7月 ノゾミゲーム

 ノゾミゲームが始まったのは、長内ノゾミが転校してすぐのことだった。


 ノゾミの父は建築家で、テレビや雑誌でも紹介されていたので、ノゾミはクラスの人気者だった。


 そんなノゾミが転校して、みんな寂しいと思った。

 転校していく日、いつまでも続く梅雨が、まるでみんなの涙のようだった。


 だから、ノゾミがいなくなった六年三組で、まだノゾミがそこにいるように振る舞っても、誰もおかしいとは思わなかった。



 ノゾミゲームを最初に始めたのは、ノゾミと特に仲の良かった三人の女子だった。オシャレなノゾミのマネをして、いつもノゾミと似た格好をしていたので、まとめて

「三人組」と呼ばれていた。

 三人組はその朝、教室に来ると、誰もいないノゾミの席にあいさつをした。


「おはようノゾミ」

「おはようノゾミ」

「おはようノゾミ」


 三人はあいさつをすると、黙ってノゾミの席を見た。


「あ、ノゾミが笑った!」

 一人が言うと、もう一人が、


「ノゾミは今日、いいことあったの?」

 と言い、さらにもう一人が、


「そうなんだ。いいなあー!」

 と、続けた。


 クラスのみんなは、始め、三人組が何をしているのかわからなかった。


 だけど、朝の会が始まって千田先生が出席を取る時、ノゾミの名前を呼ぶように主張したり、一時間目が始まると、ノゾミの席に教科書とノートを広げたり、ノゾミの代わりに黒板の文章をノートに書いてあげているのを見て、だんだんノゾミゲームのことがわかってきた。



 給食の時間になり、三人組はノゾミの席をくっつけて、一緒に給食を食べ始めた。


 もちろんノゾミはそこにいないので、いつまでたっても給食は減らない。

 それを見て、下田オサムがガラガラ声を出した。


「そんなこと意味ねーよ! 給食もったいねーからオレにくれよ!」

 オサムは体と態度が大きく、クラスのみんなにちょっかいを出す暴れん坊だった。


「大きな声出していやねー。ねえ、ノゾミ」

 三人組の一人が、誰もいないノゾミの席に言うと、あとの二人も、


「ノゾミはああいうタイプが一番嫌いよねー」

「ノゾミ、あんなのは無視しましょう」

 と続けた。


 オサムはチェッ、と舌打ちして、自分の給食をガツガツと口に入れた。


 三人組はオサムなんかかまわずに、ノゾミゲームを続けた。学校が終わり、三人で下校して、空き家になったノゾミの家の前まで行き、架空のノゾミを送り届ける徹底ぶりだった。



 ノゾミゲームは、あっという間に広まった。


 次の日、登校すると、六年三組の女子のほとんどが、ノゾミの席に「おはよう」とあいさつした。男子も何人か、面白がってノゾミにあいさつをした。


 担任の千田先生は、三人組があまりにも熱心なのと、みんなも一緒になっているのを見て、ノゾミゲームを止めなかった。


 実際、ノゾミゲームは授業の邪魔にはならなかった。むしろ、ノゾミの転校で落ち込んでいた六年三組を明るくした。あいさつは大きな声になったし、みんな笑顔になり、なぜか授業の理解度も上がった。ただ唯一気がかりなのは、オサムがふてくされて、態度がどんどん悪くなっていることだった。



 オサムは不機嫌だった。ノゾミゲームなんて気持ち悪い。誰もいない所に話しかけて笑っているなんて、絶対におかしい。


 だから、ノゾミゲームが始まってしばらくたったある日、給食の時間、田辺マコトの背中を押した。


 田辺はフラフラよろめいて、ノゾミの席にぶつかった。席にあった給食のカップが転げ落ち、一緒に給食を食べていた三人組は、田辺を猛烈に怒った。


「ノゾミになにするの!」

「見て! ノゾミ泣いてるじゃん!」

「ノゾミに謝りなさいよ!」


 他のクラスメイトからも、「ノゾミがかわいそう」という声が上がった。

 田辺は、誰もいないノゾミの席に向かって謝った。



 それをきっかけに、ノゾミゲームはエスカレートした。

 ノゾミは絶対で、何かあると、三人組が容赦なく怒った。


 ノゾミの席の横をちょっと走っただけで「ノゾミがビックリした」「ノゾミが嫌がってる」と言われ、ほとんどの男子がノゾミに謝罪した。


 男子だけでなく、女子までもノゾミゲームの餌食になった。

 教室の端で女子が笑い合っていると、


「今、ノゾミのこと笑ったでしょ?」

「ノゾミ、デリケートだからそういうのすぐ傷つくんだよ」

「ノゾミに謝って!」


 と、三人組に言われ、ノゾミの気が済んだと三人組が判断するまで、頭を下げさせられた。



 七月の梅雨は記録的な長さで続いた。

 ノゾミゲームも続き、六年三組の教室はどんよりジメジメした空気に支配された。


 クラスのほとんどがノゾミを利用して、存在しないはずのノゾミを、都合のいいように使っていた。


 ただオサムだけは抵抗を続けた。無実の罪でノゾミゲームの餌食になっているクラスメイト見つけると、間に入って謝罪をやめさせた。ノゾミが欲しがってるからという理由で、かわいい髪留めを取られそうになっている女子を救ったりもした。



 その日、授業が終わって、帰りの会が始まった。


 教室はガヤガヤとうるさく、だらけたムードだった。ジトジト降る雨が、みんなの脳みそを腐らせたみたいだった。


 三人組は勝手にノゾミの席に行き、「今日も雨だから、ノゾミの家で遊ぶ?」としゃべっていた。周りの女子も何人か、それを聞いて集まった。


「先生!」

 その時、大きなガラガラ声が教室中に響いた。


 みんな、ポカンとした。

 オサムは立ち上がって続けた。


「学級会をしようぜ! ノゾミゲームをやめさせようぜ!」


 一瞬、間があったあと、三人組から文句とののしりと悪口が飛び出した。それに引きずられるように、三人組の意見に同調する声があがった。


 千田先生は学級会を開くことにして、提案者のオサムを黒板の前に立たせた。


「まずオサム君に、なぜノゾミゲームをやめた方がいいのか、言ってもらいます」


 先生の言葉にもかかわらず、教室中からブーイングが起こった。

 オサムは、おどおどせず、胸を張り、自分の意見を述べ始めた。


「まず、オレが思うには――」

「待って!」


 千田先生がオサムを止めた。見ると、教頭先生が廊下で手招きしていた。千田先生は廊下に出て、いなくなってしまった。


 オサムは、気を取り直して続きを言おうとしたが、教室の異変に気がついた。みんな、鋭い目でオサムをにらんでいる。


「提案! オサムはずーっと、ノゾミを悲しませてきました」

 と、三人組の一人が立ち上がって言った。もう一人も続いた。


「だから、学級会で裁かれるのは、オサムの方だと思います!」

 あちこちで「そうよ」という声が出て、三人組の最後の一人が言った。


「ねえ聞いて。ノゾミが、オサムは死刑にするべきだって言ってる!」

「ホントだー!」


 という声と共に、拍手が起こった。もちろん、反対する者や、過激な意見に困った顔をする者もいた。だけど六年三組のほとんどは、まだノゾミゲームを続けていた。


「ノゾミが言ってるんだから、死刑にするべきよね!」

 三人組が口を揃えて言った。


「そうよ死刑よ!」

 女子の大半も立ち上がって、オサムをにらんだ。


「そうだ! 殺せ!」

 男子の半分以上も立ち上がり、みんなで黒板の前にいるオサムを取り囲んだ。


「ノゾミなんかいねーだろ!」

 オサムは叫んだ。だけど、周りを二十人以上に囲まれ、もう抵抗できない。


「ノゾミが言ってるの。オサムは死刑!」

 三人組が言った。


「オサムは死刑!」

 みんなも続けた。


 オサムが囲みを破って逃げ出そうとした時、ノゾミゲームに最終段階が訪れた。

 みんな、オサムの手足を掴み、髪を引っ張り、千田先生の机から大きなハサミが取り出された。


 死刑執行だ。


 三人組が三人一緒にハサミを持って、オサムへ振り下ろした。

 その時――


「みんなー、戻ってきたよー!」


 カラッと晴れた、青い空のような声だった。

 六年三組の教室に、元気な声が響いた。


 みんないっせいにドアを見た。

 ノゾミが両手を広げ、あふれる笑顔で立っていた。


「ねえ聞いて! ずっと雨が降ったせいで、パパの仕事、中止になったの! だからノゾミ、転校しないでまた戻ってきたのー!」


 天使のような笑顔だった。


「これからは、ずーっと一緒だよ!」

 ノゾミの突き抜ける明るさにつられて、教室中で笑みがこぼれた。


「みんなどうしたの? 席について」

 千田先生がノゾミの後ろから言った。


 ハサミがカシャンと、床に落ちる音がした。


 ノゾミゲームは終わった。六年三組にノゾミが帰ってきた。


 長かった梅雨があけたのは、それからすぐのことだった。

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