6月 一人多い

 その日は、一時間目から社会見学だった。


 六年三組は、学校の裏山で見つかった遺跡を見に行った。裏山の斜面にできた穴から中に入ると、洞窟のような遺跡の中は薄暗く、いやな臭いがした。


 遺跡の案内をしたのは、カウボーイハットをかぶった大柄の男だったが、左腕はなく片足を引きずっていた。暗い遺跡の中に、男の声だけ不気味に響いた。


「ここは、昔の権力者のお墓です。その子どもと思われる骨も見つかりました」


 子どもの骨……。説明を聞いて、ノロは怖くなった。


 不意に、ノロは誰かに足を蹴られた。ゆっくり振り向くと、暗い洞窟の中から同級生の笑い声が聞こえた。ノロは体だけ大きく動きも遅いので、「ノロ」とあだ名されて、馬鹿にされていた。



 遺跡の外に出ると、六月の太陽がギラギラ輝いていた。降り注ぐ日差しが、みんなを一瞬、ボンヤリさせた。だから担任の千田先生も、六年三組が三十人全員いるか数えないまま、学校に戻り始めた。


 ただノロだけが、みんなの数を数えた。

「二十八、二十九、三十……三十一」


 遺跡に入る時は三十人だったのに、出た時には三十一人になっていた。



 困ったことになったのは、教室に戻ってからだった。席が一つ足りない。


 みんなが座っても、一人だけポツンと教室に立っている少年がいた。それは、顔つきのけわしい見たこともない少年で、汚い布のような服を頭からかぶっていた。


 千田先生が「席に座りなさい」と言ったが、少年は立ったままだった。


「オレの席ない」

 と、少年は言った。


 窓から強い日差しが差し込んで、教室の温度はグングン上がった。暑さでのぼせたような気持ちになりながら、千田先生は教室を見回した。確かに席がない。


「じゃあ、空き教室からイスと机を持ってきましょう。田辺君、手伝って」


「オレここの席がいい!」

 少年はノロの席の横に来た。日差しが良くあたる窓際の席だ。


「でも、ここは……僕の、席だよ」

 ノロはいつものようにノロノロしゃべった。クスクスとまた笑い声が聞こえた。


「オレここ!」

 そう言って少年名はノロを突き飛ばした。すごい力だった。ノロは床に倒れ、少年は席に座った。


 仕方なく、ノロが窓際に立ったままでいると、授業が始まってしまった。ノロはこういう時、上手くしゃべれない。口の中で言葉がモゴモゴしたまま、外に出ないのだ。


 三時間目は国語だった。


「さっき見てきた遺跡について、作文を書きましょう。遺跡の中で何を見ましたか? そしてそれを、どう思いましたか?」


 千田先生が作文用紙を配ると、みんな、鉛筆を出して作文を書き始めた。

 ノロは作文用紙をもらえずに、やっぱり窓際に立ったまま。


 見ると、ノロの席に座った少年が、ノロのカバンを開けて筆箱を出していた。


「あっ……先生」

「どうしたの?」

 先生がノロを見た。


「先生、筆箱……」

 なんとか二つの言葉だけ、しぼり出した。


「筆箱がなに?」

 先生が不審そうにノロを見た。


「これオレの物!」

 そう言って少年は、ノロの席でノロの筆箱を開けて、鉛筆で作文を書き始めた。

 窓からの強い日差しをあびて、千田先生はまぶしそうな顔をしながら言った。


「そうね。君の物ね」

 ノロは何も言えず、下を向いた。足下に伸びる黒い影が、見たこともないほど濃くなっていた。


 休み時間、窓際に立っていたノロは、日差しをずっと浴びていた。汗だくになって、着ていたジャージを上だけ脱ぐと、横から手が伸びて、ジャージを取られた。


「これもオレの物!」

 少年はそう言って、ノロのジャージを着てしまった。



 給食の時間、少年は当たり前のようにノロの席に座り、給食を食べ始めた。ものすごい食欲で手当たりしだい口に入れていく。


 ノロのお腹がグーと鳴った。フラフラと少年の横に行き、なんとか言葉が出た。


「それ、僕の、給食だよ……」

「オレのだ! オレの食べ物!」

 そう言うと少年は給食を食べ終え、隣の女子のパンを取った。


「あっ」

 と言う女子の声が聞こえたが、その頃にはパンはもう食べられていた。


 隣の席からシクシク泣く声が聞こえた。周りのみんなもそれを見て、自分の分を取られないよう、急いで給食を食べた。



 少年は手がつけられなかった。


 五時間目が始まると、ノロの教科書やノートを勝手に使い、イタズラ書きをしたり破ったり丸めたり投げたりした。もう授業どころではなくなっていた。六月の太陽は異常なほど熱く、教室の気温は砂漠のように上がった。みんな暑さでボーっとして、ボンヤリするだけだった。



 いつの間にか、帰りの会が始まっていた。

 千田先生が話していると、少年が立ち上がった。


「オレの家はどこだ」

 先生はボーっと少年を見つめた。


「どこだ」

 少年は再び言った。


「裏山の横を抜けて真っ直ぐ行くと、公園があるから、右に曲がって三件目」

 先生が言った。だけどそれはノロの家だ。


「違うよ……それは、僕の、家」

「みなさんさようなら」

 ノロの声は先生の言葉にかき消された。


「さようなら!」

 みんなの声も続いた。


 少年は、教科書もノートも散らかしたまま、あっという間に教室を飛び出した。

 僕の家に行く気だ。ノロはあわてて後を追って走った。


 ノロが学校を出ると、日差しはさっきよりも弱くなった気がした。


 向こうに、駆けていく少年が見える。このまま、あの少年が僕の家に帰ったら、どうなるんだろう? 教室で起こったように、すべてあの少年の物になってしまうんだろうか。家も、部屋も、お父さんも、お母さんも……。


 ゾッとした。全部取られてしまう。



 今までで、こんなに速く走ったことはなかった。いつもはノロと馬鹿にされているが、一生懸命走った。ゼエゼエ息が切れた。お腹が痛くなり、何度も走るのをやめようと思った。それでもノロは走り続けた。


 太陽が沈んでいき、日差しが弱くなると、少年は力を失い始めていた。走ることができず、ノロノロ歩いていた。ノロは裏山の横で少年に追いついて、ジャージを掴んで言った。


「ま、待つんだ」

「オレを離せ!」

 少年はノロを突き飛ばそうと腕を伸ばした。だけど力は弱くなっている。


「僕の、家は、わたさない」

 ノロはジャージを掴んだまま言った。


 少年は手足をバタバタさせて逃げようとしたが、ノロは絶対に離さなかった。

 学校の裏山の向こうに、太陽が沈んだ。あたりは急に暗くなり、気温が一気に下がった。


 少年の力はもう無くなっていた。

 見ると、少年の背後に遺跡の入り口が見えた。入り口の暗闇の中から、たくさんの手が伸びている。


 ノロは力を振り絞って、少年を遺跡の入り口に押していった。


「イヤだ! イヤだ!」

 少年は最後の抵抗をしたが、ノロの力の方が勝った。

 遺跡の入り口まで押していくと、中から伸びるたくさんの手が少年を掴んだ。


「イヤだ! 帰りたくない!」


 ノロが少年を離すと、少年は掴まれた手にズルズルと引き込まれ、遺跡の中へ消えていった。


 あとはただ、夜の闇の中に、ノロが一人、立っているだけだった。



 翌日、ノロのジャージだけが遺跡の中で見つかり、忘れ物として学校に届けられた。


「忘れ物はしないように」


 先生に注意され、ノロは「はい」と答えた。

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