第6話 隠蔽は、ハニートラップがお好き

 部屋に着くといきなりアルティアはムハメドを抱擁し、「シャワーを浴びてきて、私、汗臭いのは苦手なの。これからかく汗は好きだけどね。私、待たされるのは嫌いだから早く出てくるのよ」とムハメドの耳元に囁いた。シャワールームに向かうムハメドの背中に向けてアルティアは「ガウンは私のだから。あなたはバスタオルでも巻いて。でも、すぐに剥がしちゃうけどね」とおどけて見せた。

 ムハメドは職業柄、うまい話には裏があると常々思っていた。警戒心が薄れる中、最低限の注意だけは払っていた。シャワーを浴びて出ると入れ替わるようにアルティアが入った。ムハメドは、テーブルや部屋の様子を視線で探った。行動に移さなかったのは、アルティアが直ぐに出てくると悟ったからだ。

 それは的中する。一本煙草を吸う間もなく、ガウンを着たアルティアはシャワールームから出てきて、冷蔵庫から赤ワインを取り出した。振り向くとアルティアの左手にはワイングラスがふたつあった。グラスにワインを注ぎながら、ムハメドに近づき、横に並んで座った。


 「じゃ、乾杯しましょ。素敵な夜に」


 そう言うとアルティアは一気にワインを飲み干し、口元をガウンの袖で拭り、空になったグラスをテーブルの上に置いた。ムハメドはアルティアが何か細工をしないか見張っていたが、余りの手際の良さと大胆さに気を取られていた。


 「何?飲まないの?疑っている?そんな悪い女に見える私。じゃ、いいわ、私の飲んだグラスに入れてあげるわ」

 「いいよ」

 「いいから」

 

 アルティアは、空になったグラスにワインを注ぎ入れた。


 「疑ったバツよ、一気に飲み干して。じゃ、改めて、かんぱ~い」


 アルティアのペースに飲まれムハメドもワインを一気に飲み干した。アルティアは中酷の食文化で驚いた話をし始めた。勢いよく話し続けるアルティアにムハメドは、「何しに来たんだ、ここに」と思いつつも、彼女の機嫌を損ねないように注意を払っていた。しばらくして、アルティアの声が遠のいていった。目覚めた時、アルティアは椅子の背もたれをこちらに向け、椅子にまたがった状態でこちらを覗き込んでいた。


 「やっと、お目覚め。この薬、思った以上に効くのね」


と、アルティアはムハメドに割られたカプセルを摘んで振って見せた。


 「薬、だと、いつ、入れた」

 「わからなかった。飲み干した時よ。口の中に仕込んだカプセルを歯で割って薬をグラスに注ぎ込んだのよ。口に残った薬は、直ぐにガウンで拭ったわ」

 「何が目的だ」

 「あなたモサドの諜報員でしょ、隠さなくてもいいわよ。ここ数週間、あなたを調べていたんだから」

 「お前は」

 「私、CIAよ」

 「そのCIAが俺に何の用だ」

 「目的は同じはずよ。それに困っている内容もね。そうそう、先に言っておくわね。この薬、48時間以内に解毒剤を飲まないと、あなたのご自慢の水鉄砲も心臓も使えなくなるわよ。寝てる間にご挨拶したけど、水鉄砲までも眠っちゃうなんてがっかりだったわ」


 ムハメドはその時初めて、腰に巻いたはずのタオルがないのに気づいた。同時に両手は椅子の後ろ手に縛られ、両足は、椅子の両足に縛られ、手と足の括り目を繋がれて折、身動きできないことにも気づいた。


 「時間がないの、わかるでしょ。私たち、協力して任務を遂行しない」

 「こんな真似をしておいてか」

 「言ったわね、私、待つのが嫌いなの。押し問答している時間はないの。まもなく、空路も海路も街も封鎖されてしまうわ。それまでにウイルスを手に入れないと厄介なことになるわ」

 「わかっている。それで俺に何をさせようと言うんだ」

 「スーパー・スプレッダーを探せ何て無理よ、そうでしょ。だったら、研究所にあるウイルスを頂くしかないじゃない。でも、侵入するのは無理。でも、あなたは潜入してるわ。あなたなら出来るでしょ」

 「出来るなら、もう、やってるさ」

 「そうよね、でも、出来ない。だからお互い力を合わせようってこと。私はあなたが盗み出せるように薬と逃走を手助けする。あなたは、作戦通りに実行する、ただそれだけよ」

 「話してみろ、その作戦とやらを」

 「いいわ。あなたは所内に詳しいでしょ」

 「ある程度わな。しかし、研究室には入ったことがない」

 「ええ、知ってるわ。ほら、ここに見取り図があるの」


 アルティアは、フランスから入手した研究所の設計図を広げて見せた。


 「地下のこの部分にウイルスはあるはずよ。以前研究者が謎の死を遂げた場所よ。その死は私たちが求めているウイルスが原因。あなたはその部屋に出入りできるターゲットを絞り込み、薬を与えるの。ターゲットが研究室に入ってから薬は効き始め、倒れる。救護班が向かう。医師と助手のふたりでね。その助手と入れ替わるの、除菌室を通るタイムラグを使ってね。防護服を着ているから分からないわ、顔を合わせなければ。冷静ではいられない緊迫な状態だし。救護に向かって研究室に入れる状態で医師を眠らせて、ウイルスを奪うの」

 「監視カメラがあるだろ」

 「警備室の者はただ見守っているだけよ。救護のタイミングで私が事前に吹き込んだあなたの声で警備担当者に連絡を入れる。気をそらしている間に除菌室に入れば、担当者は気がつかないわ。あとは、いつもの清掃員の服に着替えて堂々と正面から出ればいい。後は私が車で拾うわ」

 「そんなことなら俺、ひとりでもできるよ」

 「じゃ、なぜ、やらなかった」

 「手に入れたウイルスを持ち運び、母国に安全に輸送なんて出来ないでしょう。でも、私たちは出来る。ウイルスの解析もね。勿論、ウイルスはあなたにもプレゼントするわよ、安全な形でね。それが嫌なら、二つ盗み出すのね。その後、あなたの望む場所まで送り届けるわ」

 「俺が裏切るとは思わないのか」

 「思ってるわよ、だから、薬をプレゼントしたのよ。解毒剤は、ウイルスの真偽がなされたら担当の者が渡してくれる手はずよ。あっ、そのウイルスの真偽に6時間ほど掛かるって言ってたわね」

 「有難う、6時間も短くしてくれて」

 「決行は明日よって言っても、現実には今日か」

 「分かった。遅かれ早かれ、パンディミックが起こる。俺も感染しているかも知れない。選択肢はないってことか」

 「私も同じよ。あなたと過ごして濃厚接触もしている、粘膜接触はしていないけどね」

 「同じ貉ってやつか」

 「よく知っているわね、私たち同期の桜よ。咲くのも同じ、散るのもね」

 「分かった、やるか」

 「そう、成功したら、性交してあげるわ、ご褒美にね」

 「お前は、馬鹿か」


 同意を得たアルティアは、ムハメドの緊縛を解いた。ムハメドは服を着て冷蔵庫から缶ビールを取り出し、一気に飲み、アルミ缶を握りつぶし、テーブルに置いた。


 「ターゲットは決まっている。飲ませる薬を渡せ」

 「これよ。強力な睡眠薬よ。あなた自身が経験したから分かるわね。摂取してから一時間程で効き始めるわ」

 「じゃ、私は防犯カメラの死角のこの場所で待っているわ」


 そう言って、地図を指さした。アルティアは車でムハメドを宿舎に送り届けた。後は、実行を待つのみとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る