7.Katharina

 かつて戦場には、多くの獣たちがあふれていた。

 かつて戦場には馬がいた。それは人が成しえない俊足で駆ける駿馬であり、日に万里を駆ける草原の民は瞬く間に大陸を支配した。

 かつて戦場には象がいた。それは人が持ちえない重圧をもって全てを蹴散らす戦象であり、その巨体による突撃は屈強な戦士を畏怖させた。

 かつて戦場には犬がいた。それは人が感知しえない嗅覚をもって危険を感知し、敵を発見し、俊敏にその喉仏を食い破る勇敢な戦士だった。

 かつて戦場には鳥がいた。それは人よりも遥か高く舞い上がり、獲物を捕らえ、

遠方まで文を届ける役割を持っていた。

 かつて戦場には獣がいた。

 かつて戦場には獣がいた。

 かつて戦場には獣がいた。

 戦争とは人と獣の歴史であり、人が争う場所には常に獣の姿があった。

 騎馬として、

 戦象として、

 軍用犬として、

 伝書鳩として。

 敵に勝る力を得るために、人に勝る力を持つ獣たちが使われたのだ。

 しかし、戦争術アーツ・オブ・ウォーの高度化は、次第に獣を戦場から駆逐していった。戦争はより長距離化し、大規模化し、高度化し、専門化していき、戦場で獣を使い続けることは困難になったのだ。飼葉を必要とする馬よりも車のほうがよい。銃弾一つでパニックを起こす象や馬より鋼鉄の戦車のほうがよい。数百キロを一日かけて飛ぶ鳥よりも、地球の裏側へ数秒足らずで情報を届ける電子通信のほうがよい。騎兵や戦象は車となり戦車となり、通信技術の進歩は、文書による逓信そのものを衰退させていった。犬達はまだ軍において使われているが、その多くが麻薬捜査や基地警備に使われる程度で、警察犬と大差はない。

 獣たちが前線で敵を殺すことはもはやない。

 獣たちは現代戦に対応できず、またそれを求める理由もなかった。

 戦争は人間のものとなり、ハイテク兵器のものとなった。生きた獣の代わりに、動物の筋繊維を培養した工業用筋繊維――生体由来であることは巧妙に隠蔽された――が市場に出回るようになった。電子回路プログラムによってその動作を制御できるようになると、人工筋肉は馬車や労働力としての役割も終えた。

 獣はあるべき場所へ帰っていった。大戦争の終結後に合衆国が大量の兵器を破棄したように、世界各地で獣たちが退役していき、獣たちを扱う技もまた廃れていった。




「しかし、技術そのものは廃れたが、それを応用した技術は残った」


 アレックスと名乗ったBTI社技術の顧問研究員は拡張現実オルタナ上に大きく文字を描く。人工筋繊維。BTI社の主力製品の一つだ。

 IMI本社からの派遣役員でもあるアレックスは、イスラエルの研究施設にいながら、サンフランシスコにあるBTI社の企画チームとのディスカッションに参加している。チームに参加するほかの研究員も所在はまちまちだ。自宅から参加する者、日本から参加する者……BTI本社に出社して参加しているのは私ぐらいのものだ。


「例えば我が社の二脚歩行ロボットを支える筋繊維は、人工筋肉とそれに信号を送るモジュールによって構成されている。

 新人君、君はヴィクトリア湖のイルカについて理解しているかな」

「はい。専門外ですが、兵器技術に関連する資料にはおおむね目を通しています」


 ヴィクトリア湖には遺伝子改造されたイルカが養殖されている。淡水で育ち、通常の半分以下の期間でもっとも筋肉繊維が豊富な若年期へ成長し、その時点で筋繊維を回収する。街で人々の生活を支える自動ロボットにつけられた品質表示タグを手繰っていけば手に入る情報だ。

 そしてその技術は、かつてこの世界の労働力の大半を獣が支えていた時代に確立された。獣を望む通りに働かせる調教術トレーニング、筋繊維に最適な信号を送る電気技術エレキテル。私たちは、かつて獣であったものたちに囲まれて生きている。


「素晴らしい。実に勤勉だ。我が社の高高度長時間滞空HALE型のBプレデターの人工筋肉は、ヴィクトリア湖で生産したイルカの筋繊維を加工し、転用したものだ」

「せっかくなので確認したいのですが、なぜイルカなのですか」

「水棲生物の筋繊維はどれも人工筋繊維として優秀な素材だ。とりわけ良質なのはマグロのような回遊魚や、イルカやクジラといった哺乳類だが、常に高速で回遊するマグロは養殖が難しい。それにマグロは血中塩分濃度を調整する遺伝子が明らかになっていないが、イルカは近縁に淡水種がいるから遺伝子の特定が容易だ。だからイルカを使用しているんだ」

「それに、マグロならスシにして金持ちの胃袋に売りつける方がまだ稼ぎになるしね」


 チャンのジョークに場が少し和やかになる。茶化しているようだが、チャンはBプレデターの基幹設計を担任した人物の一人だ。彼は拡張現実オルタナ上にBプレデターの設計線図を展開し、使用した部品、あるいは流用したデザインについて注釈を付けくわえていく。骨格及び飛行羽根はアメリカハクトウワシ、筋繊維は養殖したバンドウイルカの筋繊維を流用し、高度3000ftへの初速を得るためのターボエンジンを搭載している。一定高度到達後はエンジンを停止し、余熱をもって栄養素を分解し筋肉を駆動させ、翼を羽ばたかせ、あるいは翼形を変化させ飛行する。口にしてしまえばそれだけの、ごくごく一般的な航空機だ。違うのは、コクピットが存在せず遠隔操縦であることだ。この遠隔操縦ドローンは合衆国で初めて無人機爆撃を行った無人機だった。IMI社は実戦で得た経験をもとに、無人機運用に必要なシステムの構築を進めている。

 しかし、実戦経験というアドバンテージを持つにも関わらず、後継機は次期選定から落選しかねないという危機にあった。アメリカの十年にわたる戦争の間に生じた数多の誤爆が、Bプレデターに対する評価までも悪化させていた。加えて、遠隔操縦機による誤爆を防止する目標選定アルゴリズムの開発者が退職したことは、IMIグループにとって大きな打撃となった。当初予定していた非軍事目標への誤爆を防止する目標選定アルゴリズムを機能強化し、軍事目標を選定する機能を持たせる改善案プランAが使えなくなったためだ。このままでは、分隊支援騾馬MULE警戒偵察犬ガーディアンなどの開発にも遅れが生じ、IMIグループの地位が危うくなる。

 しかしこの課題を解決して、民間人被害者やPTSD問題といった問題を抜本的に解決できれば、Bプレデターに対するイメージは反転し、我が社の受注契約も確たるものになる。だからこそ、IMIはこの事業を重視している。


「さて、Bプレデターの改良案について新人にもわかるように説明しよう。僕たちはBプレデターを自動攻撃機化する。これには二つのアプローチを行う。

 まずは『オートパイロットシステム』、つまり、ドローン自体に知能を付与することだ。当然ながら今は通常のフライトも操縦手の技量に任せている。これを電子制御して飛ばすようにしなければならない。目標座標を入力したら、自動的にそこへ向かえることが理想だ。

 僕は深層学習を施した人工知能でいけると思うんだけど、みんなはどう思う」

「アメリカハクトウワシの疑似ニューロンを挿入するのがいいね」と、チャン。「基本骨格や羽根の形状はアメリカハクトウワシのものだ。それに操作系に及ばない程度の細かな姿勢制御や翼面変化は今も生物の神経発火を元に筋繊維を微調整させている。人工知能を新しく組むよりも、ハクトウワシの制御領域を増幅する方がいい」


 これは生体工学の分野では一般的な手法だ。動物を模した複雑な半生体機構には、モデルとなった生物の脳神経をそのまま移植するのがもっとも簡単だ。生体工学は動物の形状を模倣するだけでなく、その知恵も取り入れる。アレックスはうなずいた。


「姿勢制御だけじゃなく、目標設定にも猛禽類の思考回路を流用できないかしら。ターゲット情報がハクトウワシの獲物だと認識するよう脳の報酬系をいじくれば、ハクトウワシは本能的にターゲットを捜索するはずよ。人間よりも根気よく、より確度の高い方法で」

「いいね。それも採用しよう」


 会議は順調に進行している。皆が同じ目標のために議論している。誤射を減らし、民間人を守り、兵士を心の傷から守るために、必要なことを議論している。


「さて、二つ目のアプローチについては、攻撃目標を決定する標的判定アルゴリズムだ。僕たちはこれを『良心的司令官』と呼ぶ。これは主にクラウドサーバ側のシステムとなる。これは今まで情報部が、あるいはパイロットが行ってきたことだけど、この標的リストの作成を自動化する」


 例えば、テロリストとの情報交換の頻度、GPS座標、行動パターン、会話の内容、監視カメラの監視映像、テロリストが使用される隠語との整合――そういった要素に全て数値を割り振る。人の手では処理しきれない膨大なメタデータを全て数式に落とし込めば、人工知能は自動的に標的を選出できる。

 私にはこれを開発する自信があった。データを元に分析するのなら、あとは情報工学の領域だ。幸いにもアメリカは今日も地球のどこかでテロリストを殺している。それがテロリストだったか民間人だったかの評価判定もつぶさに行っている。データには事欠かないし、分析の手法だって洗練されている。あとはこの無数のデータを機械に読み込ませ、機械に学習させてやるだけでいい。

 深層学習を用いれば、人間が扱えるよりも膨大なデータを扱い、人間が行うよりも公平に判断させることができる。映像上の人間が目標であるかどうかの最終判定も、この人工知能が行うようにすれば、誤爆の危険を極限できる。

 写真から、ネットから、偵察衛星から、スパイから、情報屋から、あらゆる情報資料データのなかから情報インフォメーションをかきあつめ、作戦の実行に必要な情報インテリジェンスの確度をあげて任務を実行する。それは情報部隊が、CIAが、そしてドローン操縦者たちがやっている識別特性爆撃シグネチャー・ストライクと同じことだ。

 その全てを機械が正しく行えるのなら、パイロットは必要なくなる。

 父のような人が生まれることはなくなる。




 私は退職したIMIの技術者に代わり、同僚と共にアルゴリズムの検討を重ねていった。多様な情報をどのように重み付けするか、重視するべき指標は何か、ビッグデータを元に深層学習を行わせ、時に特定の数値を微調整して満足のいく数値へ近づけていった。

 私は良心的司令官の情報処理モジュールを調整している。ネットワークから情報をサーチするシステムと、入力された情報を元に作戦の実行を判断するシステム。誰が敵で、誰が敵でないかを瞬時に判断し攻撃を指令する。これまで人間の指揮官が、現場の兵士が良心に基づき判断を強いられてきた事項を自動化する。私が作っているのは機械の良心なのだ。

 かつて、誘導装置というものがまだ完成していなかったころ、人類は生きた動物を誘導兵器にしようとした。鳩に爆弾をくくりつけてミサイルとし、犬に爆弾をくくりつけて対戦車地雷とした。私たちは第二次大戦後にレンズや光学誘導装置の小型化によって廃れた技術の後継者だ。顔つき、体格、体臭、所持物の匂い―私達は犬を調教するように、人工知能を調整し、薬漬けにしたアメリカハクトウワシの脳を調教する。その脳神経パターンを疑似ニューロンに記録して、ドローンに埋め込む。

 やがて、既存ドローンの改良型として試験機が戦場に投入された。初期モデルは従来機と同じくカメラを装備していて、オペレータはその作戦行動を遠く離れた場所から確認できたし、いざという時には操縦桿を使用して強制操作もできた。

 異なるのは、ドローンは自律的に行動するという点だ。人工知能が目標選定アルゴリズムによって弾きだした目標情報を入力すると、ドローンは自らの意思で飛行経路を選定し、目標が潜伏するであろう地域を捜索する。調教されたアメリカハクトウワシの脳神経と数キロ先まで見通す高精度の鳥眼が標的を捜索する。発見後はクラウドサーバ側の目標情報と照合し、攻撃に足るテロ活動を探知すれば、野生生物の直観アルゴリズムに従い、予測移動位置に最適のタイミングでミサイルを投下する。ミサイルには非常停止スイッチがついていて、起爆の直前までドローンがその起爆の有無を判断でき、起爆しないときは人の少ない場所に向けて落下する。

 現在はいざという時のために人が操作する操作装置を備えているが、いずれはこの操作装置も取り払う。そうでなければ自動兵器の意味がないからだ。必要なのは非常停止スイッチだけ。誰もドローンを操縦する必要はない。

 戦場に投入された新型ドローン――Bイーグルは高い戦果をあげた。当初の予測通り、人工知能とドローンによる識別特性爆撃シグネチャー・ストライクは、人間が行うそれよりもはるかに高精度だった。当初の搭載カメラよりはるかに広く精度の高い視野を誇るアメリカハクトウワシは、周辺の民間人の兆候や、人間が気づきにくい即製爆弾の工作状況を正確に確認できた。人間が機体を操作することは殆どなく、幾度か非常停止スイッチが押された以外は、きわめて順調に任務を達成した。爆撃による巻き添え被害は、死者全体の半数から、およそ1割以下にまで削減された。

 良心的指揮官とBイーグルの判断は完璧だった。

 論理的で、

 倫理的で、

 政治的に正しく、

 法的に立証可能だった。

 私はBイーグルの任務能力に満足する。現代人は戦争には向いていない。戦争がもたらす心的ストレスに耐えきれない。ビンカーという人文学者がいうには、人間は自らのうちにある暴力的な器官を意図的に封じ込めてきた。それは人々の要請であり、社会の要請だった。望むと望まざるとに関わらず、そういう方向に進化してきた。そういう方向に、社会は洗練されてきた。他者にやさしくするために、自らの心のうちに巣食う野蛮を封じ込めてきた。


「知っているかい。いまや対テロ戦争では、兵士は全員が拡張現実オルタナを通じて常にその戦闘行動を記録されている。軍事行動の終始を記録され、兵士が交戦規則に反さなかったかを全て監視するんだ。兵士たちは極限状態にありながら、常に政治的に正しくあることを要求される。それはとてもストレスがかかる行為なんだ。いまや敵と直接対峙する特殊部隊や歩兵の多くは、薬で感情にフィルタリングしなければ満足に戦争を遂行できない。一瞬の迷いが取り返しもないあやまちを犯すストレスに、人間は耐えられない」


 ええ、そうね。私はうなずく。

 人間よりも、機械や、動物の方が、はるかに戦争に向いている。

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