3.Katharina

 2001年9月11日。


 あの日。

 あらゆる敵を征服して歴史が終焉を迎えたと人々が考えていたあの日。世界の中枢にあったあの二つの塔に飛行機が落ちて、そこから世界が変わってしまった。まるで神の御許に届くほどのジッグラドを築かんとした人々の言葉を、神がかき乱してしまったように。

 二つの塔に飛び込む飛行機、崩れ落ちるコンクリートの塊、阿鼻叫喚の人々の群れ、ホワイトハウスをバックに、徹底した報復を訴える大統領の姿。どのチャンネルを回しても、そんな映像ばかりが流れていて、次第に合衆国は、連合国は、あらゆる人民と為政者は、テロリストに対する義憤と暴力的な衝動を募らせていった。大統領は「テロリズムに対する世界大戦グローバル・ウォー・オン・テロリズム」を訴え、アフガニスタンに潜伏する過激派イスラムテロリストを最初の標的に定めた。かつてソ連の侵攻を防ぐためにムジャヒッディーンを支援したCIAは、テロリズムに加担したとして、返す刃で北部軍事同盟を支援しムジャヒッディーンの政権を崩壊させた。

 アメリカの対外政策は、まるで風見鶏のようにくるくると回る。

 問題は、アメリカが世界で最大の風を吹かせる国でもあるということだ。

 マスメディアと三億の国民が国家の立場を容易く振り回し、その動揺が世界各地に拡散する。そして、アメリカ本土に数千の死者をもたらしたイスラム・テロリズムは、アメリカという国家に過去類をみないほどの暴風を巻き起こした。

 次の標的は、イラクだった。アメリカはかねてより準備していた地上戦力を投入し、アラブ世界でも有数の戦力を備えていたイラク軍を二週間足らずで壊滅させ、サダム・フセインを十三階段に登らせて、わずか二年の間に二つの国家を崩壊させた。

 しかし、アメリカにとって真の戦争はそこからだった。アメリカ最大の悲劇にして喜劇は、圧制者の首さえ落としてしまえば、善良な民の間から優秀な為政者が現れて、彼らに政治を任せればテロリストは駆逐されすべてが善い方向に向かうと、そんな愚にもつかぬような神話を本気で信じていたということだ。国防長官も、軍参謀長も、CIA長官も、ワシントン・C・Cの大統領からテキサスの移民に至るまで、誰もが信じて疑いもしなかった。かつて湾岸戦争でイラクを叩きのめしたように、戦争そのものは三か月で終わる筈。

 だからこの作戦は、「イラクの自由」と名付けられた。それが二十年を経ても終結しないような、アメリカが経験した中で最も長い戦争になるなんて。まったく、これが喜劇ではなくてなんだというのか。

 イラクの政権転覆のその日、軍隊は首都から姿を消し、治安警察はもぬけの殻となった。現地の治安警察と平和維持部隊に武装解除を任せる予定だったアメリカの目算は早々に崩れた。数多の軍人が、アメリカ軍を壊滅させるには足りないが、アメリカ軍人を殺すには十分すぎるほどの武器と弾薬を手にしたまま各地に散り、政権転覆から一か月後には、治安維持活動中のアメリカ軍人が即製爆薬IEDで戦死した。それから数年もたたないうちに、大規模戦闘間より多くのアメリカ軍人が死んだ。

 アメリカの敵フセインの死は、結局は数十万というテロリストを増産しただけに過ぎなかった。

 2006年。アメリカは一向に好転しないイラク及びアフガニスタンの治安を回復するため、両国に対する増派を決定する。中東に展開するUSCENTCOMは、テロリストとの戦いを認可した国連決議1368及び1776に基づき、イラク及びアフガニスタンの統合軍を増員させ、テロリストの掃討に力を注いだ。

 その作戦の一環として行われたのが、無人兵器による識別特性爆撃だった。


 私は冬の寒さに負けてしまわないようにコートの前をしっかりと締め、大学のキャンパスを一人歩いている。キャンパス内は最終学年を迎えた同期たちの就職活動で冬とは思えぬ活気があった。名門大学群アイビーリーグとまではいかずともアイビープラスに名を連ねるこの大学は古く、特に理工系の学生はあらゆる業界からひっぱりだこだ。マサチューセッツ工科大学MITのブランドネームは多少の不況ではびくともしない。かくいう私も、とある情報工学企業が主催したパーティーからアパートへ帰る途中だった。情報技術関連――特にここ数年情報工学業界をにぎわせている深層学習は、機械産業だけでなくあらゆる業界から期待と羨望の眼差しが注がれていて、それを専門に扱う私のような学生は、人気があった。私は志望リストの優先順位を完成させ、工科大卒というブランドすら響かないような人気の高い企業を狙い撃ちにするための戦略を慎重に練らなければならなかった。

 けれど、この日のキャンパスの様子は普段と少し違っていた。キャンパスを埋める人々は、企業パーティーの成果だとか、論文の進捗状況だとか、実験の結果やそのデータの意味だとか、あるいは近場のバーで知り合った女性だとか、そういう日常の話をしているわけではないようだった。彼らは何かに抗議の声を上げていた。叫びクライ熱弁しデクライム拒否ディスクライムしていた。

「戦争をやめろ!」「中東から撤退しろ!」「民間人を殺すな!」

 その言葉を聞いて、私は心底嫌な気持ちになった。世界有数の最高学府で学ぶ彼らさえ、政治の前ではこんな無力なパフォーマンスしかできない。世界の仕組みを知らず、戦地で戦い、死んでいく兵士達の愛国心を知らず、ただ教条的なメッセージを発するだけ。

 厳密にいえば、アメリカは戦争をしているわけではない。連邦議会は宣戦を布告したわけではないし、戦争の相手となる国家だって存在しない。ただ、アメリカ合衆国の、そしてNATO軍の最高司令官が、その権限に似合った実力を行使しているだけだ。弱い国家しか存在しない領域に、秩序を回復させる作戦を実行しているだけだ。けれど、アメリカが戦闘をやめたことは、おそらく一度としてないのだろう。アメリカ軍は世界のどこかでアメリカの敵を殺して回っていて、そうして世界は今の均衡を保っている。それを戦争というのなら、アメリカは今日も戦争を続けている。父が戦いに身を投じたように、今日も誰かが戦っている。

 彼らの一団の一部がバインダーをもって私に近づいてきた。それが署名を求めるものであることはすぐに察しがついたから、私は彼らから離れて家路を急いだ。終わらない戦争に身を投じた父。その果てに得た勲章を投げ捨てて、命を落とした父。例え父を殺したのが戦争だったとしても、父は戦争のために命を落とした。しかし、署名を断るためにそれを言葉にして説明できる自信もなかった。

「戦争に父を殺されたなら、戦争に反対するべきでしょう」――そんな人道的で政治的に正しい一般論なんかに、この感情を否定されるなんて、まっぴらだった。

 私は周囲の雑音をカットするために拡張現実オルタナを起動する。情報工学を専攻する学生は、コンタクトレンズのような薄膜ナノレイヤーを用いた拡張現実ARを愛用していた。携帯端末モブを通してネットワークと接続し、ナノ単位のレイヤーに様々な電子情報を表示する。インターネット、TV、ネットアーカイブ、リストバンドから採集した心拍数や血圧、血中酸素量や体温といった情報も表示され、個人の体調から心的状態まで客観的に教えてくれる。大学を含む研究機関に所属していれば、論文や実験データといったアーカイブも参照できる。感覚的に電子情報を操作するツールは、情報工学の精度を飛躍的に高めていた。

 拡張現実オルタナは私の心的状態がイエローゾーンにあり、心的動揺を抑えるサプリメントの服用を進めている。

 オキシトシンを増幅させて今すぐ誰かとハグをして安心感を得るか、

 セロトニン1Aを塞いで不安な感情をマスキングして不感症になるか。

 過保護な身体監査機能に私はNOをつきつけ、視界の隅にCNNテレビの映像を映し出す。


 ……合衆国市民はホワイトハウスの前で過去最大の抗議活動を行っています。抗議団体はアメリカにドローンによる無差別攻撃を即座に中止するよう要求しています。発端は数日前に国防総省から公表されたドローンによる特殊作戦の資料です。この資料によれば、アフガニスタン北東部で行われているアメリカの特殊軍事作戦では、1年間の間に200人以上が空爆によって殺害されたが、そのうち標的はわずか35人でした。また、ある5カ月の間に空爆によって死亡した人のうち、90%近くが標的ではなかったことが明らかになりました。罪のない一般人が毎年数百人から数千人という単位で命を落としており、その数字は作戦全体の戦果の半数を占めると……


 メディアはアメリカ全土に広がりつつある抗議活動の様子をレポートしている。その映像を見て、なぜ今日に限って抗議団体が大学内でも活動しているのか理解できた。米軍が公にしてこなかった不都合な真実が大衆に認知されたからだ。

「ドローン爆撃……」

思わず口に出た意識の変動を感知して、携帯端末がネットサーチングした情報をサジェストする。私がこれまでに幾度となく閲覧した動画が再生される。


 ……ベトナム戦争の死者数測定基準には欠陥がありました。無人機攻撃も同様です……私たちが1人殺すたびに10人の敵を作るとしたら、どうして勝っていると言えるのでしょうか……

 イスラム教徒の死者数は勝利を見分ける基準ではありません。勝利は、彼らが過激派の支援をやめると決めた時に訪れる……


 父の死後、私は遠隔操縦無人機の操縦手たちのインタビュー記録を探すようになった。その大半は、退役軍人省管轄の医療センターでPTSDの治療を受けていた。彼らの多くは精神を病んでいた。


 ……砂漠に施設が置かれたのは、そこが電波環境上もっとも適していたからです。エアコンの利いたコンテナで飲み物を片手に、ドローンのカメラがみている映像をモニターでみながら、ドローンを操縦しました。ジョイスティックで……ええそうです、まるで『エンダーのゲーム』のようでした。

 当初は地上部隊の支援として情報収集・監視・偵察活動を行っていました。地上部隊の上空を飛行し、彼らの周辺に敵がいないことを伝え、敵と思しき装甲車両等があればそれを爆撃しました。しかし、徐々に敵の攻撃は、そうしたわかりやすい兵器ではなく、IEDによる奇襲や自爆攻撃にシフトしていき、私たちの任務も変化しました。兵器ではなく、人間を直接殺傷するものに……


 いつの頃からか、情報組織は直接的な軍事力を行使するようになった。潜入調査員による人的情報ヒューミントや電話の盗聴記録などの電波情報シギント、SNSなどの公開情報オシントから割り出したテロリストネットワークを辿り、テロリズムに関与し、あるいは支援している人間を殺傷リストに加え始めたのだ。

 その殺害を請け負ったのはドローンの操縦手たちだ。彼らは戦士たちの守護者から、合衆国の死刑執行人となった。


 ……例えば疑わしいと思われる男の情報がある筋から流れてくる。我々はドローンを飛ばしてその様子を何日も何週間も監視する。もし疑わしい行動があれば、自分の判断でトリガーを引き、それからズームインして男の身体がミサイルの爆発に巻き込まれ、バラバラになる瞬間をジッと見守る。もしも集会をしているようだったら、その集会に集まった全員分の死体があることを確認する。あたたかい血が流れ落ちて、赤外線カメラから人の形が消えるまで。

 そのたびにある考えが浮かぶ――俺が殺したのは本当に正しい標的だったのか。あの男が背負っていたリュックには本当に爆弾だったのだろうか、それとも羊の肉だったのだろうか。KTに集まっていた十人は、本当に車両部隊の襲撃を考えていたのだろうか、それとも地元の長老たちの集会だったのだろうか。十回、百回と任務につく。するとときどき、無関係な民間人を殺傷してしまったことを知る。でもいつもそうというわけじゃない……


 ある時、米軍の駐留する町の近くで爆撃が起きて、町に住む数十もの氏族が人々が大挙して駐留地におしよせた。

 その日、米軍が爆撃した小高い丘は、古くから揉め事があったときに氏族の長が集まり、沙汰を取り仕切る集会所だった。その場所がたまたま米軍の輸送ルートに近くにあったために爆撃されたのだ。氏族社会で長とされる人間が、同時に何十人と死に、米軍はその町にいられなくなった。

 私の父はそうして狂っていった。そして祖国は、その事実に5年間の間、不感症であり続けた。


 …… テロリストネットワークに対して何もしなければ、はるかに多くの民間人の犠牲者を招くことになります。私たちの標的であるテロリストは、一般市民を標的にしている。我々の攻撃は、イスラム教徒によるテロ行為に対して均衡がとれているのです。我々は、無人機攻撃が最終的に民間人犠牲者を減らすということを、覚えておかなくてはなりません……


 いま、大統領はメディアによってリークされたこの無人機による爆撃による民間人の犠牲について追及を受けている。大統領が大統領命令一二三三三に禁止された暗殺を命じたわけではないと。これは対テロ戦争という軍事作戦の一部であり、純然たる戦争行為に過ぎないと。

 大統領の訴えは、おそらく数々の議論を呼ぶけれど、最後には認められるだろう。

 アメリカは現在もアルカイダ――より正確にはイスラム原理主義テロリストと――戦争状態にある。そしてこれが通常の正規軍を相手としない非対称戦である以上、軍事作戦の領域は際限なく拡大される。


 ……あなたたちはわかっていない。武器で打ち返してくる敵を爆撃するのとは違う。何千キロも離れた場所にすわり、カメラ越しに標的をみつける。彼らの大半は武器を携行していないどろか軍服も階級章もつけていない。ただ家族や友人にあいにいくだけにみえる人間を、一切の危険がない場所からボタン一つで殺す。殺さなければ殺されるというような、命のやりとりは存在しない。そんな任務で英雄的な気分になんてなれません。

 毎日目が醒めると、そこはサイゴンですらない。戦場からはるか遠く離れたアメリカ本土で、周囲は今日爆撃に巻き込まれた子供と同じぐらいの子がはしゃいで遊びまわっている。でもここに爆弾は落ちてこない。家に帰ると妻は気に入らない上司の愚痴を話したがり、子供は宿題を手伝ってほしいとせがむ。けれどこちらは、自分がやったことについて何一つ話すことができないんだ。


 合衆国で生きる私たちはとんだ不感症だ。彼らの慟哭も、怨嗟も、何一つ知らずに生きている。あそこで反戦運動をする彼らでさえ、彼らの憎悪を受けることから逃げている。

 父は逃げなかった。

 彼らの慟哭から。己の慟哭から。

 彼らの怨嗟から。己の怨嗟から。

 彼らの悲嘆から。己の悲嘆から。

 彼らの憎悪から。己の憎悪から。

 そんなこと。

 神でもなければ、耐えられるはずがなかったのに。

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