第4話 隠蔽は、勇気によって炙り出される

 人波を掻き分けて院内奥に入ると、同僚の医師が李医師を見つけた。


 「李先生、大丈夫でしたか?私たちも誓約書にサインさせられましたよ」

 「それは済まなかった」

 「何を謝っているんですか、真実を言っただけじゃないですか」

 「おい、発言に注意しろ。私には監視がついているんだから」

 「そうですか、気をつけましょう」


 そこに看護師が、血相を変えて割り込んできた。


 「李先生、何をしてるんですか、早く手伝ってください。ああ、防護服を着てください、出来るだけ早く、さぁ、さぁ早く」

 「いや、私は眼科医ですよ」

 「何を言っているんですか、あなたは患者ですか医師ですか」

 「医師だが。それなら資格はある。さぁ、手伝って」

 「ああっ」


 李医師は戸惑いながら、手洗い・消毒を施してから、防護服を着た。「大変なことになっている。私が拘留されている間にもう、こんなにも患者が増えている。やはり、ただの肺炎じゃない、強力な感染症だ。なら、病院に入ってからここまで、患者にぶつかりながら、また、罵声の合間を縫ってきた。その際、皮膜感染しているかも知れない。こんなことなら、家族の元に戻っておくべきだった。この様子だと今度は病院に拘束され、当分、家には帰れないな」そう考えると、後悔が胸を突き上げ、自分の不遇に大きなため息が漏れた。


 李氏は新型コロナウイルスに関していち早く警鐘を鳴らしたが武漢警察によって圧力をかけられ、沈黙を余儀なくされた。


 2019年12月末、中酷のメッセージアプリ「微信(ウィーチャット)」上で、李氏は同僚に「武漢の人々がSARSに似たウイルスに感染しており、自分の病院でも患者が隔離されている」と投稿し、懸念を顕にしていた。投稿から数時間後、地元当局から「情報を入手した経路」と「情報を共有した理由」について尋ねられた。さらに数日後、李氏と同僚の医師らは「偽の情報をネットに流さない」という旨の誓約書にサインを強要された。


 春節が間近に迫っていた。人民は春節を前に安心を手に入れたかった。患者は一機に増加した。年が明けた。それでも患者数は収まるどころか、増加の一途を辿っていた。医師も看護師も謂れのない罵倒と受けながらも、懸命に患者と向き合った。病院への問い合わせの電話も鳴り止むことがなかった。それは奇しくも春節を祝う爆竹さながらだった。

 心許ない問い合わせもあった。


 「何してんだ、もうすぐ春節だ。家族に会うんだ、何とかしろ」

 「こっちだって家に帰りたいわよ、でも、帰れないのよ」


 不眠不休の対応に出た看護師は、忙しさと切迫で常軌を保つのも難しい状態だった。自分さへ良ければそれでいい。他人は自分のためにある。そのような考えでは混乱の終息など望める訳がなかった。

 医師、看護師の人数が圧倒的に足りない。薬もない、適切な対応もない。四面楚歌に置かれた医師と看護婦は、現状を世間に知らせ、政府を動かそうと微信(ウィーチャット)やダイレクトボイスで病院の現状を訴えた。あくまでも家族や友人への注意喚起として。

 それは直様、武漢の住人やその情報を知った者からの当局批判となって返ってきた。流石に隠蔽していた武漢市の周先旺市長も何らの行動を起こさなければ中央からの叱責は必至。周先旺市長は、同じ中央の役人である中酷科学学院武漢病毒研究所所長に相談を持ちかけた。生憎所長は留守でだったがNo.2の劉(リィゥ)が対応に当たった。劉(リィゥ)もまた中央の役人だった。


 「武漢で肺炎が流行っている。その原因を探れと世間がうるさくなってきてねぇ、何とかしたいが名案はないか」

 「それだったらSARSの時のように野生動物が原因だと答えれば、ガス抜きになるのでは?」

 「野味か…。確かSARSの時は…」

 「ハクビシンと何だったか…。まぁ、何でもいいさ。それが正しいなんてどうでもいい。原因はこれだ、と示せば、民は納得するから」

 「そうだな、で、今回の野味は何にするかな」

 「竹鼠でいいんじゃないか」

 「あれ、旨いのにもう食えなくなるな」

 「私は研究所でモルモットをよく見るよ。でも、食べたいとは思わない」

 「食ってみればわかるさ、一度、試してみたらいい」

 「遠慮するよ」


 SARSの時、ハクビシンを始め疑われた野生動物は後日、無関係だと発表された。失態を顧みずまた、同じ手を使い、躓くことになる。


 感染者らしき者が突然倒れて救急搬送される事態が複数発生。亡くなる者も出始めた。隠蔽された情報が段々明るみに出始めた。憶測、デマ、悪意の投稿も日増しに広がり混沌とし始めていた。

 中央本部の発表は常に極端に低い値を記していた。現場から中央への救援要請が高まる、がしかし、反応がない。病院スタッフたちの疲労困憊は限度を超え、個別の訴えが増加する。14人の医師がひとり一日に100人を診察している。それが毎日だ。そして事態が浮き彫りになってから一ヶ月が経とうとしていた。どちらの意見が正しいか、信じられるか。

 病院の至る所がラッシュアワーのように込み合っている。院内感染が懸念される。いや、最早、現実味を帯びている。武漢市は閉鎖。その周辺省も分断されていく。陸路も絶たれていく。人が集中する交通機関や飲食店、職場も人の動きはない。ゴーストタウン、そんな言葉が現実化している。

 それでも、中央の出す新型コロナウイルスの実態を表す数字は、被害意識に反して低い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る