学校の12の怖い話

島崎町

4月 文字人間

 三月が終わり四月になった。学校へ行くと朝からにぎやかで、新学期の喜びにあふれていた。僕もなんだか嬉しくなって、四階まで階段を一気に駆け上がる。最上階は六年生の階で、自分がまた一つ成長したような気がした。


 廊下にクラス分けの紙が張られている。ドキドキしながら見ると、あった。


「六年三組 田中ヒロシ」


 教室に入ると、なぜか懐かしい感じがした。前にもここにいたような、不思議な気持ちだ。席に座ると、


「そこ、僕の席だよ」


 後ろに田辺マコトが立っていた。田辺は陰が薄くて存在感がないけれど、気がつくと必ずどこかにいる、そんなタイプだった。田辺に言われ、一つ前の席に座り直すと、千田ケイ先生が教室に入ってきた。やった、と僕は思った。千田先生が担任なんだ。先生は若くて美人だったけど、いろんなウワサがあって、前髪で隠したおでこに何か秘密があると言われていた。


「じゃあ、席について」

 先生が言うと、みんなはバタバタと席に着いた。


 あれ? 机の端に落書きがあった。使い始めなのに、誰だこんなことするの。僕は筆箱から消しゴムを取り出し、マジマジと落書きを見た。机にはこう書いてあった。


「千田先生は魔女」

 僕は消しゴムで、落書きを消した。



 その日の終わり、帰りの会で先生は言った。

「明日から朝読を始めます。みんな、本を持ってきてね」


 五年生の時もそうだったけど、僕たちは毎日、朝の会の前に十分間、読書をしていた。僕は熱心じゃなかったので、いつも、本を読んでるフリをしていた。


 だから次の日、本を持っていくのを忘れた。朝読が始まる前、怒られるかも、とドキドキしながら先生に謝ると、「じゃあ、図書室から借りてきなさい」とあっさり言われた。


 誰もいない図書室に行くと、電気が消えてすごく不気味だった。閉まったカーテンのすき間から、わずかに明かりが差し込んでいる。棚と棚の間を歩いた。どんな本でもいいわけじゃない。長い本は嫌だし、難しいのも苦手だ。なるべく薄くて読みやすそうな本がいい。


 図書室の奥へ進むと、突き当たりの棚が光っていた。カーテンのすき間の明かりが、そこだけ一直線に照らしている。僕は誘われるように棚の前に行き、一番薄い本を手に取った。表紙を見ると「学校の12の怖い本」と書いてある。


 きっと面白くないだろう。そう思って本を乱暴に開くと、バラバラと音がして足下に何か落ちた。物が挟まっていたのかな? 床には黒い山ができている。しゃがんでよく見ると、それは全部、文字だった。ひらがなやカタカナや漢字が、何千個も落ちている。


 本を開けると真っ白だ。ペラペラめくると、最初の方のページはどれも文字がない。しばらくめくると、文字がちゃんと書いてあるページになった。どうやら、十二話あるうちの、最初の一話分の文字が、全部こぼれ落ちてしまったようだ。こんなことってあるのだろうか。


「本、見つかった?」


 驚いて振り返ると、千田先生がいた。まずい、本をダメにしたことがバレてしまう。僕は小高い山になっている文字を本の中へ入れ、強引に閉じた。


 教室に戻ると、みんなは静かに朝読をしていた。僕も席に座り、さっきの本を開いた。中で、文字が暴れていた。適当に詰め込んだので、いろんな文字がいろんな所にあって、それが生き物のように動いている。紙の上をピシャピシャ飛び跳ねる文字もあって、僕はすぐに本を閉じた。


「何か落ちてるよ」


 後ろから田辺マコトの声が聞こえた。見ると、足下に「わ」という文字落ちていて、小魚のように跳ねている。僕はあわてて「わ」を拾い、ズボンのポケットに入れた。


「ありがとう」と田辺に言うと「その本、面白い?」と聞いてきた。わかるわけがない。文字はグチャグチャなんだ。


「まあね」と答えると「どんな話なの?」となおも聞いてくる。「わ」が飛び跳ねる話なんだよ、とは言えないので、何かウソでもいいから説明しようと思ったけど、僕には想像力がまったくない。朝読をサボってきたツケで、何一つウソのストーリーが出てこない。


 学校が終わり、家に帰って本を開くと、文字はエサを待っていた動物のようにワアワア動き出した。僕は本を閉じ、カバンの中に入れてチャックを閉めた。どうしよう。先生に言ったら怒られるに決まってる。このまま黙って図書室に返そうか。そうしよう。それが一番安全だ。


 夜、モゾモゾした気配で目が覚めた。顔や腕がムズかゆい。飛び起きて電気をつけると、部屋中、文字であふれていた。ひらがな、カタカナ、漢字、数字、記号。床や天井にびっしり張り付き、ウネウネと動いている。あまりのことに言葉も出ない。ムズムズする腕を見ると、文字が僕の腕を動き回っている。驚いて払ったけど、顔や首にもいるみたいだ。髪の毛を掻きむしると、漢字やひらがながバラバラ落ちた。


 見ると、机の上のカバンはチャックが開けられ、中からあの本が出ていた。文字が自分たちで出てきたんだ。僕は、床に落ちた文字を両手で拾い上げ、机の本にぎゅうぎゅう押し込んだ。


 夜が明けるまで、壁の文字を剥がし、床から拾い集めた。だけど文字は数千もある。押し込んでも全然減らない。本に入れるだけじゃダメなんだ。本当の位置に置かないといけないんだ。


 朝になって僕は諦めた。もうダメだ。文字は減らないどころか、どんどん元気になっている。部屋を飛び出すと、玄関で、お母さんがゴミ捨てに行こうとしていた。


「お母さん、これ捨てて!」

 僕は部屋に戻って、あの本を持ってきた。


「ダメでしょ、本なんか捨てたら」

「でも!」

「粗末にしたら、バチが当たるわよ」


 本を持ったまま、僕は家を飛び出した。自分の手で捨てるしかない。ゴミステーションに走っていき、ゴミの山に投げ入れた。これで大丈夫だ。


 ホッとして家に帰ろうとした時、道の先に伸びる僕の影が見えた。でも不思議だ、影が二つある。両方とも僕の姿をしているのだけど、手を振ると、一つはちゃんと手を振ったのに、もう一つの方は動かない。いや、勝手に動き出した。影が起きあがって、立体的な黒いもう一人の僕になった。


 よく見ると、黒い体は小さくモゾモゾ動いている。そうだ、全て文字だ。文字が人の形になっているんだ。その中から、いくつかの文字が体を離れ、地面をウネウネ動いてきた。


「チバたら末当よたるが、にしわ粗」そう読める。どういう意味なんだ? 文字が並びを変えて、僕の方を向いた。


「粗末にしたら、バチが当たるわよ」


 ワナワナと恐怖がこみ上げてきた。僕は走って逃げ出した。振り返ると、文字でできた人間が、本を持って追いかけてくる。


 学校にたどり着き、階段を一気に駆け上がった。早朝の誰もいない学校に、僕の足音が響く。四階まで行くと息が切れた。振り返ると、黒い文字人間が階段を上がってくる。もう泣きそうだった。どこまでも追いかけてくる。廊下を走り、六年三組のドアを開けると、目の前に千田先生が立っていた。


「先生!」


 僕の背後からニュッと手が伸びた。文字でできた腕だ。もうダメだ、と思った時、先生が少し笑ったように見えた。


 不思議な風が吹いた。廊下と教室の間で渦になり、千田先生の前髪をかき上げる。先生のおでこには、ひどい傷跡があり、それが一瞬光ったように見えた。あっ、と僕は声をあげそうになった。机の落書きを思い出した。千田先生は……。


 背後でバラバラと音がした。振り返ると、黒い人型は文字になって崩れ落ち、廊下に山ができていた。その中にあの本が見えた。


「先生、僕、本を粗末に扱ったんです!」


 僕はすべてを話した。「じゃあ、本を元に戻さないとね」と先生は言った。こぼれ落ちた文字を、本に戻せばいいと言う。でも、読んだことのない一話目を、どうやって戻せばいいんだろう。「ウソでもいいから」と先生は言う。だけど今まで朝読をサボり続けた僕には、ウソを考える想像力がない。「じゃあ、ヒロシ君に起こった出来事をそのまま書いたら?」先生は涼しい顔だ。


「落ちてる文字を使って、六年生になって起こったことを書けばいいの」

 そう言うと、先生は教室から出ていった。


 僕は一人残された。確かに文字に襲われるなんて不思議な体験だし、物語になりそうだ。僕はやる気を奮い起こし、本を広げ、空白のページに文字を一つ一つ置き始めた。


 最初のページ。書き出しに『三月が終わり四月になった。』と並べた。やった、書けた。続けて『学校へ行くと朝からにぎやかで、新学期の喜びにあふれていた。』と並べる。


 いいぞ、この調子でいけそうだ。僕は、文字の山から言葉を拾い、物語を作っていった。朝読の本を図書室に借りに行き、文字がボロボロこぼれ落ち、その文字が僕を襲い始めた。本当のことだからスラスラ進む。並べていくと文字はどんどん減っていき、ついに最後の行ができた。


『「学校の12の怖い本」、その一話目は、こうしてできあがった。』と。


 あれ? でもおかしい。最後に二つ、文字が余ってしまった。「お」と「り」だ。「おり」なんて言葉、もうどこにも入らない。


 その時、ポケットの中がモゾモゾ動いた。手を入れると、中から「わ」が出てきた。これで完成だ。僕は、最後の行に「お」と「わ」と「り」を付け足した。

「学校の12の怖い本」、その一話目は、こうしてできあがった。


おわり

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