11月 脚本

 学芸会の練習から、北尾ケイタは逃げ続けた。


 毎年十二月に行われる学芸会は、ただでさえ面倒くさいのに今年は最悪だった。

 六年三組の出し物は演劇で、主役はケイタなのだ。


 面倒くさいし恥ずかしい。たった一日学校を休んだだけなのに、それが劇の配役を決める日だった。千田先生の書いた劇の脚本は、男子が主人公。言い訳ばかり言って劇の練習に参加しない、配役を決める日に休むようなキャラだという。当然、ケイタがピッタリということで、勝手に決められてしまった。



 不満でいっぱいのケイタにとって、練習をサボることが唯一の抵抗だった。初めのうちは、不吉な風が吹いたとか黒猫が前を通ったとか、適当な理由をつけてサボっていた。だけど主役がいなければ練習は進まない。授業が終わって放課後になると、劇の演出担当の小森サチエがしつこく追いかけてくるようになった。それでもケイタは、お腹が痛くなったとか親戚が病気だとか言って練習から逃げ続けた。



 ケイタが逃げ続けて二週間。今年の終わりが、見たこともないスピードで迫ってきた。


 あと五日で劇の本番。もう、どんな言い訳も通用しなかった。ケイタの言葉を信じるなら、ケイタの親戚はみんな死に絶え、隣近所も全滅だった。ケイタ自身、幾度も事故にあい、謎の奇病に冒されたことも一度や二度ではなかった。


 だから放課後、サチエに腕をつかまれて言い訳をしようとした時に一瞬、口ごもってしまった。サチエはそれを逃がさなかった。


 「今日は時間あるんでしょ。絶対に練習出なさいよ!」



 ケイタは初めて練習に出た。練習場所は本番と同じ体育館。上から吊された照明が、体育館のステージを照らし出していた。


 舞台にムリヤリ上げられ、ケイタはオロオロするばかりだった。いったい何をすればいいのか。もちろん千田先生の書いた脚本なんか一度も読んでないし、そもそも脚本自体とっくに捨ててしまっていた。


 サチエはステージの前に置かれたイスに座り、演出家気取りだ。脚本を見ながら男子や女子に指示を出している。


 「ケイタ、脚本は?」


 サチエが気づいて聞いてきた。何も持たず丸腰で舞台に立つケイタは、やはりおかしいのか。だけど、脚本を捨てただなんて言えない。


 「俺は全部、暗記してるから」

 さっきは不覚を取ったが、言い訳ならケイタの十八番だ。


 「じゃあ、十三ページから始めるよ」


 サチエは言って、舞台に上がってきた。ぴったりケイタの横につく。ケイタはたじろいで一歩下がった。


 「どうしたの? 十三ページだからね。じゃあ行くよ」

 そう言ってサチエはケイタの腕をつかんだ。


 「なんだよ、離せよ」

 ケイタはサチエの腕を払った。


 「ちょっと違うでしょ、本当に脚本覚えてるの?」

 「えーと、なんだっけ」


 「もう! 私が、ケイタを逃がさないように腕をつかむところから。それで、ケイタは練習をサボろうとして言い訳しようとするんだけど、ずっと言い訳し過ぎたからネタが無くなって、一瞬何も言えなくなるシーンでしょ」


 何のことだか、さっぱりわからなかった。それはさっき、実際にケイタがサチエにやられたことだ。


 「で、私がケイタに言うの。『今日は時間あるんでしょ。絶対に練習出なさいよ!』って」



 次の日もケイタは練習に出ることにした。


 結局昨日は、主人公が初めて舞台上に上げられオロオロするシーンを練習させられた。だけどそれはケイタの現実だった。本当にあったことを舞台で自分が演じるなんておかしい。いったいこれは、どんな劇なのか。


 疑問はたくさん浮かんでくるが、脚本を持っていないケイタには解決しようがない。この劇の内容を知るためには、練習に出るしかなかった。



 放課後の練習は昨日の続きからだった。ケイタとサチエが舞台上で話すシーン。二人が舞台に上がって練習が始まった。


 「ケイタ、脚本は?」

 「俺は全部、暗記してるから」


 「じゃあ、十三ページから始めるよ」

  サチエがケイタに近寄り、ケイタは一歩離れる。


 「どうしたの? 十三ページだからね。じゃあ行くよ」

  サチエがケイタの腕をつかむ。


 「なんだよ、離せよ」

  ケイタはサチエの腕を払う。


 「ちょっと違うでしょ、本当に脚本覚えてるの?」

 「えーと、なんだっけ」

 「もう! 私が、ケイタを逃がさないように腕をつかむところから。それで、ケイタは練習をサボろうとして言い訳しようとするんだけど、ずっと言い訳し過ぎたからネタが無くなって、一瞬何も言えなくなるシーンでしょ」


 ケイタは目をキョロキョロさせる。


 「で、私がケイタに言うのよ。『今日は時間あるんでしょ。逃がさないからね!』って」

 パチン! とサチエが手を叩いた。


 「ハイ、オッケー!」


 サチエがそう言うと、二人の演技を見ていた生徒たちは自分の仕事に戻った。劇で使う道具を体育館に運び入れてる。跳び箱やナイフを何に使うのか。


「ケイタ、なかなか上手じゃない」


 褒めるサチエには演出家らしい貫禄があった。だけどケイタにしてみれば上手なのは当然で、昨日自分がやったことを再現しているだけなのだ。


「じゃあ次は、舞台上で二人が劇の練習をするところで……」

 と、サチエは脚本をめくった。


「そのあとケイタが劇に疑問を持って、演出家に内容を聞くシーンね」

「ちょ、ちょっと!」


 ケイタがあわててさえぎった。

「どうしたのケイタ?」

「休憩しようぜ。俺、水飲みたい」

「もう! じゃあ、休憩!」


 サチエは不満そうに舞台を下りた。ケイタもあわててサチエに続いた。


「サチエ、ちょっと聞きたいんだけど」

「なに? 水飲みたいんじゃないの?」


 サチエは舞台の前に置かれたイスに、ドッカと座った。


「あのさあ、この劇ってどんな内容なんだっけ?」

「今さら? 脚本全部、覚えてるんじゃないの?」


 そうだ、確かにそんな言い訳を使ったような気がする。


「やっぱ主役としては、演出がどんな風にストーリーを考えてるのか、聞きたいだろ?」


 でまかせがスラスラと言えた。まるで役者みたいだ。

 サチエは首をかしげた。


「どんなストーリーって……変わったストーリーだと思うけどね」

「そうそう。で、どう変わってると思う?」

「だってそれは、六年三組が学芸会の演劇を作るまでを、そのまま演劇にしちゃうんだから、やっぱり変わってるでしょ」

「ああ、変わってるな」

「でも、最後の殺人の場面なんか、ドキッとするよね」


 殺人? 誰かが殺されるというのだろうか。


「あのさ、主人公は俺じゃん? これって俺のストーリーってこと?」

「当たり前でしょ。本当に脚本読んだの?」


 やっぱりそうだ。この劇はケイタの過去と現在をストーリーにしたものなんだ。だけど、とケイタは思った。過去と現在だけなのだろうか?


 さっきサチエは、この次に練習するのは、ケイタが演出家に劇の内容を聞くシーンだと言っていた。今、ケイタはサチエに劇の内容を聞いている。なんだか怖いぞ。ケイタが何かをするよりも先に、脚本にケイタの行動が書いてあるということだ。そんなことがあり得るのだろうか。


「ケイタ、水飲むんじゃなかったの?」


 いつまでも立っているケイタに、サチエが聞いた。

 このセリフも、脚本に書かれているのだろうか。


 ケイタはそっと、サチエが持っている脚本をのぞき込んだ。

 そこにはこう書かれていた。



  サチエ ケイタ、水飲むんじゃなかったの?

       ケイタ、サチエの持っている脚本をのぞき込む。

       脚本に書かれた内容を読んでいく。

       ケイタ、怖くなって逃げ出す。



 ケイタの行動がイチイチ書かれていた。

 もう、わけがわからなかった。

 ケイタは怖くなって逃げ出した。


「演出! 小道具のカンペンないんだけど」

 背後で、誰かがサチエに聞いていた。


「カンペンは田辺君のを使うはずだけど」

「田辺いないんだよ」


 ケイタは体育館の端まで走り、ドアを開けた。

 目の前に、赤いサンタクロースの衣装を持った女子がいた。


「あ、その衣装、ケイタにピッタリだと思うよ」


 サチエの声が聞こえた。

 誰がそんな、サンタクロースの服なんか着るものか。ケイタは体育館を飛び出した。



 とはいえ、劇の続きが気になった。自分はこのあとどうなってしまうのか。脚本通りに進めば、最後に殺人が行われる。いったい誰が誰に殺されるのか。


 嫌な予感しかしない。主人公はケイタだ。誰かを殺すわけはないから、じゃあ殺されるのか? どうにかして脚本を手に入れようと、ケイタは六年三組の教室に戻った。



 誰もいない教室は薄暗かった。手当たり次第、机を物色する。誰か、机の中に脚本を忘れていないか。だけど忘れてる人なんて誰もいない。ただ、田辺の机にカンペンが入っていた。銀色のブリキでできたオールドタイプのカンペンだ。


 ケイタはさっき体育館で聞いたことを思い出した。小道具に田辺のカンペンを使うとか言っていた。よし、邪魔してやろう。ケイタはカンペンをズボンのポケットに入れた。これで小道具として使えなくなる。


 その時、廊下を歩く音が聞こえた。こっちに来る。

 ケイタはあわてて田辺の机の下に潜り込んだ。


 ガラガラと音がして、教室のドアが開いた。千田先生だ。


 先生は教室の前にある自分の机の引き出しを開けて、中から脚本を取りだした。そうか、先生の机を探せば良かったんだ。


 でも待てよ、とケイタは思った。脚本にケイタのことが書いてあるなら、こうしてケイタが机の下に隠れていることも書いてあるんじゃないか。脚本を書いた千田先生なら、とっくにお見通しなんじゃないか?


 ドキドキしてきた。先生が今にもケイタの背後に来て、ムンズと首根っこをつかむかもしれない。


 先生は、脚本を持ったまま教室を出ていった。

 助かった。だけど早く脚本を手に入れて、何が書いてあるのか調べないと。



 方法は一つしかなかった。


 ケイタは体育館の外に回り、体育準備室の窓を調べた。ツイている。カギは開いていた。ケイタは外から準備室の中に忍び込んだ。準備室はステージと繋がっていてすぐ横にある。体育館からサチエの声が聞こえた。どうやらケイタを探しているらしい。


 ケイタは劇の練習が終わるのを待った。練習が終わって片づけが始まれば、脚本は体育館の隅にでも置いておくだろう。そのすきに脚本を盗ってしまえばいい。


 だけど十二月は寒い。日が落ちてからは格段だ。ケイタはガタガタ震え出した。あまりにも寒いので、跳び箱の上にあった衣装を着ることにした。劇で使う衣装だろうか。暗くてよくわからないが、ズボンを履いて上着を着た。袖や襟元がフワフワして温かい。人心地着いた。ケイタは準備室の跳び箱にもたれかかり、ウトウトして……眠りに落ちた。



 人の声が聞こえたような気がして目が覚めた。

 あたりを見るともう真っ暗だ。今は何時だろう。


 ケイタは起きあがり、準備室からステージを覗いた。

 ステージの上にはうっすらと月明かりだろうか、光りが差している。その中に脚本が一つ落ちていた。


 しめた、と思ってケイタはステージに上がった。そこから見ると、体育館は真っ暗で何も見えない。


 明かりの中に入ってわかった。ケイタが着ているのは赤いサンタクロースの服だ。どうりでフワフワしているわけだ。


 ケイタは脚本を拾って中を見た。最後のページだ。



       ケイタ、千田先生に胸を差される。

       おびただしい血が流れ、その場で死ぬ。

                      ―終―



 ビックリして脚本を閉じた。やっぱり殺人が行われるんだ。しかも殺されるのはケイタで、殺すのは千田先生だ。どうしてそんなことになるのか。ケイタは再び脚本を開いて、ラストの一ページ前を読んだ。



       ケイタ、ビックリして脚本を閉じる。

       再び脚本を開いて、ラストの一ページ前を読む。

       その時、ケイタの背後に、ナイフを持った千田先生が現れる。



 脚本を持つ手が震えた。

 これは、まさに今のことを書いているんじゃないか?

 ゆっくり、ケイタは後ろを振り返った。


 暗闇に、ナイフを持った千田先生が立っていた。


 ケイタは驚いてステージ上で転んだ。ポケットの中に感触があった。カンペンだ。

 ケイタはブリキのカンペンを出して、思いっ切り千田先生に投げつけた。


 まるでスローモーションのようだった。カンペンは薄明かりにチロチロ照らされながら、ゆっくり回転して宙を舞った。


 千田先生が目をつぶったのがわかった。カンペンは先生のおでこに命中して、パカッと開いた。中から、鉛筆や消しゴムが花火のように飛び散った。


 「ぎゃっ」

 と声がして、先生が頭をおさえた。


 先生が苦痛に身をよじっているうちに、ケイタは落ちている脚本を拾って最後のページを開いた。助かる道はこれしかない。脚本を書き直して未来を変えるんだ。


 ケイタはカンペンから飛び散った鉛筆を拾い、ステージの上に広げた脚本を書き直した。



       千田先生 ケイタ

       ケイタ、千田先生に胸を差される。

       おびただしい血が流れ、その場で死ぬ。

                      ―終―



 ケイタの背後で千田先生が立ち上がった。苦痛で顔が歪んでいる。

 一歩、二歩、ケイタに近づき、ナイフを振り上げた。


 そんな、とケイタは思った。脚本を変えたのに。

 ナイフが振り下ろされ、間一髪、ケイタはよけた。


 ナイフはざっくりステージの床に突き刺さった。

 ケイタは先生の手をはね除け、ナイフを引き抜いた。


 「さあ、刺して」


 小声で先生がささやいた。何のことかわからない。とにかく、ケイタはナイフを千田先生の胸に突き刺した。


 おびただしい血が流れた。先生はその場に倒れ、動かなくなった。

 ケイタは呆然と立ちすくむ他なかった。先生を殺してしまった。もう取り返しがつかない。


 その時、真っ暗な体育館の中から、いっせいに拍手が起こった。

 すごい数だ。ケイタはわけもわからず、暗闇を眺めた。


 拍手は鳴りやまず、体育館の電気がついた。

 体育館にビッシリ、全校生徒がいた。父母や先生も見ている。みんな、ケイタに拍手を送っている。


 ケイタの横で千田先生が起きあがった。


 「先生、大丈夫なの?」


 ケイタにはその一言が精一杯だった。

 先生はケイタに微笑んだ。


 ステージ上に六年三組の全員が上がってきた。みんな揃って客席に礼をした。拍手がいっそう大きくなった。ケイタも釣られて頭を下げた。


 六年三組の演劇は大成功だった。

 ケイタの隣にいたサチエがそっと言った。


「ケイタ、良かったよ」


 何が良かったのか、ケイタにはわからなかった。

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