第7話 隠蔽は、時には力技で剥がすもの

 「やぁ、浩然(ハオラン)さん、おはよう。何か顔色が悪いんじゃないか、これでも飲みなよ、栄養ドリンクだ」


 ムハメドは、2本の栄養でリンクの栓を目の前で開け、一本を浩然に渡し、自分の分を一気飲みして見せた。それで安心した浩然も一気に飲むとその空き瓶を「捨てておくよ」と言って回収した。

 

 ムハメドは、浩然と歳も近く、事前に友好を深めてあった。勿論、それだけではない。浩然は、ムハメドが一番最初に出会った研究員の犠牲者、陳孫明の後継者だったからだ。陳孫明は、原因不明の突然死として隠蔽されたのは言うまでもなかった。

 中酷科学学院武漢病毒研究所の管理体制はずさんだった。実験で使用した動物は時として一般ゴミに紛れて外部に出る。ある時、陳孫明がゴミだしに行った際、そこに野犬がいた。威嚇され、思わず手にしていたゴミ袋を振り回した。中に入っていたゴミは散乱。何かに滑って転び、実験動物ゴミに触れる。その手で口についたゴミを取った。この出来事後、研究所内は殺菌処理され、清掃員には注意喚起のビデオとして見せられていた。そのビデオは、今は廃棄されていた。

 陳孫明は麻雀店に出入りし、趙軍事に感染させた。趙軍事は医師、看護師に感染させた。麻雀店に出入りしていた客は、華南海鮮市場にウイルスを感染させた。ウイルスは疾病持ち、高齢者を媒介し、その家族、生活区域に感染を広げた。華南海鮮市場には、野味に興味を持った欧米人や香港人などが観光に訪れていた。その内の香港人の高齢者が豪華客船内に感染させた。そう、初めて世界が確認したスーパー・スプレッダーの存在だ。ウイルス感染は、武漢を中心に近隣各省に広がった。その事実を公に出来ない中酷は隠蔽に躍起になっていた。しかし、人民の不安は中央政府の不安へと変化し、「微信(ウィーチャット)」やダイレクトボイスの流出で明るみに出る。隠蔽に限界を感じた中央政府は感染者数を発表するが、感染力からは推察できる被害数値を大きく下回っていた。中央政府は新型コロナウイルスの死者数を病院で亡くなった者に限定。その中には、疑わしいもの、自宅で亡くなった者は含まれていなかった。

 アルティアもムハメドも知っていた。患者の受け入れ態勢が軟弱な現状で、疑わしき者は出来るだけ対処するが、感染者には自宅治療を促すしかなかった。医師や看護師は中央政府への対応の遅れと不満を申し出る。その多くが偽の情報を流し、人民を困惑させた罪で拘束、勧告、投稿は削除し、隠蔽に勤しんだことを。手を結ぶはずのない諜報員が手を結ぶには、パンディミックの恐怖が現実味を帯びていたからだ。


 警備室は、研究室の異変に気づいた。研究員の浩然(ハオラン)が倒れたからだ。直様、医師を派遣した。医師は、助手と共に向かった。一人づつ除菌室を抜け、防護服を装着。医師と助手には除菌室の関係でタイムラグが生まれていた。「先に行く」と助手を残し、医師は研究室に向かった。直様、助手も除菌室に入り、防護服に着替えよとしたその時、背後から何者かに掴まれ、くるっと体を回転させられるとみぞおちに強い衝撃を受け、悶絶し、気を失った。

 ムハメドは俯き加減で医師に近づいた。医師は助手が来る前に生存を確認しており、直様、助手に運び出すように命じた。医師は「まだ、息がある、隔離室に移すから準備を頼む」と警備室に連絡を入れた。警備員は浩然の息があることに安堵していた。直ぐに隔離室の要員に連絡をいれ、監視カメラに目を移した。そこには助手が、浩然との接触を限りなく避けるため引きずる姿が映し出されていた。その時、警備員の林の携帯が鳴った。出るとムハメドからだった。それは、ムハメドの声を再現できる音声装置を使ったアルティアだった。


 「どうした、ムハメド?」

 「済まない、大事な鍵をそこに置き忘れた、探してくれないか」

 「今、それどころじゃない」

 「わかっている、忘れた鍵は隔離室のものだ。清掃した時に警告音がなって動転して、ああ、どうしよう、返そうと思ってさっき警備室に立ち寄った時に置いたのを忘れて。ばれたら首だよ、頼む探してくれ」

 「仕方ない、どこだモニターの後ろの棚のだ」

 「待ってろ、直ぐに探す、今必要だからな…ないぞ、どこだ」

 「ほら、そこの確か青いファイルの当たりだ」

 「ないぞ」

 「あるはずだ、早く頼むよ、医師が着くと怒られるよ、早く、早く」

 「分かった、落ち着け、どこだ、どこだ、本当にファイルの近くか」

 「えーとえーとえーと、あっ、そうだ、そうだ、こんな所に置いちゃダメだと思って、そうだ、そうだドアの近くの冷蔵庫の上だ、そうだ、間違いない」

 「冷蔵庫だな、よし、待ってろ。あったぞ。私が届けてやる安心しろ」

 「有難う」


 警備室は無人になった。その様子をムハメドが情報収集にと仕掛けておいた隠しカメラで確認したアルティアは助手に扮した携帯無線でムハメドに伝えた。それを受けムハメドはテーブルの上にあった実験用のウイルスの入った試験管とパレットを衝撃に強く、密閉度の高い特殊な素材でできた袋に入れ、盗み取ることに成功した。ムハメドには用意できない品だった。

 ムハメドは浩然と一緒に除菌室に入り、出ると医師がい「遅い」と怒り狂っていた。防護服を着たムハメドに変わり、鍵を届けに来た林が浩然を隔離室に車椅子に乗せ、運び込んだ。その隙にムハメドはトイレに入り、私服に着替え研究所を抜け出した。

 そう、この日はムハメドは休日。ムハメドがいないことは他の清掃員には当たり前のことだった。これが勤務日なら厄介な事が増えただろうと、ムハメドは安堵感に包まれていた。

 アルティアはルームミラーでムハメドを確認するとエンジンを掛けた。ムハメドを載せた車は、アルティアの仲間の元へと向かった。


 「よくやったわね、ご褒美をあげなきゃね」

 「それは、それ。解毒剤を忘れるな」

 「大丈夫、さぁ、急ぎましょ」


 二人を乗せた車は、ある倉庫に入り込んだ。シャッターが閉じられた。そこには大型のトレーナーと数人の防護服を着た男が待っていた。アルティアはムハメドから受け取った袋をその男達に渡した。すると、「少し我慢してくれ」と告げられると車窓から消毒スプレーが放射された。

 倉庫にはふたつソファーが離され置かれていた。二人はそれぞれそのソファーに横になり、6時間を過ごした。


 「起きろ」


 その声にムハメドは目覚めた。


 「任務は完了だ、さぁ、約束の解毒剤だ、受け取れ」


 ムハメドは手渡されたカプセルを一気に口に放り込み、同じく渡されたペットボトルの水を飲み干した。


 「それと、このケースは君の分のウイルスだ。安全に隔離されている。協力に感謝する。ただ、君は保菌者かも知れない。君も知っているように潜伏期間がある。それを知っていて解放するわけにはいかない。そこでだ、まず、日本にある米軍基地に用意した隔離施設で24日間、様子を見ることになる了承してくれ。長目だが君たちは、武漢の中心地で濃厚接触をしているからな。君の安全を考慮してのことだ、我慢してくれ。間違いなく陰性であると分かれば、君の希望する所へ送り届けるよ」

 「感染しているのか」

 「いや、簡易検査では君もアルティアも陰性だ」

 「分かった。アルティアも隔離されているのか」

 「ああ、別の棟にある隔離室でな。お楽しみはお預けだな」

 「…」

 「君の手に入れたウイルスを本国に送るかい?それなら手配するが」

 「ああ、頼む」

 「では、早速、手続きに入る。外交官特権を利用して安全に送らせるよ。

じゃ、あとでPCを届けさせる。そこに宛名を打ち込んでくれ。君の母国の言語に対応している。それとメッセージがあれば打ち込んでくれ。プリントアウトして、一緒に送るから。USBは信用できないだろう、ウイルスが仕組まれているかも知れないからな。だから、手紙にしてもらう。結局はデジタルよりアナログが信用できるのさ、このような事態ではね。ああ、それと私たちに読まれる可能性はあることを配慮してくれ。申し訳ないがその点、含んで貰いたい。信用大事だ。ここでお互いを疑うようでは、新たな危機を招く恐れもあるからな。それは、避けたい。ああ、それと宗教上、または、嫌いな食べ物があれば、一緒に打ち込んでおいてくれるかな。食事しか楽しみはなくなるからね、大事な要件のひとつだ」

 「わかった」


 暫くして、ムハメドのもとにラップで覆われた1台のノートパソコンが届けられた。そこには1時間程で回収に来るとのメモ書きが添えてあった。


 「書けたかい」

 「ああ」

 「無事、潜伏期間を過ごしてくれることを願うよ。そこからは自由だ。パスポートもこちらで用意しよう」

 「助かるぜ」

 「不自由は掛けるが出来ることはする。何でも言ってくれ。連絡はあの固定電話を使ってくれ。あと、出歩く事は出来ない、テレビは日本の番組だけだ。ネットは秘密漏洩が付き纏うので使用できない。日本のニュースは、中酷のスパイに操作されていることもあるから注意しろ。隠蔽したいことと世間の知りたいこと、視聴率の狭間で真実は浮き上がってくる。それを見極めることだ」


 その頃、アメリカでもインフルエンザが猛威を奮っていることをニュースで知った。今回の新型コロナウイルスとの関係はムハメドには分からなかった。ただ、日本の米軍基地に着いて思ったことは、アメリカは今回のウイルスに関して準備を終えていたことが基地の様子から感じ取れた。隔離病棟、備蓄された食料、消毒の徹底、防護服の確保など、急場凌ぎとは思えないほど整っていた。これが大国か。そう思い知らされた。

 日本のニュースを見る限り、米軍基地の対応は完璧に思えた。日本の対応の鈍さに中酷のスパイが大きな影響を与えているに違いないと思わざるを得なかった。今更ながら日本はスパイ天国と揶揄される平和ボケに、同じ大国でも仕掛ける者と仕掛けられる者との違いをまざまざと見た思いがした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る