3月 先生は魔女

 六年三組の一年が終わろうとしている。今日は卒業式で、日差しはもう春の暖かさ。


 僕は一年前のことを思い出した。四月になって、朝読の本を忘れ、図書室で不思議な本を借りたんだ。その本を粗末に扱ったから文字に襲われた。あれ以来、僕は本を大事にして、朝読も真面目に取り組んでいる。


 卒業式が終わって教室に戻ると、思わずホッとした。無事に卒業できたという喜びと同時に、変な寂しさもある。この気持ちはなんだろう。きっと六年三組のみんなも同じ気持ちのはずだ。千田先生が黒板の前に立って言った。


「みんな、卒業おめでとう。今日で六年三組ともお別れです」


 寂しさの原因がわかった。僕たちはこのクラスが好きなんだ。いろんなことがあったけど、本当に楽しい一年だった。みんなは口々に言った。「今日でお別れなんて悲しい」「中学生になんかならなくていい」「ずっと六年三組でいたい」


「本当に六年三組のままでいたい?」

 先生が言うと、教室中で「はい!」と言う声が聞こえた。


「ありがとう」

 そう言った後、先生は悲しそうな顔をして続けた。


「でも私って変わってるから……初めはみんな、先生のこと嫌いだったでしょ?」

「そんなことないです!」


 背後から声がした。田辺マコトだ。


「みんな、先生のことが――」

 田辺が続きを言う前に、僕は勇気を出して口にした。


「好きだ!」

 僕の声で一瞬、教室が静まった。


「ヒロシ君ありがとう」

 千田先生がジッと僕を見つめた。顔が熱くなった。


「でも先生のこと、陰では魔女だってウワサしてたでしょ?」

「それは……ちょっと変わってるって話したくらいです。ごめんなさい」


 フフフと先生は笑った。


「先生もみんなと同じ気持ちだから、今日だけ、魔女になってあげようかな」

「魔法をかけるんですか?」


 と僕は言った。


「そう。みんなのお願い、聞いてあげる」

 教室中で歓声が上がった。


「先生、お願いはさっき聞いたから」

 どういうことだろう? 見回すと、クラス全員キョトンとしている。


「じゃあ、目をつぶって」


 そう言って先生はニコリと笑った。みんなが目をつぶると、教室は誰もいないみたいに静かになった。


 風の音がした。廊下をびゅうと走っている。風は教室の中にまで入ってきて、渦を巻いて吹き抜けていった。それが止むと、また次の風が入ってくる。どんどん風は強くなりイスや机がガタガタ揺れ始めた。これは普通じゃないぞ。僕は目を開けようとした。だけどまぶたはピクリともしない。誰かに手で押さえつけられているみたいだ。


 一番大きな風が入ってきた。教室の中はグルグルと渦巻く風に支配されている。どうして誰も何も言わないんだろう。意識がだんだん薄れてきた。深い闇の中に溶けていく。僕は最後の力を振り絞って、体に力を入れた。まぶたが少しだけ開いた。うっすらと視界が開けて、教室が見えた。びゅうびゅう吹き荒れる風で、教室の中はいろんな物が飛び散って舞い上がっている。クラスのみんなは固まって動かない。


 最後に僕は、黒板の前にいる千田先生を見た。先生は両手を広げて風を受け、長い黒髪がうねってヘビのようだ。前髪がかき上げられ、おでこの大きな傷が赤く光っている。そして目が、僕を見つめていた。


 あっと思って目を閉じた。見てしまった。ウワサは本当だったんだ。人間とは思えないあの姿。僕たちの先生は、六年三組の担任の千田ケイ先生は……。意識が薄れて眠くなる。ダメだ、このまま寝てしまったら……。僕は机の中を探した。あった、エンピツだ。目をつぶったままエンピツで机の端に書いた。


「千田先生は魔女」



 気がつくと教室にいた。みんなきちんと座って前を向いている。黒板の前で、千田先生はニッコリ笑って立っていた。何があったのだろう。たしか、卒業式を終えて教室に戻ってきた。それから、先生がみんなに話をして……。そこから先は思い出せない。見回すと、みんなもポカンとしている。


 先生が「さようなら」と言った。みんなも「さようなら」と言って家に帰った。

その夜、強い風が吹いていろんな物が飛ばされていった。僕たちの記憶や時間も、もしかしたら飛ばされてしまったのかもしれない。


 三月が終わり四月になった。学校へ行くと朝からにぎやかで、新学期の喜びにあふれていた。僕もなんだか嬉しくなって、四階まで階段を一気に駆け上がる。最上階は


 六年生の階で、自分がまた一つ成長したような気がした。

廊下にクラス分けの紙が張られている。ドキドキしながら見ると、あった。


「六年三組 田中ヒロシ」


 教室に入ると、なぜか懐かしい感じがした。前にもここにいたような、不思議な気持ちだ。席に座ると、


「そこ、僕の席だよ」


 後ろに田辺マコトが立っていた。田辺は陰が薄くて存在感がないけれど、気がつくと必ずどこかにいる、そんなタイプだった。田辺に言われ、一つ前の席に座り直すと、千田ケイ先生が教室に入ってきた。やった、と僕は思った。千田先生が担任なんだ。先生は若くて美人だったけど、いろんなウワサがあって、前髪で隠したおでこに何か秘密があると言われていた。


「じゃあ、席について」

 先生が言うと、みんなはバタバタと席に着いた。


 あれ? 机の端に落書きがあった。使い始めなのに、誰だこんなことするの。僕は筆箱から消しゴムを取り出し、マジマジと落書きを見た。机にはこう書いてあった。


「千田先生は魔女」

 僕は消しゴムで、落書きを消した。

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学校の12の怖い話 島崎町 @freebooks

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