8月 夏休み
『フレンドシップ! 六年三組クラスだより 八月号』
六年三組のみなさん、いよいよ夏休みですね。小学校最後の夏休みは、人生にとってとても大事な時期。毎日の計画をしっかり立て、無駄のない日々を送りましょう。
また、この時期は開放的な気分になり、危険を感じづらくなります。ですから、事件や事故がたくさん起きます。目の前に恐ろしいことが待ち受けていても、気づかなくなるのです。
昔、こんなことがありました。
先生が小学六年生の時です。それはとても暑く、異常なほどセミが鳴く年でした。
夏休みに入っても先生は学校に通っていました。同級生のアイちゃんに代わり、花壇に水をあげる係になったからです。
アイちゃんはクラスの中心的人物でしたが、面倒なことがあると、人に押しつけるクセがありました。夏休みに学校に来るなんて、誰でも嫌でしょう。アイちゃんも花壇の水やりをしたくないから、先生に押しつけたのです。
それでも先生は文句を言わず、毎朝、起きるとすぐに学校に行きました。花壇はすごく日当たりのいい場所にあったので、学校に着くと土はいつもカラカラで、地鳴りのように響くセミの鳴き声を聞きながら、あわてて水をまいたものでした。
花壇には色とりどりの花があり、特にアサガオとヒマワリがたくさん咲いていました。先生は毎日水をあげて、花の生長を楽しんでいましたが、しだいに、あることが気になり始めました。
花壇と、その横のウサギ小屋の間に、幅一メートルほど、何も植えられていないすき間があるのです。そこは確かに花壇の一部で、土があり、石ものぞかれていて、何かを植えるにはちょうど良い状態なのです。ただ他の場所と違うのは、ウサギ小屋が横にあるせいで、ずっと日陰なのです。
何も植えないのはもったいないな、と先生は思いました。せっかく毎日通い続けているのだから、何かを植えてみよう、と。もちろん、学校の先生に内緒で何かを植えるのは良くないことですよ。みなさんはマネしないでくださいね。
先生が、良くないことだと知りつつ植えようと思ったのは、植物の生長記録をつければ、夏休みの自由研究になると思ったからです。ですが、今から思えば、そんなことはしない方が良かったのでしょう。
先生は珍しい種を一つ持っていました。それは先生のお父さんが外国旅行のお土産として買ってきた種で、大きさは小指の爪くらい、色は黒く、表面は昆虫のようにツルツルしていました。
先生は、花壇のすき間に小さな穴を掘り、種を入れて土をかぶせました。水をあげると、土は美味しそうに水を吸い込んでいくのでした。
「一日目。種を植えて水をあげた」
先生は、自由研究の植物日誌に最初の一行を書きました。
次の日、早くも土の中から芽が出ていました。緑色をした豆粒大の芽は、小さくか弱い存在でした。先生は、芽の上についた土をそっと払い落としました。
「二日目。もう芽が出た」
植物日誌に書きました。
三日目、四日目と、夏の気温は上昇していきました。セミの声も大きくなり、植物もどんどん伸びていきます。先生は支柱を立てました。風で、植物が折れたり倒れたりしないためにです。高さは一メートルくらいでしたが、五日目には、植物は支柱を超えていました。
植物の生長はすさまじいものがありました。全身、輝くような緑色。木のように太い茎から、左右に何本も枝が伸び、そこからさらにまた枝が伸びているのです。枝の先には細いツルが張り巡り、まるで蜘蛛の巣のように広がっていました。
「五日目。植物の生長は驚くほど早い。あわてて長い支柱を立てた」
植物日誌にはそう書いてあります。
「六日目。植物に元気がない」
どうやら、変化は六日目に起こったようです。学校に行くと、一メートル五十セン
チほどになった植物は、上の方からしなだれていました。茎は丈夫に伸びているのですが、枝やその先のツルが変色して薄茶色になっていました。
栄養だな。先生はすぐに思い当たりました。一度、植物の周りに肥料をまいてみたのですが、まったく土に馴染まず、残り続けていたからです。急いで肥料の代わりになるものをあげないと。先生はあせりました。隣のウサギ小屋にあったエサを土に混ぜましたが、二日後に掘り返すと、変わらない形のまま出てきました。
「八日目。植物が枯れ始めた。明日、枝を切ろう」
先生は、なすすべがありませんでした。何をしても植物は枯れていく一方です。仕方がないので、枯れた部分をハサミで切り落とそうと思いました。醜い枝やツルが無数に伸びている姿は耐えられません。
先生が、枝を掴んでハサミを入れた時でした。枝を掴んでいた先生の手に痛みが走りました。あわてて左手を見ると、手のひらが切れて血が出ています。顔を近づけてよく見ると、枝には、非常に小さなトゲがたくさん生えていたのです。さっきまでこんなのはなかったのに。先生はそう思いました。
いま考えてみると、ハサミを当てられた植物が、自分を守るためにトゲを出したのでしょう。他の枝にもびっしりと細かいトゲが現れていました。
セミの鳴き声が大きくなりました。時間は正午頃だったでしょうか。先生は、さっき手を切った枝を見ました。驚くことに、息を吹き返しているのです。枯れて茶色になっていたのに、今は緑色に戻っているのです。
先生は一つの結論にたどり着きました。植物のトゲをまた掴むと、チクッととした感触があって手が切れました。赤い血が茶色い枝に染み込んでいくと、汚い茶色が豊かな緑色に変わっていくではありませんか。先生は嬉しくなりました。セミの鳴き声がさらに大きくなりました。
「九日目。植物に元気が戻る。新しい栄養をみつけた」
次の日、枝を掴んでみましたが、もうトゲは出ていません。だけどハサミを当てるとすぐにトゲが現れました。初めのうちはハサミを当てる作業が必要でしたが、そのうち植物もわかってきたのでしょう、先生が枝を掴むだけでトゲが出るようになりました。新しい栄養のおかげで、植物は日に日に大きくなっていき、先生は嬉しくなりました。
ですが、そんな日々も長くは続きませんでした。一週間後、先生は倒れたのです。植物に熱心で、自分のことを考えていなかったのでしょう。暑い夏の日にずっと立っていたせいで、先生は熱中症で倒れてしまいました。この前、田辺君が体育の時間に倒れたのと同じ症状です。
三日間、先生は家で休みました。アイちゃんに花壇の水やりを代わってもらおうと、フラフラしながら電話をかけたのを覚えています。電話口で「アイちゃん、水やり代わって」と先生は言いました。アイちゃんは「やだ」とだけ言って電話を切りました。
「十七~十九日目。家で休む」
日誌には、先生の怒りは記されていません。
四日後、体調を回復させて学校へ行きました。久しぶりに見る植物はどうなっているんだろう。もしかしたら栄養が足りなくて枯れているかもしれない。そんな不安がありました。
学校へ行くと妙に静かでした。そうです、セミが鳴いていないのです。あの絶叫がまったく聞こえないのです。無音の暑さの中、先生が花壇の前に行くと、アサガオが全滅していました。アサガオだけじゃありません、ヒマワリも全部、ズタズタになって倒れています。ただ、先生が植えたあの植物だけが、異様な生命力をみなぎらせて立っているのです。先生は、植物の枝に残ったセミの羽を見つけ、そっと払い落としました。
「二十日目。植物は元気」
植物はもう、先生の血を必要としていません。自分で栄養を取る方法を見つけたのです。次の日、学校へ行くと、花壇の横にあるウサギ小屋が荒らされていました。もちろん八匹いたウサギは、一匹も残っていません。
「なんだこりゃ?」
背後から声が聞こえました。振り返ると田口先生が立っていました。ウサギのエサが入ったバケツを持ち、黒い長靴を履いています。どうやら夏休みの間、田口先生が世話をしていたようでした。
「いったい、どうしたんだ?」
田口先生が何について聞いているのか、わかりませんでした。荒れ地となった花壇についてなのか、立派にそびえ立つ植物についてなのか、それとも一匹も残っていないウサギ小屋についてなのか。
「お前がやったのか?」
聞かれても、先生は答えられません。
「六年三組の千田だな。問題だぞ」
田口先生は校舎へ戻っていきました。
困ったことになった。先生はそう思いました。気がつくと、夏休みの間ずいぶんいろんなことが起こってしまいました。そのいちいちが先生の責任となると、大変な罰を受けることになるのではないか。先生は恐ろしさと悲しさで走って家に帰りました。じっとこらえて、一日中部屋にこもりました。
その日、夜から雨が降りました。初めて植物日誌を書きませんでした。
次の日も学校へ行きました。なんであれ、途中でやめるのは良くないからです。朝まで続いた雨のおかげで、ヒンヤリとした空気でした。道にはまだ水たまりが残っていて、その上を走るとピシャピシャ水が跳ねました。
花壇の前に行くと、黒い長靴が落ちていました。一つは倒れていましたが、もう一つは立ったままだったのでコツンと蹴ってみました。長靴はだらしなく倒れて、中から赤い水が出てきました。
植物は三メートル以上にもなっています。先生が見上げると、植物のてっぺんは空にあって、向こうに太陽が見えます。ジリジリと照りつける太陽を見て、今日もまた暑くなるなあ、と思いました。
その時、植物の枝がザワザワと揺れました。風かな? と思いましたが違います。枝が動いているのです。枝の先のツルがにゅるにゅる伸びて、土を這ってきます。先生の方へ近寄ってくるのを見て、植物がものすごくお腹を減らしているのがわかりました。
もう植物の周りにエサはありません。唯一、先生が立っているだけです。先生は責任を負う決意をしました。そもそも種を植えて植物をこんな風にしてしまったのは先生です。
ツルが足に絡まってきました。ギュッと強く締めて、先生をグイグイ引き寄せます。先生は花壇の上まで引っ張られて初めて気がつきました。花壇に、盛り上がった所があるのです。土の下に何かが埋められているのです。先生は足をバタつかせ、盛り上がった土を蹴りました。土の下から、干からびたセミや、その他の動物たちの姿が見えました。
先生が植物の前まで連れてこられると、一瞬、目の前でツルが踊りました。ウネウネ動いたかと思うと、顔の前で鋭い音がして、先生の前髪が切り裂かれました。おでこにも痛みを感じます。ツルは手や足ををがんじがらめにして、顔まで上ってきました。ツルの先が、おでこから流れる血を舐めています。先生はこうやって、植物の栄養になってしまうのです。
先生は、この二十二日間を思い出しました。短い夏です。今はもうないアサガオやヒマワリに水をあげました。種を植えて自分の血をあげました。植物が喜んでいるようで先生も嬉しくなりました。楽しかった日々を思い出したせいで、先生の目から温かいものがあふれ出しました。血ではありません。涙が、一滴、二滴と植物のツルに落ちました。
すると、ツルが顔から下りていくのがわかりました。手から放れ、足からもいなくなったのです。植物はそこに立ったまま、動かなくなってしまいました。
「どうしたの?」
聞いても反応はありません。枝は茶色になっています。早く栄養を摂らなければ、どんどん枯れていくでしょう。それなのに……。
「どうして?」
聞いても植物は答えません。先生は悲しくなり、涙をこらえました。植物は先生の命を取るのをやめ、ただ枯れていく道を選んだのです。こんなに健気な生き物がいるでしょうか。なんとかしないと。先生はそう思いました。
「二十二日目。植物が危ない」
日誌に書きました。栄養を与えないといけません。
次の日、同級生のアイちゃんを連れて学校へ行きました。
「面白いものがあるんだ」
と言って、朝早くから誘い出したのです。だけど学校へ着いた時、植物は枯れていました。全身茶色で醜くしおれ、触ると枝は崩れて落ちました。
「これが面白いものなのー?」
その声に腹立たしくなったのを、今でも鮮明に覚えています。何も答えずにいると、アイちゃんは一人で帰っていきました。
先生はいつまでも立ちつくしていました。焼けつく八月の日差しが、植物をどんどん乾燥させ、午後に風が吹くとカサカサになって飛ばされていきました。
夕方、沈みゆく太陽が、跡形もなくなった花壇を赤々と照らしていました。先生は家に帰り、最後の日誌をつけました。
「二十三日目。植物は枯れた」
これが、先生が体験した小学校最後の夏休みです。安全に気をつけて、楽しい夏休みを過ごしてください。再び、みなさんの元気な姿を見られることを願っています。(六年三組担任 千田ケイ)
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