2月 儀式
私たちが儀式を始めたのは、二月の寒い夜だった。
夜中の二時にこっそり起きて、洗面所に行く。寒さで震えながら暗い洗面所の電気をつけると、鏡に震える私の姿が映った。白い息を吐きながら、私は鏡の中の自分に願った。
「この町から犯罪が無くなりますように。ひったくり犯が捕まりますように」
今、他の三人も、同じように洗面所の前で願っているはずだ。
そもそもの始まりは、私たち四人がひったくりを目撃したことだった。下校中、商店街を歩いていると、黒い服を着た男がおばあさんのバッグを強引に奪った。おばあさんは倒れて悲鳴をあげ、男は逃げていった。
私たちはすごくショックだった。ひったくりはその後も続き、事件のことを聞く度に、あの日目撃した場面を思い出して心が揺れた。
だから、レイカが儀式を始めようと言い出した時、私たちはホッとした。レイカは私たち四人のリーダー的存在だった。私の成績はクラスで一番だったけど、国語だけはレイカに負けていた。
夜の二時に起きようと、レイカは言った。四人でそれぞれの家の洗面所に立ち、鏡に映る自分の姿に願う。そうすれば願いが叶うと本に書いてあると言った。何の本に書いてあるのか私たちは疑問だったけど、その儀式でひったくり犯が捕まり、私たちの心のざわめきも収まるならそれで良かった。
私たちは儀式を行った。目覚まし時計を一番小さい音にして、真夜中にこっそり起きた。暗い家の中はなんだか恐ろしい。家族に見つからないように洗面所に行き、眠気と寒さに負けそうになりながら願った。
「この町から犯罪が無くなりますように。ひったくり犯が捕まりますように」
だけど次の日もひったくりは起こり、犯人は捕まらなかった。確認してみると、私たちが儀式を行う時間が微妙にズレていることがわかった。二時に起きてそれから洗面所に行く人や、二時ピッタリに鏡の前で願う人もいて、みんなバラバラだった。
私たちは目覚まし時計を持ち寄って、一秒の狂いもなく時間を合わせた。起きるのは一時五十五分、儀式を始めるのは二時ピッタリじゃないとダメだと、レイカは言った。
それでもダメだった。レイカは、私たちの願いが弱いからだと言った。今日の夜はいつもより強く願おう、と言った。私たちは儀式がまやかしなんじゃないかと思い始めていたけど、その夜も儀式を行った。もしダメなら、これで最後にしようと思って。
朝起きると、ひったくり犯が捕まったとテレビのニュースでやっていた。私は茫然とテレビを見つめた。それからしだいに、顔に笑みが広がった。
教室の隅で私たちはひっそり笑いあった。儀式のことは私たちしか知らない。願いは叶った。ひったくり犯は私たちが捕まえたようなものだ。次は何を願おうか、とレイカが言った。野良犬が吠えて怖い、ゴミのポイ捨てがひどい、中学生の不良が小学生をいじめている。次々あがった。
私たちは儀式を行った。誰も、このことを知らない。午前二時、相田町の四件の家で洗面所の明かりが灯り、鏡の前、四人の女の子が同じ言葉を繰り返し述べて、鏡に映る自分を見つめ続ける。
「野良犬を退治してください。悪い犬を無くしてください」
朝、登校しながら私たちは見た。野良犬が保健所の車に乗せられている。激しい抵抗の後、犬は車に入れられて連れ去られた。
私たちは儀式を続けた。人づてに、不良が交通事故に遭い、もう誰もいじめることができなくなったと聞いた。ゴミのポイ捨ても無くなったし、町は見る見るきれいになった。
だけど儀式の代償として、私たちはずっと睡眠不足だった。毎日二時に起きて儀式を行い、またベッドに戻る。寝ようとしてもなかなか寝つけず、そのまま朝を迎えることも多かった。
私たちの成績は落ちた。昼間ウトウトしながら授業を聞き、宿題もできなくなった。儀式を始める前、私の成績はクラスで一番だったのに、今は田辺マコトに抜かれて二番になった。
その日、家に帰ると、両親から成績のことを言われた。一番じゃなくなったことを心配しているみたいだ。私は腹立たしくなった。言われなくてもわかっている。悔しいのは私の方なんだ。私はふて腐れながらベッドに入った。
午前二時、いつも通り起きて洗面所に立った。明かりをつけて鏡を見つめると、田辺マコトのことが頭に浮かんだ。本当は、早く雪が解けて暖かくなりますようにとか、そんなことを願うはずだった。だけど、鏡に映る自分を見つめて願った。
「田辺マコトが病気になりますように。私がまた一番になりますように」
次の日、記録的な寒さになった。風が吹き、外を歩くと冷気が肌を刺す。学校に行くと田辺マコトは風邪で休みだった。一時間目にテストがあって、私は一番になった。
問題はそれからだった。昼休み、私たちは教室の隅に集まった。窓から外を見ると、雪が横殴りに降っている。おかしいじゃない、とレイカは言った。儀式は失敗、誰かが別の願いをしたんだ、とレイカは続けた。私は無言で下を向いた。レイカの手が私の肩を掴んだ。ビクッとして顔をあげると、三人が見つめていた。
「あなたたち」
と背後から声がした。振り返ると千田先生が立っていた。
「ちょっと来なさい」
空き教室で、私たちは千田先生に聞かれた。
「あなたたち何かしてるの?」
私たちは黙ったままだった。
「儀式ってなに?」
クラスの誰かが千田先生に教えたらしい。いつも私たちが集まって何か話している。その中に「儀式」という言葉が出ていると。
先生は、私たちのことを心配してると言った。成績が落ちてるし、健康面でも不安があると。私はまた腹立たしくなった。どうして心配されるんだろう。そんな必要はない。私たちがやっていることは正しいことなんだ。
私たちが一言もしゃべらないでいると、「儀式はもうやめなさい」と言って先生は出ていった。私は三人を見た。みんな、青白い顔をして目の下に黒いくまができている。でも目だけはギラギラ輝いていて、きっと私も同じ顔をしているんだと思った。
やるしかないね、とレイカは言った。私たちの心の中はグツグツ怒りが沸いていた。余計なことを言ってくる先生もそうだし、儀式のことを告げ口したクラスメイトに対しても罰が必要だと思った。
こんなに強く私たちが願ったことはなかった。二時に起き、怒りの心で儀式を始める。鏡を見ると、青白い蛍光灯に照らされた私の顔は、まるで鬼のようだ。私たちは願った。
「千田先生なんて消えてしまえ。六年三組なんか無くなってしまえ」
寒い朝だった。私たち四人は一緒に学校へ行った。いつもと違うことに気がついたのは、六年三組の教室に入ってからだった。誰もいない。ガランとした教室には一人もクラスメイトがいなかった。静まりかえり、外の風の音だけ寒々しく聞こえる。
教室に教頭先生が入ってきた。教頭先生は早口に、六年三組は学級閉鎖になったと言った。私たち四人以外、みんなひどい風邪で倒れているという。特に千田先生は病院に運ばれ、命が危ないとかそういうことを言いながら教頭先生はいなくなった。
私たちは初めて事態の深刻さを知った。とんでもないことをしてしまったんだ。儀式のせいで、ここまでひどくなるとは思わなかった。「どうしよう」と私は言った。二人も困った顔でオロオロしていたけど、レイカだけは笑っていた。当然でしょ、とレイカは言った。これは罰なんだ、と続けた。私はもう、レイカと同じ考えじゃなくなっていた。
私たちはそれぞれ家に帰った。学級閉鎖で三日間は自宅待機だ。私は勉強をして、ベッドに入って眠りに落ちた。
だけどもう必要はないのに、一時五十五分に目が覚めた。目覚まし時計はかけていないのに、この時間に起きることが習慣になっていた。
私はこっそり起きて暗い洗面所に向かった。寒さに震えながら電気をつけると、鏡の中に現れたのは、やっぱり鬼のような顔をした私だった。私は怖くてブルブル震えた。鏡の中の自分を見られない。身をこごめ、両腕で強く体を抱きしめながら願った。
「先生を助けてください。六年三組を元に戻してください」
何度も何度も心の中で願い、私は鏡を見た。鬼は涙を流しながら震えていた。でもそれは私だ。私は鏡に向かって叫んだ。
「先生を助けてください! 六年三組を元に戻してください!」
居間に明かりがついて、パパとママが洗面所に来たのはすぐだった。「どうしたんだ?」とパパが言うと、私は泣きながら抱きついた。それが最後の儀式だった。
三日後、私たちが学校へ行くと、六年三組は元気なクラスに戻っていた。千田先生も復帰して、いつものように授業が始まった。
それから、私たちが儀式のことを口にすることはなくなった。レイカは私たちから離れ、ずっと一人でいるようになった。
二月も終わりに近づき、私たちの小学校生活もあと少しだった。
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