空の空の空をうちて星にまで達せんとす。

「小説ってなにがおもしろいんだろう」と、物書きの端くれながら折あるごとにつねづね考えています。振り返ってみると私が小説を好きになったのは物語の面白みに気づいてというより、最初はただ単にひたすら文字を追いかける行為そのものにあったように思います。その過程でしだいに言葉そのものの意味の奥深さ、物語の構成や登場人物の変化、伏線等を読み解くことにも面白みを見いだしてきました。

本作は長野県の小さな(といってもその実力は折り紙付きの)老舗出版社内で繰り広げられる人間模様を描いたものです。およそ10万字の端整な作品ですが内容は濃く、とくに主要な登場人物の人間性や心情の機微に丁寧さが感じられます。

主人公の野花、営業の桃瀬などを筆頭に、過去に憂いがありそれゆえあくが強い登場人物たちが織り成す物語には、山あり谷あり起伏があって楽しめるというようなメリハリのあるストーリーラインがあるわけではありませんが、この登場人物の心情の機微・変化によって静かに力強く物語が動いている印象を受けました。すなわち、物語のために人があるのではなく、人のために物語があるという原則です。

とくに居酒屋あずさの章にて、海外での仕事から帰ってきてふらりと訪れた“白鳥のような”女性客。この女性と女将さんの身の上話、桃瀬と社長が熱の入った出版よもやま話をしている場とに挟まれ(!)、野花が交互に耳を傾けるのですが、彼らがそれぞれ話に花を咲かせる姿と話の内容の異質な調和が想像されて強烈な印象を残してくれました。

居酒屋の雰囲気。だれもかれもが好き勝手におしゃべりする空間で、それには積極的に加わらず話のなりゆきに聞き耳を立てる人がいる。かようにして本作は人が主人公であることの意味にきわめて忠実に迫ろうとしている印象さえ受けました。細やかで違和感のない居酒屋の描写は台詞や小道具等も含め本作いち好きで、何度も読み返してしまいました。

この静かで力強い物語を支える唯一無二にして作品の強みが「美しい文章」です。ウェブ小説サイトでは滅多にお目にかかれない息が長く流れるような美しい文章は一目見て惚れました。作中作である『よだかの星 それから』や『犀川久米路橋人柱異聞』なども同様の力の入れ込みように感銘を受けました。

また、ふらりと近況ノートにも立ち寄ってみましたが、俳句を嗜んでおられるようで納得です。コンテスト、良い結果が得られるよう応援しています。

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