それは鏡花も同意の上だろう。話したければお前から話せばいい」
六花さんと兄さんの会話を理解できず、六花さんの部屋に入ろうとすると、
「冬野! ここで何をしているの? 寝てなきゃダメじゃない!」
四葉さんが額に手を当ててくる。その手は氷のように冷たかった。
「まだ、熱が高いわね。部屋に戻りなさい」
「でも……」
「でもじゃない!」
四葉さんが声を荒げたことで部屋にいた六花さんと兄さんに気付かれ、襖が開く。
「冬野。まだ、体調は戻っていないはずだ。部屋に戻りなさい」
六花さんの声に気圧され一歩引いてしまった。
くらくらする頭では言葉を発することもできなかった。
視界が反転し、金木犀の香りが鼻孔をくすぐる。抱きかかえられた感触に安堵を覚え、視界が完全に閉じようとしていた。
「すまないな……」
寂しさと哀しさと優しさが詰まった声を聞きながら僕の意識は完全に失われた。
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