遥か昔、高校生だった頃、私を構ってくれる教員がいました。恐らく馬鹿学校の学生のくせに本ばかり読んでいた、私に目をかけて下さったのだと思います。
卒業後は進学する生徒が珍しい学校でしたので、私も就職するものだと思って話してくれたのだと思います。彼は出版社で売れない歴史の本を作ることを望んでいました。
「売れない本は作れない。それは仕事でなく趣味だ」
彼は大手出版社の最終面接で、そう言われて教師になったとの事です。その時は何でそんな話をして下さったのか、よく分かりませんでした。
このお話を拝読して、高校生の頃を思い出しました。どんなに自分が好きでも、売れない本は作れないんですよねぇ。でも、地域や各分野でどうしても残したい書籍ってあるんです。
大手で扱わない貴重な書籍を、手売りでも販売して、世の中に残してゆく。彼はきっとそういうことを言いたかったのだと思いました。
本づくりの流儀を実践し、維持していくのは至難の業だと思います。でも頑張って貰いたいです。
長野の小さな出版社を舞台にした、本づくりに人生をかける人たちの物語。全10話にまとめられていますが、その中に収められたひとつひとつのエピソードの濃さが物凄い。一見本筋とは関係ないような話まで全部根底でつながって、人と人との関係のはかなさや強さ、大きなものに巻かれてしまいそうな社会のもろさ、とにかく色んなテーマがひしめき合って読む者に響いてきます。
主人公をはじめ、社長に社員たち(そして1匹)、みんな決してスーパーマンではない。何かしら事情を抱えて生きている。
けれど、その情熱が本に向かうときのエネルギーの強さ。どんなに足元が危うくても信念と誇りを貫く彼らのプロ意識は、大手も弱小も都会も地方も関係ないのだと見せつけるようです。
また出版社のお話だけに、本編の中にふたつの物語が挿入されているのですが、これが素晴らしい存在感を放っています。
本づくりに対する愛情と誇りがつまった作品。公式本棚にふさわしい文芸書です。
地域出版社を舞台にしたお話ということで、このお話を読みだしました。
おそらく作者様も私と同じ県に住んでおられるのだと思いますが、私の住んでいる県は、地域出版社や、信念を持って独自のラインナップを揃えている書店が昔は多く存在していたのです。
今では活動している地域出版社も減り、閉店した書店も多くて寂しい限りです。
出版不況と言われてから随分と時間が経ちますが、今も好転の兆しは見えません。
そんな出版不況の逆風の中でも経営を続ける「黒百合書房」を舞台にした本作。
「黒百合書房」の校正係を務める主人公「設楽野花」。
感受性が強く繊細だけれど、それ故に観察眼が鋭く時にシニカル。
そんな彼女を通して周囲の人々の人間模様を描く本作は、出版を中心に地域社会や人の世の営みを生き生きと描き出しています。
本を愛する方ならば共感いただけると思います。
拙いレビューですが、目に留めていただけたのならば、是非一読をお勧めします。
この作品を一言で表すのは難しいです。
敢えて言うのであれば、本を愛する者たちのリアルが美しい、とでも言いましょうか。
そもそもは筆者の上月さんの他の作品を読んで、この作品がカクヨムの本棚に載ったと書いてあったので、とりあえず覗いてみた、という感じでした。正直、カクヨムの本棚とやらにどういう作品が載るのか知りませんし、過去に公式運営がレビューしたものでも、少し読んで興味が失せて読まなくなってしまったり、ということもある中、この作品はメテオライトの如く強烈なインパクトを残していきました。
黒百合書房を取り巻く環境と登場人物たちのリアルが生々しい。
登場人物たちの言葉や心境が社会に痛烈な斬り込みを入れていく中で、主人公野花を中心に様々な人物たちの人生ドラマあり、出版社業界の現実あり、経営に纏わる葛藤あり…とにかくピースが多い!濃厚なセレクションを持つバーの如く、美味しく頂ける色とりどりな文章たち…
出版社を冠に置いたので、作品中にショートストーリーも入っていて、これもとても面白かったです。
ヤバイっと思ったのは八話目ですかね。読むの一旦止めようか迷いました。
これは完全に個人的なことです。
八話目は野花の色々な側面が見えた回と感じました。全話を通して野花の性格はよく表れていました。それは間違いありません。しかしラウンドを重ねて打たれてきたボディが効いてきた、という感触です。野花は気の弱いキャラで、しかも弱いからといってありがちな心が綺麗、というわけでもなく、じゃあ憎たらしいのか、といったらそうでもなく、自分勝手な考えの時も見え隠れすると思えば、利他的な活動もしたり、意外と強い一面を持っていて、まるで真逆のことが同居しているのに全て筋が通っている…要するに、本物の人間…その深みをよく体現しているキャラと認識しました。
じゃあ、それの何がヤバイのか…誠に勝手な言いがかりをつけるようで申し訳ないが、自分が連載中の作品のキャラたちに野花がちゃっかり顔を出しそうで、全く違う作風で書いてあるものなのに…強いていうなら、スパイスをたっぷり入れた自慢のカレーを作っていたら、高級な寿司を食わされて、ああ、寿司もいいなあ…なんて思って寿司を入れそうになる、という感じです 笑
やめとけっちゅうに、あんたはそんなん作ってないでしょ、と本の神様に叱られそうです 笑
結局は完読させていただきましたが、ご馳走様でした、という感想です。
このレビューをご覧の皆さんも、よ〜く読んでみることをお勧めします。
「小説ってなにがおもしろいんだろう」と、物書きの端くれながら折あるごとにつねづね考えています。振り返ってみると私が小説を好きになったのは物語の面白みに気づいてというより、最初はただ単にひたすら文字を追いかける行為そのものにあったように思います。その過程でしだいに言葉そのものの意味の奥深さ、物語の構成や登場人物の変化、伏線等を読み解くことにも面白みを見いだしてきました。
本作は長野県の小さな(といってもその実力は折り紙付きの)老舗出版社内で繰り広げられる人間模様を描いたものです。およそ10万字の端整な作品ですが内容は濃く、とくに主要な登場人物の人間性や心情の機微に丁寧さが感じられます。
主人公の野花、営業の桃瀬などを筆頭に、過去に憂いがありそれゆえあくが強い登場人物たちが織り成す物語には、山あり谷あり起伏があって楽しめるというようなメリハリのあるストーリーラインがあるわけではありませんが、この登場人物の心情の機微・変化によって静かに力強く物語が動いている印象を受けました。すなわち、物語のために人があるのではなく、人のために物語があるという原則です。
とくに居酒屋あずさの章にて、海外での仕事から帰ってきてふらりと訪れた“白鳥のような”女性客。この女性と女将さんの身の上話、桃瀬と社長が熱の入った出版よもやま話をしている場とに挟まれ(!)、野花が交互に耳を傾けるのですが、彼らがそれぞれ話に花を咲かせる姿と話の内容の異質な調和が想像されて強烈な印象を残してくれました。
居酒屋の雰囲気。だれもかれもが好き勝手におしゃべりする空間で、それには積極的に加わらず話のなりゆきに聞き耳を立てる人がいる。かようにして本作は人が主人公であることの意味にきわめて忠実に迫ろうとしている印象さえ受けました。細やかで違和感のない居酒屋の描写は台詞や小道具等も含め本作いち好きで、何度も読み返してしまいました。
この静かで力強い物語を支える唯一無二にして作品の強みが「美しい文章」です。ウェブ小説サイトでは滅多にお目にかかれない息が長く流れるような美しい文章は一目見て惚れました。作中作である『よだかの星 それから』や『犀川久米路橋人柱異聞』なども同様の力の入れ込みように感銘を受けました。
また、ふらりと近況ノートにも立ち寄ってみましたが、俳句を嗜んでおられるようで納得です。コンテスト、良い結果が得られるよう応援しています。