9.Katharina
Bイーグルは成功を収めた。
世界各国におけるテロの激化を受け新たに設立された、各軍の特殊作戦部隊を統括する第五の軍――
その報せを受けた翌日、私は休暇を貰って父の墓標を訪ねた。
新緑の中に立ち並ぶ愛国者たちの墓。今もなお増え続ける白い墓標。祖国のため、平和のために命を散らした者達の眠りを、満開の桜が見守っている。父を戦死者として埋葬することを、当初国防総省は認めなった。ここに父を埋葬してもらって、ここに墓参りにこれるようになるまで、随分と時間がかかった。
私は父の墓標にポピーの花を添える。
父のような人がもう出てこないことを心から願う。
Bイーグルの運用は極めて順調だった。運用開始からわずか数か月の間に、Bイーグルはアフガニスタンやイラクに潜伏する残虐なイスラム原理主義テロリストを数百人爆殺した。作戦間の民間人死傷者は僅か数名に抑えられた。
私たちの「良心的司令官」が高い成果を上げることができたのは、世界が「安全」を得るために、国家による監視をどんどん受け入れるようになっていったことが大きい。テロリストは膨大な足跡を残している。ソーシャルメディア、通信記録、監視カメラの映像、顔認証、指紋認証、光彩認証、毛細血管認証。今やあらゆる個人情報は言語化され、記述され、その全てが「良心的司令官」の倫理判断基準によって数値化され、テロリストか、潜在的テロリストか、はたまたそれ以外かを判定する手段となっている。
テロの脅威が増大するにつれて、政府による監視は当然のものとなっていった。政府の公的機関に生体記録が登録され、銀行口座に紐づけられ、生体認証であらゆる電子決済が可能になり、そしてその決済情報はネットサービスやSNS、
今や、「良心的司令官」はBイーグルだけでなく数多の自律ドローンとリンクしている。陸海空及び海兵隊の情報部門を統合した
対テロ戦争が始まって15年。
アメリカ合衆国はついに「魔法の箱」を手に入れた。
アメリカの敵を瞬時に答え、国民に被害が及ぶよりも前に敵を排除する魔法の箱を。
私はその成果に満足していた。「良心的司令官」の主要アルゴリズムを担当した私は当システムの主任研究員にまで昇格していたけれど、私にとってそんなことは些細な問題だった。目下のところ私の使命は、「良心的司令官」が誰よりも正しくあるよう、その機能モジュールの調整や保守整備に努めることだった。
しかし、ここ数か月ほどの仕事は決して順調とは言い難いものだった。「良心的司令官」は今や対テロ作戦だけでなく、都市部等における治安維持作戦にも運用されている。9mmパラベラム弾を内包するカワラバト、5.56mmNATO弾を内包するジャーマンシェパード、分隊支援騾馬を転用した地上警ら騾馬には12.7mm重機関銃が搭載され、それらはクラウドによって情報を共有し、並列化され、今この瞬間も新たなフィードバックを行っている。
その、数千にも及ぶ自律機械が送信する
「どうした。せっかく給料もあがったというのに、随分と疲れた顔をしているぞ」
ある日、とうとう私は、上司のアレックスに悩みをぶちまけた。
「……「良心的司令官」は素晴らしい戦果を挙げています」
「その通りだ。今やアメリカ合衆国にテロを行う敵はいない。アメリカはあと少しで、対テロ戦争に打ち勝つところまできている」
「しかし――しかし、Bイーグルがどれだけテロリストを殺害しても、「良心的司令官」が指定する危険人物をどれだけ殺害しても、諸外国でのテロは減少しませんでした。
むしろこの5年、不安定な国家がどんどん増えています。イギリスのEU脱退に伴うIRAの活動活発化、アメリカの大使館移転に伴うイスラエルのパレスチナに対する圧力強化、アメリカの核合意脱退は大国の緊張を高め、過激派によるテロが増加している」
アメリカ本土を襲うようなグローバル・テロはあの911以来一回も起きていない。しかし、対テロ戦争によってアメリカが勝利を重ねれば重ねるほどに、世界各地では全く異なる現象が進行していた。アメリカがテロリストを殺せば殺すほど、世界がつながればつながるほど、世界各地で沈静化しつつあったはずの民族対立が激化していった。シリアで、カシミールで、クルディスタンで、ラカイン州で、北アイルランドで。これまで存在していた紛争も、それまで存在しなかった紛争も、全てが激烈化していった。
思えばあのテロ以来、世界はすっかり混乱と内戦の時代に逆戻りしてしまっていた。世界は錯乱したまま回り続けていて、「良心的司令官」がいくら人道的な作戦を遂行し続けても、それを上回る速度で混乱が生まれ続けている。
「しかし、それは我々の責任ではない。アメリカが戦っていたのはテロであって、内戦ではないからだ」
「テロも内戦も、武器を持たない文民たる住民がその攻撃対象となるという点では同じはずです」
「そうだ。だからこそ我々は、いくつかのドローンと「良心的司令官」を一部の内戦当事国へ輸出している。しかしそれも一部だけだ。すでに虐殺すら発生しているような泥沼の内戦には到底投入できない。運用数が増えれば増えるほど誤射の可能性が増加し、その影響も甚大なものとなる。特に内戦においては」
理解はしている。内戦の難しい点は、一度発生すれば着地点がみえないことだ。経済的理由で、政治的理由で、文化や伝統のような精神的理由で、同じ国の国民同士がほぼ同じ条件で相争う。軍事的な合理性の判断もなく、着地点を見いだすこともできないのであれば、相手が力尽きるまで拳を振り上げ続けるしかない。だから内戦の当事者たちは、時に文明から足を踏み外す。一度踏み外した主体は、坂を転げ落ちるように虐殺へと突き進む。
けれど、
だが、現実にはどうだ。内戦に陥った国家主体は、内乱を起こした敵対勢力を徹底的に弾圧している。住処を奪い、誘拐し、監禁し、男を殺し、女子供をレイプして、人の尊厳を徹底的に貶めて、民族や宗教そのものを抹消しようとしている。決して権威主義でも独裁国でもない、きわめて民主的で正統な政権が保持されていると判断されていた国でさえ、内戦の中で虐殺が行われている。
全ては私の理解の範疇外だった。なぜ世界が、人々がこんなにも野蛮に帰ってしまったのか、暴力というものに順応してしまったのか。「良心的司令官」は、一方的殺害という暴力に耐えられない良心を保護するためのシステムだったはずなのに。
「いいかい。内戦というのはね、全ての当事者が力尽きるまで終わらないんだ。一度殺し合いにまで至ってしまったら、あらゆる当事者が武器を捨てるまで内戦は何度でも再発する。虐殺を止めるのは文明国の責務だ。しかし、内戦はどちらか一方が力尽きるか、武器を置くまで待つしかない」
アレックスの言葉はおそらく正しいのだろう。平和的解決を迎えた内戦の殆どは、開戦から数十年以上経過している。それ以上の時間が経ってもなお、解決していない紛争だって、山ほどある。だからこそアメリカは、あらゆる内戦への不干渉を宣言している。
けれど、その内戦国で「良心的司令官」が運用されていたら、そのフィードバックは、「良心的司令官」にどのような影響をもたらすのか。
「それより」そういうと、アレックスは意図的に声を潜めた。まるで他の職員に聞かれては困る話題があるように。「「良心的指揮官」の問題は解決したのかね。私にはそちらの方が不安だ」
「……すみません。説明不能領域の解読を試みてはいますが、依然解決しておらず、パーセンテージは増大しています。私は、世界各地で増加しつつあるこの内戦こそが、説明不能領域の増加につながっているのではないかと」
「...早く糸口をみつけだすんだ。「良心的司令官」は説明責任を全うするAIだ。全ての判断基準は良心的で、説明可能で、その授権を正義の女神の名に誓う――そういうでなければならない。間違っても、説明できない判断基準があってはならないんだ。いいかい。これはくれぐれも君と私だけの秘密だ。早く原因を特定して、アルゴリズムを修正するんだ」
はい、わかっています。私は答える。しかし私の頭の中では、紛争による死者数が思考の大半を占めている。
私はアメリカの正義を信じている。
父が己をすり減らしながらも執行し続けたアメリカの正義を信じている。
けれど、父さん。
私はどこで、なにを間違ってしまったの。
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