Fin.Lyla

 あなたは目を開く。

 あなたの視界を遮るものはなくなった。

 空は一面に群青を散らばせて、風は僅かばかりの砂嵐さえさらっていく。

 奇跡の時間は終わった。あなたを覆う魔法のヴェールは、どこにもない。

 壁はあと数十歩とない距離にまで迫っていて、あなたは壁に大きく描かれた誰かのテロルを目撃する。

 それは『風船と少女』の絵。沢山の風船を手にした少女が、風に乗って空に飛びあがる姿。ほんの10m足らずの壁を軽々と越えて、新たな世界に旅立つ少女。分離壁に描かれた、この世の何よりも美しい夢。

 決して、もう二度と叶わぬ夢。

 あなたは唇をかみしめる。折れそうな心を奮い立たせる。

 無数の瞳があなたをみる。あなたは無数の視線にさらされている。砂嵐の終わりとともに放たれたBイーグルアメリカハクトウワシの瞳が、低空飛行型監視用UAVイエバトの瞳が、四足歩行型武装警備車両キタシロサイの瞳が、監視カメラの映像をモニター越しに確認する警備員の視線が、あなたのテロルを目撃している。

 あなたに残された時間はもう、わずかしかない。

 走る。

 走る。

 あなたは荒地を駆け抜ける。

 死せる大地となった荒野を。

 魂なき瞳が跳梁する荒野を。

 駆ける。駆ける。駆ける。

 無数の瞳が、あなたを視る。

 あなたのテロルを目撃する。

 けれど、その全てが無人機であり、

 全てが屍者であり、

 全てが無意識であり、

 全てが無感情だった。

 あなたは歯がゆさに唇をかむ。ここに怒りを向けるべき相手はいない。ここに想いをぶつけるべき相手はいない。ここには誰もいない。ここには何もいない。

 だからあなたは走らなければならない。走って、走って、走って、あなたが想いをぶつけたい誰かの元までいって、あなたの想いのたけをぶつけなければならない。

 壁まで残り10mというところまできて、ようやく警備システムが異常を認識する。あなたの容貌は統計上テロリストとは判定されない。しかしあなたの行動は危険な兆候と彼らに判定される。あと数十歩、いや、あと数歩前に進めば、『良心的指揮官』は、あなたを排除すべき敵と認定する。

 だからなんだというのか。

 あなたは走る。決して止まらない。あなたの手にあるのは、ここまで大事に抱えてきた包みだけだ。

 あなたはその中身を知っている。ああなたはその中身を壁の向こうに届かせるためにここまできた。壁まであとすこし。壁の向こうにみえる青空まであとすこし。

 あなたは球を空に投げる。目の前で放物線を描いて落下するそれに利き足を合わせて、あなたは空目掛けて、強く、蹴りだし




 それが、あなたが目にした最後の空だ。

 それが、あなたが目にした世界の最後だ。

 あなたの意識はそこで途切れる。

 あなたの世界はそこで壊れる。

 銃声が響く。衝撃があなたの小さな体を裂く。鉄板を貫通し象すら肉片と化す12.7mmの銃弾があなたを貫き、四肢がバラバラに砕け、あなたは人間としての尊厳の一切を失う。


 わたしは知らない。

 あなたが壁に向けて何を投じたのか。

 あなたが物言わぬ彼らに向けて、何を届けようとしたのか。

 それは、あなたの父が来るべき日に用意していた爆弾だったかもしれない。

 それは、あなたが書きためてきた宛名のない手紙の束だったかもしれない。

 その言葉は純然たる憎悪だったのかもしれない。

 その感情は純粋たる親愛だったのかもしれない。

 その感情が、

 その言葉が、

 その思いが、

 その叫びが、

 あなたの届けたい人に届いたのかどうか、もはや誰にもわからない。

 けれど。

 あなたはこの結末を自由に選択することができる。

 あなたはこの物語を自由に解釈することができる。

 全ての答えは、ただ、あなただけが知っている。




 なぜなら、これは。

 これは、あなたの物語だからだ。

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環の外で―Without The Loop― 雪星/イル @Yrrsys

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