1月 「お化け!」
放課後、冷たい風を首に感じた。見上げると、廊下から屋上へ繋がる階段に、雪がハラハラ降っている。山崎ヨウコは不思議に思った。学校の中に雪が降るなんて。
階段を上っていくと、屋上に通じるドアが少し開いていて、そこから雪が入り込んでいるのが見えた。誰かがドアを開けたままにしたんだ。
ヨウコは階段の一番上まで行ってドアに手をかけた。ドアノブはひんやり冷たく、驚いて手を引いた。はずみでドアが開き、向こう側が見えた。誰も足を踏み入れていない屋上は、真っ白い雪で覆われている。
「わあ!」
と思わず声が出た。いつもならドアを閉めて家に帰るはずだった。だけど今日のヨウコは違う。休み時間、仲の良い友達とケンカした。理由は些細なことだったが、ヨウコは最後にひどいことを言ってしまった。体が小さくテキパキ動くヨウコと比べて、友達は体が大きく動きも遅かった。だから思わず言ってしまった。
「お化け!」
ヨウコは一緒に帰る友達を失い、放課後、帰りそびれていつまでも学校に残っていた。
ヨウコは一人で屋上に出た。灰色の空から雪が舞い降りている。足跡一つない雪の上を、サク、サク、と歩いていくのが心地良い。屋上の端にあるフェンスまで歩いていく。
フェンスに手をかけ景色を眺めると、雪の積もった町がどこまでも白く広がっていた。ヨウコは大きく息を吸い、勢いよく吐いた。白い息が風に流されて消える。さっきまでの嫌な気持ちが少しだけ消えたような気がした。ヨウコはブルッと震えた。コートも着ず、帽子も手袋もしていない。寒さがどんどん襲ってくる。もう帰ろう。そう思って振り返った。
あれ? 屋上に積もった雪の上に、ヨウコとは別にもう一つ足跡があった。さっきはこんなのなかったのに。もう一つの足跡は屋上の途中から始まり、真っ直ぐ進んでヨウコの目の前で終わっている。だけど、見渡しても屋上には誰もいない。じゃあ、この足跡を作った人は今どこに?
ヨウコはまたブルブルッと震えた。もう寒さのせいだけじゃない。あわてて引き返した。屋上のドアめがけて一直線。サク、サク、サクと雪を踏むたび音がする。でも背後から、ザク、ザク、サクと重い足音が迫ってきた。
「来ないで!」
ヨウコは叫んだ。屋上のドアまで走り、手を伸ばす。だけどその手が何かに掴まれた。
「痛い!」
掴まれた手が引っ張られ、ヨウコは雪の上に倒れた。
「アソボーヨ」
太く重たい声がした。起きあがって辺りを見回しすが、誰もいない。
「な、なんなの?」
ヨウコの声が震えた。
「アソボーヨ」
またあの声だ。ヨウコの目の前から聞こえるけど、誰もいない。雪の上の足跡は、屋上のフェンスから、いま声がした場所まで続いている。状況がわかってきて、どんどん怖くなった。見えない何かが目の前にいるんだ。
「ユキ、ユキ」
声と同時に、目の前で雪がふわりと浮かんだ。
「なに?」
ヨウコは怯えて身構えた。ギュッと音がして、雪が丸く固まり下に落ちた。
「ユキ、ユキ」
雪の塊が屋上の上で転がって、ドンドン大きくなっていく。
「アソボーヨ」
また声がした。もしかして「遊ぼうよ」って言ってるのかもしれない。雪玉は屋上を左右に転がって大きく膨れあがり、ヨウコの目の前まで来て止まった。
「アソボーヨ」
この声の主は遊びたがってるみたいだ。さっき掴まれた左腕がまだヒリヒリ痛む。逆らったら何をされるかわからない。
「遊べば、いいの?」
ビクビクしながら聞いた。
「ユキ、ユキ」
ヨウコの背よりも高い位置で、新しく雪玉が作られ始めた。雪玉はボトンと落ちてまたゴロゴロ転がっていく。わかった。雪だるまを作ろうとしているんだ。さっき作ったのが体で、いま作っているのが顔になるんだ。
ヨウコは思った。走って逃げてもさっきみたいに追いつかれる。遊んでいるふりをして、すきを見て逃げよう。素手で雪をすくい、雪玉を作った。それをどんどん転がしていく。三十センチくらいの直径になったところで、手が冷たくて転がせなくなった。かじかむ手を口元に持っていき、息をかけて温めた。
ヨウコはチラッと屋上のドアを見た。ここから十五歩か二十歩くらい先にある。
「アソボーヨ」
声に怯えた。ヨウコのすぐ隣から聞こえる。見えないけれど、手を伸ばせば届く距離にいるんだ。
「アソボーヨ」
また声がした。
「そ、そうだね……」
ヨウコは凍える手をさすりながら、さっきと同じように雪玉を転がして、雪だるまの頭を作り始めた。とにかく機嫌を損ねないようにしよう。一緒に遊んでいるふりをしよう。ヨウコは雪だるまの頭を作り体に乗せた。手で、目と鼻と口を掘ると、ニコッと笑ったかわいい雪だるまができた。
「これでいいの?」
と言って横を見ると、ヨウコの身長以上もある大きな雪だるまができていた。声の主が作った雪だるまは、頭はぐしゃぐしゃ、垂れ下がった目は落ちくぼみ、歪んだ口は叫び声をあげてるみたいだ。
「お化け!」と言いそうになって口をつぐんだ。言っちゃダメだ。怖くても黙っていよう。逃げ出すために楽しいふりをしよう。
強い風が吹いた。止んでいた雪が思い出したように降り始めた。コートも帽子もないヨウコには耐えられない寒さだ。早くここから出ないと。そう思って辺りを見回した。声の主の姿はもちろん見えないが、声もしないので、どこにいるのかわからない。
風が容赦なく吹きつけて、ヨウコの体から体温を奪っていく。震えながら覚悟を決めた。今しかない。思い切って屋上のドアへ走り出した。
ドン! とぶつかった。声の主は目の前にいた。オロオロたじろぐヨウコの首が、巨大な手で掴まれた。苦しい。息ができない。手足をバタバタさせると太い笑い声が聞こえた。
雪がさらに強くなり、ヨウコの顔や体に白く積もり始めた。苦しみながら前を見ると、目の前の何もない空間にも雪が積もっていく。雪で覆われ、声の主の輪郭が現れ始める。それはヨウコよりも遙かに大きい。太い腕、巨大な体。頭はぐしゃぐしゃで、垂れ下がった目は落ちくぼみ、歪んだ口は叫び声をあげているようだった。
ヨウコは掴まれた首から声をしぼり出した。
「お化け!」
手が首から離れた。ヨウコは倒れ込み、膝をついて咳き込んだ。頭の上で悲しそうな唸り声が聞こえた。
なんとか立ち上がり、屋上のドアへ向かった。走ろうとするが、意識が朦朧とする。風に吹かれてよろめくばかり。早く行かないと追いつかれる。そう思った時、背後から泣き声が聞こえた。
ようやくドアにたどり着いて振り返ると、屋上に、大きな雪だるまと、雪に覆われた白い巨体が見えた。吹雪の中、体を震わせ泣いている。
ヨウコはドアを開け、屋上から学校の中へ戻った。それまでの寒さがウソのように暖かい空気で満たされていた。階段を駆け下り、六年三組の教室へ入った。急いでコートを着て、帽子をかぶり手袋をした。カバンを持って教室を出ると、田辺マコトが廊下にいた。
ヨウコは何も言わず、三階へ駆け降りた。早く帰ろう。さっきまでのことは忘れよう。それから明日、友達に会ったら「お化け!」と言ったことを謝ろう。ヨウコは学校を出て家に帰った。だけど、屋上のドアをしっかり閉めるのを忘れていた。
ヨウコがいなくなったあと、田辺マコトは冷たい風を首に感じた。見上げると、廊下から屋上へ繋がる階段に、雪がハラハラ降っている。不思議に思った。学校の中に雪が降るなんて。田辺は階段を上り始めた。
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